慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第8話 ジャワ・茶色の王国 - Bengawan Solo -
共和国のハート
 エメラルドのネックレス、インドネシアのイメージは、茶の濃淡縞模様のバテイックサロンを腰高に締め上げ、胸もと豊かに薄い上衣(クバヤ)を纏い、たおやかな黒髪を金の簪で結い上げ、優美かつしとやかな気品に溢れるジャワ美人に象徴されよう。
 インドネシアは多かれ少なかれジャワ、それも中部のジョクジャやソロのイメージで印象ずけられるのも他州を圧倒する文化の賜物で、'インドネシアは!'と話す時には無意識にジャワが頭にあるのも、過去の壮大な歴史がこの地で培われた事実による。
 イスラムに被われた列島だが、歴史の黎明からインド仏教シャイレンドラ王国のボロブドール建立、強大なヒンドウ国家を建設したインドネシアの栄光マジョパヒトの誇りはジャワ人の心の深層に宿って決して滅びてはいない。
 ジャワにいると、敬虔なイスラム・サントリ(白)でもアバンガン(赤、不熱心な信徒)でもないにしろ、イスラムが重層文化の上澄みの新興宗教に感じる時があるほど奥行きが深い。ジャワはどんなものであろうと、どんなに時間がかかろうと、ゆるやかに取り込んで、いずれは己の望むKejawaenジャワナイズにしてしまうようだ。ジャワ人の心は結局クバテイナン(神秘主義)に支配されているのではないだろうか。

 狭すぎるジャワ(全土の7%)に圧倒的に稠密な人口(密度700人世界最高)が、過去の壮大な歴史を積層させて有為転変を繰り返してこれたのも、背骨山脈は三千米級を含む百を越す火山群が噴出する沃土と、生物生存に最適な気候の成せる業だ。<1>
 黍(きび)の島ヤーヴァドヴィーバからジャワ(Jawa)に転化したといわれるが、いまだにオランダ訛りのJAVAジャヴァと書く不見識な人もいる。
 東西千キロ足らず(本州の半分)の小島に一億人弱が犇めき、全人口の六割強が彼等で占められているからで、外領人は資源も何もなく子を作るしかない能無しと陰口をたたくが、共和国は今もってデモクラシイでも個人主義でもないジャワ人が支配するジャワ王国だと言って過言ではない。インドネシアは人々にも高官にも、ジャワとその他のDaerah Diluar(外領)との意識がある。
 がっちりと完成された三毛作稲作封建、個は無に等しい村共同体に守られ、かつ規制された逃れられない農民生涯。農民でなくとも政治家実業家であろうとも心はなんら変わらない。
 生きる知恵も生まれながらに体得しているから、人をそらさず万事控えめで、優雅で激せず、温厚で細心、忍耐と寛容、しっとりとした感性を維持して事に当たり、柳に風のように折れそうで折れず、負けたようで屈せず、したたかな、玉虫色処世の見本のようなジャワ人気質。表だった自己主張や、大声で威嚇したり威張ったり誇示自慢など最低の感性だ。
 利口ぶった西欧民主主義の新風潮も、遠い惑星のお噺のように聞こえるジャワの暮らし向き。それでも数千年を、しぶとくこうして生きてきたのだ。

 トリニールの河岸で世界最古のピテカントロプス・ジャワニーズの頭骨化石が出土した。
 なんでも人間の祖アフリカ・オルドバイ渓谷をルーツにした我々の始祖とは異なる百五十万年前の第三の人類の可能性を秘める。オランダ植民もたかだか三百年、どうとゆうことはないといった悠揚迫らない達観とゆうのか、得体の知れない心情を感じる。
ジャワのイメージは南国の緑でも南海の蒼でもなく、限りなく茶色だ。土の色で根の色だ。かの名高いソロバテイック織りのような。

 
軟体動物
 ジャワ人のパーソナリテイは限りなく少ない。茶色の肌の小柄な姿で顔も似通っている。考え方も決断も似ていると思う。個は家と家族に帰し、家は村に帰し、コミュニテイはジャワに帰す。今時そんな弁を弄せばお叱りを受けるが、人権すら希薄と言わざるを得ない。
 個人は集団に帰すから自由気侭に暮らす事など絶対に出来ないだろう。成功も出世も家と郷里があっての事で、意識もすべてはそこに帰る。自分である前にジャワなのだ。<2>
 地縁、血縁、閨閥・学閥・郷里閥、あらゆるしがらみで、がんじがらめに絡め取られる。
 権力、肩書き、家柄に弱く、そしてそれらを探し、結び、頼り、利用しながら少しでも有利に生きる道を探す。それが最終的には安らかな生涯を送れる知恵なのだ。
 事業許認可(権力の多くはジャワ人が保持する)も法律に則り審査と適正を計るのではなく'誰某を知っているから「部長が親戚筋だから」で決まる情実が常態だ。
 浅知恵しかなくモダンな近代人と錯覚している我々など、足元にも及ばない処世術で、ジャワ人との交渉事だと、いったい何処に真意があるのか、何が望みなのか全くわからない。勝ったようでも彼等は'運がまだそこまで来ていない'泰然としてにこやかに、聞こえないような小声で話しながらも決して諦めない。そして最後は彼等のものとなる。

 十三世紀の元寇は文永、弘安の役で北条氏は一歩も入れじと切り結んで、やっと神風台風で事無きを得たが、1293年ジャワに元軍が押し寄せた時には全軍を招き入れ、時を味方に結局同化させてしまった(トウバンやシドアルジョには元軍の末裔とゆう人が住む)。
 せっかちで短兵急に結論を急ぐのとは大違いで、のらりくらりとしているようでしたたかさがあるのは、戦時賠償交渉だけでなく、現在の合弁事業でも政府間交渉で卓越した外交手法を持っていると言わざるを得ない。

 共和国も所詮ジャワの、それもスハルト(ジャワ人の完璧な見本)のお家第一主義、ウリハンダヤニ(ジャワ語で親鶏が雛を導く)儂についてくれば間違いはないと国と家を一緒くたにした弊害が突出した。あの時代スハルト一家でなければ人でなく、Asal Bapak Senang(貴方様さえ宜しければ)それさえ甘んじれば食ってゆけた。
 反面親分ひとり取りでは没落する。親分は子分眷族に分け前をばら撒かなければならない。その寡多で地位と身分が保たれ、オランブサール(大人、偉い人)になれる。
 ジャワのオランブサールは銭の話しは下品で鷹揚に構えなければいけない。損得などしもじもの関心事だ。それなのに銭が大好きだから収支が合わず、事業商売は殆ど失敗して華人に取られてしまう。ジャワ人の価値感は異なる次元で存在するようだ。
 給料取り(それだけで出世)は薄給でも家への仕送り、兄弟従兄弟への学費で大半が費える。
 小役人月給十万ルピアではやってゆけない。なにせ彼は鷲印のスラガム(制服)を着ているのだから無いでは済まされない。で、行き着くところへ行く。賄賂行政だ。上は大臣下はお巡りさんまで、会社の地位も出世も余録で成り立つ。会社より家であり身内最優先、それぞれ事情があるから罪の意識は無い。ジャワ文化だから。
 この悪癖は政権が変っても一朝一夕には改善されないだろう。なにせジャワは最大派閥だから。知り合いは助け合い、強者は弱者にセデカ(喜捨)しなければならないのだから。

 差別用語ともとれる難解な階級語<3>、他人を寄せ付けないが如き固有性とクジャウエン(kejawaan中華意識)を優雅に隠した内面が、他郷人から逆に敬遠されるのかもしれないが、それが考え過ぎではないと思うほど、ジャワの茶色の粘液にまつわれつかれた日常になってしまう。悠揚迫らない風格すら彷彿させる。
 ジャカルタ(西ジャワ)で働く男が帰郷する時に、彼等は必ず「ジャワに帰る」と言う。
 此処もジャワ島じゃないかと思うのは素人で、ジャワ人はジャワ島がジャワではない。西ジャワはもう他郷の感覚なのだ。
 共和国のアイデンテイテイは好む好まないにかかわらず、ジャワで代表されるし、事実ジャワ人が支配している。まことに軟体動物のように、曲がっても折れないのだ。

 いまさらジャワの歴史と地理を云々したところで饒舌に過ぎてパンチに乏しい。
 いまさらマジョパヒトの栄光でも、古都ジョクジャでもボロブドールでもあるまい。
 あまたの本に書かれ解説されている。しかしジャワ人気質は他郷人には依然として謎だ。
 さながらソロ・バテイック(更紗)の茶色濃淡斜め柄の複雑優雅な模様が、ジャワ人の心の襞なのだろうか。
 歴史にもしはないが、もし、ジャワ王朝権謀術のお家騒動や権力争いが日常茶飯事でなかったら、異邦人オランダ介入の余地も無かっただろうと悔やまれる。

 気になるのは賄賂でも腐敗でもない。過剰人口による分配からの、変わらない底辺層の貧困が、既に常態化してしまっていること。ジャワは貧しい。とても貧しい。
 広い土地に少数が自給する過疎地貧困ではなく、これでもかの過剰を養いきれないラングール鼠の悲惨な現状がある。
 賛美されるジョグジャ王宮芸能の都から遠くない南部キドールの赤貧地帯は、都のそばなのに文盲率は高く、この国の人間の価格を下落させている。
 過密と貧困は既に限界を越えている。さしもの沃土ももう湧いてくる人間を養いきれない。恥も外聞もなく、女中が最高の就職で、初潮を迎えてすぐ結婚し、子供が出来れば亭主は家を捨て、両親が何の衒いもなく孫を養育しているのは過密小作人のすべてとは言わないが、家庭は崩壊している。初期のダンドウットは多くこんな悲哀を唄う詩だった。
 優雅な資質も貧困から、急速に猜疑心とか陰湿な方向に向かう危惧があるようにも。
 歌の噺とは反対な視野だし、なろうことなら話したくないので次回にゆずりたい。

 さて、めちゃくちゃな階級言語を持つジャワ語の歌謡は、とても言葉を勉強する気も起こらないで、メロデイだけで良い悪いを判定する情けなさだが、まああの特徴ある女性の高音と音程はどうだろう。また男性の両性具有者のような、なよっとした独特の歌調子は、華麗な歴史遺産のある地域の男性は女性化の道を辿るのだろうか。
 ワヤン影絵芝居(Bayang影が訛ったのだが、影は光に映される技巧ではなく人の心に潜む暗部)もクリット、ゴレック、クリテイ、ベベルなど多岐にわたる宮廷芸能でたった一人のダーラン(演師)が即興で徹夜で演じられる。 蛍光照明で真昼の明るさを欲する文明は、夜も影も心さえも捨てたと笑っているのかもしれない。
 ゴング(銅鑼)や木製打楽器で演じられるガムラン(gamel叩く、操るの名詞形)の多彩異質な演奏とリズムが外国人の共感を呼んで近年芸術に昇格した。どちらも非常に大陸色が強い感じがする。ナリモ(何でも一度は受け入れる)から中国文化(宗教や技術物品、工人、姫)が大量流入する時代に取り入れれれたものなのは確かで、ボロブドールレリーフにも既に彫られている程だ。ジャワ王室は中国人姫などを多く迎えているからそれらに連れてこられたのだろう。マジョパヒト隆盛の宰相ガジャ・マダも華人だったともいわれる。

 ラグダエラジャワはイントロ数秒を聞けばそれと解るほどガムラン囃子の影が漂う。
 悪くない。まさにジャワそのもので、ジャワ人がいつも、どこかに持っているクジャウエン(決して態度振る舞いに表さないが)が歌にも如実に現われている。
 暦にもイスラム暦の横に必ずジャワ暦が併記されているこの国なのだ。

 しかし奇妙なことに、これほど全土に文化的影響を持ち、万人が認めるジャワだが、バリとともに、国を代表するラグダエラの一曲すらない。ジャワ語の古典ガムランがインドネシア語になると、途端にモダンポップスに変身してしまう。彼等はインドネシア語も使いたがらないのかもしれないと思ったりする。

Bengawan Solo
 それはブンガワンソロだと申しても、かの曲はランガムクロンチョンで、ジャワを忠実にトレースした曲想に乏しい。グサンにはクロンチョンジャワ(ジャワ語)に傑作が多いのを知っているし、またそれが普遍的に知名されているとは言い難い。
 ソロバテイックの、あの数色の茶の斜め縞を巧みに配色する際立った感覚があれば、古典ガムランから流出したラグダエラの傑作が、網の目のような支流になって表現されていて然るべき筈なのに。
 彼の有名なグサンのBengawan Solo(ソロ川)は歌が完全にひとり歩きした典型だ。
 1940年民族自決独立気運の強い時代に作曲され、そのジャワ的な安らかでゆったりした曲がなぜか駐留日本兵に愛され、本国より日本で爆発的ヒットになって(グサン最高ヒットはSaputanganとゆう)母国に凱旋した。
 考えればこの時期に行進曲風軍歌より'南の花嫁さん''ジャワのマンゴ売り''スラバヤの夜は更けて''支那の夜''蘇州夜曲'などの軍国叙情歌に人気がでた頃に一致する。詩が一滴の水も集まれば舟をも浮かべて海に注ぐと取れる事から、白黒をつけたがる日本人ファンはどうしても独立悲願の歌として考えても不思議ではない。今にいたるも独立悲願の名曲、いやただソロ川の美しい景色を詠った曲だと喧々諤諤の意見が姦しい。当のグサンは微笑みを絶やさず決して断定しない。グサン氏が典型的なジャワ気質を持った人なのが分かっただけだった。彼は詩の意味付けだけでなく、その歌詞さえもどちらでもいいと正誤を判定しない。ジャワ人の心根は実に謎で奥が深い。
Bengawan Solo  Gesang Martohartono
Bengawan Solo riwayatmu ini sedari dulu jadi perhatian insani,
Musim kemarau tak S'berapa airmu, Dimusim hujan nanti meluap sampai jauh
Airmu dari Solo terkurung gunung seribu, Air mengalir sampai jauh akhirnya kelaut,
Itu perahu riwayatnya dulu, Kaum pedagang s'lalu naik itu pelahu
ブンガワン ソロ いにしえより 心あつめしこの物語り
涸れどきは僅かなれど、 雨来たりなば たぎり流れる
源出ずるソロ めぐる千々の山々、 流れ遙けくやがて海へ、
やよ舟よ、 いにしえなる商う人の乗り来たる舟
 短い詩にはRiwayat(歴史、謂れ)とPelahu(舟)がそれぞれ二回表れる。
 ジャワ的思考で、変転があっても、運命のまま悠久の日々が感じられる。舟は共同体を象徴しているのではないか。額縁の端に小舟が表れてゆっくり過ぎ去ってゆく、そんなフィーリングが感じられるが、もちろんグサン氏は関知しないだろう。ちなみに氏にはRoda Dunia(輪廻)とゆう曲がある。
 因果応報、輪廻転生、諸行無常の古来ジャワの心が窺えるのはイスラムの対極なのだが。
 ジャワの庶民がどの階級を指すのか知らないが、少なくてもマンク・ブオノ王家の系列ではないだろう。ソロ王家の由緒あるニングラット家も余りの子だくさんが災いして猫も杓子もニングラット、ニングラムを名乗っているようだし、ジャワ人は尊称や肩書きが大好きだから四王家の系図はまだ発行されていて、Raden Masに始まりAjeng、Ayu、 Rara、Ngantenなど序列と格式がある。 お偉いさんに会う時は、ドアから膝で歩き、先ず足に触れ三拝九拝しなければならない。手を押し頂いて恭順しなければならない。
 顔を見るなどもっての外だ。まだそんな馬鹿馬鹿しい作法がまかり通っている。

 ラグダエラの範疇に入るジャワらしく歌い継がれた知名曲といえば、
 Sue Ora Jamu (地薬売り)、Gambang Suling (竹笛)、Walang kekek (角の店)、Jangkrik Genggong (こおろぎ)、Putri Sala(ソロの乙女)、グサンのLuntur (色香)やNgalamuning AtiYen Ing Tawang Ana Lintangなどが挙げられようか。
【Up主の註】
<1> 70%が山岳地帯の日本列島とは異なり、なだらかで耕作可能な平地が多いために人口が増加したものだろう。火山灰を噴出する火山が多いために噴火の都度山麓の森林が焼失し、密森が発達することがなく人が海岸から入りやすかったこともあろう。また火山灰が土壌にミネラル分を補給したために土壌が豊穣になったという説もある。
<2> この点が日本人によく似ているために、ジャワ人への好き嫌いがはっきりと分かれるのであろう。
<3> ジャワ語には、basa kawi, Kromo Inggil, Kromo, Ngokoの四種があり、最初の言葉は伝統芸能や儀式のために、残りの三種類は日常生活で用いられている。このうちNgokoは言語学的にみてインドネシア語に似ているがKromo inggilは似ていない。詳しくはこちらを。Basa kawiはサンスクリット語が語源ではなかろうか。
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作成 2018/08/26
追加 2018/08/30

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