慢学インドネシア 庵 浪人著 |
第三章 処変われば | |
はじめに |
本稿は1980年〜1997年のジャカルタ居住中に記した雑文である。 はじめ旧空港に近いクマヨランに下宿し、ホテルインドネシアとタナアバンに挟まれたクボンムラテイに住む。ここはいわゆるカンポンと呼ばれる庶民居住地で言葉や習慣などを学習したが外国人にとってはスラムに近い。妻が渡航したいと決めたのでジャカルタでも最高級地のブロックMのJl.Melawaiに家を買った。当時少なかったショッピングセンターは目の前で歩いて行けるのが自慢だった。帰国したのはかのジョージソロス金融大恐慌が理由である。その後スハルト専横政権はその為に崩壊し、インドネシアは各地で不穏な状況になり各地で暴動が起こった。 大統領はブハルデインハビビ、ワヒド、メガワテイと代わり通貨下落、東チモール独立、 アチェ問題など様々な難題が起こったが、SBYスシロバンバンユドヨノとなり落ち着き、経済も年6%の成長を続けながら国民所得も向上して中間所得層も誕生してきた。 首都ジャカルタには高層ビルが林立し、巨大なショッピングモールがあちこちに現われ道路は車の渋滞が常態になる発展にみえるが地方はまだまだ以前と大差ない暮らしがあるのだろう。 私はこの激動の時代は知らない。 |
【Up主の註】 庵浪人氏の原稿には写真がなかったので、Up主が自分のウエブサイトからコピーした写真と説明を適宜追加した。 |
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作成 2018/08/29
追加 2018/08/30