慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第14話 そよ風の街 マカッサル - Angin Mamiri-
Sulawesi セレベス、スラウエシ
Indonesia BerSatu インドネシア共和国はひとつ、 旧オランダ領を包含して宿願の独立を果たしたインドネシアですが、多民族・多言語の広大な国土を纏め上げるのは、人類の壮大で高邁な理想の実現と申せましょう。
サーA.ウオーレスが東西生物境界線としたワラス・ラインで隔てられたスラウエシからはじまる東インドネシアはアジア圏ではなくオーストロネシアに属し動植物のみでなく、人間文化でも西方のジャワなどとは大きく異なっている感がします。日常の暮しでは今ではもう見えませんが、国土の中央にこのような相違が内在している国は世界でもそう多くないと思います。 東インドネシアはインドネシアであってインドネシアではない異国です。
スラウエシには約一千万人が住み行政区は北、中央、南東、南の四州で、それぞれマナド、パル、ケンダリ、マカッサルが州都で、有数のニッケル鉱、貴重樹黒檀紫檀やロタン産地として政治的に遅れた開発に拍車がかかろうとしていますが、人口分布は片寄り、北のミナハサと南のマカッサルに集中してその他の地域の密度はまばらといっていいでしょう。
赤道が島の北を横切り、ランテマリオ(3455 m)、ラテイモジョンなど三千米級四峰をはじめ、ほとんどが活火山を含む山岳地帯です。
東のトミニ湾は、過去の大噴火で出来た湾ですが、1983年湾内の小島ウナウナが爆発し消滅してしまったほどです。
自然は複雑多様で、深いトウテイ湖 広いポソ湖 雨季に大きく面積を変える浅いテンペ、 リンボト湖、年間雨量も高地トラジャ・ランテパオで4000 mm、 山を越えたパルーでは500 mmと大きな差があり、火山地帯には各所に温泉が吹き出す一方、広大な熱帯多雨林、アルンアルン乾燥草原、石灰岩カルスト地帯、珊瑚礁、マングロープスワンプとまるで地質学の博物館の様相です。
生物層もこの島独特で有袋類クスクス、バビルサ、マレオ、タルシウスなどなど猿の顔も西の島々とは異なりマカクと呼ばれます。
半島間の交流は峻険な山々で隔てられ海路のほか道はなく、先ごろ貫通した縦貫道路も地殻変動でしばしば崩落し、住民は孤立して暮らしてきました。
北の700 kmに及ぶ世界最長の岬の先端のミナハサ族がプロテスタント信仰を、南のブギス・マカッサル族は有数のイスラム国として習慣も性格も大きく異なり、とても同じ島に住むとは思えない相違があり、山間部には特異な祖先儀礼で知られたプロトマレイ族トラジャをはじめ、中央山地ベソア、バダは未開地帯で磁石も役にたたないとか、パリンドと呼ばれる巨大な石造人物遺構が林立していても未調査です。
水上民バジャウ、森の人トアラ族などまだ原始が密かに息ずいているといわれ、話す言葉は三十言語以上、勿論風俗習慣は固有で多彩です。

Selawesi Selatan 南スラウエシ
 この異境と外界との接点の西の関門が、最強軍団南スラウエシ・マカッサル人の国があったのです。
東方の海産物と富を運び、肥沃な南スラウエシ平野に稲作を導入した多人口はスマトラからイスラムを導いて強固なサルタニーズを築き、東方の富はマカッサルが支配しました。
今でこそマカッサルは南スラウエシの州都共和国第七位の大都市で東インドネシアへの門戸として最大のコネクテイングポートですが、この地の利から西方のジャワそして異国の干渉に出会う最初の橋頭堡で、異文化の吸収もさりながら血塗られた戦いの場となっていったのです。
そよ風の街と詠われる大木並木に彩られる古く美しいマカッサルとは裏腹の、恩讐の長い歴史があったのです。



そよ風の街 マカッサル
スラウエシでは最も大きい平野がある穀倉地帯南スラウエシ州は人口も稠密で、マカッサル、ブギス族の故郷です。
世界的にその名を知られたマカッサルは反骨精神が強く、ジャワ人の支配を潔しとしない伝統があるので、大統領スハルトは唐突にも1971年この由緒ある街をウジュンパンダンと名前を変えてしまいました。学者達がパンダンの木の茂る岬と来歴を述べても、マカッサルはマンガッサラでしかなく、住民のストレスは消えませんでした。
新大統領ハビビはウジュンパンダンの北パレパレ出身でその事は知っており、辞任する一ヶ月前に置き土産として元のマカッサルに市名を戻しました。ジャワ人の呉れた名前ウジュン・パンダンは地図から消え、市民は彼の唯一の善政と喜んだものです。
そよ風の街として全国的に知られた名曲アンギン・マミリ<1>(そよ風)、幾多の歴史を秘めたカユアサム大木並木にそよ風が渉り、暮れなずむ街並みにイスラムマグリブの祈りが流れ、ロサリ海岸を茜色に染める落日の息を呑むような美しさは、定めしこの街が誇る風情でしょう。


Sultan Hasanuddin
ゴア王国16代王(在位1653〜69)マカッサル王がバンダ、アラフラ海の富を握る、この事がその後の西欧列強の過酷な干渉を受ける結果になったのです。
この地方は共和国の中でもイスラム教信仰が厚く、西スマトラ・ミナンカバウの導師の布教によってマカッサル・ゴア王が入信(1605年)して、各地にルウ、ブギス・ボネ、タロなどのイスラム王国が生まれ、覇王スルタンハサヌッデイン(1631-70)は侵略者オランダをして'東に雄鶏あり'と怖れられたのも、バンダからアラフラ海の海産物の交易で、インド、アラブ、中国商人も含め十万の人口の国際商業都市を死守する為だったのです。当時のバタヴィアでも一万人いたかいなかったか、大きな違いです。
「海に境界線は引けない」とゆう名言も、1669年オランダのスペールマン提督率いる砲火とボネ王の姦計ブンガヤ条約で、ゴアの都ソンバ・オプ@は挟撃され、街は徹底的に破壊されフォートロッテルダムの醜い名前になってしまいます。

現在は昔程の繁栄がないのは、産物(なまこ、真珠、鼈甲など海産物)需要が変化したことや、中国から南東への南海航路と言われる海の道が衰退したのが原因ですが、飛び魚の卵やてんぐさが、日本市場で爆発的に売れてトビタマ御殿が出来たり、日本向けマンモスタンカーの新航路が開設されれば、再び往時の繁栄を謳歌する都市になることでしょう。東方インドネシアの発展にはこの街は欠かせない存在に変わりはありません。
海洋航海民の令名は広く列島に知れ渡っていてピニシAランボ パジェロなど帆船造船技術も突出していますが、古老は「陸に住めない日々があったからさ」と呟くほど、潮の香渉る風情とは裏腹な、血塗られた過去が秘められたマカッサルなのです。
王国同士の戦いは絶えず、男は子を成せば勇んで出陣したから「マカッサル人は戦う以は寝ている」「バタック人は勝ち負けを考えてから。俺らは死ぬ為」 強い男性社会で、名と恥の為には死の代償が待つシリッBの定めは、他郷人には理解出来ない物凄さです。

太平洋戦争時代には日本海軍基地になり僅かの期間軍政がひかれました。
独立潰しの植民地軍ウエステルリング大佐は1949年暮れに独立派弾圧でこの地に逆上陸し半年たらずで六万人を虐殺しました。逮捕された時「短期間でそんなには殺せない、せいぜい四万だ」とうそぶいて一層オランダ憎悪をつのらせたといいます。
独立後もダルルイスラムの流れをくむカハル・ムザッカルの反乱Cで治安の回復は60年になってからで、この鎮圧司令官がスハルトだったこともあって後の開発が遅れましたが、元国軍総司令官アンデ・ユスフ将軍はブギス人でしたし、新大統領ブハルデイン・ハビビはウジュンパンダンから100 km 北の美しい港町パレパレの生まれです。
独自の文字を持ち、強烈な民族的個性がある彼等にはジャワの人達も一目おく程際立っています。マカッサル・ブギス族にはカラエン ダエン、ブギス族はアンデ、ルウにはオプの尊称が与えられて過去の身分は隠然たる影響力を持っています。その歴史の証人ともいえる支那交易でのチャイナ(陶器)が数多く発掘され好事家を喜ばせます。
女性達はイスラムの定めから控えめで、男女の決まりは厳しく規制されて秩序がありますが、彼女たちが着る民族衣装は南アジアで一般的なサロンの発祥の地といわれ、ここではバジュ・ボドと呼ばれます。高原地方のソッペン、シンカンの絹で織られるチェック模様はステイタスで、蝉の羽にみまがう薄く長いブラウスをルーズに羽織り、腰布は結ばず必ず左手で托していなければなりませんから 時々ウエストラインが見え隠れして男衆の視線を止めるほどに優雅でセクシイです。
男女の垣根の低い北のマナドからこの地を訪れて、デートなどと洒落れば、シリッの掟から刃物沙汰になるのは必定、交際には細心の留意が要るでしょう。


@  ゴア王国の旧都スンバ・オプは市の中心カレボシ広場から8キロ南、ジェネベラン河口にあるが3つのモスクに囲まれて数個の石碑と石垣が残るだけで往時を偲ぶよすがはない。
A  アダット(慣習法)はイスラム律に強く支配されて種族の掟となる。家族の尊厳を最重視するから、自身への侮辱はもとより通姦や婚前には死の代償がある。時代が変わっても伝統は強く残り、男女交際には一般論は通用しない。仇打ちが就成すると加害者は故郷での裁判を求める。シリッが認められれば罪は軽くなるから。
B ピニシは二本マストのガフリグ・スクーナ帆船で全長30m、100年以上、インドネシア内海航路を独占してきた。スラウエシ特産のパラピ、モリバウなど腐り難く弾力ある木材と古くからオーストラリア・アーネムランドまで海産物運搬の航海技術が結晶したものだろう。造船は通常とは異なり、先に外板を組み後から湾曲した自然木のフレームを挿入してゆく。舵や装帆に卓越した知恵が随所にみられる。半島南部のジェネポント、ビラの海浜で造られるが、完全な姿はピニシヌサンタラ(祖国号)と命名されて10000海里を航海してヴァンクーバー・カナダ万国博に参加したのが最後(1986年)で、現在は後部マストを外してエンジンを載せる姿に変わった。
ランボは小型で西洋風セールを持ち、パジェロはいまだに古代からの四角帆を変えず飛び魚漁に活躍 する。
C ダルルイスラムの流れをくむカハルムザッカルが1950年中央政府に敵対した内乱で、抗オランダゲリラが連邦共和国軍に統合される時、
 部下の処遇とかジャワ人支配に抵抗し南スラウエシの治安は長く混乱した。名誉、誇りを傷つけられると徹底して抵 抗する種族性を表している。首謀者は1965年銃殺された。

ANGIN MAMIRI (そよ風) Anna Indra Cipt: Borra Daeng Ngirate 1947
Angin Mamirri kupasang, Pitu juwi tongtong ganna, Tusa roa taka lupa
Batu mi Angin Mamirri Angin ngerang dingin dingin Nama lanta sari buku,
E, Aule, namangu'rangi Tute nayya tute nayya pari sirna,
E, Aule, mangerangnaku Malolorang malolorang jene mata,
吹く風にわたしは託す、窓を通して忘れ去った人へ届けと、
ああ、 わたしは忘れない、心の痛みを感じない人を、感じていない人を、
また風が吹いてくる、骨まで沁み通る冷たい風が運んでくる、
ああ、風が、懐かしさを運んでくる、涙が零れ落ちる、 零れ落ちる、
Angin Mamirri窓を開けて、そよぐ風に想いを託す恋歌と思っていましたが、実は監獄に捕らえられたパルチザンの恨み節だったのを知り憮然としたものです。名曲は共和国の国民歌に昇格し多数の歌手が唄いますが、これはその中の白眉でロスクインギターにのるオリジナルです。

PAKARENA (舞姫) Cipt:Arsyad Basir Ana Indra
Ikate rituratea bau' Adatta mariolowa sayang,
E Aule,pakkarenayya pakkarenayya La'biri' ripa'gaukang,
Punna nia pa'gaukang bau, Nia' pattempo tempoang sayang,
EAule, sukku' baji'na sukku'baji'na Punna nia' pakkarena
Pakarena le'ngo bau Paganrang a'miki' miki' sayang,
E,Aule, papui' pui' papui' pui' Sagge rapa' sulengkana,
ひと目見て、いにしえよりの応えを持って、踊り子が表れる
集いの場で、踊り子は気高くどこにもまやかしのない、
とこしえにひろく、気品に溢れて舞い踊る、心惑わされ、どこに此れほどの舞いがあろうや
舞い姫はしなやかに太鼓の響き、笛の音に溶け込んで、舞い、踊る、

アンギンマミリと双璧をなす代表曲。

Ati Raja                  Iwan Tompo
Se're-se'reji batara baule, Ati raja, naki jai pangnganroi daelle
Rajale slele kereaminjo, Ati, ati, ati raja,
Nitarima pappala'na baule Mannamoki minasai daelle
Ati raja kipanai ripalatta baule
Rajale elele ta'balle tonji Ati, ati ati raja
Katabatara tangkellai baule  Manna nijallo sarea daelle
Ati raja taempoki rimasunggua baule
Rajale elele tani kanyame  Ati, ati, ati raja,
Kataena pangngellai rikodong

トンポ姓はゴア王国親衛隊の家柄だとゆう。70年代にデビューしたヒットシンガーソングライター。

Sa'ra Dalle Minasangku Rachmansyah Arsyad Basir  Rosmala Dewi
Sa'ga tonji pa'maikku mange rikatte, Kumasarro ngamaseang takicini
Sa'ra bulang minne kapang Sa'ra dalle Minasangku
Apami kapang rilino, Sarengku nakammadudu,
Kurannuammi lacu'la', La'leko na'rappotommo
Lakipa' daraji paleng, Pa'mai kupa'rampeya,
Sa'ga tonji Pa'maikku mange rikatte, Kumasarro ngamaseang takicini
palla'tojenna nyawata Ma'boko tamangu'rangi, Rigau'lebba'laloku,

わたしがあなたに寄せる心からの愛、いつもこの心をあなたが受け取らずとも
定めし満月のように希望に満ちて、望みは僅かでも
定めは悲しい木の実のように、木の葉のように
だが恋人よ、無駄なことなのか、恋人よこの心を受け止めて
悲しい心、きっと望んではいないのよ、好きではないのよ
いつかわかって欲しいこの切ない恋心、、
思慕の情を切々と歌いあげるマカッサル歌謡の神髄。

Sailong I.Tompo
Bunting ngasemmaki mage nonale Itimborang iyarakkang Najo'jo tompa elele 2X
Batara kubuntng todong, Shio jango-jango-jango seng, Bunting teako mangngarru nonale,
Dinging dinging pa'ma'nu, Sarro numera slele 2X
Ilalang empo buntinnu, Shio jango-jango-jango Seng  Baji'na nikana bunting nonale
Empoa ri gau'baji', Bija tabija elele 2X
Battu ngaseng pasalama, Shio jangojango-jango seng
Bunting nai'mako mae nonale, Riballa'na matoannu
Matoang kaase-mase, Shio jango-jango-jango seng
Bunting beru balla beru nonale, Tontngang beru nipare
Nuppara tontong elele 2X
Sitoa ri muri muri, Shio jango-jango-jango seng
Bunting empo mako naung nonale, Sitinriang pa'minasa
Nuempo lalo mate'ne, Shio jango-jango-jango seng
トップスターに成長したトンポの新盤から。国際都市の歴史からか華人調が感じられる

Simpung Atingku               Cipt: Will Ferial Will Ferial
Singara' apa kutaeng iraya, Corana nalabbang bori' sayang,
Aule' bulang simombo ammumba, Ansingarri anne linowea,
Sa'ra apa maci'nong baji' kamma, Tokkona pakarawang rawang kamma
Aule' paruntuk kana kelonta, Mappaempo dinging dinging,
Kuassengjintu sero'na kelonta, Manna nakke tajannang tonja,
Simpung atingku lussa nyawaku, Ikatte tonji tuli ta' bayang,
Singara apa kutaeng iraya, Corana nale'bang bori' sayang,
Aule' bulang simommbo ammumba, Ansingari anne linowa,
ウイルはシンガーよりライターとして名がある


Bajikki Kimangngurangi M.A.Arifin Muliati
Nampaki ilalang battang niki tarima sarenta Napaiyota takaderena nyawata
Sarenta takaderetta tamakulle nibokoi Kapakkiyo'na batara somba lompoa
Teya laloki teyai kaeero'na batarayya Tamakullera nobokoi pakkiyo'na
Sajimaki angurangi andallekang risereya Naki a'ngaro kisalama anjorengang
マカッサル歌謡は独特の哀愁があり心に響くのは歴史の与えたものか。

Jali Jali              Cipt: N.N. Ana Indra
古典を新旧シンガーで聞く。
Jali jali kukelongang daengle! Alla kupare' pannyaleori daeng!
Jali jali arenna memang, Aule' rikatte ngaseng daeng!
Alla niaka appiLangngeri sayang!
Inakke nakumakkelong daengle, Alla pangngu'rangiji kuboli' daeng
Jali jali arenna memang, Aule'boko lampaku daeng,
Alla nia' tommoki u'rangi sayang,
Jali Jali                   Iwan Tompo
Bombanga kutuju mata daelle Alla antappassanggi kalenna kodong 2X
Jali Jali arenna memang Erajale gosse ammanyu
Alla nipassanrapammi kale
Jali Jali arenna memang
Inakke longku manakku daeng, Alla je'ne mami kucini sayang
Jali Jali arenna memang Aule Sa'ranna mami daeng
Kamma tojengi kanannu andile
Alla bombanga kupilangngeri sayang
Jali Jali arenna memang Aule Sa'ranna mami daelle
Ripattayang mangngurangi, Alla bombanga kuplangngeri sayang

Bugis
世間ではマカッサル、ブギスと同列で呼ばれるが,隣り同士で通婚はあるものの言葉習慣も違い過去の怨念も残る。
二曲を聴くと感性に微妙な違いがあるのがわかろう。
Indo'ku mabela e
Hamida
Kacapi Bugis 舟形弦楽器を抱えて村々を流す盲人物語詩人は古い伝統がある。
現地語にインドネシア語が混じるのも行商薬売りだ。
【Up主の註】
<1> Angin Mamiri 日本語には鼻濁音のngの文字がなく、かつまた関東以西には鼻濁音がない。したがってこれはアンギン・マミリではなくアギン・マミリと表記するのが正しい。
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作成 2018/08/28
追加 2018/08/30

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