友人たちの論文集

第4講 女中・スリ 庵浪人著

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 作品の視点はあくまでも女中さんであり、田舎から出てきたばかりの女中さんの物の考え方が的確に表現されており、僕の大好きな作品の一つです。
これは1991年頃にジャカルタの日本人会会報「ブリタ」に連載されていたもので、賛否両論喧々囂々たる議論が起きました。


女中スリ(1/3)

 わたしの名はスリ、スマラン (1) のずっと先の生まれです。
 兄弟は六人いましたが、赤ん坊の時、半分が亡くなったので、今は三人です。
 お父さんは毎日、胸まで水に浸かって蝦を捕っていたせいか、体をこわしてしまったので、私は小学校に一年いっただけでした。年は17才位と思います。
 異母姉がジャカルタで女中さんになっていて、私も初めて長距離バスに乗って連れてこられたのがこのお邸でした。だからこの街がスマランの倍以上あるとは知っていますがホントはそこの前の道までしか知りません。
 おやしきのソピール(運転手)サリモが言いました。奥様がお前の名前を聞いて、みんなで笑っていたと。この前の女中がワルティ(悪い)、今度がスリ、下男がシロ(Silot)とポチ(Podji)だといって。
私には何の意味だか解りませんが、スリとはジャワのお姫さまの名前なのを外国人は知らないのでしょう。
 旦那様も奥様も信じられない程のお金持ちです。此処に来るまで私は、一万ルピア (2) とゆうような大金は、村長さんと警察の人が持っていたのを見たことがある位ですが、それをいつも厚い束にして持っているのですから。お二人とも、お祈りはしないし(3)、ジャワ語はおろか、私と同じようにインドネシア語もよく話せないのに (4)、どうやってお金を稼いでくるのでしょう。
 日本人とゆうことです。そこが何処か私は知りません。顔がチナ人と同じなので、きっと中国の一部なのでしょうか。
台所は田舎の家よりも広く、お皿やスプーン、コップなど百以上もあるでしょう。二人しか住んでいないのに、一体何に使うのでしょう。
生まれて初めて部屋を貰い、初めて地面より高いベッドで寝ました。一週間の食費といって六千ルピアも貰いましたから、毎日食べたい時に食べることが出来、ひもじい思いはしなくてすむようになり、幸せです。
 困ったことは、ご主人も奥様も、何を言っているのか解らないことです。サリモは、いいんだ、何でもヤーヤー (5)・ハイハイと答えていればと言ってくれたので、そうしていますが、奥様には、私がイヤ嫌やと言っているように聞こえるそうです。サリモはガイジンの使用人になるコツを教えてくれました。
たとえば、こうなります。
「いいお店で、お仕立てもお安いし、生地もあるのョ、運転手さん悪いわねェ、少し行ったらキリ (6)してチョウダイ」
(キリ 左に曲がるのだナ。)
「そこじゃなくってョ、ティダ!(7)  もう少しトルース (8)よ」
(まっすぐ行けという意味か)
「見本があるとそれと同じに作ってくれるの。ティダ、行き過ぎちゃったじゃないの、ブルハンティ! (9) お馬鹿さんたら」
(止まるのかな?)
「困っちゃうわ、解らなくなっちゃったじゃない、いやーねェ、カナン (10)だったかしら」
(右になったのかな?)
「違うってば! トコシナール (11) よ、前に行ったでしょ!」
(なんだ、初めからそう言えばいいのに)
「イヤー、ニョニャ (12)」 
(かしこまりました 奥様。)

(注)
1 スマラン :Semarang 中部ジャワ北岸の都市
2 ルピア  :rupiah インドネシアの通貨 (1990年1月頃)1ルピア=約0.08円
3 ジャワ人の大半はイスラム教徒である。
4 ジャワでは日常ジャワ語が使われ、インドネシア語の話せない人もいる。
5 ヤー   :ya 英語の "yes"に相当する。
6 キリ   :kiri 左。
7 ティダ  :tidak 否定語 "no", "not" に相当する。
8 トルース :terus まっすぐに; 続けて。
9 ブルハンティ:berhenti ストップ。
10 カナン  :kanan 右。
11 トコシナール:Toko Sinar 店の名前。直訳すれば「光線商店」
12 ニョニャ :nyonya 奥様。(身分の高い、あるいは外国人の婦人に使う)
             (続く) 


女中スリ  (2)

 ご主人は朝、ヘンテコな茶色をしたスープを飲みます。田舎の川の色と同じです。豚も平気で召し上がるので困りましたが、聞いていた程には臭くはなくて安心しました。そしてダシ(ネクタイ)をしてお出かけになります。
いつもご主人がおでかけになってすこしたつと、奥様もお出かけになって、お二人とも殆ど家にはおりません。こんな大きな家だから、ゆっくりとしていればいいのに。
家にいるときは、奥様はボクセン(ランニングシャツ)にショートパンツ、旦那様はアチーアチーと言って、裸でアルコールを飲みます。人前で裸同然の姿でお酒を飲むなんて、クーリー (13) 人夫とかベチャ (14) ひきのすることで、私は目のやりばがありません。このお邸の人はいったいどの辺りの階級なのか、サッパリわかりません。
 食べたければ、三回も食べることができるし、隣の女中さんとも親しくなったし、義姉からはミクロレット (15) に託して手紙もくるし不自由はありません。
奥様が出かけたあと、自転車に乗った写真屋さんに、ソファに座った写真を撮ってもらいました。カンポン (16) では、スリもお金持ちになったと驚くことでしょう。
お給料を貰うと、翌日必ず義兄がきて持っていってしまいます。病気の父さんに送るのだというので渡します。私は食事を二回にしてでも、カルン(ネックレス)と口紅を買うのが夢なのです。
奥様はニコニコして、イニ、イニ (17) と言いながら食卓を何回も拭くのです。
見えないような塵があっても、イニ、イニといって磨くのです。
カインラプ(ふきん)も驚く程種類があって、拭く所によって区別されているらしいのですが、私にはどうしてもそれが解りませんから、何か言われても、いつものようにイヤー。イヤーと言うほかありません。
バジュ (18) やぞーりも買って下さったから、私もこの家の家族になったのでしょう。
 さっきもお話ししたように、私はコルト(乗り合いバス)も来ない片田舎の出ですから、総てが珍しいことだらけで、電気、水道、ガス、電話など、初めての体験だったのです。電気はとても便利なものですが、シビレルような気がして好きになれません。奥様にそう言われても、なるべくスイッチには触れたくはありません。ストリカ(アイロン)もデンキですから、また明日使うのに何で消さなければならないのか、いつも熱くなっていた方がいいのに。
水が、捻ると自動的に出るなんてオドロキでした。どっちへ捻ったらでるのか、止まるのか、よく覚えたつもりでも、カランが縦に付いている水浴場になると、忘れてしまって水が止められないこともあります。
ガスでは、奥様がとても大家の人とは思えない大声で怒ったものです。 (19)ガスを消して、と言われたので私は口で吹いて消したのです。ガスは目に見えないのは困ります。臭いのは別の所からだとおもっていましたのに。
便所 (20) がつまってしまったので、ジャガに言うと放っておけといわれたので、そうしたら、本当につまってしまい臭くなり、奥様が知って大騒ぎになりました。
生まれた時から私は、川で用を足し、体を洗い歯を磨いていたのです。川は何を流しても詰まることはありません。習慣はなかなか治らないものです。
 奥様がもう少し丁寧に教えてくれたらいいのですが、赤ん坊みたいにイニとティダしかおっしゃらないし、ジャガもソピールも自分の事以外には無関心だし、決められたことだけやって、余分なことは成るべくやらないようにして、強く生きて行くべきでしょう。なぜって、庭の芝生が伸びたので、台所のナイフできれいに刈ってあげたのに、奥様はナイフを見ると泣きだしたからです。
刃がボロボロになって料理が出来ないというらしいのです。ジャパン・ジャパンと叫ぶのは、ナイフがジャパン製なのか日本式の仕事なのか、ご主人も現れて、ミンタ マーフ (21) と何回も言うので、ご主人が何で謝るのか不思議ですが、私に謝れと言うことなのか、何か意見がある様子なので、私はトリマカシ (22) と申したところ、前よりも大きな声で、マーフ、マーフ (23)とおっしゃるではありませんか。もうこの事は考えないようにします。
「こうゆう事をしてはいけません」
「(悪うございました)すみません」
「こうゆう事をしてはいけません」
「(ご意見)ありがとうございます」
私の国では、後ろの方が正しい言いかたなのです。それに、私達はいつも心の中で、神に感謝し、謝罪しているのです。面と向かって、人に謝るのは、ワザとらしく、自分を良く見せようとする、恥ずかしい行為なのです。

(注)
13 クーリー :kuli 肉体労働者;人夫 (苦力)
14 ベチャ  :becak, (beca) 足でこぐ人力車
15 ミクロレット:mikrolet (ジャカルタの)小さなミニバス。1980年代には廃止になってしまった。
16 カンポン :kampung 田舎(都会の田舎風の集落にも使う)
17 イニ   :ini これ
18 バジュ  :baju 上着、服
19 ジャワでは大声を出すのは、はしたないこととされている。
20 使用人の便所は別になっている。この家では水洗式に地中に流すらしい。
21 ミンタ マーフ:minta maaf お許しください。(主人は「謝れ」の意味
  で言っているようだ。)
22 トリマカシ:terima kasih ありがとうございます。
23 マーフ  :maaf 許し;ごめんね。(21)と同じ。
              (続く)


女中スリ(3/3)

毎日のお祈りもかかしませんし、神も慈しんで下さり、スリは太ってきれいになったと、みんなが言ってくれます。しかし義兄がどうしてもお金が要るとゆうのです。私達は助け合わなければいけません。信じられるのは、家族と村の人だけです。村では、鎌や鍬、網などは村のものです。それらは、それを最も必要としている人が、先ず使うのがシキタリです。"自分のもの"といった観念は少ないのです。強いて言えば、自分のものは、着ているもの位なものです。
みんな村のもので、協同で、協力するのです。ゴトンヨロン(相互扶助)と云うではありませんか。だからこれは私の物とか、私のものを黙って使ったとか、ことわりもなしに、といった言葉は聞かれません。だいたい、財産などというものは、所詮、神が一時その人に預けてあるもので、総ては神の御意志であるのです。持つ者は持たざる者に分け与える事は、はっきりとした契約なのです。
人は総て平等であらねばならないのです。
 使われていない皿やスプーンが山のようにしまってあります。田舎を出る時、母が暗い隅で、バナナの葉に包んだロントン (24) を食べていたのが眼に浮かびます。幸せにしてあげようと、心に誓ったのです。この世で最も大切なのは両親です。父母がいなければ、私はいないからです。
神に報告して、神の所有物のお皿とスプーンを一時お借りして、お金をとりに来た義兄に託して母に届けました。こらが一番必要なのは老いた母で、奥様ではないからです。それに、私はもうこの家の一員で、不意に塀を越えて入ってきて皿を盗んだわけではないのです。
インシャーアッラー(神の御慈悲を)!!
お米は飲み水と同じく、本来もっと自由なものです。
私達でさえ、米が少なくなっても、飢えた人には差しだすし、セデカ(喜捨)もかかせません。当たり前のことなのです。
真っ白いお米が入っていました。それを盗んだと言われると困るのですが、お米の上に奇妙な「の」の字が書いてあったので、袋にいれた後そのように「註☆」と印しておきました。きっと何かのまじないかと思って。
翌朝大変なことが起こりました。チュリ(盗み)とゆう言葉が聞かれてジャガ(25)まで呼び出されました。二人とも黙って下をむいていました。ジャガはその後、何も言いませんでした。当然の事と思ってくれたようです。
何日か無事に過ぎました。
あの日から、奥様は台所に鍵をかけるようになりました。私は朝はやく、スブ(26)の祈りを済まして(4:30)仕事を始めるのですが、奥様は6時過ぎでないと起きられません。ドアの横にしゃがんで二時間近く待つのが日課になりました。そんな時、田舎のことを思いだすのです。
 義兄が来て、父の病気が良くないと伝えてきました。4万ルピア前金を用意しないと、入院させてくれないのです。偉い先生はお金も高いのです。ドウクン (27) (占い)のお金も要ります。私は頭がカッとなりました。奥様はこのところ、ご機嫌が悪く、お部屋でご主人と大きな声で話しておられるので、とても前借りさせてとは頼めません。
毎晩、神に祈りました、それしか出来ないからです。
 奥様の買い物のお供で、サリナ (28) にいきました。お友達とキャッキャッと言いながら、なんと三十万もする白粉や紅をお買いになりました。これは私のお給料の一年分です。両手で抱えられない袋を部屋に持っていくよう言われて、二階に行きました。胸に手をおき、それから束の中から、ほんの三枚だけ、黙ってお借りしたのです。
「オマエはクビになった」とサリモに申し渡されました。
奥様は買物とはうって変わった怖い顔をなさって、ポリシ (29) とか申して、私のビニール袋を検査されましたが、空き瓶や、ボールペンのお土産は、隣りの友達に渡してありました。
総ては神の采配で、誰を恨んだり憎むこともありません。そういう運命は定まっているのです。
何処ともなしに、角のワロン (30) で座っているいると、前に一度門の前で会った男がいました。
「オマエの器量なら、三時間働けば、五千にはなる。仕事も楽だ」五千でひと月だと、十五万、信じられないお金です。男は私に金色のカルンを呉れました。きっと、良い人なのです。
私はこの人に付いて行きます。もう田舎に帰って、暗いところで、ボソボソとシンコン芋(31)を食べるのは出来ませんし、今なによりも私は家の面倒をみなければならないのです。
 もし、わたしに間違いがあったのなら、お許しください。
 さようなら、御主人様、さようなら、奥様、またお逢いする日まで・・・。
( 完)

24 ロントン :lontong 米をバナナの葉に包んでふかしたもの。
25 ジャガ  :jaga (penjaga) 門番、夜警
26 スブ   :subuh 夜明け(の祈りの時刻)
27 ドゥクン :dukun 祈祷師;魔法を使う医術者
28 サリナ  :Sarinah デパートの名前(おそらくブロックMのサリナ・デパート)
29 ポリシ  :polisi 警察(官)
30 ワロン  :warung 屋台
31 シンコン芋: タピオカ芋。インドネシアでは救荒作物として植えられている。

掲載者 註
註☆ 原文では「の」の字の裏返しになっていました。


(終)

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2006-08-29作成
2010-11-10 追加訂正
2016/09/11 校正
2019/12/12 修正
2023/11/09 修正

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