慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第6話 グレートスマトラとバタックソング
スマトラ Sumatra<1> (Andalas<2>, Svarnadvipa = Gold Island<3> - by Ramayana 3BC、金洲 - 義浄)
 スマトラ出身者は自分をスマトラ人とは言わず、それぞれの地方名でバタック人とかアチェ出身と名乗るのは、この島の巨大さの証しではないか。
 インドネシア大列島は学術的には西のグレートスンダ(スマトラ、ジャワ他)とレッサースンダ(バリ島から東)に区分され、地勢的にも気候的にも生物圏のみならず人種的にも大きな差違がある。東に行くほど種族と言語は細分化されてゆくのは未だに確とした論証はない。

 グレートスマトラはバリサン山塊の三千b級の山々を背骨にして二千`、シアク、カンパス、ムシなどの大河が吐き出す広大なスワンプがマラッカ海峡を埋める。
 インドネシア全陸地面積の25%、日本国の約1.5倍の面積があろう。
 もしメデイアがスマトラ島と書くなら、日本は当然の事日本島か本州島と言わねば不公平だ。
 スマトラは島ではなく古い名前のAndalasの方が似合う気もする。
島の姿のように住民は雄大闊達で、それぞれの地方が一国をなすように強力で、言葉、種族性、風俗習慣が異なり、小さいジャワとは大きな差異がみられる。
 列島へのインド、アラブ外来文明は、地勢的にも最初にこの地に上陸したから、その事実は文化だけでなく人種そのものへの影響も大きく、共通の習慣を宿していてもジャワ人とはやはり異なる容貌があり、彼等のジャワに対する内心の優越感は大きい。
 共和国の現在は最大派のジャワ人が主流だが、「ジャワは子をつくるしか能がない」基礎資源である石油 ガス田 石炭 木材 電力などの多くをスマトラに依存している。スマトラ大島の共和国に及ぼす影響は、その人口も含めて今後益々大きくなるだろう。
 スマトラには約四千万人(全人口の20%)25の言語100の方言を持つ12以上の種族が住み、石器時代以前の採集民族から、独立の英雄将軍 知的指導者 作家文筆家 芸能人 宗教指導者を輩出し、近代的教養を身につけた先進的インテリが共和国をリードしている。
 名前がある種族だけでも、アチェ、ガヨ、バタック、ミナン、ニアス、シベルット、メンタワイ、マレイ、クブ、クリンチ、ベンクル、ルジャン、コメリン、パレンバン、ランプンなどきりがない。
 もしはないが、もし共和国が分離独立して成功するのはスマトラの両雄バタックとミナン連合しかないと思う程その潜在力は大きい。
強固なイスラム原理に基ずくアチェ族、完成された独自文化を育むミナンカバウ、キリスト雄族のバタック、広大な土地に流入するジャワからの移民とこの地に多様さを齎している。
 低地の気の遠くなるように広大な密林地帯には野性象とともに暮らすクブ族も、近来は縦貫するトランススマトラ道路で分断されて物乞いに転落したとか、クリンチ山塊には小人のオランペンデがマワス(オランウタン)より低級な暮らしをしているとか、広大な裾野を持つスマトラで、横断バスが小休止する夜明けの旅篭に降り立ってシアマン(手長猿)の咆哮を聞けば、開発が急激なスマトラだが、まだまだ自然の力が勝っている快感を感じられよう。
 スマトラを書き始めれば際限がないので、雄族の一部を簡単に紹介しよう。

バタック人の定義
ひとりでは もの思いに耽ける
ふたりでは 唄う
さんにんでは 博打
よにんでは ひとりを食う

 狭義のバタック族のイメージは、トバ湖(インドネシア最大の標高900メートルのカルデラ湖(琵琶湖の二倍)を擁する精悍な山岳戦闘民族ではないだろうか。
 首都のバタック人もなにやらそんなイメージで捉えられ、喧嘩といえばすぐその名前がでる程で、確かに大声でアクテーブな性質が時々誤解される。
 ひと口にバタック人で総称されるバタック族だが、カロ シマルングン トバ パクパク アンコラ マンダイリン タパヌリなど枝族があるし、イスラムも多く一概には言えない。
 天孫降臨神話から、Pusuk Buhit(1981b 臍山)に降り立った王が始祖とゆうことになってはいるが、人種的にはプロトマレー系先住民族で、同じ高地に住むスラウエシ・トラジャと同系だが、当時から圧倒的な人口があり弱小種族の範疇にはそぐわない。
シガレガレの木偶人形踊りをはじめ独特の土俗芸能が盛んなように、キリスト教伝来以前から、社会は文字、規範をはじめ独自の完成された社会を享受していた。
 現在の北スマトラ州は以前はデリとタパヌリ州に分かれていた。奇妙なことには、メダンの西南に住むカロ・バタック族には南インドタミール人の名前が多いCingkem Kubuculia Pardembanan。狭いマラッカ海峡は異民族の格好の上陸地点だったのだろう地名や人名にパナイヒンドウ仏教やベンガル・タントリック由来が多く点在するが、時の流れに埋没して謂れを語れる人はいない。霊能力者Jadijadianがトランス状態で祖先を呼び戻すから、それに耳を傾けるしかない。
 Deli州はムラユ、マラッカ海峡の両側に展開していた文化圏で、植民時代に英・蘭に分離しただけで元々同じ民なのだ。この文化が東進してジャワで華開いたと云ってもいいほど強力なのだが、なぜかムラユ・マレー人と特定されることはない。デリは沿岸文化で当然インドネシア第三のメダンが含まれるからこの街は生粋のバタック族のものではない。
 タパヌリもバタックの別称だが種族を指す言葉ではないらしい。

 ラグダエラ(地方歌)を語る時、トップに踊り出るのがバタックソングなのは、優れた曲だけでなく多くのバタック人が音楽界に君臨しているからでもあろう。それほどバタック特にタパヌリ人の音楽センスはいい。
 それは一方の東の雄アンボン人とともに、キリスト教圏としての聖歌隊や讃美歌など日常の音楽生活によるとも言われているが、西欧旋律になじみ易かったのは確かだが、それだけとはいえず、特にバタック人は咽喉部が太く顎の張った骨格で、美人が少ない代償で歌唱力に富んでいるといったうがった意見も出るほど皆な声量がある。
 爆発的咆哮、感情的落涙、力強く迫る歌唱は喩えようもなくイタリア・カンツーネも影が薄くなろう。犯されない独自性はバタック調と言うべきか、キリスト教圏といえども西洋調はその核にも入れないのは、その布教が十九世紀後で他地方と比べて日が浅く、強固な独自社会を保持していたからではないか。
 巨大な太鼓や独特の多弦楽器で奏でるリズムは独自のもので、より古い民族芸能なども聞き惚れてしまう。木製のトランペット風の吹奏楽器も独特の音を響かせる。
 ハーモニイには天性の素質がある。<4>
 ここに出てくる曲の多くはタパヌリで、バタックでもカロや南部のアンコラやイスラムの多いマンダイリンの歌は入っておらず今後の収集にかかっている。必ず珠玉の曲が眠っているに違いない。

バタックのカルバニズム
 バタックはミナハサ、アンボンと並ぶキリスト教の牙城だが、その布教は新しく名実ともの人身供養があった。
 スマトラの高地に剽悍な種族が棲んでいるのは昔から知られていたが、彼等は閉鎖的で噂が噂を呼び近ずこうとする人はいなかった。バタック族が世に表れたのは極く最近の十九世紀になってからだった。
 宣教団は既に完成されたイスラムの強い北の雄族アチェ、南のミナンや海岸地方は断念して、キリスト教布教は英・独・蘭各派の熾烈な競争の様相で、山深いトバ湖地方を選んだが、社会、文字、芸術を持つのと同様、文化として食人習慣を捨てなかった高地バタックに侵入者として食われてしまった。
 神の恩恵を知らしめる布教活動とは申せ、ミッションのこの動機と情熱はどこから来るのだろうか。彼等のやり方は文字通り右手に剣、左手に本(バイブル)<5>で一貫していた。

 外国人として最初にトバ湖を見たのは、たぶん1772年英国人Charles MillerとGilis Hollowayが扇情的にバタック族の噺をしたのを受け、ベンクルーヘンに滞在した雇われ植物学者のWilliam Marsdenが1783年に峠を越え数日滞在したが、帰って来なかったのでわからない。1824年には英人宣教師BurtonとWardがシリンドウン谷からトバ湖に達したことは分かっているが同様の結果になった。
 1853年オランダ言語学者H.N.van der Tuukが遂にトバ湖の渚に立ち、そして下界に帰還した。60年代になってもボストンから派遣されたLymanとMunsenが餌食になったのは、彼等が不用意に女性を捕らえたからなのが後日判明した。
 ジェスイット派ドイツ宣教団の余りの人的被害を口実にして、オランダが介入した1872年からの戦争では、シンガマンガラジャを擁して1907年まで抵抗した歴史がある。
 捕虜の魂の昇華を助けるとか、魂を貰うとか、恨みを残さない為、はたまた美味だからといって興味本位で語られるが、とにかくそれが文化だった希有の種族には違いない。
 トバ湖に浮かぶサモシール島とその対岸のパラパットは高原にホテルが林立しスケールが大きい観光地として発展しているが、アクテイーブないかつい顔の物売りに囲まれると、昔の習慣など思い出されて穏やかではないが、誰でも皆いい喉を持っているのには驚かされる。
 植民地時代から続くRijsttafel(Rice Table)、乙女が一人ひと皿の献立を客に供するコロニアルスタイルで有名で、ジャカルタを訪れたら必ず立ち寄るスポットのオアシスレストランは立ち並ぶ乙女たちをバックにバタック・バンドが壁も割れん大音声でインドネシアソングを披露している。やはりスギ(四角顔)の美声だ。

 僅か百年たらずの間に、古い規範を捨てて新しい価値感のもとに、民族独立の英傑を輩出し共和国に多大の貢献をするバタック人の調和性に感服する。
 バタックは人口約310万、徹底した父系氏族社会でマルガ(姓)を持ち、トビン ナステイオン ステモラン ハラハップ、シレガルなどの大ファミリイがいる。
 性的忌避が徹底していて、男児は実母とも直接会話することはなかった。
 野卑ともいえるアクテイブな性格<6>から、兵士や交通関係、国軍に将軍も多数で、都市のバスターミナルなどは血の気が多いバタック人の勢力圏だ。
 共和国第三の都市メダンは周辺地方の石油採掘の拠点で膨張を続ける。
 明治維新後日本人として最初に今のインドネシアを訪れたのはシナ人妾トメで、そこはバタヴィアやスラバヤではなくメダンだった。
カロ族の天国避暑地ブラスタキは、もしかしたら共和国一のリゾートではないだろうか。しかし、この国でなんらかのアムック(暴動、集団狂気)が起こるのはメダン、ポンテイアナク、マカッサルだといわれる。

 表面物静かで控えめな振る舞いが望まれるジャワ人からは、声高で動作の大きいバタックは野卑に受け取られ評判はいまいちだが、その行動力で共和国を引っ張っている感なきにしも有らず、はっきりものを言うから、むしろせっかちで気の短い江戸ッ子とは相性がいいだろう。
酒も呑むことだし。

 ♪♪O ale inang♪♪母上様  往年の名ミュージシャン故ゴードントビン氏未亡人の歌曲ともいえる歌唱。
O,Ale inang, sai tuho dao rohakku  Nang peaulao tuna dao dainang Tong do tuholao rohakki
Ala sude naimambean, Aia ni pogos dainang  Mulak do tuholao sasoboi
Ai nungngai pandok, Konni bagian dainang  Ikkon taonon kusongoon on
Molo hu tatap ale Inang, Dolo butua  Hu tai ilihon ale inang, dalo butolong
Molo hubereng ale inang, dosimalolong  Oh dabagian, dabagian, dala palapa on
Tangi hon saitangi hon, ompu kumula jadi nabolon  Ue parhu tana dao,  
O matani ari daollu ngun dainang
Ue parhu tana dao, O matani ari daollu ngun dainang  Oh, dahasian, dahasian

♪♪Ito Nabasa♪♪  それが定め  名手Rita ButarButar バタック独特の絶唱 Ny.T.Sitomorang
   Ito nabasa ito nalagu hasian Didiah didiaho dapothonnnki
   Tung so sorang ito Ango au sian ho hasian Diaho didiaho luluanmu
   Aut nadibotoho ma ilukku nasai maraburan Aut nadibotoho ate atekku malala dibagasan
Pikkir ito marbilang bilang ma ho hasian Didiaho didiaho dapothononki

♪♪Madekdek Magambiri♪♪ クミリの実  
クミリの実が、あなた その木の下よ、あなたもしも貴方の声がしたら、 もうなにもいらない、あなた
Esau Simanungkalit   N.Sitomurang
Madekdek magambiri, dahasian   Sai madekdek tu halaman, dahasian
Molo dung hubege suarami, dahasian  Lobihan na butong mangan, dahasian
Madekdek magambiri, dahasian  Sai madekdek so marisi, dahasian
Molo dung hubege suarami, dahasian  Dina modom au marnipi, dahasian

♪♪Anju Ahu♪♪ 妹よ 
ごめんね わたしの妹よ ふさぎこんだのは寂しいから、この心をいわなくても
   かわらず愛しているのよ、  笑っておくれ幸せなら、私はいつでも貴方のそばにいるのよ、妹よ
Anju Au R.Zahara   S.Dis
Anju ahu sai anju ahu ale anggi  Dinamuruk manang marsak rohangki
Na so hopaboa arsak na di roha  Holong ni rohangku sai hot doi
Anju ahu sai anju ahu ale anggi  Engkel mi mabean pasonang rohangki
Tungsaleleng ahu di lambungmi  Anju ahu sai anju ahu ale anggi

 S. Dis, N.SitomurangはTapanuli Batak最高のライターで歴史を作りRinto Harahapなどが跡を継ぐ。
♪♪MUSIK SERULING KECAPI BATAK♪♪
バタック独特の竹縦笛と小ギターの競演。ひと吹きでそれと知れる特徴がある
【Up主の註】
<1> Sumatraの語源は現在のアチェ州にあったSamudera Pasai王国のSamuderaが訛ったもの。
<2> スマトラの古名。Andalasとはタミル語で「桑」の意味。現在ではこの名称はパダンの大学の名前になっている。
<3> サンスクリット語で「金の国」の意味。唐の僧の義浄は「金州」と記している。古代、砂金が有名であった。現在でも金の採掘は続いている。
<4> バタック人と合唱してみると彼らの音階は西洋のものと少し違うような気がした。
<5> この表現はキリスト教徒側からイスラム側を見たものとされているが、ムスリムは不浄な左手ではクルアンを持たないからウソである。
<6> バタック人の男女数人の脳の癖を調べたところ、女性が男性脳を持ち、男性が女性脳を持つことが判明した。ミナン人も同様である。
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作成 2018/08/25
追加 2018/08/30

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