友人たちの論文集

第3講 ダブルカヌーへの想い 絵と文 庵 浪人

Sorry, only Japanese version is available for this article

ジャワ海に浮かんだ33フィートケッチは朝の陸風に乗れず止まったままだった。
パンテライトの大きな窓から射し込む熱帯の陽光でパイロットハウスは蒸し風呂だったが電子機器完備ヴオルボベンタ100馬力を誇る重厚なモーターセーラーはマリーナ雀羨望の的だったから暑いとはいえなかった。
過ぎたるは及ばざりしなり、ずらりと並ぶインジケーターの故障に泣き、ふたつあるトイレの詰まりに怒り大食いの燃料を怖れ、喫水の深さで接岸出来ずあたら彼女の手を握りそこねてチークではないチーク調のダイニングテーブルで無念のほぞを噛んだ。
だらりと垂れさがる4枚のセールの陰から、肌の色濃い年寄りの操る腕木カヌーの土人舟がラッテンセールに僅かな風を捉えて何事もないように沖に向かうのを汗を拭き拭き眺めて私の考えが変わっていった。
どのように変わつたかが、この小誌である。

水面に洋く道具 筏

ふだんは見過ごされていますが、驚いたことに水面を移動する動物はアメンボと人間だけで、海棲動物でも移動するのは水中なのは、水面が水中に較べて変化が激しく浮くこと自体がなかなか困難だからでしょう。
人間が'対岸'への衝動が起こった時、選択肢が水面移動しかなかったのでほかの肺呼吸捕乳類と同様に泳ぐか、その他の方法を考え出すより手だてがなかったのは当然です。

はじめて人間が川を渡るのに丸木に跨ったのは水に浮く素材は木しかないから想像に難くなく、この発想は石器時代以前の極めて古い時期だったと考えられます。
丸木を並べて縛ればその上で安定出来るのを知ったのも早い段階だったと考えられ、最初に日本島に稲を運んだ人々は大陸東岸の黒潮に乗って竹の筏で訪れた南方人たちで、それは稲作集落が形成される弥生時代を遡る縄文期でした。
中国浙江省河姆渡遺跡(長江河口)は七千年前に東シナ海800キロを渡って目本に最初に稲作を持ち込んだ半農半漁の人々で、大量の炭化米とともに鈷や櫂が出土しました。遺跡の近在の奉化村には今も竹を組んだ筏が現役で漁労に従事していて漁師は笑いながら時々対馬九州まで流されてしまうと話します。

中国で方舟といわれこの間まで揚子江を下る巨大な生活筏は風物詩だったし、明時代に海(骨編に鳥)と呼ぶ双胴船が用いられたといい、()は隼だから多分遠い舟だったのでしょう。対馬の杉丸太七本の藻舟とゆう筏は、庶民が玄界灘を朝鮮への往復に使ったもので現存します。
縄文人南米移住説が1961年にエクアドルのエミリオ・エストラーダ教授、スミソニアン研究所のC.エヴァンスが同地ヴァルヴェデイア遣跡の土器の調査で証明されようとしていて'二度と故郷に帰れない黒瀬川'を逆用して彼等は黒潮潮流時速4ノット以上のスピードで太平洋を越えていったのかもしれません。
縄文人オセアニア拡汎説を頭蓋骨などから唱える学者も出てきました。
古事記に伊豆狩野で造られた快速船が記されていて名ずけて枯野(カレノ⇒カヌー)。
片間小舟の記述もあり、カタマラン双胴船の当て字と考えられるとも云われます。
日本は北方の渡来人で奈良王朝が建国されましたが、集団組織的な攻治事件は歴史に残り易く、黒潮に乗って訪れた南方人も数多くいたに違いないけれど散発さみだれ的では埋没してしまうでしょう。
古今著間集に承安元年(117D、伊豆に身の丈七尺入れ墨腰蓑の赤鬼八人が上陸、狼籍を働きいずこともなく立ち去る。夜又の如し。巨人型マウイ人を彷彿させます。
常陸風土記に石城の国軽野の浜に十五丈(45m)の大船が流れ着いたと記され八世紀に建造は不可能が定説でしたが、南国産樹なら可能で、古代人にとって太平洋は水地獄ではなくニライカナイ(琉球宝船伝説)の水平線だったのでしょう。

筏理輪

人が水上移動を志してから現在まで、その移動具たる船は技術発展で巨大化しても転覆沈没が避けられない宿命です。世界最大戦艦大和は三百米の巨体を20センチの銅板で囲った水密隔壁1000余を持つ不沈艦でしたが、蠅のような戦闘機の攻撃で敢え無く海の藻肩と消えました。理由はたったひとつ、水より重かったからです。
この宿命から解き放されているのは初元的な丸本舟なのは滑稽なことであり考えさせられる事実です。

人間は大木といっしょに流され、それをほりぬき先を尖らせたり櫂を使い竿をさしたり、風を利用するのは大分後のことだったのでしょうが、丸太を結び板状にして積載を考えたのはいつ頃だったのでしよう。
舟は転覆する。では転覆しずらい形とは?それは水面に限りなく近い板なのです。実験考古学者トール・ヘイエルダールがペルーからツアモツ環礁に達したコンチキもバルサ材九本を束ねた古代筏で、大波も丸太の隙間で抱になって消えたと述懐しています。

アジアの特産中空パイプ(竹)の筏様の小舟、巨大な筏を沖に浮かべて下に集まる魚を獲るルンポン(浮き具)、ダブルカヌーの中に網を沈めるバガン漁法はインドネシア各地で普通に見られるし、アウトリガー(腕木)カヌーは南アジア各地で現役で清耀しています。
乗り心地をよくする為に凹みを刻んだ。くぼみがあれば水が溜まる。
溜まらないように舷側を高くする。舟の発達の過程でしょう。
一方丸木は不安定なので数本を並べて縛れば安定する。筏です。
西洋は何がなんでも水密に拘った構造船で、水と戦う姿勢を崩しませんでした。
東洋は水と戯れながら折り合いをつけながらといった感じがするのです。
コーヒーカップと蒲鉾板の発想が東西を分けたのです。
風呂に入ってこのふたつを浮かべて足で湯をかき回すと、どちらが先に沈むだろうか。
どちらが先にひっくり返るだろうか?
コーヒーカップと蒲鉾板を風呂に浮かべてかき回すと、沈むのはコーヒーカップです。
いくら頑支なコア(船体)を造っても水密構造に執着しても、カップは浮いてはいられない。理由はただひとつ、水より重いからです。
コーヒーカップの浮かぶ姿を注視すると独特な動きをしています。
水面の重心点で釣り合いをとって揺れ動いて、揺れが大きくなれば転回するか浸水して沈む。これがモノハルヨットで、重心を水面に垂直にとった結果です。
ペンデュラム効果(振り子運動)でいつも揺れていて、これが自己復元性能になるわけです。水に抵抗してなにより水密楕造を優先したのが西洋式発想で、板片のように軽く浮く事を優先したのが東洋式考えではなかったのでしょうか。

筏は決して沈まず、裏返しにすることも風呂桶実験では困難でした。
救命筏(ライフラフト)は救命具として搭載が義務づけられているのは何故でしょう。
それは本船は大きく堅牢でも結局は沈む連命にあるからなのです。
筏は自走力が弱いから方向性をとる為に先を尖らせ囲いを張ったのが舟の形に変わり、筏を水面上に持ち上げたのがダブルカヌーで、非凡な発想と云えましょう。
この時点でこのふたつの考えは袂を分かち別の道に進むことになったのです。

ヨットとカヌー

我々が知っている小型帆走艇はヨットと呼ばれます。
ヨットは白い波青い海に颯爽と斜めに傾いて帆走る華麗な姿で定着しています。
当時の西洋は地中海沿岸でした。喩えれば沼であり大西洋は湖で、海と呼べるのは大平洋だけでしょう。
西洋では水密に拘って構造船を発達させて、波が入らないよう波除け板を高く、舟喰い虫を怖れて喫水線下を銅板で覆ったりタールで塗り固めたり重く堅牢な姿になっていきました。'沼'での交易には耐波性能よりアフリカの富や奴隷を纂奪する為積載量が求められ舟は必然的に大型化してゆき、その後の大航海植民地争奪時代の曾地が出来てゆくわけです。
強くだから巨大な船体と複雑な装帆を操る技術は彼等の組織集団形成に役立ちましたが、追い風帆だけで向かい風帆を知るのは15世紀になってキャラックシップが南海船に出会ってからでした。
十七世紀になって覇権地割りはほぼ完了し帆船(Ship)はスチームシッブと交代するまで武装輸送帆船としてスパイスクリッパーやテイクリッパーはアジアの富を競争して運び、遭難の失費をカバーする保険も考えだしました。
ヨットの語源はオランダ詰のJaght、ドイツ語Jagdからきていて狩り舟の名でした。
十七世紀初頭西欧諸国の海外干渉による海運の発達でShip(帆船)は大型化し鈍重で港での小型通い舟や富を得た貴族商人の遊び舟が湾内を行き来し、オランダの狩り舟ヤハトが富豪の慰め物、見栄や優越の為に競い合ったのがヨットの発祥ですから今以てヨットには使役船にない華麗さと虚栄が宿っているようにみえます。
1604年にグリニッチで建造されたデイスデイン(28ft)、オランダが1660年チヤールス二世に贈ったマリー(52ft)がヨットと呼ばれた最初といわれ、1775年カンバーランド公がテームス河で最初のヨットレースを行いヨットは遊び舟として発達してゆきます。

自己復元性能

競い合えば工夫が生まれ、ヨットの命題は他者より速く如何にして風上に切り上れるかが問われた結果、マストを高く大きなスクエア四角帆はますます大きいバーミューダ三角形に(1875)、風圧や重心高から風下舷側の横流れ防止板(リーボード)、重量物(バラスト)を船底深く格納するように変わってゆき(1880)、高いマストに見合う重りは益々重く、遂には船底を突き破って水中深く突出するようになったのが現今のヨットの姿なのです。
この事は付帯的に艇が転覆してもダルマのように起きあがる事が出来、この特質は求めた結果ではなく付随的に取得した性能で、シップ(帆船)時代も現在の使役船(漁船等)にも転覆防止にこれほど大きな重量物を喫水深く格納する船がないのは、それが余りに多くの負の要素を持っているからなのです。
ヨットの他船にない特徴と宿命はもうこの時から始まっているといえましょう。

水密さえ完全なら小型艇でも外洋に乗り出せると考えられ、Self-Righting Performance自力復元性能を得たこれらの艇は、水上での恐怖の対象である転覆沈没から開放される保証から、その後多くの盲険心を持った男や酔狂な旅人によって大洋を横断し世界周航を成功させる強い味方になりました。
大戦後の所得向上、石化製品のナイロンやFRP可塑剤の開発で、ヨット遊ぴは大衆娯楽として発展し数々のレースはプロセイラーを生み、その名声が大量販売にフィードバックされたり、不可能と思われる航海を敢行する記録男、ただ見栄の為に陸の生清を海上に持ち込んだりの百花繚乱の趣を呈しているのはご承知の通りです。
航洋型35フイートヨットの自重9トンの場合そのバラストは約4トンあり重排水量型と呼びます。現在は運動性能向上の為、バラストは軽く深くなるフィン(鰭)キール艇が主流で、自己復元力は等閑視される傾向があるのが実状です。


アメリカズカヅプ=世界最古、最高、最大のスポーツイヴェントは1851年第一回ロンドン万国博覧会で、遠征してきたアメリカ艇を歓迎してワイト島58マイルで英国艇17隻が参加して行われた。アメリカが圧勝してヴイクトリア女王が二着はどの艇かとの間いに侍従が「There is no second, Your majesty」と答えた有名な噺が残っている。
初期のアメリカ盃の参加艇は制限がなかったので紅茶王リプトンのシャムロック三世号は138ft(1903年)ヴァンダービルトのレアラインズは145Ft(史上最大ヨット)と賛に任せて奇形化し1930年にJクラスとして統一したがそれでも130Ft乗負40名の巨人艇で僅か1米の銀カップを巡る人間の道楽の極地とされた。
戦後ルールとレーテイングの何回もの変更やヨット大国オーストラリアがアメリカに勝ったり企業シンジケートの参加などどうも権威の失墜が感じられるが、そのよって来る伝統からか権威主義の名残がまだ見え隠れしているようだ。日本もエントリイしたが帆走文化のない参加ではとってつけたような宜伝臭だけが残り、これらはヨットの持つ宿命とわが国のマリンスポーツの実情を暗示しているようにみえる。
Spray
最初の小型艇による単身世界一周航海は1898年仕事と家庭に失望した小柄で不遇の53歳のクリッパーシッブ乗りジョシュア・スロ一カムが、古い牡蠣取り漁船を修理改造した37ftのガフリグョールのスプレイ号でボストンを出港し三年2ケ月かけた航海である。スプレイは平底でキールバラスト艇ではなかった。
航海記Sailing Alone Around the Worldを読んだ楽天的ロマンチストを刺激した。
スプレイは舵柄の後ろにミズンマストのある二本マストでヨールと呼ばれる。舵柄の前に2番目のマストを立てたものはケッチで、両者とも風上切りあがり性能は一本マスト・スループ型より劣るが直進性がよく、かつセイルを分割することで取り扱いが容易になるから長距離航海艇に使われる。ガフリグとはメインセイルトップに横桁(ガフ)のある変形四角帆で、同じく性能は三角机より落ちるが帆面積に比較して重心を低く出来、縮帆作業が容易になる。彼が凄いのは転覆したら起き上がれない平底舟を使った勇気だけでなく、シングルハンド(単身)にもかかわらず自動操舵装置を用いなかった事で、炊事睡眠中でも艇の動きを把握していたことだろう。
彼の航海動機が純枠に世界一周を目指して出帆したかは疑問で、職業柄海への憧憬は強かったろうがうち続く家庭や職業の不運から逃れようとしたのではないか。

Lehg

キールバラスト艇の耐航性が実証されはじめると、まず目をつけられたのがその作業性から海難救助ボートだったのは理解できる。波浪に抗し闘う堅牢で強い船を求めたのも当然の帰結だった。ノールウエイのレスキューボートのシーワージイ(耐航性)から、コーリンアーチヤーがデザインした重排水量艇が外洋ヨットの雛形となり、1942年大戦の影響が少なかったアルゼンチン人ヴィドドウマスがレイグIIで'不可能航海'を成功させこのタイプの評価が固まった。彼はわざわざ間断なく寒風吹き荒れるウオーリイクライフオーテイ(吠える南緯40度線)を逆風の中三個所しか寄港せず単身で乗り切り、しかも加えてケープホーン最初のソロ廻航者の栄誉を担った。
レイグIIも31フィートのロングキール重排水量型4枚帆ケッチの典型的な外航艇で、ショートハンド航海には全長30フイート8トン程度のダブルエンダーのケッチが理想とされた。

Tzuhan

退役准将スミトーンと夫人は衝動的にホンコン製46ft二本マストのツーハン(観音)でヨットを始めたが、以後世界を二周した(1951−69)。3回のキャプサイズ(転覆)のうちには前後に転倒(ターンタトル)もありマストは折れたが艇は復元し無事だった。
Once in Enough一度でたくさん (1964年日本にも寄港している)
それまで外洋航海は強健な玄人しか成功はおぼつかないとされていたが、意志と少しの知識と幸運があれば、渡洋航海は老若男女にも可能なのを示したひとつのエポックとなった。

Sopranino

戦後の1952年、若い英国人エラムとミューデイが限られた予算でなんとか大洋横断が出来ないか知恵を絞ったのが、その後のヨットデザインに大きな影響を与えた20フィートにも満たないソプラニノ号であつた。
安価は弱い脆いに繋がるが、艇名の小さい風笛の如くそれまでのコンセプトを転換して軽く波をやり過ごす浮かぶピンポン球の発想が成功して大西洋を横断し、金持ちと変人の渡洋航海を庶民の手にも委ねた。
JOG、ジュニア・オフショア・グループの誕生だ。
この時代はまだ自然にたいして敬震な心があって、重厚な外洋艇でも軽量艇でも百八十度復元性能は神話でも伝説でもない確固とした能力で、自重の半分もの信じられない重りを抱いて荒らぶる海に船出していった。エラムは無謀な青年ではなく計画性と慎重な性格で、新しいアイデアを実行するのに専門家や経験者の助言を得ている(多くの答えは否定的だったが)。重量は650キロしかない超軽量艇だったが、バラストはその半分の272キロを水面下1.2メートルに取り付け耐波性を最優先させた。現今の6メーター程度の艇と比較して異常に重く深いバラストが結果として成功に導いた。
ふたりは狭いキャビンでもワッチオフではピジャマに着替えて寝たとゆう。ローリング、ピッチングを繰り返す狭い船内で腰を曲げての着替えは経験しなければ分からない重労働だ。心掛けが違うから素晴らしいアイデアも生まれたのだ。

マルチハルボート小史

普通の船は単胴モノハルボートですが多胴船はマルチハルと呼ばれます。
マルチハルボ一トは同形ハルをふたつ並べてビーム(横桁)で固定したカタマラン(キャット)と単胴の左右または片側に浮き子トランポン(またはアマス)を取り付けたトリマラン(トリス)があります。何回も申すようにこの発想はアジアのものです。

複胴船マルチハル

南アジアで興ったこの船形はオセアニア開拓史に燦然と光りを放っただけでなく、現在では信じられない広範囲な南海交易の主役として活躍していたのは七世紀頃建立されたボロブドール遣跡の石版に大型アウトリガー構造船が刻まれているので明らかです。この船は船体に腕木付きの浮き子を持つトリマランで、アマスが片側だけの舟と左右の違いは地域差がありますが現在でも沿岸で常用されています。
ダブルカヌーはキヤプテンクックがタヒチで日撃したポマレ王国の長さ33米のカヌーを28本の横桁で連結した船団は数千人の規模であったといいます。1770年。
現在は並べた舟の間に網を入れて漁労する姿はありますが遠洋には使われることはありません。
近代社会でヨット遊びが盛んになってもこの異形の舟は敬遠されたその理由は遠い事は解
っていましたが転覆すれば復元しない欠点があるからがすべてでした。

転覆の恐怖

肺呼吸人間にとって水上移動する際の恐怖は転覆沈没でしょう。
ヨットは速く走る為に大きな帆を揚げる。バランス重りは比例して重くなるいたちごっこの挙げ句に、水密さえ完全ならこのフネは転覆してもこの船底重量の効果で起きあがりダルマのように自身で水面に正立出来ることを発見し、二十世紀に人って多くの冒険家が小型艇で大洋を横断しました。
クルーザー(巡航艇)の名声はこれで確定したが、バラストはゆうに排水量の1/3以上の日方を背負う事になり、この卓越した性能も万一僅かな齟齬(ハッチや窓)から浸水すればその頼りの重りの為に沈没するヨットは、自身の重りによって水より重くなってしまったのです。フネとは水に浮く道具である根本理念を失った結果でもあります。
ヨット乗りは転覆しても自力復元出来ない船は危険極まりなく大洋横断など無謀で所詮湾内の目帰り舟だと長い間一顧も与えませんでした。確かに複胴船はある限界を超えたら反転して起きあがれませんから自己復元を云うならば逃れられない事実です。
極く最近まで小型艇での大洋横断が西洋白人がヨットで成功していたのもダブルカヌーを知らない社会の行事だったからで、カヌーは転覆したら起きあがれない土人舟の風説は崩れませんでしたが、最近になって造船工学の発達や造船素材の開発(ファイバーグラス)などでダブルカヌーが見直されると、水平バランスを持つ利点からレスキューボートやフェリイに、広い水面上のデッキを居住キャビンにする艇に人気がでて、その速さから記録に挑戦するセイラーはこぞって複胴船に乗って大西洋を五日、大平洋を二週間で横断するレコードを更新するようになりました。面白い事に、耐航性のあるマルチハルヨットは結局古代ダブルカヌーの姿に近くなってゆくのもそれが理に叶った船形だからなのですが。
モノハルキールヨットの歴史と実績があまりに大きいので、マルチは異型のフネとして甘んじてきたのが偽らざる事実でした。
自己復元不能に対するユーザーの不信を拭うのは至難で、ミカエル・ヘンダーソンはキャットにフィンキールをつけ転覆時の強大なサイドフオースに抵抗させ、円盤状のマストトップフロートをつけて転覆しても九十度で済むとか、ジョン・シュッテルウオースは両ハルのエプチカルキールを水タンクバラストにしたりしました。
歴史も伝統もないマルチは差別され、公認も認定もされないまま変人の選択の域を脱せられず統計は整備されず、売れないから無謀な自作艇や極限スピード(40ノット!)を追求した事故が重なり、アイデンティティを失って完沈ボートの名前だけが残る結果になっったようです。


◆サイモンとジュウドとゆう男が直径60cm、長さ6米の円筒に木のデッキを載せた舟を造り17ノットでダブリンからホリヘッドを走ったと王室学士院に記録されたのが1662年で、これがヨーロッパ最初のマルチハルボート建造らしい。ウイリアムペテイ卿がオランダ人冒険家タスマンから情報を得てキングチヤールス二世に進言したと云われダブルボトムと呼んだ。キヤプテンクック隊のジョージアンスンがハワイから双胴カヌーを持ち帰る百年前のことであったが、間歓的で港での評価はなかった。
◆ナザニエルハラショフ:1876年斬新的なペンシル型25Ftのアマリリス号を建造、転覆防止の為18Ftのビームコネクトにユニヴアーサルジョイントを用いた。彼は数隻のマルチを建造しニューヨークヨットレガッタに出場させその後アメリカズカッパーのデザイナーに転身した。
◆ノンパレイル号:三本のゴム製パイプラフトでニュ一ヨーク〜サザンプトンを51目で渡洋した記事とイラストがロンドンニュースにでている。1868年。
◆ カイミロア:1937年航海者エリックドピショップはハワイで座礁した。有名なビショップ博物館でダブルカヌーを見て刺激され39Ftカタマランを造り14ケ月かけて故郷フランスに帰り「海を愛する心と少しばかりの知識があれば、大洋横断など児戯に等しい」と大見得を切った。
◆ マウ・カイ:大戦での航空技術発達からグライダーパイロットウッデイブラウンが住んでいた八ハワイで船大工アルフレッドクマライと当時は航空材だったベニア板で革新的なボートを造ったのがハワイアンダブルカヌーをベースにしたアンシンメトリック(左右非対称)ハルの快速ボートだった。マルチハルに惹かれる男達はその出発から旧弊に囚われない革新思考の持ち主が多いのが解る。ヨット王国オーストラリアでもカニンガムなどがハラショフを継ぐ形でマルチハルに傾倒し後の発展に繋げたのは帆走海域にグレートバリアリーフがあったからではないか。
◆大工のバーナードロードスが二年かけてベニア板でトリス(トリマラン)クリス22ftを自作して何の航海知識もないままニュージ一ランドまで行き、多分世界一周したと想像される。数回のキャプサイズも一人で起こしながら世界一周したが、余りの常識はずれに人は信用しなかったが、その後ヨットの周航が盛んになるにつれ、島々で彼の噂が語られるのを知って、やはり本当だったと後悔したが、ロードスは愛する海に消えてもう生きてはいなかった。


◆プラウト兄弟=兄弟が最初にリリースしたのがシアーウオーター16Ftレーサーで1954年の事で以後3000隻を売り、好評に追従したカタマランレーサーはトルネード、ボブキヤットなどワンザインレースが盛んになりハルフライ(片側ハルを持ち上げる限界帆走)のスリルを愉しんだ。
70年台に入るとプラウト兄弟のキャットがマルチハルだけの理由で由緒あるファストネットレースにエントリイ出来ずオブザーバーで伴走中、急激に発達した不連続線でヨット史に残る大惨事が発生した。1979年のことで出場艇の24隻が放棄され5隻が沈没し15名が失われた。プラウト34ftスノーグース2隻はリギンに僅かな損傷を受けただけでマルチの安全性を立証した。@
世界早回り、単独世界一周レース、大西洋横断と矢継ぎ早にヨットレースが閉催される時代に入ると、この異形のボートのスピードに魅せられた好き者が参戦する。
◆ 1966年シングルハンド世界一周ゴールデングロ一ブレースはある意味でマルチフリークは記憶に留めたい。エントリイ九人のうち二人がマルチだった。予算と時間に悩まされてフローテイングハウスボートのトリスヴィクトリスで出場したナイジェルテトリイは終始健闘したがゴールに100マイル残し浸水棄権。勝負に執着するもう一隻のトリスエレクトンのクロウハーストは'世にも奇妙な航海'希望峰にもケープホーンにも挑戦せず、ただ大西洋を回遊しながら偽の航海目誌を付け続け、挙げ句に発見された時は船体だけだったのもマルチハルセイラーの変わった歴史だった。A
◆最もエキサイトしたのは1972年のトランスアトランテイックレースでの'モンスター,ベンデユイックlV(マヌレバと改名)のアランコラだろう。
無制限、無規格のレギュレーションにファ一ストホームを狙ったのは'マンモス'ベンドレデイ・トレイズ128フイート、三本マストスクーナだった。
マヌレバは70フイートのトリマランヨールで20目13時間でフイニッシュしたが、2位のマンモスとの差は僅か16時間の劇的勝利で、特質すべきは3、5、6位も復元不能といわれるマルチだったことから、記録に挑戦する男達はマルチを選ぶようになつた。B
ちなみに現在のアクロスアトランテイックの記録は何と7日、もちろんトリマランであるし、先目太平洋横断速度記録を樹立した艇もトリスで2適間以内でゴールしている。

◆最もエキサイトしたのは1972年のトランスアトランテイックレースでの'モンスター,ベンデユイックlV(マヌレバと改名)のアランコラだろう。
無制限、無規格のレギュレーションにファ一ストホームを狙ったのは'マンモス'ベンドレデイ・トレイズ128フイート、三本マストスクーナだった。
マヌレバは70フイートのトリマランヨールで20目13時間でフイニッシュしたが、2位のマンモスとの差は僅か16時間の劇的勝利で、特質すべきは3、5、6位も復元不能といわれるマルチだったことから、記録に挑戦する男達はマルチを選ぶようになつた。B
ちなみに現在のアクロスアトランテイックの記録は何と7日、もちろんトリマランであるし、先目太平洋横断速度記録を樹立した艇もトリスで2適間以内でゴールしている。
全長26メートル、マスト32メートルのキャットは37ノット(時速約70キロ)ブリッジデッキはない巨大な梯子の怪物である。彼は93年に無寄港世界一周記録79日6時間を達成している。自己復元とか完沈ボートなどは過去の物語になってしまった。
◆ジェームスワーラム=1957年若いイギリス人ワーラムはタンガロアと名付けた24Ftダブルカヌーを僅か420ドルで造りトリニダッドから大西洋を逆に横断した。彼は独特のコンセプトを持ち一貫してポリネシアンカヌーを信奉して自作者向けに活発に活動している。
1988年市場調査にオーストラリアから来日したファリアーは、JORC初島レースにトーレラブルブルF-27トリスを参考出場させた。最後尾スタートに拘わらずフイニッシュした時他艇は見えず、「There is not Second,youf majesty 陛下、二着がございません」アメリカズカップでヴィクトリア女王に侍従が言った有名な言葉を擬して喜んだが目本市場でのマルチは売れなかった。二着の40Ftモノハル艇はその一時間後だった。


@プラウトキヤットは速度を追わず、安全陸を第一義にして、セイル面績を削りマストを後方にセットしてバウ沈(前部浮力減)のリスクを避けるデザインが成功した。その基準は30米アビームの横風で風上ハルが浮かないのを条件にしている。現在最も吉参で事業的に成功したメーカーである。
Aフアーマスから出港し一位でフイニッシュしたスハイリのノックスジョンストンが無寄港世界一周レースを制したが、フイニッシュした時、税関吏が決り文句で「何処から来たか」と間うたら、彼は「ファーマスから」と答えたのは当然の事だった。
B天才セイラーコラはその後落水し遭難した。第一級セイラーとしてだけでなくフランスヨット界に貢献したタバルリも廻航中の油断かライ7ベストなしで落水死、目本の第一人者南波も同様遭難した。

3S Speed, Space, Stability
60年代から新素材とりわけFRP可塑剤の開発で小型舟艇に革命的発展があり、マルチハルボートの造形の自由度も画期的に増大して、三つの'S'スピード、スペース、スタビリティを謳歌するクルージングカタマランがリリースされました。
ヨット人口の急増特にアメリカでは南指向が強くフロリダがクルージングのメッカになると、その海況が浅海(バハマとは浅海の意)が多く揺れず広いキャビンがチャーターボートに適し価値が見直され、ヨット最大メーカーのフランス・ベネトウ社、プラスチック最大メーカーケネックス社、高名な外洋レーサージャントウのブリヴィレージ社、モノハルボートで成功しているアイランドパケット社が相次いでニューコンセプトのクルージングカタマランで市場に参入しました。フランスも海洋王国でフオーミュラ40と呼ぶマルチハルのプロレースが桁違いの投資でスピードを競っています。
オーストラリアもブリスベーンがグレートバリアリーフに近く、多くのマルチメ一カー、クラウザー、シンプソンがリードする中、イアンファリアーが簡単に折りたためるスポンソンを持つトレーラブルトリスを発表して、3Uの1992年のメジャーレースを総なめにして驚かせました。
しかしマルチへの偏見がこれで解消したわけではありません。
ワールドクルージングサーヴェイでのアンケートでもモノハルオーナーで理想の艇としてマルチを指定した人は皆無でした。
マルチオーナーの大部分が'無知な'初めてヨットライフに参入する人なのも、セールスマンも同じでセーリング経験があっても殆どがモノハルでマルチは噂(完沈ボ一ト)でしか知りませんから顧客には勧めないでしょう。ヨットマン(又はウーマン)がいかに'転覆'に拘っているかの証しでしょう。
モノハルは転覆しないがマルチは転覆する最大の関心事があまりに強いのでアメリカのUSN、USYRU舟艇技術研究協会が協同で調査したことがありました。
何百とゆう転覆例から転覆の頻度はキャットよりモノハルが多かったのを突き止めましたが普及艇数や海況から統計価値はなかったのですが、よく設計されたクルージングキヤットはスタビリティではモノハルより高く転覆だけをとればモノハルより強いのが判明しましたが、問題はその後正立するか否かで再び堂々巡りが繰り返されるのです。
謂えることは、正立しても自力航行不能と沈没リスクは急増する事です。転覆しても沈まない保証とどちらを採るかが間題なのです。
「マルチ?あれはヨットじやあないですからい、」この偏見は塩気のあると自負するヨットマンでは特に間かされます。喰わず物嫌いなのでしょうが。
我が国では相変わらずヨット後進国でマルチの人気はなく、キャットの投影面積が係留費の割高になるだけではなさそうですが。

最近の傾向はフネが大きくなり、陸の生活を海に持ち込みたい人々が増えている事でしょう。石油化学の進歩はFRPのヨットに貢献したのではなく、保守が楽なセ一ルやローブシートが普及した事なのです。色々なファーラー(自動装置)が開発されて45フィート艇でもひとりで操船が可能になっています。
陸は気体(空気)のなか、海は液体(水)の世界に侵入することなのにカタログにはチーク調(チークではない)ダイニングテーブルに書薇の花が活けてありワイングラスが並んで、ダブルベッドステータスルームに専用トイレットなどなど。このヨットはきっとコンクリートで底にボルト付けになっているのでしょうnどんなに技術草新があっても海は太古の昔から何ら変わってはいないのを忘れてはならないのです。
マルチボートもこの傾向を無視するわけにはゆかず、誰もがキャットの広大なブリッジデッキに眼をつけるのは当然です。そのスペースは正にテニスコ一トが出来る程ですから。
殆どのプロダクションマルチハルボートはブリッジデッキにキャビンを乗せています。
そうすれば特大なルームが得られセールスポイントの居住性を講歌できるからです。
(それを名古屋城の天守閣と云って笑っていますが)
カタマランの最大特徴はブリッジデッキは両ハルが支えて海面上高い位置にありますからそこに造形物を乗せれば必然的に水面から高い位置になるでしょう。中にはヘッドルームを確保する為にVボトル、デルタポッドとかセンターデッキ下部を水面まで押し下げたものも表れました。それぞれに有利性を謳っていますが大きな疑間です。
取り付け強度を保つ為ビームを狭くしてゆけばキャット本来の性能をスポイルするばかりでなく、波の突き上げで凌波性が劣るだけでなく転回性直進性も期待出来ず、乗り心地も阻害されるでしょう。フネは水に浮くもの、居住性と航洋性とは両立しないのです。
ヨットマンは存外保守派ですから、ヨットらしくない近代マルチの宇宙船まがいのエアロ
ダイアミックハルを毛嫌いしますが、空気抵抗を重視すればああならざるを得ないのです。
3−Sを追求するあまりマルチは少しずつ本来の姿から遊離してゆくように思われます。

マルチハルボートの特徴
いままで述べてきたように最大の迷信はマルチは反転すれば二度と正立出来ないことだ。迷信ではなく事実である。二十度以上にヒールし重心限界を超えれば、予告無しに反転倒立し修正は効かない。このひと言が全ての有利性をスポイルしてきた最大の理由で、マルチがオフショアボートとしてのアイデンテテイが無い所以である。
ヨットの錦の御旗、180度復元性は確かに素晴らしい性能で、ヒ一ルすればするほど乗組員に協力するように腰が強く挙動も激しくなくむしろ安定してゆく。これは荒天時ストレスが溜まるクルーには強い味方になる。
水面低く格座した板状の筏が横転する時は、コーヒーカップも無事ではいられない。
自己正立したモノハルでも、普通はマストを含むデッキフィッテイングは流出して航行再開は期待できない。万一何処かに僅かでも隙間(ハッチなど)があれば、瞬時に大量の海水が浸入して水舟になるだけでなく沈没する。例えばエンジン排気パイプ、ヴェンチレーション、ギヤレーやトイレの排水パイプなどもすべて密閉しておかなくてはならない(必ずどこかを忘れたのが不幸になる)。180度回転した時の器物の四散と衝突、クルーの怪我も起りうる。実はそのケースが非常に多く、起き上がり達磨は画に描いた餅で、不運はマルチを転覆させる波の頻度より多いかもしれない。
反転しても起立する性能か、反転しても沈まない性能かが間われる所以である。
吟味してデザインされたオフショアモノハルヨットは、荒天時に逆舵(ヒーブツー)かアハル(マストだけ)でスピードを殺してお祈りが出来るが、マルチは軽く平らだから海面に平行に崩れ波の浮力のない抱にも反応して滑る。
物理的に異なるこの二種のフネは、強風による余分なパワーをモノハルではヒールすることで逃すのに較べてマルチでは加速することで行うからエネルギーの逃し方が異なりマルチ独自の操船技術を知る必要がある。
荒天では嵐と戦う空元気より、瞬時も気を抜かないスポーツ的対応か、そのスピードで逃げて逃げて逃げまくる作戦が宣しい。
マルチは贅沢ともいえる欠点がある。
それは余り速いので前方海域が急速に狭まる事(リーショアの危険)と風圧抵抗を無視できない。クルージングキヤットが宇宙船のようなエアロキヤピンを持つのはこの為である。

ULDB(超軽量排水量艇)
マルチはキールバラストがないから分類ではUlDB(Ultra Light Demension Boat)となる。同じ長さのモノハルボートの1/3以下の排水量しかなく接水面積も圧倒的に少ないから速度の比較は出来ない。
モノハルヨットもレーサー界からこのULDB思想に染まっていったのは当然で、今ではスープ皿にやじろべえのような細く長いフインキールをつけた戦闘的なレーサ一が多くなって自立復元はおろか誰かの援助無しには沖にも出られない片輸のフネに成り下がった。
援助とはマリーナ設備であり競技レスキューで、衆人監視の中で颯爽と帆をあげる。
事実ヨットの察典アメリカズカッパー、ヨットマンの模範となるべきイヴェントで勝つ為の減量でマストのみならずボデーまで折損棄権が多発している。
困った事にはマリーナ族はスター選手とその華麗なフネがお気に入りだし最大のセールスポイントになる。加えてFRP艇はモールドに大きな投資が要るから売れないクルーザー専用雌型よりレーサー雌型に少し手を加えて内装だけ豪華にしてレーサークルーザーとゆう不可思議なネーミングで売りまくる。レーサーハルはレーテイングに縛られているから喫水線を如何に細くする'ルールブックをやっつけた'がデザイナーの腕の見せ所だからチーク調内装で飾っても走りは神経質(速く回転性能はいい)で航洋性がない湾内ディンギーのお化けになる。それでいいのだ、誰かが見ていて誰かが助けてくれるから。
モノハルヨットを選ぶには充分な選択が要る所以だ。
フネとは奇妙なもので、乗り手はフネに引きずられる。レーサータイプのフネではリラックスしてゆっくり走れないものだ。きっとスーパーカーでコンビニに買い物に行くようなものなのだろう。
開話休題
マルチは生まれながらのULDB艇だから良くも悪くもそのキャラクターで認識する必要がある。モノハルレーサーでも平均速度は5ノット+αだがマルチは7ノットは固い。
速ければ目的地に早く着くから積載品は少なくて済み、低気圧会合頻度も減少する。
軽ければ操船は楽だし(フネは長さではなく排水量で難易が決まる)搭載品のロープ、ハリヤード、シ一ト、アンカーは軽量になるし維持費も少なくなる。
一度重量側に振れるとそれは際限のないいたちごっこに陥って、フネまでが限度を超えて大きくなってゆき、とうとう一人では動かせずクルー集めで苦労する事になる。
マルチは速いとゆう妬みのほかに小型艇で動かし難い有利性がある。

アンシンカブル(不沈)
1992年酒に酔った間抜けが可愛い子ちやんを十人も乗せて三河湾に出た。やや強い風にフルセイルで粋がったこのスポーツカタマランは突然反転転覆し溺死者がでた。
「それ見た事か、マルチは波に弱い」と総攻撃をくった。
マルチは限界を超えれば(20度)瞬時に反転して制御はきかない。
20度のヒールといえばモノハルヨットでは普通以下の傾きだ。新聞は船内に閉じ込められた二人の女性を二時間後に無事救助したとあった。
これがマルチのマルチたる特徴なのだ。反転しても浸水してもバラストがないから軽く沈
まない。沈まなければ生き延びられる。


オーストラリアのトリマラン、ローズノエルがトンガへ航梅中ゲールに遭遇してキャプ
イズ。七名はそれから何と190目あまりも洋上を漂流して自力で接岸して救助されたが、当のクルー達は意気軒昂、俺達は逆さま男だと笑えたのは、マルチの最大の特徴である不沈構造の賜物で、キャプサイズしても飲料水食料が確保できたからである。
OSTAR大西洋単独横断レースでアメリカ人で最初で最年長で勝ったフィルウエルドは転覆したトリスガルフストリーマーで三日間救助を待って以後彼はUpside Down Manと言っていた。
キールバラストを持たないマルチハルボートは沈まない。加えて基本的構造から船体が分離しているし船内隔壁を作るのも容易である。浸水に強いのだ。

微風性能

クルージングでは必要以上に荒天遭遇が語られるが実際にその頻度はどの程度なのだろう。'待てば海路の目和あり'で天候を充分に把握した沖出しなら一生時化には遭わなくて済むだろうし多くのアマチュアでは強風より順風を望むだろう。
その証拠に近頃は湾内規則も出艇数からもエンジン機走の機会が非常に多くなった。
レースでない限り条件のいい時だけセールアッブしているのは当然のことだ。
フネが重ければそれだけ大きいエンジンが必要で燃料消費も多く30フィート艇で30馬力タンクは100リッター程を装備している。それで5ノットも出せれば上々なのは船体曲線からも致し方ない。機走性を望んでモーターセーラーを選べば二者両立せず走らず停まらず曲がらない最悪の選択だと気づくだろう。
マルチハル艇でこの大きさなら10馬力もないアウトボードエンジンで充分で、少し大きいのを積めば滑走するだろう。
軽いULDBだから僅かな風に反応する。マルチの微風性能は素晴らしい。
クルージング日和は10米以下の風が実に多いのに気づく。15米ではデッキ満載の客人とサンデーセーリングは責任が持てない。
嵐と戦った武勇伝がもて囃されるがその遭遇頻度は一生にあるかないかないのだ。ストームセールを持つクルーザーはとても少ない。
8トンのフネを心地よく押せる風は現実にはそう多くなく、もっぱら微風で遊ぶわけだが重厚な外洋艇では重すぎて動かない。
特に憧れの南の海は無風帯で低気圧の縁を探して走る海域ではないから微風性能が良くなければ宝の持ち腐れになろう。もめ事が起こるのは嵐の中ではなく無為に過ごすカームの時なのだ。
外洋の風はほぼ一定して吹く。トレードウインドだ。
長距離クルージングでわざわざ向かい風のクローズホ一ルドで走りたい人はいない。
モノハルケッチの切り上がり性能はスループに劣るが横風アビームで安定するから外洋航海で選ばれるが、マルチ特にキャットはケッチを凌駕するしクオータリーや追っ手でも振らつかず針路を維持できるのはダブルハルの恩恵だろう。疲れない。

ShoralDraft浅喫水

最近の遭難統計をみると、荒天による転覆沈没より衝突による浸水沈没が圧倒的に多い。
座礁も含め他船、流木、漂流物、海中生物、未知なるもの。
電子化した本船はヨットなどレーダーにも映らないからボートの残骸を引きずって入港した貨物船もある。
モノハルヨットで船体に穴(窓、ハッチも含む)があけば自重の圧力で一秒数十トンの海水で水舟になる。復元も何もなく本来乗負を救うはずのバラストウエイトの為奈落の底に引き込まれる。鉄則は浸水が始まったら如何に素早く脱出しボートから離れ筏(ライフラフト)に乗り移るかが勝負となる。
マルチは異なる。反転してもなるべく本船から離れないでチヤンスを待つ。艇さえ水面に確保できれば、わざわざ頼りないゴムボートで漕ぎ出すことはない。
ちなみに30フィートのマルチの喫水は40センチ、排水量はlトンに満たない。
同じモノハルでは8トンで喫水は150センチ以上ある。
重ければ衝突ショックは倍加するし、喫水が深ければ衝突頻度は加速度的に増加する。
設備完備のマリーナ族にはわからないが、南海は珊瑚礁、暗礁だらけで水深は一瞬にゼロになる。環礁の中に入れば夢の泊地があるけれど喫水が探ければうねりの沖で振れまわしアンカーで夜を明かさねぱならない。
町はだいたいスワンプ(湿地)の奥にある。干満差もおおきい。
補給の為には進か沖からディンギーで往復する労働はやった人でなければわからない。
サンディング出来れば重量物も楽に搭載出来る。キャットは故意座礁で安定している。
マリーナの持つデリッククレーンは赤道周辺にはないだろう。自然とはそうゆう処だ。
船底清掃、塗装をするのにキールバラストがあれば不安定でこの作業は命がけになろう。
浅喫水は南海クルージングには殆ど絶対の条件で1.20メートル以上のドラフト艇には乗りたくない。最良のクルージングヨットといわれるジョー・アダムスも40フィート艇なのにセンターボーダーだ。彼も深喫水で泣いた男のひとりなのだ。

Initial Stability (初期安定性)

イニシャルスタビリテイ(初期安定度)が弱いと泊地でも揺れていて疲労する。
モノハルのスタビリテイは最初から縦の重心での釣り合いで保たれているから、やじろべえのように常時微妙に揺れているのは致し方ない基本性質なのだ。船酔いの原因にもなる。
クルージングの現実は帆走している時間は全体の30%もない。特にそれが趣味なら。
多くの時間は停泊しているか順風の目にセーリングごっごをするかなのだ。時化の沖にでるサンデーセーラーはまずいないだろう。
初期安定性がないと停まっていても揺れ易く係留地で船舶の航跡波でも人が乗船してきても揺れるのが近頃のレーサークルーザーと呼ばれるモダーンヨットに多いのは、レーティングを有利にする為に喫水線を絞り込んだ船形の為である。
マルチ特にキャットは水面に格座しているから揺れようがない。
平水域でのマルチはまったく揺れない。食卓のコップも倒れない。

モノハルボートの力学特性から申せば、マルチハルはジェット機とブロペラ機以上に次元の異なるヴィークルといえよう。

ドライ

構造上横幅があるから飛沫の侵入が少なくデッキはドライに保たれる。デッキ備品の収納も客易で物が水中に落下し難いのは乗組員にも肯える。縮帆も含めたデッキ作業の客易さはモノハルの比でないのはカタログ性能以上の効率がある。
考えられたキャットはブリッジデッキ前方を開放してネットを張ってあるが、これが素晴らしい。軽くて艇の負担にならないばかりかバウ作業の安全を確保するばかりでなく押し寄せる波もこのネットに当たって弱められる。
デッキ作業(特にバウワーク)で転倒すれば即落水だろうが、キャットには余裕がある。
荒天時に限らず、デッキが広い事はあらゆる面で有利なのだがこういった特徴はセールスには繋がらないのか一般には喧伝されないがヨットライフには大きな特典になろう。
35フィート以下のヨットデッキでは実際に寝ころぶスペースもない。湾曲したドグハウス、ウインドラスに占められたバウデッキ、コクピットに足を投げ出せるスペースはない。
だからヨットをフローテイングコッフィン(浮かぶ楕桶)と言ったら叱られるか。

保針性能

ロングクルーズでわざわざ逆風を突いてクローズホ一ルドで攻めたいセイラーはいない。
おおくが貿易風に乗った追い風かアビ一ムが続くものだ。
キャットは連続タッキングは苦手といわれるが横風性能と直進性能は抜群である。

マルチハルの欠点

長所は短所になり、短所は長所になる教訓は、マルチとモノハルの比較にも当て嵌まる。
マルチハルは言うなればULDB(超軽量排水量型艇)がその性格なのだ。

オーバーロード

過積載は性能を左有させるだろう。lトンの自重の艇にlトンを乗せるのと8トンの排水量艇に1トンの荷物を載せるのを比べれば自明の事だ。
操船の難易と疲労は艇の全長ではなくその重さだから、40フィートで2トンのマルチは30フイート9トンのデイーブキール艇よりずっと扱い易いのだが、マルチはモノハルの半分以下の排水量だから広いスペースを過信して積み込み喫水線を下げれば途端に泥舟以下になるだろう。マルチは外観から想像する程積載能力はない。

シビアなスポーツマインド

操作に当たってシビアなスポーツマインドが必要なのは、荒天遭遇時だけではない。
シビアな操船とは縮帆タイミングと回数が増えるだろうし、船型からベアボール(マストの風圧だけで走る)やヒーブツー(逆舵で一点に止まる)は得意ではない。マルチにはシーアンカー、ドローグなどの流し錨を常備すべきだ。
軽いから横流れや汐に持っていかれ易い。風圧も居住性を売る為にトールボーイ、高いドグハウスをセールスポイントにしたカタマランなどは使えないだろう(構造上ブリッジデッキ上にスペースを求めればキヤビンは高くならざるを得ない)。
クルージングセイラーは案外いい加減な人が多く、やたらに物を積み込んだり、セイルチェンジをしなかったりフネに任せる傾向があり、モノハル排水量艇は乗員に協力するように融通性がある。いざとなったらキャビンに寵もってお析りすればいい信頼感があるがマルチではいまいち安心出来ないのはその特徴である加速力と滑走性なのは皮肉だ。

スケールの法則

マルチハルはスケールの法則にもシビアで、小型になる程本来の特性が失われるとゆう。
プロセイラーは40フィート以下のマルチには乗りたがらないとゆう。
転覆への耐性も小さいほど弱くなり、特にパンチング(波が船底をうち付ける)が激しく非常に乗り心地が悪くなる。

バウ沈のリスク

限界を超える帆走で、急激に風上に切り上がり修正も効かずにバウ(船首)から斜めにキヤプサイズするケースが起こる場合があるのをバウ沈とゆう。(スケ一ルの法則が当て嵌まる)これはマルチの細い船型から予備浮力(Ibse Buoyancy)が少ない為である。ハルの前後には空間隔壁を設ける必要がある。

リセイル

マルチハルボートの中古再販はきびしい。まだ偏見がある事とマルチハルの自作はモノハルより容易で自分よがりな自作艇が多いからかもしれない。中古艇購人にはモノハル以上の留意が要る。

キャットとトリス

好き好きで優劣はつけがたいが強いて申せばトリスよりモノハルボートに近い。トリスの方が上り性能がいいとかキャットの居住性をとるとか言っても差は少ない。ただしクルージングトリスの条件は平水状態で左右アマスが接水している事で浮力が総重量の120%なければならない。この事はトリス本来の性能を大きく阻害する。

3Sの過信

残念ながらマリーナで異彩を放つ白く輝くばかりのクルージングマルチハルボートは、あまりの'3S'のためにシーワージイを忘れたボートが目に付く。
スペース、スピード、スタビリティは両立しない。マルチの投影面積を過信して居住性を求めたボートが多すぎる。
ではマルチのマルチたる最高の姿とは何なのだろう?それは明らかに原点に帰ってマウイ・ポリネシアダブルカヌーの叡智に近ずくことなのだ。
水面に限りなく近く舵を取るのが本当の意味でのシーマンである。

註:図面と写真はMultihulls Derek Harrey The Sailing Yacht Juan Baader 他 から引用させていただきました。

(終)

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2006-08-27作成

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