慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第2話 アリおじさん
 アリ・コウネリアス・カウナンがオム・アリ(アリおじさん)の正式名だ。
 私がジャカルタで下宿した家の主人だった。

 アリというのでムスレムと思った。アリカーン、モハマッドアリなど、石を投げればアリに当たる程多いモスレムの名前だから。
 いくらキスしても舌の堅い日本人には苦手なRとLの違いで、彼はAryでAliではなくクリスチャンだった。
 狛犬のようないかつい顔に薄くなった白髪、ずんぐりした身体はモンゴリア系マナド人の標本だ。もう一種はオランダ混血を思わせる長身痩躯で、対称的なコーカソイドみたいなのがいるのは北スラウエシ歴史の証人といえよう。
 東ジャカルタのこの家は中流以上で小さな前庭もある。
 なんでも郷里の地所の売り食いで暮らしているとか。

 することは、小言を言うか昼寝か、トランプ占いか、何か食べている。朝はピーナッツバターとチョコレートをごってり塗ったパン五枚をペロリと平らげる。

 狛犬のように黙って何処にでもついてくる。客と会食と言っても平然としてついて来て横に坐っている。倍程を旨そうに平らげて、詳しく請求書をチェックし、「チト高いな」と言いながらしっかり俺にまわして寄越す。
 本人は不慣れな外人の番犬と考えているのかもしれないが、私には石の彫り物のように坐っていてくれた方が余程気が楽だ。
悠然としたこういったタイプに過去会った事がない。

 アリ夫人はマルガリッチェ・アウグステイン・テイコアル、リッチェと呼ばれている。
 マーガレット、色黒の肥った容姿は小説のイメージとはかけ離れている。テイコアル家は北セレベス、ミナハサ地方の名門で、インドネシア一番の美人國マナドのそのまた一番のトンシェ出身なのを知ると私は神の采配を疑いたくなる。
 正確な英語を話す教養人で、熱心なセブンスデイズアドベンチスト派で、家よりグレジャ(教会)にいる方が多い。
 「神を畏れ、夫を愛すじゃあなくて、神を愛し夫を怖れるだよ」 とアリはこぼす。
 夫人は強烈な菜食主義者で、肉はおろか茶コーヒーも一切口にしないから冷蔵庫はいつも空、たまに作る料理も鶏の餌のようでアリと顔を見合わせる。
 毎日決まって揚げ豆腐、葉の堅い野菜、何のだしだか薄い味のスープに豆が数個浮いている。それを前に敬虔な神への長い神への感謝。不信心の俺は上眼ずかいでそれにあわせる。

 息子のミルトリイ(ミリイ)は今が反抗期でいつもボリュームいっぱいでカセットを聞いている。イスラムの祈りの大声も含めて此処の人は音に対して鈍感だ。
 「ミリイ、音を落とせ!」と言っても返事がないのは、彼の反抗ではなく私の発音から唯の叫びに聞こえるそうだ。いい部屋を私が占領したので家族は二階の小部屋に移動したらしいが、彼の外に同居人リーナと娘ふたり、夫人の姉と養女が、朝ぞろぞろと急な階段を伝って降りてくる。どんな風に寝ているのだろう。
 養女は前の女中が生み落とし、段ボールに入れたまま失踪したのを猫の子と同じようにペットとして可愛がっている。籍とか就学年令になったらとかは考えないらしい。

 女中ヌールは廊下にゴザを敷いて寝る。常夏は経費がかからない。
 アリはバプテスト派のプロテスタント、信心深いとはいえないが、日曜には正装してグレジャに行くのを忘れない。マナド人のトレードマーク、ソフト帽も忘れない。
 リーナさんはパンテコスト派で教会は夫人とも異なる。
 ヌールはイスラム、私が仏教徒とすれば五つの宗教が同居する事になる。
 生活は宗旨に支配されるといっても、三度の食事を家族で囲むのは稀で、それぞれ食べたい時に食べ、眠りたい時に眠る。誰かがテーブルについても誰かがソフアで寝ていたりするが、「ご飯ですよ」の声はかからない。昼寝するのは南国の習慣だろうが、ヌールの最初のお祈りは朝の四時半だし、断食月なら夜がたらふく喰う時間となる。

 夜中の三時だというのにアリが砂糖菓子をつまみ新聞を見ていたり、子供が遊んでいたりする。
 十年一日の変わらない此処の気候がそうさせるのか、盆も正月もないし、勿論暑さ寒さも彼岸までもない。時間への区切り方が違う。
 思索を巡らすには暑過ぎる。年三回も稲穂が実る豊穣、異文化の洗礼、ミリイの音響、スピーカーから大声で流れるイスラムの唱和、物売りの高い売り声の攻撃を受けながら私は寝返りをうつ。

 ひと月たって家族にも慣れる頃、気がつくと私のカセットコンポは部屋から居間に移動している。そういえば貸してやったカメラもまだそのままだ。
ウオークマンはどうもミリイの部屋にあるようだ。そうして手元に残ったのは本だけだ。日本語だから彼等の御用は勤まらない。
電話は煩雑だから一〜二万なら俺が払うといったのは確かだが、夜など交替で受話器にぶるさがるような長電話で料金三十万ルピア。四千粁離れたマナドでも只なら近い。
 「JVCのラジカセはいま誰が使ってるの? 持っていった友達はもう旅から帰ってきたのだろ」
 「ああ、荷物が多くて重いから、置いてきたと言ってたよ」
 使いたけりゃ使えばいいが返事が気に食わない。有難うのアの字もない。
 しゃあしゃあしてて人の物と自分の物の区別もつかない。私が部屋に鍵をかける習慣のないのも良くないが、もう手遅れだ。
 
 私はアリ家を紹介して呉れた友人にこぼした。
 「そうか、良かったなあ。君も受け入れられたわけだ」 「?!」   
 「ゴトンロヨンて言葉知ってるだろ」 「相互扶助か」
 「そうだ、助け合いで、この國のバックボーンだ。村の共同生活が根本で、此処には個人はないのだよ。人は一人じゃあ生きてはいけないからな。個人所有の意識はない。必要とした人が優先使用する。僕のものでも君のものでもないコミュニテイの所有で、同時に参加する事で保障も得られる」
 「それで?」
 「あんたは共同体に受け入れられたって事さ。外人には珍しいんじゃない? たまたまあんたがそん中での物持ちだっただけさ」
 「ご都合主義だな」
 「考え方の違いだよ。持てる者が持たざる者に与える。レストランの勘定もそれだよ。此処には割勘はありえない。恥ずかしい。払う人は認められたわけで誇りに思う。その後どうなろうと満足するさ。今はあんたが出す人だ。損した気持ちがあるのはコミュニテイに関係ない場所で得た財産だからだろう。だがあんたが文無しの裸になれば、皆なが救けて死ぬまで喰って行けるよ。食費を寄越せなどとは誰も言わないよ。只あんたにその機会が少ないだけさ」
 電話料金もラジカセもウオークマンもいい。同じ理由から、物だけではない私自身のプライバシイも保てなくなって、部屋に鍵の必要を感じ始め、此処に長くは居られないと思いはじめた。

 文無しの救けは今のところなかったが、別れて一年後に私は重大な援助を、事もあろうにイッチェ夫人から受けるはめになる。
 それも、さりげなく、、、。
 滞在許可や労働許可で、目一杯役所のごろつきに苛められ、たかられている時、イッチェは身元保障は勿論、裏から手をまわしマナドの市長のレコメンド(保障)みたいなものまでとって強請りを排除してくれた。
 強請りの親分の役人から「あんたはマナドが強いからな」で知った。私に当時マナドの知り合いはアリ一家だけだった。
 アリ小父さんはピーナッツバターの喰いすぎで、それから二年後糖尿病を拗らせ五十九才で神に召された。ミリイはいい歳をして車に凝って私の工場にポンコツを持ってきたので現金ならといった。ミリイの怪訝な顔が浮かぶ。
 イッチェ夫人にはその後会う機会はない。
 薄味のスープ皿に向かい、神への感謝を捧げているのだろうか。


第2話 終
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作成 2018/08/29

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