堺屋太一著「風と炎と」

はじめに

 近年自分の人生についで漠然とした不安を持ち続けておりその不安の根元は何であろうかと追求し色々と書物漁りをした結果、堺屋太一著「風と炎と」に行き当たり、現在のところ「自分自身の不安の根元は近代文明への不信」であるとの結論に達している。
 近代文明への不信とは技術への不信と同義である。海外出張をして開発途上国の現実を目の当たりにして、その国の社会主観が技術発展に障害になっていることを現実に捕らえたこともあった。一方,我々と異なりハイテクや高所得の恩恵に浴していない途上国の下層階級の人達でもわれわれ日本人の目からはのんびりとして楽しげに毎日を過ごし幸福そうに見えたことに驚きもした。
 技術発展の成果は生産量の増加及びコストの低減に現れ、経済規模が拡大した結果、所得の増大に寄与することが言われている。しかしながらほとんどの途上国ははっきりとした階級社会であり、上流社会と下層社会ではその収入格差から生活も教育も全く異なる。主に技術の発展を基盤とした経済発展による収入増加分は上流層でその恩恵を殆ど吸い取ってしまい下層階級にまではその恩恵はほとんど届かない。その結果貧富の差がますます広がってきている。本来、技術というものは人間を幸福にするものであり、技術革新に伴う効率の向上ということは生産性を押し上げると共にその国民に高い収入を導くものでなければならないのにもかかわらず、途上国はおろか先進国日本においても事実は読者諸兄がご覧のように必ずしもこの通り進んでいるとは思われない。
 筆者ははしくれながらも技術者であるがために技術への不信ということは自己の存在の否定とも言い替えることができる。毎日の仕事が実際に人類全体のためになっているのであろうかという不安がいつもつきまとっている。自己の存在を否定しつつこの世界に存在していていいのかという点がまだ筆者の心の中で未解決なのである。
 現在変化しつつある世界が今後どのようになっていくのか、今と近未来の時代を担っていかねばならないわれわれは何を基本概念とし毎日の生活の中で何をどう貝体的に処理して行くかもこの本の中で問いかけられた。
 ちょうどこの本を読み始めた時に勤務先の資料室の泉室長から読書感想文を書かないかと誘いを受けたので、筆者と同じように将来に漠然とした不安を抱いている読者諸兄のご参考になればと考えこの本の抜さ書きを捧げたい。著者の堺屋氏がこの著書の中で言おうとしていることと筆者がこの本から読み取ったことの間には大きな隔たりがあるかもしれないが、これは筆者の浅学が馬脚を現したものとして解釈していただきたい。
 「風と炎と」は4 部に分かれていて産経新聞社から1991年7 月に発行された本である。全部で千ページを越える大作であり筆者の頭では少ないページではまとめきれないので、この本の記事の順に従い4 部に分けて内容を紹介したい。
なお、小見出しは筆者が付けたものであることを予めお断りしておく。

第一部 今、世界の風は

●啓蒙官僚主導体制の欠陥
 もともと人類の家庭には三つの機能があった。第一は感情的に自然であり経済的かつ安全な消費共同体としての機能、第二は農地の相続などのための資産共同体としての機能、第三は職業訓練と社会的交際術の教育機能であった。今日はこの第一の機能のみが生さながらえている。ふたつの重要な機能を失った家庭が個人の感情だけで維持できるかが現在問われている。
 近代教育とは近代工業社会に適合する人間を作り出すことを主目的にしている。すなわち現代の子供達は人生の最初に目的不明のまま一般教育を詰め込まれることになる。
 日本では明治維新の時に全人口のうち男性40%女性25%が教育を終了していて読み書き算盤が可能であった。
 1989年の予算からみると国費と地方財政を合わせて教育関係公費が18兆9千億円に達している。
 この年の進学率を見ると高校進学率が94%、大学短大への進学率が38%、米国では大学に数えられる専修学校へは17%となっており高等教育を受けたものが50%に達している。
 このため受験競争がきびしい上に画一化した日本の教育は一般的な知識や技能を持った大衆を育てるのには適しているが個性と独創性に富んだ人材を育成することには惨めなまでに失敗している。一方個性重視の欧米教育では近代社会に必要な一般的知識などを全員に徹底することが難しく社会からの落ちこぼれが多数発生している。
 日本では貧しさへの恐怖が学習の意欲と教室の規律を保たせているが、また青少年の近代への不安が教育の荒廃を世界的に招いていることも看過できない。学校はこの青少年達の不安に答えていない。

●世界秩序概念の喪失
 一定の規模がなければ軍事的防衛も行政効率もはかれないという現実の政治理論と、ある程度の国内市場がないと近代工業が起こせないといった経済理論から20 世紀の前半は大国の時代であった。大国内では部族の感性や宗教的相違は無視されてさていたが、この数年前から感性や宗教的相違からバルト三国やユーゴスラビアに見られるように大国内での分裂と内紛が続き小地域ごとの独立が相次いだ。社会主義陣営が崩壊したことにより東西対立と冷戦構造がなくなり世界の軍事構造が一変してしまった。従って冷戦状態をベースとした新世界秩序の理想が米国の戦略の中から消えてしまったことで米国は政治的には後退を余儀なくされた。この米国的発想から生まれた世界秩序は西側の国際秩序を世界に広げることであった。しかしながらここ数年に発生したイラク軍の領内クルド人への弾圧やユーゴの内戦には米国型の秩序は適用できなくなってしまった。この秩序は米国が経済的にも最強の時代の概念を西側秩序としたものであった。
 しかしながら米国内では高賃金を出しても優秀な労働力が集まらないことから米国の企業経営者達は海外に工場を立地した。その結果として経営の知恵と才能が製造工程に入らないだけならともかく米国の製造業が弱体化してきた。 1990年頃には全製造業従事者数は全就業者数の20 %を割り込むこととなった。「近代」が規格大量生産型の製造業に支えられた時代であったとすれば「最も進んだ資本主義国」の米国では既に近代は終わったことになる。目を日本に向けてみるとおりしもバブルの時期であり日本人の目はパプルのみに捕らわれており、湾岸戦争の時の拠出金のチビチビ出しなどはこれが日本にとっての「新世界秩序の形成の第一歩」であることを理解していなかったことを明確に示している。

●バブルの功罪
 話は横道にそれるがここで興味あるバブルの発生の過程とその影響について少し話を進める。バプルは経済が長期にわたって高度成長を遂げた最終段階で必ず起こるものである。それは経済の高度成長によって所得が高まり、貯蓄率が増加する。この貯蓄により先行投資が増大しさらに経済が発展する。この発展によりさらに貯蓄率が高まり高度成長の循環が発生する。しかし所得の伸びには必ずと言っていいほど消費が追いつかない。たとえば車をたくさん買ったり数倍の食料を消費でさないからである。消費の伸びが緩くなったときに実質経済は頭打ちになり設備投資が停滞する。さらに資金需要が過剰になるために余剰資金による投機が盛んになる。バブルは今回だけではなく過去にも1847 年の英国、1910 年のドイツ、1928 年の米国で発生しており世界中を不況に巻き込んだ。日本の高度成長にともなう円高不況を解消すべく行われた日本の極端な金融緩和政策は大量の余剰資金を生み出しこれがバブルに拍車をかけたことは否定できない。ちなみに1990 年初めから1991年末までの間に上場株式時価は610兆円から370兆円に減少し全国の地価は2300 兆円から3 割以上も下落した。このバブルと日本的な集団主義により日本人達は社会倫理を失ってしまった。すなわち3K や外国人労働者の流入に代表されるように日本人の職業観や勤労観を変えてしまったのである。一方バブルには悪い面のみならず良い面もあったことを見逃してはならない。信用創造から外国の土地や企業を買収することができたことのみならず、低金利資金が潤沢に利用できた金融環境から特にハイテク産業に対する先行投資が進んだことがいえる。

●貿易不均衡と官僚主導体制
 日本にとって世界構造や国際秩序は自分達でつくり犠牲を払って保つものではなく外から与えられるものだという発想が続いていたので戦後は全て対米追従政策がとられてきた。それには第二次大戦の時の経験が響いていることは否定できない。われわれが思っているほど産業全体に見ると日本の生産性は高くない。米国、力ナダとフランスに比べて2 割以上日本の生産性は低い。現在の経済繁栄は就業率が高いことと長時間労働の結果である。ちなみに日本での就業率は49%、スーデンでは52 %、米国では47 %、西独では45%である。日本では平均年間労働時間は2116時間であり米英より1 割、旧西独より三割以上長い。 日本は「工業モノカルチャー社会」言葉を変えれば「経済大国」ではなく「工業大国」なのである。終身雇用の慣習から不況にともなう解雇ができず、赤字覚悟の輸出にせいを出さざるをえなくなるのである。したがって景気が後退すれば輸出が延び貿易黒字が急増することになる。貿易黒字の削減のため内需振興をはかるとバブルが発生したり大蔵省が財政支出による需要創造を拒むために金融緩和政策に頼ることになる。大きな貿易不均衡とバブルは終身雇用集団主義と総合調整できない官僚主導体制から発生している。官僚指導体制が強いということはすべてが官僚間の折衝で決定されてしまい、従って議会政治家の権限はきわめて限られているということである。議会が官僚をコントロールできなくなっている今の状態では法律の範囲をはるかに越えた「行政指導」が官僚達の恣意で行われたりしている。日本では国会の審議を経ない制限や強制が行政指導の名前で広範囲に行われているのである。日本は前世紀から生き残った「啓蒙的官僚主導国家」であることをこの事実は明確に示している。消費者主権の強くなる中でこの官僚主導の状態がいつまでいき続けられるかが問題である。今回の選挙で自民党が野党に落ちたのは消費者主権が日本でも強くなりつつある証拠である。

●技術の発展と啓蒙官僚主導体制
 18 世紀から19世紀に機械技術が発達し産業革命が起こった。産業革命によって近代社会が創生されたことはいうまでもない。機械技術の発達によって19 世紀半ば頃には生産設備などの資本材としての機械が実用化した。機械が消費財として暮らしの中に入り込んだのは20 世紀の大きな特徴である。機械を消費財に変えたのは米国の社会環境と天才達であった。米国はその成り立ちからしてもヒト不足でモノ余り社会であった。この社会環境の中では専門的な技師に頼むよりも各自が機械を操作する方が有利であった。素人にも使いやすい機械が次々と発明され、規格大量生産によって機械技術が飛躍的に発展し各家庭の内部まで機械が入り込むようになった。機械が大多数の家庭に侵入したことで一般大衆にも機械操作技能の普及がはかられたと共に洗濯機が家庭の主婦の労働を軽減したように家庭の空間と時間を機械に譲ることにもなった。また機械技術の発達はその高速化と効率化をおしすすめる元ともなった。効率的な機械の威力は製品の規格化と組立方式による大量生産でますますその威力を発揮するようになったのである。機械が生産現場に多数投入されるようになってその生産規模が更に大きくなっても必要な人手は生産量に比例しては増えなくなってしまった。すなわち少ない人手で大量の製品を作り出すことができるようになった。いわば効率化である。20 世紀はさまざまな機械を大型化大量化し安価な工業製品を普及させた時代といっても良い。この効率追求型の近代社会はデザインの国際化(西欧化)を世界に普及させた。その結果として民族色とその伝統を否定するような状態になってしまった。この近代思想は人間を唯物論的に捕らえあらゆるものに科学的客観的な最適規模があることを主張した。大型化と大量化は大衆への規格の押しつけともとらえられ、善良で有能な人民の官僚が決める規格の方が良いとの考えを生みだした。これが社会主義の元になっている。1929 年の大不況は世界的に人員と設備の削減を呼んだ。人員削減から失業者が街に溢れたのみならず購買力が極端に低下してしまった。この時には規格大量生産が完成しており、前述のように生産量が増えるほどには労働需要が増えなかったので、大量生産による供給増加に消費の伸びが追いつかなかった。この時も「バブル」でも述べたように経済が頭打ちになったために大不況に落ち込むことになったのである。

●技術の発展と物質文明
 第二次大戦後は核の恐怖から戦争を恐れる心理が世界中にあったことと、西側先進国に最強のドルとリンクする管理通貨体制があり大不況を避ける手段ができあがっていたから平和と繁失が長く続いたのである。経済成長率の数字は毎年ニュースになるが、ここ2000 年間の西欧の経済成長率が平均0.2%/年であることを考えると第二次大戦後がどんなに急成長を遂げた時代であったかがわかる。戦後の特徴として長期にわたり高度成長が続いたことがあげられる。それは急激な生産量の増加にも関わらず深刻な資源不足が生じなかったためである。エネルギー資源としての石油は1940 - 50 年代に中東地域での大油田が発見されたことによって安くて豊富に入手できるようになった。この安価な資源によって合成繊維や農薬、化学肥料の生産とそれに火力発電量が大幅に増加した。どれもが安価で安定的に大量に入手できるようになったのである。合成繊維の発達は綿花畑と羊牧場の規模縮小につながり、これらの持ち主はおりからの農薬と化学肥料の大量供給の助けをえて小麦の生産に転換した。更に農薬と化学肥料は農産物の収穫を高め、人類を当面の食料不足から解放することとなった。安価な電力は従来電気料金が高かったため実用化されていなかったアルミ二ウムの大量生産を促し金属市況に大きな変化を与えた。例えば銅の電力線をアルミ二ウムで置き換えたりしたことである。
 資源が豊富で安価であることは人間の労働価値を高めることにもつながった。企業利益が増大することによって従業員の賃金が上昇し投資と消費が増加したとともに設備投資により効率的生産が行えるようになったため労働生産性が向上し更に企業利益が増加するといった好循環がでてきたのである。それとともに余暇時間が増えたことによりレジャーや情報が多様化した結果この分野での雇用が増大した。このように豊富で安価な資源の供給は資源や農産物輸出国の経済の悪化を招き先進国との経済格差がますます広がることになった。

●技術の発展への反乱と新代の芽生え
 このように物質的に幸せな近代の極潮期は1960 年代までであった。この行き過ぎとも思える時代にどう見ても効率的ではない頭髪と衣服をつけたビートルズに代表されるような合理主義への反乱が始まった。またマリークワントが広めたミ二スカートもそうであった。衣服は身体を隠すものではなく見せるためにあるべきであるという彼女の主張は合理主義への反乱をよく示している。この結果、衣服は合理的必需品ではなく主観的満足のための感性表現の道具として捕らえるべきだという考え方が世界中に広まっていった。建築や家具のデザインでも公害や環境問題と石油ショックにより近代からボストモダンの段階に入った。
 石油ショックによって世界中が石油不足におびえ、石油価格が高騰しその結果スタグフレーションにより世界の物価体系が激変した。更に資源多消費型の石油文明と自由経済体制への信頼がゆるぎ始めた。石油価格の高騰はイラン社社会にイスラム原理主義に代表されるような伝統的社会主観を招いた。このイスラム原理主義革命は第二次石油危機を引き起こしたのみならず、物質的豊かさを追求する近代思想が限界に達していることを世界中に思い知らせた。物財の量を増やすことは必ずしも幸せではなく、資源を大量に使うことが格好よいとは限らないという意識が石油危機によって急激に世界中に広まっていった。この意識により近代の価値観は急激に失われていったのである。
 自由経済民主主義の市場志向経済以外には長期的繁栄を保つ方法がなかったと20 世紀になって初めて人類は結論に達した。1980年代の経済活力と技術進歩は官僚主導型ではない市場志向経済への回帰によって育まれた。日本が本当の自由経済になりえないでいるのは高度成長に果した官僚主導の効果と冷戦構造下でえられた国際利益への惰性と甘えから抜け出しがたいからにすぎない。80年代の消費者が求めたものは主観的感覚的欲求の充足であった。この傾向により80年代に近代社会とは別の新しい消費者主権の市場経済が新生した。これをこの稿では「新代」と呼ぶことにする。

●人口の爆発と生産の不均衡
 ここで20世紀を振り返ってみる。今世紀が築いた財産の第一は生産力の激増とそれが生みだした固形資産であった。第二の資産はエレクト口ニクスに代表される知識と技術であった。今世紀始めに産声をあげた社会主義の理論と運営技術はすでに陳腐化し学説史にその名をとどめるにすぎなくなった。また人口の急激な増加も今世紀の特徴であった。ちなみに紀元前後には4億人でしかなかった世界の人口は20世紀始めには17億人に達し西暦2000年には62億人に達しようとしている。この人口爆発は20世紀後半の農薬と化学肥料による食料の増産によってまかなうことができたが、先進国と途上国との地域的不均衡が表すます拡大する原因ともなった。先進国の出生率が減ったのに対して途上国では人口が爆発的に増加している。西暦2000年には先進国と途上国の人口 比率が1:7になろうとしている。これは「食えないとこるでは人口は増えない」といった近代の常識に反している。人類の歴史の大部分の時代は全人口に占める割合が子供30 %、老人8%であったが1991年の日本では子供が18%、老人が13%にも達し高齢化社会が到来していることを示している。今までは近代社会の効率追求型から見た「好若嫌老」社会であったが「好老」社会に変貌する必要がでてきた。
 ハイテク技術の発達で肌年代の経済が繁栄したことは人類の増加発展に寄与したのみならず地域的な人口と生産の不均衡を一段と激しくした。これが経済難民を生み出す原因となった。また途上国の安価な労働力を使おうとする企業にも技術進歩(OA)化の波が押し寄せ、人件費の格差が有効ではなくなったことから途上国に工場を立地する経済的利点が減少した。これは企業の撤退を意味し途上国の経済を縮小する方向に進んでいる。従ってハイテクの発達は途上国の貧しい人たちから豊かになる機会を減じてしまったのである。同時に先進国での「立業」の職場を減らしている。たとえ先進国民といえどもこのようなハイテク時代に適応できない人たちは先進国の社会から落ちこぼれ新貧民層の発生が見られる。

●民族主義と途上国
 また民族主義の高揚は小国に分裂する方向に加速度をつける。国家が小規模になっても政府が必要とする官僚の数は国家の規模と同じ程度には減らせないことから、優れた人材が官僚機構に集中するともに生産現場には不足し、経済発展がますます遅れることになる。
 地球環境の問題も今世紀後半になって提起された。現在の世界中の炭酸ガスの年間総発生量は216億トンであり、1800年には275ppmであった空気中の炭酸ガスの量が1991年には352ppmに急増している。また森林面積の減少も今世紀後半には顕著であった。1950年代には年平均18万平方キロの森林が伐採や焼畑農業、さらに生活の燃料として喪失していった。木材の輸入を禁止して伐採量を減らし森林を守る案も考え出されたが、木材輸出国のほとんどは途上国でありこの国々が輪出激減により貧困化と失業率の上昇を招き更なる森林破壊を進めることになるので一概にこの案を採用することはできない。
 目由経済体制は自由市場が自然の摂理によって長期的には調和を生む前提に立脚していた。しかし最も基本的な人類の生存条件や、人口と生産力との不均衡、技術の進歩がコスト低下に結びつかなくなったこと、さらに人間が必ずしも客観的有利性を求める合理的な行動をとらなくなってきているといった点でこの前提がその基本的な部分で崩れてきている。ここ数年人口増加率の不均衡など自由経済が前提とした基本のいくつかが失われようとしている。これは「近代」の終焉と「新代の」始まりを意味するものである。

第二部 燃え続けた炎

●家庭教育と学校教育
 もともと人類の家庭には三つの機能があった。第一は感情的に自然であり経済的かつ安全な消費共同体としての機能、第二は農地の相続などのための資産共同体としての機能、第三は職業訓練と社会的交際術の教育機能であった。今日はこの第一の機能のみが生さながらえている。ふたつの重要な機能を失った家庭が個人の感情だけで維持できるかが現在問われている。
 近代教育とは近代工業社会に適合する人間を作り出すことを主目的にしている。すなわち現代の子供達は人生の最初に目的不明のまま一般教育を詰め込まれることになる。
 日本では明治維新の時に全人口のうち男性40%女性25%が教育を終了していて読み書き算盤が可能であった。
 1989年の予算からみると国費と地方財政を合わせて教育関係公費が18兆9千億円に達している。
この年の進学率を見ると高校進学率が94%、大学短大への進学率が38%、米国では大学に数えられる専修学校へは17%となっており高等教育を受けたものが50%に達している。
 このため受験競争がきびしい上に画一化した日本の教育は一般的な知識や技能を持った大衆を育てるのには適しているが個性と独創性に富んだ人材を育成することには惨めなまでに失敗している。一方個性重視の欧米教育では近代社会に必要な一般的知識などを全員に徹底することが難しく社会からの落ちこぼれが多数発生している。
 日本では貧しさへの恐怖が学習の意欲と教室の規律を保たせているが、また青少年の近代への不安が教育の荒廃を世界的に招いていることも看過できない。学校はこの青少年達の不安に答えていない。

●近代組織の変化
 日本だけでなく欧米でも企業倒産が急増していて、米国ではパンナムや百貨店の老舗のメーシーなどが倒産した一方デルタ航空やウォルマートチェーンなどの振興企業が著しく成長した。このことは自由経済の場では資産や伝統よりも経営者や技術者たちの人間的能力が重要になったこと示している。
 産業革命後に生産設備が大型化し一家庭でそれを購入運営するのが無理になり資本家が誕生した。さらに設備の大型化が進むと一資本家では無理になり株式会社が誕生してきた。近代の企業組織は資産(資本)こそが組織の原点でありそこで働く人は全て雇われ人であった。音楽でいえばフィルハーモ二一型ともいえる。
 近年情報や企画設計などの知価産業が発達してきた。この産業ではヒトの存在が企業の決定的財産である。これをジヤズバンド型と呼ぶ。

●勤勉は善?
 現在1949年と全く同じ生活をしようとすると両親と10代の子供二人の家庭で生活費が月に72,000円しか必要でない。収入の残りは他の消費に回されている。
 そもそも消費とは生存と繁栄のみに使われてきた。それが便利さに使われ始めて、余暇の発生から快過さを求める消費に変化し現在は見栄と体裁に消費が回されるようになってさている。この傾向は石油危機後に特に顕著に現れ消費がより主観的で体裁はより相対的になっている現況を示している。
 人間が本当に幸せであるためには自分の好きなことが実現できなければならない。そのためにはお金と自由な時間が必要である。賃金の上昇はともかく時間短縮が日本で進まなかった原因として貯蓄願望に代表される日本人の未来志向型の体質と労働を賛美する習慣からの勤勉は善であるといった性向があげられる。
 近代以前の人々は勤勉な労働よりも深い思索を重んじたが、近代社会ではこれと反対に勤勉は善であるといった思想が支配的になった。
 日本の人手不足と欧米の仕事不足の原因には関連がある。それは仕事の内容と要求される知識技能が細分化されると同時に人々の働く目的が大きく変わったからである。すなわち物材の数量よりも生活や仕事に体裁を求めるようになったからである。
 1980年代には所得の上昇によって生じる変化は消費量の増加ではなく消費する物品の高額化に流れた。
 職業が世間の評価を決める最大の体裁の要素になったことから、体裁が悪く高所得な仕事より体裁が良いが低所得の方がよいという風潮に流れてきている。この風潮は近代文明の「正義」である効率に対する懐疑でありこれは人類社会の根本に関わる重大な変化である。
 消費者の欲求が主観的な価値に向かうと生産も多品種小量生産に変化せざるをえない。
 また力タカナ産業すなわち知価産業が発達してくると大きな事務所や工場が必要なくなり小さな自分の作業場だけで用が足りてくる,すなわち職住近接で十分でありこのような作業場兼住居が新しい下町を形成してさきている。

●技術への不信と唯物史観の否定
 先進諸国では人口の高齢化が進むとともに健康保険への加入者が増えさらに技術革新による医療技術の進歩によって医療費が膨れ上がり国庫を圧迫している。ちなみに日本での医療費総額は1970年に3兆円、1980年には12兆円、1991年には22兆円に達している。
 そもそも近代社会での「技術進歩」とは単価の低減につながるものであった。しかしながら、下まで赤い林檎をつくる技術など何の品質改良にもなっていないのにコストアップになるような技術が70年代からは増加している。特にこの傾向が著しいのは政府が管掌している軍事、教育と医療産業に集中している。
 欧州の文明が世界に広まったのはそれか軍事力として具現化されていたからである。すなわち経済力と技術力に優れた先進工業国は軍事的にも強力であった。しかし朝鮮戦争やべトナム戦争さらにソ連のアフガン侵攻の結果必ずしも軍事力の強い国が戦争に勝つとはいえなくなってしまった。換言すれば最新装備の軍事力の有用性が疑われたのである。この技術力への不信は近代技術全般にわたる不信を生み出した。
 技術への不信は近代社会の大前提である技術神話を崩壊させ、未来に対する二つの考え方を生んだ。ひとつは高度技術社会または高度産業社会になるという「高度社会論」であり、もうひとつはこれまでとは違った規範を持った新しい世の中が生まれるという「新発展段階論」である。
 また、近代の規範が崩れるとともに民族感情、宗教感情、国民感情や住民感情で政治も開発も左右されることになってしまった。すなわち人間の主観を極力排除した近代歴史学の元である唯物史観を否定していることになる。
 中世の人々は感情と人間関係で価格が決まる方が普通であったが、近代社会では「一物一価」が適正と考えられている。近代は合理的精神から生まれた社会であり過去も合理的に解釈する歴史を作り上げた。このことによって近代人は現在過去の社会からも感情論を排除し、これを小さな個人的な問題として押し込んだのである。
 近代の自由貿易体制を支えた理論は各国の産業を特化することにより各国の繁栄をはかろうとする比較生産費説と生産コストが貿易を支配する自動均衡説であったが、大量生産によりその限界を越すと生産コストがかえって増大することから自動均衡説は否定された。さらにハイテクの進歩により生産可能な国が先進国などに限られてしまったことから自動均衡説は現実からかけ離れ全く陳腐化してレまった。
 ハイテク化された工業の国際競争力はたぶんに主観的感覚的要素を含むその国の社会文化による。
 また、為替レートは国際収支ではなく金利政策や投資資金の受給状態によって決まってくることと、人口と生産力が地域的に不均衡になってしまったことから自動均衡化論は完全に無力化してしまった。
 80年代に起こった技術の変化は労働の形態と就業構造の変化を招いた。「立業」をいとい人々の興味が実質的なものから遠ざかり始めた。これに従うブランド品漁りや土地価格の暴騰などは観念化記号化の必然的な結果であった。

●物質文明の発展
 農業が始まった時代「始代」は原始共産制であり、勤勉な労働は他人の働く余地をなくすことから評価されなかった。自然を克服する技術力が弱かったために収穫を左右する条件は神の意志と考え宗教的行事が盛んであった。
 農業が盛んになるとその収穫を遊牧民の略奪から守るために防衛隊が組織されそれが小さな国家としての形態をとるようになった。防衛組織の維持費の公平な負担をはかるために徴税組織が、社会不安を防ぐための治安稚持さらに公平な商業取引のための厳正な裁判組織が必要になった。生産力の拡大と保存技術の進歩が余剰農産物を生みだしそれを取り扱う商業の概念が発生した。また記録や通信のための文字の発見がこの時期の大きな進歩であった。
 中東ではBC2000年頃、中国ではBC1500年頃に灌漑技術が普及したことと金属の実用化が広まったことから可農地が飛躍的に広がった。ふいごと木炭による火の利用が進歩し金属精錬や焼結煉瓦などが大量に生産されるようになり自然改造が可能になったことが物財を重視する古代物質文明を育て上げた。
 灌漑技術の普及後数百年間で人間社会のあらゆる事項が変化した。これを農業革命と呼んでいる。労働については動勉は善であり事物に関する観察力が正確で緻密になった。
 農地の拡大にともない土地をめぐる農耕民族同士の戦いが増えそれが長規模・大規模化した。領域化した国家はこれに耐え得る軍備と財政的基礎が必要であった。またこの農業革命で原始共産制が破綻し私有財産と支配階級が発生したとともに大量の余剰生産物が発生しそれを扱う商業が発達した。商業の発達は狩猟民や遊牧民達を商業民族化し、商業に伴う通貨の発生と通商用法令の整備が行われたとともに私有財産保鹿のための法令も整備された。この時代の人々は物財に強い関心を持ち観察力と先見制に優れた人物を尊敬した。物財に関心を持つことは科学する心を育てることになった。
 労働力は「原動機付きの道具」と呼ばれた戦争捕虜や犯罪人たちの奴隷であった。奴隷達は劣悪な生活条件による老化の加速と性交制限による出生率低下から古代帝国末期には奴隷が不足するようになったが古代帝国の拡張期には戦争などによって充分な労働力の供給がなされていた。
 奴隷制が発達し奴隷制大規模経営が勝利するようになると土地の糾合が実施され中小業者は座業に転職せざるを得なくなった。働いただけ収入が増えるわけではない座業者の増加は豊富な物財を求めながらも勤勉の精神を喪失していき物質文明の衰退を招いてしまった。
 一方商業の発達は金融業の発達を促した。これは古代ではお金を「資本」と見る発想が定着していたことを物語るものである。
 古代国家に期待されていた機能は産業の振興と交易の拡大、経済的公正の保証であった。産業の振興は公共事業が多くもっぱら国家領域の拡大に伴う道路や水路の開発に重きがおかれた。商業については通貨の発行と法令司法の整備さらに土地と資源と交易路の確保が重要なものであった。

●物質文明の衰退
 古代と近代の相似点として物財の豊かさを求める物質文明であることがいえる。しかし古代帝国が地の果てまで征服し尽くしたとき奴隷供給と工ネルギー資源の限界にぶつかり家族一人あたりの物財を増やそうという意図から産児制限が盛んに行われることになり、性的道徳が退廃した。
 また古代帝国の領土が極限まで拡張したことによりロマンと想像力が喪失しさらに工ネルギー危機にも直面することになった。古代文明が早期に発達した地域でBC2世紀には森林が急減していることが指摘される。それは気象条件の変化と温暖化による砂漠化によるものも自然現象として理解できるが、家庭や産業用燃料としての森林の伐採と羊の放牧も大きな影響を与えた。森林の減少はエネルギー供給に困難をもたらし古代社会は工ネルギー危機に見まわれた。
 物財の供給に眼界を感じた古代人たちには分配の方法が重大な政治問題になった。分配量を重視する余り小家族化が進み産児制限を通じて人口が減少した。紀元前後からは古代物質文明の栄えた地域では顕著な人口減少がみられ、不足した労働力は人口が増加しつつあった周辺地域からの流入でまかなうようになった。古代末期の人口と生産力の地域的不均衡が甚しくなった時に古代は変質した。
 古代帝国の防衛力が弱まったことにより蛮族が大量に帝国領内に流入したことから緻密な現実観察力が衰退し写実美術や科学技術の進歩が停滞し美術や学術が様式化した。
 また蛮族の大量流入により生産現場から文明人が去ったことから物財そのものへの関心が低下し抽象的概念と空想的な情報へと興味の関心が移動した。
 主代帝国末期には兵役拒否が日常化し庸兵に頼らざるをえなくなったために弱体化しコスト引き上げ型の技術に走った。
 物財への関心が低下したことと軍隊が変質したことから未知への冒険心と商業路確保の情熱が失せ古代帝国はますます凋落の一途をたどった。
 人々が多くの物財よりも多くの余暇を求めていたことはローマ帝国末期には年間労働時間が1400時間であったことからも分かる。
 またエネルギー不足が一般化したことにより質素で謹厳なストア哲学が拡大し清貧と思索を好むキリスト教がローマ貴族達に流行し始め、ますます帝国の経済規模は縮小した。
 歴史とは人間の営みの記録から文化や文明の流れを探りその根底にある原因を求めることである。別な観点から言えば現実を人類史の中でどう位置づけるかである。
 中世初期には技術が後退したことにより経済水準が低下した。これから民族大移動による古代文明の中心地が破壊された上に清貧を好むキリスト教が広く布教されたことが指摘されるが民族大移動のずっと以前にローマ社会とローマ人の発想が大きく変質していたことがより重要な原因である。
 古代には言語や数値による正確な情報交換が行われておりこれが人々をして機能別組織を育成させたが、中世では雰囲気を伝えるトータルメディアとしての共同体組織としてつながっていた。よって権威化した社会主観を重んじ自らの感覚や経験を中世では軽視するようになった。
 中世には物価が一律でなく労働賃金の成果で定められなかった。

●日本の古代
 おりから中世に入りかかっていた中華文明圏のはずれにいた日本はAD5世紀頃に古代物質中華文明と同時に中世思想も輸入した。
 この時から矛盾した二つの文明から自分に都台のいい部分だけを両方から抜き取って採用する「ええとこ取り」が始まった。
 動勉な労働が物財の供給を増やし生活を豊かにすることを知った日本列島の住民達は急に古代物質文明に目覚め土地開発と領域国家の形成に励んだとともに対外活動も活発化した。
 仏教の渡来は538年と言われているがその前から仏教は日本に進出を行いこの年に公認されたと考えて問題ない。聖徳太子の神仏併信は「ええとこ取り」の最たるものであり日本人から文化を体系的に考える発想がなくなった。
 大仏造営に代表される国家的大事業がわずか十年で完成した背景には古代文明にそくした分業体制に徹した機能別組織があった。記録によると大仏造営には2,603,638人日の労働力がかかったとのことである。
 文化を体系として考えなかった日本人はまず形式を重んじ中国の都を真似して平城京を建設した。この時代に大仏造営や東大寺の建設などのように効率的建設工事ができたのは官僚組織の物質崇拝の思想からであった。
 しかし大仏完成の直後から日本全体としても物財供給の伸び悩みがはじまり、水田化可能地が開発し尽くされ古代が終わった。世界の古代文明の多くは工ネルギー不足によって滅亡したが日本の古代は土地不足で衰退したのである。
 技術の停滞と開発余地の喪失によって物財供給の限界を感じたとき日本人も様式美と信仰に埋没する中世を作り上げた。

●中世の技術と経済発展
 西洋では12世紀にめざましい経済成長と技術進歩がみられた。これは第三回十字軍によるイスラム圏からの新技術と組織原理の導入と11世紀の温暖化による開墾可能地の拡大があったからである。この結果として12世紀ルネッサンスが開花したが俗悪な物質主義の浸透と考えたフランチェスコ法王の清貧の哲学がこれに打ち勝ち経済は停滞し技術進歩は停止した。この時期から十字軍は度重なる失敗を続ける。
 欧州では14世紀中頃にペストが大流行し人口が激減したことによりヒト不足モノ余り状態になった。この状態は働くものに有利に土地を支配するものに不利に作用し中世的身分制度が動揺し教会の権威が低下したことにより農民の反乱が相次いだ。
 また11世紀から12世紀の中東の繁栄はエネルギー資源の石炭も森もない為、東西の仲介貿易によったものであった。
 唐末の9世紀には中国ではコークス製造技術の発達による工ネルギー革命が起き、金属精錬や磁器産業が急速に進歩した。
 コークス製造技術の発達が経済と社会の体質を変化させ、続く五代十国時代にエネルギー革命から始まった技術革新と経済成長が中世的な社会主観を打ち砕き新しい合理的精神を芽生えさせた。宋磁に銘がないのは分業による大量生産が行われていた証拠である。
 石炭利用技術が発達したことにより金属生産が急増し鉄製の農器具が普及した。これによって開墾が進んだのと新種作物が開発されたことから商品作物の集中生産が行われた。
 また規格化を実施したことから生産能率が向上しこの時期に分業体制も確立し11世紀後半の中国は産業革命直前の状況にまで達した。この物財への関心の高まりは忠実な写実美術の復活を促し科学する心を育てた。この実践的な技術と法令の整備は経済の発展を促し中産階級の大量発生を呼んだ。
 しかしながら宋代の繁栄は短期間で終了した。それは外敵に対する軍事費の増大と官僚組織の硬直化であった。
 宋の後を次いだ元朝は軍事と商業には強い関心を持ったが物財の生産にはほとんど関心を示さなかったためと人口が多い中国では機械動力の必要性が低かったためか熱を動力に変換する技術が開発できなかったため産業革命は起こらなかった。

●中世から近代へ
 欧州が近代まで発展しえたのは中世的権威への懐疑から自己の勤労と体験への信頼を回復したためであった。
 写実美術が16世紀前半に栄え、それから150年後に科学が確立した。その後、産業技術に科学が応用されるまではさらに150年の期間を要した。
 科学が産業に応用されるようになると新生産技術を駆使するものが豊かになりその他の者達は失職した。この時期は中世的な魔女狩りと近代の技術革新のせめぎあいといってもよい。
 新しい産業技術が社会に許容されることは新たな格差の容認とも言える。
 ペストの大流行で勤勉に働くと多くの物が手にはいることがわかった中世の人たちに働きかけたものは人生を楽しむユグノー派と人生を清廉に生きようとする清教徒達であった。清教徒達の教えでは生産増に消費が追いつかないといった矛盾があった。
 17世紀の欧州で勤勉な労働が許容されていなかったのは土地や資源がまだ限られていたからである。
 蒸気機関利用の排水ポンプが炭鉱に利用されるようになると石炭の産出量が急増しコークスによる製鉄が盛んになってモノ余り社会が到来した。
 このように資源工ネルギー技術の発達で社会全体に供給される資源の量が増加した。
 平等には縦の平等と横の平等がある。縦の平等とは今日も将来も同じという世襲の平等であり一方横の平等とは政治的にも経済的にも今日の平等ということである。産業革命によって形成されたブルジョアジーたちによって社会の中での縦の平等が崩壊し新たに横の平等が実現した。これは機会の平等を目指したアメリカ独立戦争やフランス革命に形となって現れた。
 英国では17世紀に行われた囲い込み運動によって農民達が農業から閉め出されたためヒト余り社会になっており、製鉄技術と炭坑の生産性向上からモノ余り状態にもなっていた。さらに海外との貿易黒字によるカネ余りの三つの条件から大型機械が発明されて産業革命が成立した。
 産業革命は大型機械を使う工場制工業の普及と技術革新運動の成果だといえる。これには機械の発明と経営能力の普及、大型機械を設置でさるだけの資金準備さらに工場で働く労働者の存在が必要であった。この時期の英国にはこれらの全ての条件が揃っていた。さらに重要なことは機械を使って大量生産を行う特定の人々が豊かになるのを許容する社会の雰囲気、すなわち成長志向の社会主観が確立される必要があった。
 18世紀末から1820年代までの英国は工業の成長率は高かったが農業の衰退の方がはるかに大きかったので絶対量として経済が縮小し貧困に苦しんだ。
 歴史の発展段階が転換する大変革の時代には先駆者は苦しみ古い体制を強化した者が一時的な繁栄を謳歌するという事実がある。平成時代の日本は最適工業社会であり、古代の物質文明が衰退した時期と相にた現象が各分野に広まっている。日本は今一時的な繁栄を謎歌しているのだろうか?

第三部 動き出したマグマ

●社会会主観の変化
 旧社会主義国は市場経済を運営していく徴税や予算管理、金融操作、通信管理、情報収集などのマクロの管理機構が欠けている。これは社会の基本的な機構であるから技術移転や台弁事業によるミクロの改善はこの症状の万能薬にはな らない。
 ユーゴ問題のようにーつの国の中の一地域が民族的な相違の故を持って住民多数の意志で独立を宣言すればこれが国際的に認められその地域を侵す国家の軍隊が侵略者とみなされる。これは国家に対する概念が変化したものであり世界秩序の変化である。
 戦後の日本経済の三本柱として株と土地は長期にみれば必ず値上がりすること、個人消費は必ず増加することそれに日本では深刻な失業は発生しないことがあげられてきた。
 しかしバブル景気がはじけてからは土地も株も安値に終始していること、個人消費を引き上げてきた就業者の増加が頭打ちになっていることからこの三本柱に疑いがもたれている。
 1994年でほぼ終了する団塊ジュニアの就職時以降は子供の数が少ないために新規労働力は増えない。
 日本式経営は限りない成長を前提とした先行投資型財務体質と集団主義的意志決定方式であり新規労働力が増加しない近い将来にはこの経宮方式の前提条件が崩れさってしまう。
 また民族別分離傾向や、経済不況、米国型世界新秩序の挫折、日本型経営の行き詰まりなど現状は近代の常識からどんどん離れていくばかりである。これはCISの「民族感情を経済利益よりも優先させる」というやりかたにも共通する基本がある。
 いまの地球環境は「人類対自然」が主題であり発展途上国をも含めた経済活動の抑制を主張している。地球環境の問題意識には物財の消費量を増加させること自体を拒む感覚がある。
 「勤勉は善」という思想が肯定されたのは技術の進歩が地理上の発見によって資源が過剰になった結果であった。
 人間は皆その時その場で信じられた社会主観を不変の真実、不変の文明と考えてきた。近代もこの例外ではない,
 日本での正義は効率と平等、安全であるが自由が重要な正義であるという認識はまったくない。
近代が歴史的発展段階のーつとして認識されているのは共通の正義としての効率が存在しそれを支える近代精神があったからである。これは合理性と進歩の肯定から出発している。よって近代を自認する思想や制度は物財の供給拡大に役立つ合理性を主張していた。
 一神教の世界では発展段階の転換期には終末思想が流行する。
 共産主義は豊かな人を貧しくしても貧しい人を豊かにはできなかった。共産主義を次の社会段階とした説は破滅した。
 未来については楽観論と悲観論が提示されていて民主主義と自由経済が最終の発展段階だとする楽観論と人類文明の終末とする悲観論が交錯している。これらに共通する点はキリスト教的発想あるいは進歩史観でありこれが終末感につながる。
 一方中国とインドを中心とする東洋では輪廻の思想かあり終末はない。

●歴史の原動力
 1950年頃までは日本でも人手が豊富で物財が乏しかった。60年代の高度成長期すぎから物財が豊かになり人手が不足し始めた。この変化は経済的変化だけではなく人々の倫理感と美意識を変えた。
 その時その場で社会的価値観を決定するものこそ歴史を動かす原動力である。またモノとヒトのバランスが人々の倫理感と美意識を決定したのは歴史の大きな流れとしても認められる。
 歴史の原動力には「雄々しい英知」と「やさしい情知」がある。「雄々しい英知」は挑戦の精神でありシュンペーターは創造的開発こそ歴史の原動力であるといっている。もうーつの「やさしい情知」は不足しているものは節約し余っているものをたくさん使うより基本的な人間性である。歴史は「やさしい情知」に支えられ「雄々しい英知」によって前進してきた。
 社会は極端な異分子を排除することで共通の価値観を作り上げるものである。また価値観とはその時その場で人が作り上げた社会的主観といってもよい。すなわちヒトとモノとのバランスである状況が変われば倫理感と美意識の元である主観が変化することになるーヒトとモノとのバランスとは資源環境と人口と技術であると言い替えることがでさる。これらのすべてが今動き出している。

●ヒトとモノのパランスが崩れ始めた
 土地には昔から三つの顔があった。それは空間と収穫を生む場所、資産である。
 世界の農業生産の伸びは人口の伸びより速く現在は農産物が過剰な状態である。問題は食料と人口のバランスではなく、かつて有用であった土地を人が見捨てていることである。豊かな物財の現在は貧乏人がもっとも多く、史上もっとも貧しい時代である。飢餓におびえている人は6000万人、栄養不十分で住居を持たない人が一億人といわれている。これは発展途上国の農村には住む魅力がないからである。また一方余剰土地がありながらソマリアのように飢餓にあえいでいる地域もある。これは土地が人を見捨てたからである。これは人口爆発により環境を人間が破壊したために土地がしっぺがえししたものである。
 使用量は多く単価が安いためここ2000年余り水に関する技術が余り発達してこなかった。金属生産量はエネルギー源に左右されたとともに石油危機は資源の枯渇よりも政治と価格で発生した。
 80年代の米国民は同様に額に汗をして働くのを嫌がった。この傾向は欧州にも見られる。製造業の工場と公立の基礎教育の場はここ十年で荒廃してきている。これは近代の倫理感の喪失である。
 野生への愛着と感傷は近代精神からの逸脱の現れのーつであるといっても過言ではない。
 世界の人口はBC2000年頃には約3千万人であったのが、農業革命を経たBC1200年頃には一億人に達した。古代文明の末期の紀元前後には四億人に達し、中世にはいり世界の経済が萎縮したAD400〜AD600年頃には三億人に減少し中世末期には五億人まで回復レた。その後産業革命前後の1800年頃には十億人に増加、1930年には二十億人、1975年には四十億人、1998年には六+億、2020年には八十億人に達すると予測されている。これから世界の人口が急増したのは物質文明が栄えた古代と近代であり、停滞したのは物財生産量か延びなかった中世であることがわかる。
 人類は食えるところで増え食えないところでは増えないというのが近代の常識であった。しかし人口の増加にともない土地が荒廃し人口と生産の不均衡が発生した。また貧困と流民化がひどくなり家族制度の崩壊と性道徳の退廃が途上国での出生率の向上に拍車をかけている。
 これからの開発途上国の開発発展には人ロ抑制を主眼とし、先進国がたどったのとは別の道を探さなくてはならない。
 また経済社会が長期にわたって発展するためには増大する生産力が人口増加と所得の向上とともに適切に分配されることが必要である。また労働需要を満たすためには人口の増加が不可欠である。さらに投資確保のために一人あたりの所得を増加させる必要がある。先進国と途上国の所得格差は次表ように変化している。

1830〜1950年

1950〜1990年
入□増加 所得増加 入□増加 所得増加
先進国 3.4倍 3.5倍 1.45倍 3.0倍
途上国 2.3倍 1.3倍 2.4倍 1.5倍

 この表から分かるように一人あたりの所得が増えるとこどもの数を減らすために出生率が低下している。
 1992年7月にロシアに240億ドルの援助を与えたのは西側欧州諸国がロシアの経済難民による人口の移動の悪夢におびえたためである。
 民族移動とは人口と生産の格差を是正する現象である。
 近代の国際秩序は人の移動については何の原則もないまま受け入れ国の任意に委ねてきた。豊かな国の意志が通せたのは圧倒的な軍事力を待っていままで自分に有利なルールを雄持してきたからである。

●技術の発達とその効果
 80年代前半の原油価格と大暴騰がその後半の技術革新を引き出し、技術には何ができるかを教えてくれた。技術は地道な進歩と組み合わせの妙によって不足なものの供給を拡大できる。
 新技術の開発や発明は1940年前後に行われたがそれによる経済発展は1950年代から1960年代まで待たなければならなかった。技術は不足な資源の節約や生産増加をもたらすものだけではなく代替品を作り出すことも可能である。
 新技術を完成しても当初はそれによる物財の生産量がわずかなため高価であり、景気を大さく変化させる力はない。
 80年代の工レク口二クスの発達は情報産業の大発展を促しこれが新産業として世界に定着した。またこの発達は無駄の減少に寄与しほかの産業の省資源や省工ネに大きく貢献したとともに自動制御の大幅な発展により省力化と多様化に多大な効果があった。このように技術の発達は新しい産業を興し新しい職場を生み出すだけではなく新しい需要の創造にも寄与している。
 1800年頃は将来の食料確保のために先進国では植民地獲得や移民政策が盛んにとられた。しかし食料確保は鉄道と汽船による食料輸送の容易化により解決した。さらに戦後は安価な石油から化学肥料や農薬が大量生産され食料の大増産が行われ食料の問題は解決している。今後パイオテクノ口ジーの発達によりさらに食料生産が増加することは明かである。
 近代の技術進歩の方向は大型化と大量化、高逮化であった。これが60年代の公害問題と70年代の石油危機で問題を投げかけ科学技術そのものへの不信を人々に与えることとなった。
 また70年代以降の技術の進歩は多様化と情報化、省資源化を追求していた。ここにきてハイテクを全地球的に生かす経済的社会的条件が今の世界では満たされていないことがわかり高度技術社会論はつまづいた。それは技術の進歩がフィージビリティを持つためには経済的な裏付けと社会の体制固めが必要なためである。知的所有権の強化から研究開発が促進されて技術のさらなる進歩が期待されるがそのためには極度に高度化した技術に対して今日の社会制度や仕組みが不適切である。
 また新規技術の開発には巨額の投資が必要であるが競争相手の技術レべルがほとんど同一なため競争相手が短期間で同ーレべルまで到達できるのでこれから利益をえられる期間は短い。

●教育と経済発展
 日本では高校卒業まで一人の人間を育て上げるのに教育費や生活賢込みで3千万円、大学卒業までには5千万円の費用がかかる。さらに日本で特に高い住居費まで含めると大学卒業までに6千万円の費用を社会が負担しなくてはならない。米国でも教育費に十万ドル、食費に二万ドル、卒業後の労働施設の準備の賢用が八万ドル、生活するための公共設備に二万ドル、住宅費に二万ドル合計24万ドルが必要である。
 近代が直面した食料危機や過密、公害問題を解決したのは技術を活用する生産設備や生活設備ができそれを運営する組織があったからである。それよりも重要なことはこの設備と組織を動かす知識と秩序の習慣を学校教育によって大量の人々に付与できたことである。
 幸い20世紀の中頃までは人口の増加の著しかった国は設備投資と国民教育のできる経験の蓄積と経済的余裕を持つ先進国だった。しかも19世紀から20世紀にかけての段階では技術も低く組織も単純だった。明治の45年間に日本が近代国家にふさわしい教育全国民に施せたのは、その内容が今よりも単純で安あがりにできたからである。
 「平均的な米国人として必要」という一人当たり10万ドルの教育と同額の生産公共施設とを発展途上国の子供達すべてに与えることができるだろうか。
 社会的な知識や秩序の習慣は社会的条件や家庭環境によって決まる後天的遺伝子であり教育とは後天的遺伝子をインプットする作業である。教育が成功するためには子供達が基礎教育を収得する意欲とそれに責務を感じるような社会的雰囲気さらに勉学と労働にいそしむ意志と目的を持ち得るような社会であることが必要である。途上国にみられるように勤勉に働いても収入の増加も地位の向上もなければ労働意欲は湧かないのである。
 勤勉の習慣や再投資の経済秩序が欠落している途上国は労働集約型産業からはいるのも難しく、さらにハイテクの発達が途上国を成長の軌道に乗せるのをさらに難しくしている。
 よってこれから経済を発展させようとする途上国 はかなり高度な技術と精致な作業秩序を学ばなければならない。これがうまくいったとしても発展途上国の人々の競争相手はハイテクを駆使した日本製の口ボットである。
 また先進国でもハイテクによって少数の人々が多くの仕事をすると他の人々は失業か低賃金に追い込まれる。さらに流入移民が低技術の職場に浸透し先進国の賃金水準に響くことになる。

●政策の被害者達
 過度の金利引き下げは全体としての需要を減らしかえって不況を深刻にする恐れがある。
 専門分野ごとに組織された行政機構には所管の供給者の叫びが大きく響くので官僚機構はそれぞれの所管する特定分野の利益を優先し国家や国民全体を考えることができない。特定者利益優先は行政機構の本質であり、短期的視野に陥るのは政治の宿命である。
 新しい楽しみや生活の創造は古い職場と利権の消失を伴うがこれは政治の決断により克服する必要がある。
 また現在の世界は国内における格差の縮小と国際的な格差の放置の二重の原則で成立している。
旧ソ連の混乱と無秩序は市場経済に移行する過程で生じているものである。市場経済とは経験と訓練を積んだ経営者か高度に組織されたマク□経済管理の下で技術と情報と判断をきそうものであるであるから、いままで計画経済下あった人達が急に市場経済で力を発揮でさない。
 人間は困難に直面すると利己主義に走りやすい。長期的展望を働かせるのは自信と余裕のある証拠である。
 啓蒙主義の官僚統制では官僚組織の利益のみ優先される。
 民族主義は少数民族に対する抑圧と他国への侵略に走りやすい。
 また社会主義計画経済は極度の思想統制と恐ろしく非効率的な官僚支配の賜物であった。
 第一次石油危機では米国では国内産石油の価格を抑制したために省資源化が遅れ国際収支が悪化した。ソ連は社会主義的価格体系を維持し安価で石油を供給したために開発が停滞したとともに資源の無駄使いをした。また途上国では外国からの借金で債務が累積し経済衰退と破減的インフレに襲われる国も多かった。
 地球環境の問題は物理的困難が大きく先進国では資源工ネルギーの不足から価格上昇を招き設備投資が減少した。また一方地球環境の破壊は再貧需要者から被害を与えることになった。すなわち森林の消失と土地の砂漠化によりこれらから食料と燃料を得ている人たちが最初の被害者となった。
 今日の世界で最大の切迫した問題は人口である。これは科学技術の進歩によって解決が困難でありまたこの科学技術に付いて行<のにも膨大な資金が必要である。

●未来の世界のシナリオ
 未来の世界のシナリオは3本ある。最初は先進国と後進国が別々の世界としていきる道、第二は経済援助や環境保護を飛躍的に拡大する道、第三は新しい価値観で歴史的発展段階を拓く道である。
 第一の道の先進国だけでの経済統合やブロック化を押し進め自らの繁栄と安定を追求することも短期的には不可能ではない。この方法は短期的にはもっとも容易ではあるが政治を人類と文明の根本問題から離れさせる危険を生む。官庁の権限と組織の拡大を望む官僚達は自分の省の権限と予算を削ってまで未来に尽くすことはない。これでは地球環境は加速度的に悪化し、やがて途上国からの人口洪水が襲ってくるだろう。これは世界経済の破壊につながる。
 最初の道とは反対の第二の道をとると大規模な発展途上国援助と大量の難民受け入れ、資源エネルギー消費の大幅削減を先進国が実行すればいいのか。全地球的な所得格差の是正を「正義」と考えるなら全世界では毎年40兆円の援助が必要になる。この資金源をどうするかがまた問題になる。先進国内で税金として徴収すると増税になり不況を招き後進国からの輸入が減少することになり後進国の不況をますます煽ることになる。軍事費を削減すると先進国の景気全体が冷却する。資源エネルギーの消費を性急に抑制するのはもっと深刻な不況を招く恐れが十分ある。また後進国への開発援助の増加は後進国の内部での貧富の差をますます拡大することになり地場産業が破壊される可能性が強い。このことはまた資源消費量の増大や新たな環境問題を深刻にするに違いない。
 意見が割れていて中庸で解決できない問題とは既成の概念では解決不可能である。それで未来へのシナリオとして第三の道が登場する,これは客観的な充足性よりも主観的満足を追求する新しい価値「知価」を追求することに幸せを見つけだす世の中にすることである。「やさしい情知」は足りないものを節約するのが正しいと信じる倫理観を、豊富なものをたくさん使うのがかっこよいと感じる美意識である。この精神が新しい発展段階「新代」に通じる道をつくりだす意志にまで高まる可能性が高い。

第四部「新代を読む」

●近代文明の変化
 社会経済の問題で重要なのは種々の現象から原因を探ることである。
 社会主義は極度に効率が悪く不公平な社会であった。西側諸国の状態を知った国民は国家に対する幻想も断ち切った。社会主義の崩壊は国家と官僚に対する幻想をつぶし国有化と官僚統制の流れを止めることとなった。
 世界共通の価値観として近代文明の不変性を信じて近代人はあらゆる点で「より大きな統合」の方向に進むと信じてきた。一方現実には地域の分立や人間感情の分裂が進んでいる。
 国家の分裂は生産と流通を妨げ、社会主義諸国は大きな損失を余儀なくされた。現在の混沌の真の原因は人々が物財の豊かさをめざす統合よりも感情的満足を求める分立を志向し出した点にある。
 景気変動の大きな原図は三つある。一つは短期波動でありこれは米国の景気と石油価格によって上下する。第二はジュグラー波動でありこれは大規模な設備投資や住宅投資が遍在することによって発生する中期的に上下するものである。第三の長期波動はコンドラチェフの波と呼ばれるもので技術開発の遅速と大規模な資源の発見により上下する。
 パブル経済は今回だけではなく過去にも数回あった。1720年に南太平洋と力リブ海の熱帯産品売買の熱狂的人気から始まった南海泡沫事件に始まり、1929年には自動車、飛行機、ラジオ、近代文明の変化、映画などの新技術製品に対する初見興奮が冷却した時、1989年には安易すぎた多様化と、情報化、ブランド化に飽さてしまった時にバブルが生じた。これらの経験はすべで人類の文明的蓄積になった。パプル経済のあいだ企業買収が多発しその対象となった企業の生産力が低下した。
 経済学では需給の差は価格変動によって調整されると教えている。しかしこれは価格の変動によって需給が増減する製品のみに通じる理論である。土地や株式は将来の価格変動を見込んで行われる。
 深刻な失業状態ではないのにこのところ個人消費が減少している。これは今急いで買うほど欲しいものがないことを示している。米国の財政赤字の削減と家計の健全化とは米国と米国人の貧困化を物語っている。個人の家計では所得の伸びに支出が追いつかないし所得の減少ほどには支出を減らせない。
 不況とは供給に比べて需要が少ないことである。「モノ離れ」は地球的環境からみれば歓迎すべきことではあるが経済的に見て不況ほど困ったことはない。このジレンマを説く鍵は従来の物財中心の概念を捨てて人々が本当に欲している新しい商品を生産し提供することである。
 一方「天国にもっとも近い国」日本では経済の豊かさの陰には生活の我慢がある。また失業が少ない反面では落ちこぼれまいとする気遣いが必要である。
 「日本は不況」といわれている。その理由は第一に土地株式の暴落から発生した金融の停滞と混乱である。第二にあげられるのは前年同月比での企業売上の停滞。第三には企業収入の減少と償却費の増加にともなう企業利益の大幅減少である。この結果、企業消費は冷え込んでしまっている。
 日本企業は過剰従業員を社内失業の形で抱え込んでいる。これは企業に余裕のある証拠である。
 国際商品市況や卸売り価格は下落の傾向にあるが価格が政府の許認可に関わるものは値上がりが顕著である。

●堺屋風の不況の実態分析
 金融の停滞と混乱は土地と株式に対する一部企業の投機の失敗であり、企業の売上の前年比減少は異常に高かったバブル景気の89年度と90年度に比べて少々減っても驚くに当たらない。一部の企業が赤字決算になっているのは過剰投資や過乗雇用を行っているからである。
 倒産は当事者にとっては確かに辛いことではあるが、倒産によって社会全体としてみれば非効率的な企業を整理しより効率的な企業が参入し繁栄することである。企業倒産がないというのは社会に新陳代謝がないことと同じである。
 今回の不況で日本式経営の気質と体質が問われている。日本式経営の三本柱は第一に終身雇用と閉鎖的雇用環境であり、第二に終身雇用制度から発生する低めの労働分配率と内部留保を厚めにする「先行投資型財務体質」、第三には集団意志決定機構である。
 不況対策として出された10兆円の予算は建設主導型に固執するその方向とそれを生み出した発想についてわれわれに問いかけている。
 またバブル不況は規模の拡大と雇用の安定だけをめざしてきた日本式経営の存否を問いかけている。日本経済を「持続可能な成長」型に変えていくとすれば徐々に建設依存を減らし個人消費を拡大する方向に進むべきである。すなわち公共事業よりも個人減税を行うべきである。この方針の根本は日本の官僚の倫理感と美意識にある。
 社会主義計画経済が非効率になった原因の官僚主導型啓蒙主義は自由経済と民主主義に反する思想である。
 日本の国民一人あたりの時間あたりの生産性は先進国ではかなり低い水準にある。これは行政の供給者保護による低生産性から来ている。
 日本企業は1ドル240円から130円に円高になった時円高分の110 円のうち40円は輸入原料の円建て価格の低下と低金利政策による金利負担減少によって吸収し、40円は合理化努力によって吸収。残りの30円は値上げによってカパーした。
 この合理化努力というものの大半は製造過程のコストを流通過程に移し変えただけであり、生産はコストダウンできたが国内の流通コストと社会負担が大きくなった。そのため日本製品を海外で買う方が安いといった逆転現象が生じている。
 今は日本社会の効率を高め生活を向上させる政治が必要な時期である。

●世界秩序
 湾岸戦争の多国籍軍方式は今後多発しそうな民族紛争には無力である。明日の世界に必要なのは「国籍も戦線もない戦闘」を防止する軍事秩序なのである。
 世界は冷戦の終えんにともない基本的な倫理感と規範を失った旧東側諸国の三億人をしょいこんでしまった。
 またアジア諸国が軍備を増強している。これは武器の更新期に当たったことと兵器産業が熱心に売り込んだ結果である。この軍備増強は新たな地域紛争の火種ともなりかねない。
 過去20年間で食料と素材の価格は40%下落しており、80年代には途上国の景気動向として一次産品輸出国が停滞し加工工業国が発展したことがあげられる。

●日本の外交と世界秩序
 「人間は憎悪無しに生きられるか」という命題がある。米国の内政志向化とソ連の消滅により現在は憎悪の相手が見あたらなくなった。そこで国際的には各国が個別に敵を探し出すことが始まった。また国内的には社会階層や企業活動にその矛先を向けるようになった。これが社会の無秩序化を押し進め官僚統制の強化につながっている。
 「人類の不幸は悪意や強欲でつくられるよりも善意や正義感の押しつけでもたらせることがずっと多い。」
 今日出されている自主外交論とは日本式の押しつけである「民族的大国主義」を根拠に対米追従を拒絶するものである。真の自主外交とは日本と日本人の利益と名誉の長期的な維持拡大をはかることである。これからの世界で日本が経済的に恵まれた国として平和に生きるためには自ら日本に必要なかつ有利な世界構造と国際秩序を策定し実現するように振る舞うことが必要である。それは世界平和と自由貿易と人口の定住である。
 中国と朝鮮の一党独裁が揺らぐと世界的に重大な事態が発生する。世界情勢は与えられた環境ではなく日本自身も参加してつくる地球社会の条件としてとらえなければならない。しかし今の日本には世界構造と国際秩序をつくるプレーヤーとしての自覚がかけている。
 個人消費を奮い立たせるような大型新製品がないため消費が停滞し社会経済の構造が変化しつつある。この日本が「持続可能な経済成長」を求めるとすれば本当の意味での個人消費に重点をおいた需要構造とそれに対応した供給構造を創出することが必要である。今まで日本が長期にわたって高度成長を続けえたのは需要の増加に見合った労働力の供給と消費の急成長があったからである。

●一つの国のGNP は人手と効率の積で表される。
 敗戦直後の食料難と住宅難は人口の都市への移動を拒否した上、農地改革で農村部への定着が高まったので新しい職場への新規労働力を農村部からの中高新卒者が担った。低年齢の労働者が増えたことにより年功賃金体制が確立しそれによる職場単属人間が異常に増加し従来の大家族制度と地域社会が崩壊した。この傾向は1970年代半ばまで続きその時点で人口の都市集中がほぼ完了した。これ以降の労働力の更なる増加は団塊世代の就職と女性の就業率の向上によってまかなわれた。新しい労働力は生産性の高い成長産業に集中し、女性の職場参加は家電製品の発達普及と幼児保育機関の充実さらに出産数の減少から実現しえたものである。
 今後は労働化率の向上はこれ以上望めない状態であるうえ新規労働力が減少することから経済成長が抑制されるとともに従来の労働慣行が行き詰まることになる。また高齢化社会の到来から労働力の適正配置を実現する方法が求められている。これには発想の転換が必要である。
 本当に日本が主体的に地球環境問題に参加するとなれば自ら提案し率先実行する決意が必要である。もし必要なら経済成長を規制することも決意しなければならない。
 「核」に代わり「大量の難民流入J が新たな脅威となっている。大量の難民流入を解決する道は流出国側にも「守る方が有利な移民の秩序」を作るとともに人々がその祖国で定住安定化できる職場を増やすことである。このためにも移民の重圧を意識した政策の選択が必要になってくる。
 政治と軍隊から国民の関心が遠ざかったのは国家の本質的な変化であり、現在国家の主権が内外と上下から侵食されている。「外」というのは国際関係による拘束でECなどの国際基準などによる侵食である。「内」は地域の主張であり国内各地域での財政文化政策の自主要求に表れている。「上」は巨大企業の多国籍化で「下」は人口の国境を越えた移動である。このように今までの国家の概念が侵食されており国家のあるべき姿が不明になっている。

●国内化された国際関係とシビリアンパワー
 国際的権威と警察的軍事力による相互の封じ込めで勢力均衡を保つ世界秩序に代えて多数の諸国の共同行為によって政治的経済的文化的な影響を行使することで保たれる世界秩序の構図がある。いわば国際関係を国内化することによってどの国でも「世論」に従わざるを得ないようにしようというわけだ。シビリアンパワーとは「国内化された国際関係」を維持する国家をこえたパワーである。分かりやすくいえば、国内の社会では個人も企業も社会の「世論」に逆らおうとはしない。暴力団とつきあえば政治家は辞職を迫られるし、企業は営業に支障を来す。これと同じ状態を国際社会に作ればどこの国もどこの民族も国際世論に逆らうことは避けようとするから自ら秩序が保たれるはずだ。この場合に国際世論に反する行動を行った国または集団を政治的経済的文化的に不利な状態に陥れる様々なパワーがシビリアンパワーである。国内社会での秩序維持にも究極的には警察力が必要なのと同じように「国内化された国際社会」でも最後には軍事力に頼らざるをえない。シビリアンパワーだけでは秩序の維持に時間がかかり過ぎ混乱と不幸を広げる恐れもあるからである。そんな時には湾岸戦争の時のような多国籍軍の出動や国連平和維持軍(PKF)の派遣も避けられないだろう。
 重要なことは経済封鎖や文化交流の停止などの非軍事的制裁を世界秩序の維持のための手段として重視することで軍事力への依存を軽減する点にある。

●国際の国内化
 最近のローコスト化は単純明快なコンセプトを備えた品種を安定的に販売しようとするものであり「知価」の定着傾向がみられる。多様化とは消費者の選択の幅を広げることである。今日のローコスト競争が指し示しているのは低価格で高選択市場の出現である。
 ハイテクに限っていえばこれには原理を解く労力や精巧な技能ではなくマ二ュアルを厳格に守る秩序と規律の習慣が必要なことは言を待たない。ハイテクの進歩は生産現場における先進国と途上国との賃金格差を縮める方向に働く。また技術の高度化による実行の簡易化は雇用人員の削減にもつながる。
 途上国政府の意図や意志ではなく社会の「意識」の中により高い賃金を求めて異文化社会にでも移動しようという雰囲気が強ければ止めようもない移動が発生する。よって「予想よりも期待による行動」として失業者があふれている大都市になおも多数の人々が集まってくることになる。これはNIES とそれに準ずる地域に発生している現状でありこの状況が所得格差の拡大による「金持ち」とさらに失業と労働時間の短縮による「時間持ち」を作り出している。
 欧米でもローコストを希望する企業と多数の労働予備軍の存在から時間持ちと所得格差が拡大している。
 今までは「貧」は「困」であったが「新代」では「貧」と「裕」を組み合わせる知恵ができるに違いない。
 おもしろいことに発生した余暇の楽しみ方の違いは余暇を楽しむ余裕をえた時期の社会的技術条件と時代性にも関係している。最初に余暇を得た欧州の人たちは当時ようやく整備された新技術の成果である鉄道や汽船で遠くに出かけるため長期間の休暇をとるようになった。次に余暇を得た米国人たちは普及した自動車であちこちに出かけるレジャーが米国型休暇の過ごし方となった。最近になってようやく余暇を得た日本では高度なエレクト口二クスを駆使した孤独な密室型の遊びであり自己満足の世界でしかない力ラオケやパチンコ、コンピュー夕ーゲームなどの日本が開発した代表的レジャーが一般的である。
 古代末期も現在も資源環境の限界や人口の変動、技術の変化が必然的な関連を持って起こっている。現代と古代末期との類似は物質文明末期の共通点といえる。ただ現代と古代末期との違いは現代が高度技術社会であることである。
 飢餓に苦しんでいる本当の理由はモノ不足ではなくて力ネ不足である。というのは苦しんでいる彼らの生産品が大量生産品に押されて商業性を失ったからである。
 人類の倫理と美意識が変わりつつあり、物材節約の倫理感と時間のうまい使い方をしている人がかっこいいとの評価を受けることになり、工リート社員よりも遊び上手の知恵者がもてる傾向にある。余力スタイルとして資源消費型から感覚刺激型へ移りつつある。
 いつの時代でも新しい生き方をまず体得するのは庶民である。

●社会主観の変化
 時間余りとなった今、効率より感覚が大切である。
 本物の「知価」とは「概念の革新」すなわち高度な技術と使う側の利便を考慮した物でなくてはならない。「使う側」の論理に合わせた社会と生活の変化こそ「近代化」と呼ばれたものの内容であった。 現代では「どれだけ時間を楽しくできるか]が問題になっている。
 「知価」は物財やサービスに内包された形で商品化される。「知価」には適正価格がなく社会主観の場に出てはじめて価値が決まるものであるからこれからの企業経営には「価格−利益=コスト」の発想が必要になってくる。
 少数出産の結果は子供を大切にし高学歴社会を生み出すことになる。これが情報技術の進歩と合い待って知価社会の原動力となっている。
 べンチャービジネスは知価創造型の産業である。人々の主観的満足に依存する知価には客観的な基準がないのでハイリスクハイリターンだからである。ここで重要なことは消費者主体の見方である。
 今日の産業理論や統計分類をどこまで探しても「使う人の顔」は出てこない。これは「物財の生産か知価の創造か」という議論はこの点を無視したことから起こっている。人間の幸せに貢献するという観点からみるとモノを生産する物財産業と物財の場所を動かしたり所有権を変更する位置産業、時間を楽しく変える時間産業、知識や情報を与える知識産業の四種に分類できる。またそのサービスの場所という観点からみると食品や衣服に携わる生活場と製造に携わる生産場、政治行政に携わる社会場の三種類の場に分類できる。

●知価社会
 「知価」とは人間に満足を与えることである。「知価社会」における情報の価値は物財やサービスの価値を高めることになる。ここで重要なのは「物財に含まれた知価の生産」である。
 80年代に「知価」創造的職業が急増した。このため産業革命開始後約200年で社会の方向は階級の両極分化から中流層の増加へと逆転した。
 「知価革命」は新しい歴史的発展段階である「知価社会」を生み出す。
これから始まる「知価社会」では学歴ではない教育と受験勉強ではない情報を与えることが大切になる。
 近代化以前には各自が自己の生産手段の脇に住みそれを活用するのに適した家族を構成しておりこれが生産共同体としての地縁と農地相続のための血縁を保持していた。
 産業革命後は生産手段が労働力から分離し核家族が多勢を占めるようになった。
 これからの「知価社会」には自らの知識と経験と感覚を生産手段として働く生産手段と労働力を合わせ持った新しい中間層が急増することになり職住近接から新しい下町の形成がさらに行われるであろう。またこの社会は今まで存在しなかった共通の好みを持つ人たちの集まりである「好縁」社会になる。この社会変化にともない選挙区割りと通学区域をどう再構築するかが。大きな問題になる。
 近代社会には変化を常態として受け入れる仕組みはなかった。しかし「知価社会」では国家の増減も国境の変更もさほど異常なことではなくなる。
 近代的大企業の発展には企業の永遠性と非属人性が不可欠だったので企業組織はモノにヒトがまつわりつくように作られていた。しかし知価社会ではヒトにモノがまとわりつく企業形態になる。知価創造的な分野ではジャズバンド的な柔らかな企業組織が一般的になる。大型法人では平均的サービスが受けられる安心感と効率性はあるが個性的な創造性には限界がある。すなわち知価を買う側の企業家や団体が規格化工業化していたから大型法人でも問題が発生しなかった。しかし知価社会では逆になる。
 情報の伝わり型が一段階づつの対面情報から多角的に伝達できるコンピューターの操作と表現技術へと移りつつある。したがって誰でも広範な情報を持ち得ることになり専門家主義を掘り崩し素人が□出しをするようになる。これによって多様な知価が創造されることになる。

●新代と民族主義
 日本は自己の主張を絶対化し国内世論まで硬化させるような報道をするので自縄自縛になり易い傾向がある。
 民族主義には二種類あり、一つはナチズムに代表される自民族の優越性を主張して消費の規格化をはかる「民族全体主義」である。もうひとつは民族固有の文化を尊重する「民族文化主義」である。
 将来の世界が平和であるためには民族文化の許容と民族全体主義の再発防止が必要である。
 中世の世の中で人間の分類に重要だったのは肌の色や使用言語ではなく信仰であった。言語による分類は他の文化慣習や国家形成の歴史とは必ずしも一致しない。また言語も民族分類の決定的要素とはなりえない。民族とは言語、信仰、生活貫習、歴史及び神話への帰属意識などの集合的主観としてしかいいようがない。
 客観性と機能性を重んじた近代は物財生産の拡大をめざす大量統一市場の必要性によって民族感情を抑制してきた。しかし今は主観的満足感がより重要なファク夕一を占めているため民族文化主義が世界中で台頭してきている。新代には国家の機能と構造は近代国家とはかなり違ったものになる。経済活動の地球化が急速に進むことになるうえ、知価創造的産業は国籍からの自由度がずっと高い。
 国の内外での所得格差が拡大することから労働力流入を抑制する動さが強まることになろうが、途上国の人口圧力を完全に防ぐことは不可能である。
 新代の国家は通貨や所得、地域などの調整役になり、文化は帰属意識を持つ人々の個人々々と個人と地域との問題として登場することになろう。

●東アジア共同体
 ECをみならい日本と東アジア諸国との経済共同体を作ろうとする動さがあるが、日本とアジアの間にはEC諸国間にみられるような政治的連帯感も経済的補完構造も文化的共通点も希薄であるからこの構想は政治的に危険であるのみならず経済的には日本に過剰負担を強いること、さらに文化的には摩擦の種となることが懸念されるのでこの構想は長い目で見て日本にとって良いことはない。
 日本人は文化を体系的に考えることはしない。1970年代にはすべてを「経済」として考えるようになった。しかし経済は「幸せの手段」の一つで究極的な人生の目的とはなりえない。東アジア共同体は日本の発想と制度と基準を、すなわち日本人の倫理感と美意識を、東アジア諸国に押しつけることになる。すなわち「八紘一宇」のような特殊民族的文化を異国に押しつける結果となり、日本への憎悪を招くだけとなる。日本の模倣は表面的な行為の模倣であり「普遍的近代文明の普及」という精神的裏付けを欠いているからである。

●日本の果たすべき役割
 欧州では14世紀中頃にペストが大流行し人口が激減したことによりヒト不足モノ余り状態になった。この状態は働くものに有利に土地を支配するものに不利に作用し中世的身分制度が動揺し教会の権威が低下したことにより農民の反乱が相次いだ。
 また11世紀から12世紀の中東の繁栄はエネルギー資源の石炭も森もない為、東西の仲介貿易によったものであった。
 日本は太平洋国家の実現をめざすべきである。「巨大な経済力を持つ極東の島国」という日本の立場は国際的には孤立し易いが日本独自の利点も大きい。
 これからの過渡期において重要な役割を果たすのは近代工業社会の形態を強く残す日本しかない。この日本は気質の点での世界の先端性が必要であるとともに政府と企業と国民全体が知価社会にふさわしい創造性と多様化を許容し新代を先駆ける理念を確立しなければならない。日本が21世紀においても繁栄を保つためには太平洋国家としての経済的心理的負担を決して恐れてはならない。日本にとって重要なのは必要かつ有利な世界構造と平和な国際秩序を実現し維持することである。まったき平和を守るためには一部の国または人が信じる正義を放棄しなければならないこともありうる。
 近代は「軍事力プラス」の発想であったが日本にとってより重要なのは平和の魅力と利益を拡大する努力である。世界の政治混迷と経済不況は冷戦後の世界構造と国際秩序と経済体質の確立が進んでいないからである。
 今は冷戦構造から冷戦後構造への転換期である。すなわち東側諸国を含めた世界構造と国際秩序の再編成期でありそれに合わせた各国と経済構造と社会意識の変革期でもある。世界平和と自由貿易と人口の定住がこれからの世界にもっとも重要なファクターである。これを維持するためには平和維持コストの負担、市場開放の徹底と人口移動の国際的秩序と途上国での職場の創出が欠かせない。日本はこの実行によって「新代」の世界秩序に貢献すべきである。
 「新代」において日本が自由貿易の拡大に貢献するためには世界の多様な倫理感や美意識を許容すべきであり、多様性への寛大さがこれには欠かせない。すなわち、官僚主導体制から脱却して真の自由と民主の精神を確立することを急がねばならない。
 これからは新中流層が社会の主役になり官僚統制には不向きな社会になる。日本は行く末を明確にした基本方針を確立し世界の多様な倫理感と美意識を許容しながら部分の摩擦を吸収する総合調整力を深めなければならない。経済で尊重されるのは生産力ではなくて消費力である。
 中世は千年前の聖書やコーランが現在を支配していた。近代は未来が現在を縛ってきた。新代は現代をより大切にする時代になり、人間が客観性にとらわれずに好みを出せる社会になる。子孫に捕らわれず自分のために生きる人々が増えることになる。
 財政も企業経営も国際収支も経済成長率も幸せな人生を人々に与えるひとつの手段であり指標にすぎない。
 日本史上で世の中が本当に改革できたのは外国の圧力に屈したときか首都機能が移動したときしかない。
 21世紀は先進国では新しい中流層の都市への集中と途上国での人口爆発が大きな問題となり都市環境技術が国際社会で重要な役割を果たすようになる。
 人間が本当に新しい発想を持ち未来への冒険に出発するのは成功体験の繰り返しが失敗に終わり情性の日々に不安を感じた後である。日本人全てにとって最も大事なことはこうした歴史の転換を意識して「新代」にふさわしい体質と気質を作り出すことである。換言すればご先見性と勇気、日本の社会においてそれが発揮できる多様性と自由な雰囲気が必要なのである。

書き抜き1992年
Scan&修正 2004-7-31
訂正 2010-08-17

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