友人たちの論文集

第1講 インドネシアのセーリングボート 絵と文 庵 浪人

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このページは友人である著者庵浪人氏の許可を得てここに掲載するものです。


ボロブドゥール寺院の浮き彫り

インドネシアは赤道を東西にインド洋から太平洋に跨る広大な海域で世界有数の巨大島を含む万余の島々を散りばめて横たわる群島地載で、海域もマラッカ、リアウ、ジャワ、マカッサル、フロレス、バンダ海など書ききれないほど多く、モンスーン季節風帯の主要島嶼間は国営Peruniの連絡船で結ばれていますが、離島はこの海域独特のセーリングボ‐トが往復し、沿岸では海風陸風に乗った昔ながらの多くのアウトリガーカヌーが漁労に使役に従事しています。

【海況】

赤道を挟み南北約2000km東西5000kmで連なる大列島の周辺海況は赤道無風帯に属し概して平穏、11月〜4月が北西風雨期、5月から南東風乾期モンスーン熱帯 多雨気候ですが東にゆくほど乾燥してゆきます。
台風はないものの天候は非常に局地的で、激しい上昇気流による豪雨雷雨はまさに馬の背を分けるようで海上では突風、竜巻が発生し気温は急激に低下します。
そんなわけで天気予報は用をなさず、観天望気に頼るしかありません。
豪雨の激しさで大波が叩かれて静かになることすらあり、押し流された椰子の大木などが海面スレスレで漂流していて小型船にとっては非常に危険です。
ジャワ南岸沖ではいわゆる凪ぎ時化、快晴無風で南極からの大きなうねりが船乗りを悩ませます。
海流は弱いけれど局地的な激しい潮流が見られます。スンダ海峡、ロンボック海峡やスラウエシ南端ビノンコ岬など、マラッカ海とバンダ海の入り会いタリアフ、マンガレ島のチャパルル水道の潮は10ノットを超えると聞きました。
干満差も激しく、アラフラ海は浅くパプア・アガツは半端ではなく日に二回町が水没します。
海岸は珊瑚礁かマングロープスワンプで船舶の接岸は困難です。

珊瑚リーフの特徴は水深が急に立ち上がる事でデプスメーターが役立たない事が多く、氷面の色や白波に充分な監視が必要です。
海底鉄鉱右鉱脈なのかコンパスが効かない海域があると聞きましたがまだ逢っていません。衛星航法は赤道周辺での衛星仰角が低く精度が悪かったようですが現在その数も増え回復したことを願います。
航路標識、灯台は整備されているとは申せません。チャ‐トも半世紀以上も前の旧オランダ時代のものが多く、珊瑚礁では暗礁だけでなく島が生まれたり沈んでしまったりするので信頼性に欠けます。
首都ジヤカルタの入り口タンジュンプリウク港のダマール灯付近でさえ、ニルワナ礁は消滅してウピ礁などが新しく生まれてもチャートには記入されていません。
スラウエシ・トミニ湾トギアン諸島のウナウナは80年代に噴火消滅しましたが海図は未記載ですし、先年東カリマンタン・サマリンダ北の大ジャングルが山火事で焼失、焼け跡は多くの島の集まりだったのが判明するなど浮き世離れしています。
観光で有名なバリ・ベノア港の標識灯もお粗末で、夜問不慣れな入港は勧められません。
港湾は主要都市に隣接していますがすべてが役務専用で輻輳しています。
小型漁船は通常は河口などに自然係留しています。
水上警察、コーストガードの取締りは巌格で特に外国人遊船への理解はないようです。航海許可取得など許認可も決まった行政法はないようです。
以前、帆船はマストー本にアワク(クルー)ふたりが規則だから二本(ケッチ)で二名は違反だと咎められた事がありました。
Sa-Bandar (港湾局)などで観光目的銃砲麻薬不所持のスラットジャラン(通行証)を発行して貰うのがいいでしよう。
ヨット用品はなくすべてが本船用部品です。補給施設はないので飲料水も含めその都度調達しますが、鮮度や純度にも充分な注意が肝要です。盗難も多い環境です。
辺地でヨットは異物であり闖入者です。習慣も異なりますから万事控えめに。
マラリア、シグアテラやその他の感染症や中毒症や化膿には一定の留意が要ります。
辺境ではヨットは闖入者でしかなく、習慣も異なりますから控えめが肝心です。
それらをカバーしたら、インドネシアはインド洋からオセアニアに跨る三百以上もの民族が住む世界最大の海洋島峡国で世界に比較できる地域はありません。

中部ジャワのワジャク遣跡のワジャク人は沖縄の湊川人と酷似しています。
鹿児鳥県で新しく発見された遣跡はその骨格、磨製石斧石器からワジャク人が北上したとの説が有力になりました。この道具は切り口が湾曲していて丸木舟を刳り抜くしか用途がないからです。黒潮に乗って点々とその痕跡があります。
インドネシア各地にはそのルーツも忘れ去られた船形遣構が数多く残っています。
バンダ海カイ諸島のヌフロア島の石造船形遣跡、最東端タニンバル・ヤムデナ島のサンギラ・ドル遣跡は丘の上に精巧な彫刻が施された船形石像とそれに続く長い石階段が海の底まで達しています。南太平洋最古の土器文化人ラピタ遺跡出土の人面紋様はこの島の人々が持つ金細工の伝統人面模様と酷似しているのもポリネシアヘの発進基地だったのではないかと遥かな南太平洋に想いを馳せさせます。
地方の舟形屋根を持つ郷土家屋は珍しくなく、南スラウエシ・トラジャの屋根は大きく湾曲した船形で、そのすべてが先祖が来た西を指して建てられていますし、スマトラ・ニアス島の集合住宅はそのまま船の形ですし、甫スマトラ・ランプンの伝統織物は必ず大型船と水夫がモチーフになっています。

【ボロブドゥール石版画】
ジャワの有名な十世紀仏教遣跡ボロブドールの万余の石版レリーフには四枚の巨大交易船が鮮明に彫られていますが、これは福州を往復した崑崙船と呼ばれ二本マストに数十人が乗り組むアウトリガーを持つ大型構造船です。
モジョパヒト王朝は現在のアセアン地城より広大な覇権を誇っていましたから海運も現在の調査より余程発達していたと思われます。
トランポン(浮き子)の上で作業する男がいますが、我々の知らない何かの技術(取り付け法)があるのかもしれません。

中国南海交易は元の侵攻(1293)など活発で明の鄭和遠征がその全盛期(1405)で前後七回二万人三百隻の大船団は、再年後のヴァスコダガマ東征は遠く及ばない偉容で、長く続いた関連から沿岸各地にはその証しの陶器が無数に発掘されます。
大航海時代の暮開けは取りも直さずこの地域に自生する香料とりわけ丁字とナツメグ、胡椒の発見独占が目的でしたから四百年以上にわたった西欧船団の往来があったわけで、その影響は現在でも船の形に痕跡を留め、多数の沈船が海底に眠っています。オランダ植民地峙代の宗主国間航海での遭難率は往路6%、復路3%、387隻を数えるとの記録もあります。

【インドネシアのセーリングボート】
インドネシアの木造帆船を語る時、先ず浮かぶのが南スラウエシマカッサルの造船海運王国です。
古くから東インドネシア・バンダ海遠くオーストラリア・アーネムランド沿岸の富の集積地として中国南海交易から西洋簒奪者などの影響で海運水産が発達し、多くの船が造られ使役されてきました。

【ピニシ】
いまや共和国を代表するトラディッショナル使役帆船で、カリマンタンの材木を満載して喫水深く、トップスルを風に飛ばされながらスンダクラパ旧捲にアプローチするその優美な100フィートスクーナーリグは一服の絵でしよう。
ピニシは航海民族南スラウエシ、ブギス・マカッサル人の誇りでこの島にしかない耐腐食性柔軟性のパラピ材でハルから造り天然曲がり材フレ一ムをはめ込む工法は独特で、艤装にも各所に海域に適含した英知が溢れています。舵はダブルラダーで浅瀬では両舷の舵を高く掲げてオシドリの尾羽のように優雅です。なぜかオリジナルセールは緑色なのです
船形からどう見てもイントネシア固有の船ではなく18世紀あたりに西洋のシップを雛形にして造られた形跡が感じられますが出生を知る人は誰もいません。
ピニシはカフリグ、ブームレス、スリーフォアセールが基本ですが、スマトラに移住した彼等がそこで造るマルコーニリグの'ナデ'は材質から耐久性に欠けるそうです。
近年になって発動機導入が加速された時期、気骨のある船頭は船底に穴などあけられるかとスクリューを拒否していましたが、体勢には抗せずミズンマストを持つオリジナルは影を潜め、90年にオントリオール万博に自走参加したピニシ・ヌサンタラ(祖国号)が最後と云われます,ピニシに憧れる人々は多く外国人が祖形を発注するケースもありますが、ピニシはやはり周辺の物流に貢献している姿がもっとも存在感があるようです。

ウエブオーナーの収集したカラー写真はこちら

【ランボ】
ピニシの故郷は南スラウエシですが、この地方は古くから海運中継点であっただけではなく、なまこや飛び魚漁業が盛んな海洋国で、その船種も多彩です。
ランボは中型の使役船で西洋色が色濃く反映しています。リグはスループ、ケッチなど様々です。

【パトラニ】
飛び魚漁に従事する小型の船でその装帆が独特のスクエアセールは前出のボロブドール時代からまったく変わっていないのが驚きです。
自然環境は不変ですから基本形が確定すれば未長く先祖を踏襲するのに何ら不思議はありませんが。

【サンデック】
小型カヌーには腕木付きトリマランが多く、各地方により呼び名は様々です。
サンデックは南スラウェシ・マンダール地方の舟でカヌーとしては大型で毎年マカッサルまで100海里のレースが行われるので有名です。

【ゴレカン、ジャンゴラン】
海運一方の雄東ジヤワ・マドウラ人の用いるモノハル帆船はその独特の装帆で眼を引きます。

マルチハル複胴船
小型セーリングボートは基本的にはダブルアウトリガーにラッテン三角帆を付けた伝統的なカヌーで漁労が中心ですが、地方により過去数百年まったくその装帆を変えない古典的な舟も散見されるので、好事家の学習には格好の舞台を提供します。
南アジア一帯から遠くオセアニア海域に広がる独特の船形のダブルカヌ一の面影、現役のシングル、ダブルアウトリガートリマランで太古の昔この海域で完成された暗示があります。

コレコレ 既に伝説になったマルク州アンボン地方のコレコレ戦闘船は数十人の漕ぎ手がアマス(浮き子)に跨って櫂を使う快速船で、18世紀オランダのルーデンが描いたのを1878年ホリッジが復元したことがありました。

パガン
ジャワ海には巨大なカタマランが浮いて小さい帆で少しずつ移動しながら、ブリッジデッキから網を入れる漁労で、これはバガンと呼ぶ海面に四角櫓を立てて網を入れる漁法に変わっています。
時化では小さいカヌー数隻が互いに船体を連結して結び舟を保持しています。
プランポン(筏)漁法は大きな筏を深い海底に錨で固定して筏の作る日陰や下に用意した木の葉などに集まる魚を捕る方法で、東インドネシアではよく見られます。
筏は舟の原点ですが、大河の傍らには竹で組んだ原始的な舟形筏が使われています。
ボートのリグは多彩で興味が湧きます。
極く小型のアウトリガーカヌーには伝統のラッテン三角帆が多くマドウラのジュクン、ジャリン、ジャワのリスアリスや近頃はバリの観光舟に使われています。
スクエアセールは前述のパトラニのほかジャカルタ湾のマヤンに揚げられています。
これら小舟の名前は様々で地方によって外観は少しずつ異なり、使用者自身が知らない場合も多いです。
船首尾に派手な色彩スプリットを刻んでいる舟、眼を画く舟も見られるのはヒンドゥかサンスクリット様式の何かの謂われがあるのでしょう。
船名は単純な名前が多くハラパンジャヤ(大志)とかティモールダヤ(東の力)、人名、女性名は稀です。

帆走船はアウトボードエンジンに代わってゆくのは致し方ありません。新しい船型とそれに相応しい呼び名が付けられるようです。
キールフレームも自然木の曲がりをそのまま利用して釘を使わないと驚かされたのですが、単に買えない土地だっただけで、用意出来れば進んで使用しています。
FRPの製作はまことに稚拙で木のコアにガラス繊維をフェノールかなにかで塗り固めるだけで新式工法と自慢していますが数年でオズモシス被害に遭うでしょう。
丸本舟はたまに辺地の浜で刻んでいる人に逢うことが出来ます。



註:図面と写真はThe Prahu Adrian Horridge Oxford Univ.press1985 他 から引用させていただきました。

(終)

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2006-08-27作成
2006-08-29 移動・修正
2016/09/11 転載

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