「韓国 反日感情の正体」


黒田勝弘著 角川oneテーマ21
著者肩書: 産経新聞ソウル駐在 特別記者兼論説委員

第一章 反日無罪の系譜
第二章 壮大な虚構としての慰安問題
第三章 竹島は取り戻せるか?
第四章 反日の効用
第五章 反日はなぜ生まれたのか
第六章 韓国人の歴史観は面白い
第七章 日本隠しとウリジナル主義
第八章 日本人が次々と"極右"に?
第九章 たかがビビンバ、されどビビンバ
第十章 東日本大震災の親日・反日
第十一章 韓国の反日と中国の反日
第十二章 韓国の中の日本--統一教会と創価学会
あとがき

序に変えて 反日風化と反日激化の謎

反韓、反日、それぞれの変化
<8> ここで人々をとりあえず「大衆と知識人」に分けて考えてみる。「大衆」とは感情に忠実かつ正直な普通の多く人々であり、「知識人」はモノ事をあるがままに語るより、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」といって、所謂「べき論」で語ったり書いたりする人々である。
<9> 日本と韓国ではこの「大衆と知識人」という両者の相手国に対する見方が、これまでは対照的だった。端的に言って、韓国について日本ではこれまで知識人は親韓だったのに対しり大衆は反韓だったと言っていい。だから日本では知識人(メディア)は大衆に対ししきりに「韓国に偏見や差別観を持ってはならない、ちゃんと理解すべき」と言ってきた。
ところが逆に韓国では、日本について知識人は反日で大衆は親日だった。だから知識人(メディア)は大衆に対し「過去を忘れてはならない、日本は警戒すべき」とお説教し続けてきた。多くの大衆が本当に反日であれば、改めてそんなことを繰り返し言う必要はない。
韓国の反日にはそういう実態がある。
<10> 韓国社会では日常的には反日を感じさせることは実はほとんどないということだ。メディアにあふれる不愉快な反日さえ知らなければ、日常的には反日は無い(?)に等しいのだ。
<11> 「日帝(日本帝国主義)時代」と称して非難と比定一色で教えられた過去(歴史)は遠くなり、現実感はなくなった。逆に日本との頻繁な往来や、その結果としての口コミ、ネットをはじめ多様化したメディアなどでもたらされた現実の日本情報が広範に流通している。日本についての過去がらみのマイナス・イメージは大幅に後退している。今や過去情報と現実情報は量的に逆転している。韓国社会では反日はもはや風化してしまったかに見える。
国民の反日風化にあせる知識人
<11> 韓国では日本と違って先に紹介した「大衆と知識人」の日本間の図式にまだ変化がないということだ。大衆はもともと反日ではなかったため、変化は知識人(メディアを含む)にもたらされるべきなのだが、いまだその兆しは見えないのだ。日本は変化しているのに韓国は変化していない。
<12> 韓国でもともと親日的あるいは反日が弱く、反日が風化しつつある大衆(一般社会)の対日観がなぜメディアや知識人(そして政治や外交)の世界に反映されないのか?そして、大きく緩和された大衆の対日観はメディアや知識人、そして政治、外交になぜ影響力を持たないのか?
これには大衆と知識人の両方に原因がある。ということは韓国社会というか韓国人そのものに原因があるということだ。その原因とは、韓国社会が伝統的に知識人社会だという所にある。
<13> 韓国ではメディアは言論界と言われ、そこに従事する記者(知識人!)たちは言論人と言われる。だからメディアは単に情報を伝達する報道機関ではなく、それ以上に物事を「論」じる媒体なのだ。論とは「こうあるべき」ということを主張することである。従って、韓国のメディアは本来、客観より主観を重視してきたと言っていい。
軍事から文民政権となり反日が加熱!
<14> 軍人政権時代の反日は比較的弱く、文民政権時代の反日はより強いのだ。反日が激化した1990年代半ば以降は後者、つまり文民政権の時代なのだ。
<15> 民主化で文民政権が復活した金永三政権以降、反日が高まり日常化するのだ。
金永三の政権スローガンで民族主義的な理念型の「歴史の正しい立て直し」論は有名である。(中略)韓国がこの問題(度欲註:慰安婦問題)を日<韓の外交問題にするようになったのは1990年代以降のことである。
<16> 実利重視の軍人政権が終わり理念重視の文民政権に"回帰"することで反日が強まったと書いたが、一方では韓国も今や内外政策において実利そのものである経済重視の時代にある。経済重視の時代であるはずなのになぜ反日なのか。これもナゾである。

第一章 反日無罪の系譜
ロンドン五輪『独島パフォーマンス』のその後
<20> 韓国では近年、日本との領土紛争になっている日本海の孤島、竹島(韓国名・独島)をめぐっては「独島ファシズム」というべき社会的雰囲気がある。いかなる異見も受け付けず、認めないという、信仰あるいは宗教にも似た情緒が定着している。
<21> 日本戦で勝利した際、韓国チームの一選手が終了直後にグラウンドでやって見せたパフォーマンス(韓国ではサッカーでの選手たちのセレモニーと言っている)が、五輪憲章に反する政治的行動の詩がいるとして大問題となったのだ。
問題の朴鐘佑(パクジョンウ)選手は、スタンドの韓国人観客から「独島は我らの地」とハングルで書かれ、カラーの国旗マーク(赤と青の巴の太極マーク)が描かれた大型の紙を手渡されると、それを両手に掲げてグラウンドを回った。彼はユニフォームの上着を脱ぎ放ち、手には国旗も握りしめていた。
<22> 彼は結果的に銅メダルの授賞式には参加できず、彼だけがメダル保留となった。帰国後も祝賀晩餐会に出席できないなど苦労した。
しかし彼自身は立派だった。結論的には「規則を知らず、やってはいけないことをした」といい、自分が悪かったと反省しているのだ。
<23> 朴鐘佑は反省の弁をこう語っている。
「あのセレモニー事件を通じ、自分のやったことで韓国のすべてのサッカー選手がああいう行動をするのはいけないことが分かった。独島は我々のものだ。この言葉は当然ことだが、ローマではローマの法に従えというように、プロ選手として競技場で守らなければならない行動があると思う」
インタビューを伝える新聞の見出しは「韓国人なら誰でもその瞬間『独島は我らの地』を掲げて走っただろう」と必ずしも反省していないのだ。
「オリンピック五位にふさわしいスポーツ精神も成熟すべき」題した中央日報8月14日付の社説がそうだ。(中略)これを機に「スポーツ国格について考えるべきだ」と次のように主張した。
<24> 「ロンドン五輪でメダル5位のスポーツ国力にふさわしくスポーツ精神も一段階、成熟しなければならない。各競技団体は選手たち?スポーツ精神の国際的基準を教育する必要がある。スポーツ先進国に向かう道は約束を守り相手に配慮するという所から始まるのだ」
新聞社説ではほぼ唯一の自省・教訓論で、かつ未来志向の立派なものだった。
マスコミ自体この自省・教訓論はごく少数派で、実態はテレビやネットを中心にむしろ居直り論が圧倒的だった。
<25> 相手のある領土問題での自己主張を国際舞台でアピールすることが、政治的行動ではないというのは常識外れもいいところだが、それが堂々とメディアで屡ヌされた。これは信仰にも似た「誰がに何と言おうとも独島はわれらのもの」という"脅迫感情"からくる「独島シンドローム(症候群)」と言っていい。
日本への"謝罪"で大騒ぎ
<26> ロンドン五輪でくだんの選手が「独島はフォーマンス」をやった折、(韓国サッカー)協会関係者はグラウンドであわててやめさせているのだ。日本への「申し訳なかった」という書簡は国際マナーにのっとったごく自然のものだった。
しかしマスコミをはじめ世論は受け入れない。協会への不満、非難が噴出し、(中略)世論は「対日低姿勢だ」といって収まらない。
代表的な不満、居直り論、辛文善(シンムンソン)氏(現・明知大教授)の主張、(東亜日報「持論」8月10日付)はこうだ。
「『独島は我らが地』という文句を掲げセレモニーをしたのは宿敵・日本に勝ったこと以上に気分のいい場面だった。あれは偶発的なハブラングで誰でもやるものだ。政治的目的からではなく勝利を祝う偶発的な行為で、政治的、イデオロギー的意味を持つものではないと、韓国サッカー協会はIOCに伝えればいい話だ。それを国家的自尊心もなく、血と汗を流した選手を保護すべき最小限の義務感もなく、ひたすらIOCのご機嫌、日本のご機嫌をうかがうのに忙しいとは。独島は韓国のモノという厳然とした事実と、韓国サッカーの自尊心を協会は根こそぎ打ち捨ててしまった」
<27> こういう見事な居直り的主張が世論の拍手喝采を受ける。さらに問題は国会にまで持ち込まれた。
もはや国際スポーツ大会での国際マナーなど誰も関心はない。自省、自己批判の声はどこからも聞こえない。与野党ともに「あれは当然の行為で五輪憲章違反の政治的行為ではない」で一致してしまった。
日本選手のユニフォームにも反日病
<30> あの日本の体操選手(とくに女子選手)のユニフォームを見て旧日本軍の軍旗を想像するとは、すごい発想である。"反日病"と言っていいかもしれない。
ここでなぜ「旭日旗騒ぎ」になったかというと、韓国世論の日本を含む国際社会に対する"報復意識"がそうさせたのだ。
<31> 韓国のメディアが、IOCのロゲ会長に現地でインタビューしている(8月14日付、中央日報)。それによるとロゲ会長はまず韓国サッカー選手の件で質問に答え、「彼は一つの国家(日本)を相手に領土問題に関連した立場を表明しており政治的表現として異論の余地はないと考える」と明確に語っている。
その後で記者との間で次のようなやり取りが行われている。
「日本の旭日昇天旗のユニフォームもやはり政治的色彩を帯びていたのではないか?」
「旭日昇天旗のユニフォームが問題になるという事実はこの席で初めて聞く」
「問題にならないという意味か?」
「少なくともIOC内では議論になっていない」
日本の海上自衛隊の練習艦隊など日本の「軍艦」は、旭日の軍艦旗を掲げて既に韓国の港に何回も、粛々と入港している。
在米韓国人の反日に飛び火
<34> (在米韓国人)の行動はいつも本国の韓国を意識しており、そのパフォーマンスは米国でより本国メディアで大きく伝えられる。日本にとっては迷惑至極だが、その本国意識はどこか切ない。
五輪サッカーで問題を起こした事件の主人公の朴鐘佑選手は、後のインタビューでも明らかなように、事件を契機に今や国際スポーツにおける国際常識、国際マナーはちゃんと理解した。そして国内における「反日愛国」や「反日無罪」の行動が国際社会ではつ様要しないことも。
<35> その反省は実にスポーツマンらしい。
しかし韓国では国際マナー無視の「反日無罪」は依然、続いている。
日本大使館前になぜ慰安婦記念像が?
<35> 世界化や国際化時代を叫びながら、一方では国の品格を損なうような「反日無罪」という国際マナー違反が「愛国」を理由に平気で行われ、誰もそれを指摘できないである。その代表例がソウルの日本大使館玄関前に設置された慰安婦記念像である。
<36> 外国公館に対する侮辱などの不快施設は国際法(ウィーン条約)で禁じられているから、国際法無視、違反の疑い濃厚なのだ。それに外国公館周辺100メートル以内での集会やデモは法的に禁止されているのに、韓国当局は記者会見という名目で黙認し続けている。
韓国では反日感情は法律や規則より優先されている。法治国家ではなく「放置国家」である。
法治国家ではない"情治国家"
<38> 韓国はもともと必ずしも法治国家ではない。いや、法治主義ではないと言った方が正確かもしれない。「法治」より「情治」なのだ。(中略) 検察も裁判官も世論に実に敏感である。
もと慰安婦をはじめ過去補償問題で個人補償要求が日本に対し繰り返し提起されているが、これなど韓国政府が「日本との条約で補償は韓国政府がまとめて受け取っているので韓国政府に要求してほしい」と言えば済む話なのに、それを言わないのだ。国際関係で条約や法が通用せず守られないのでは、国と国との安定的関係は生まれない。
「反日無罪」をはじめ韓国のそうした「放置国家」「情治国家」ぶりは、我々を含め国際的にはありえないことである。

第二章 壮大な虚構としての慰安婦問題

"反日スター"になった元慰安婦
<44> (新聞の)死亡記事で顔写真付きというのはニホンデも韓国でも著名人に限られる。しかし韓国では著名人でなくても必ず顔写真付きで死亡記事が書かれ、その経歴が検証される人たちがいる。日本統治時代に抗日独立運動をしたという愛国者の「独立有効者」がそれだ。(中略)元慰安婦の老女たちは今や抗日独立運動にかかわった民族的功労者である「独立有効者」並に待遇されている。
しかしよく考えてみると彼女らは実際に「独立有効者」と言ってもいいのではないか。なぜなら彼女にはいま、最も果敢に日本との反日闘争を戦っている人々だからだ。その"戦場"は韓国や日本は勿論、米国や国連など国際社会にまで広がっている。彼女らは国際的な"反日スター"なのだ。
日本大使館前は反日名所
<46> 韓国のSBSテレビなどの韓国のマスコミが「受難の少女像」と題して特集で奉じていた。(中略)これは日本大使館前の慰安婦記念像に対し日本人旅行者(右派政党「維新政党・新風」のメンバー)による抗議パフォーマンスがあったからだ。これは「竹島は日本固有の領土」と書かれた木の棒杭を慰安婦記念像に立てかけ、写真に撮りその映像を日本のインターネットで流したというものだ。これが韓国ではマスコミによって「棒杭テロ」として大々的に報道された。
日本人による韓国批判のこのパフォーマンスが、法的にどういう罪になるのかさっぱりわからないが、逆に法治国家でないがゆえにその気になればいくらでも犯罪人を仕立てられるということだ。
なぜ韓国では可能かというと、(中略) (靖国神社の放火)テロの中国人は、実際にテロ行為をやっても反日という動機、心情がいいからと釈放され、慰安婦問題に抗議の日本人は、行為は違法でなくても動機(韓国批判)が悪いと法的に追及される。つまり法治ではなく「情治社会」だからである。
「感謝と慰労」か「謝罪と反省」か
<48> 1999年に「韓国人の歴史観」(文春新書)を出版した。
その内容が韓国の識者によって批判論評のかたちで新聞に大きく紹介された。批判というより「妄言」として激しく非難された。
著書の内容は「ぼくらが贖罪史観を背景に、彼らの歴史認識にそのまま歩調を合わせたのでは本当の姿はわからない」(あとがき)として韓国の公式歴史観に挑戦したものだった。
「韓国人にとって口惜しいのは昔、植民地にされたことだけではない。そこから自力で独立できず、戦後も戦勝国として認められなかったことが今に続くトラウマなのだ。彼らは戦時中はほとんど日本人になりかかり。ともにあの戦争を戦った記憶に悩む。だから反日はむしろ戦後のものであり、反日教育とは彼らの中の"日本"を消すことだった。彼らが良く言う"歴史の立て直し"とは対日協力の忌まわしい歴史を消すことではあるまいか」
<49> 抗議者たちが何に反発したかというと「協力か強制か」の問題である。
「筆者は旧日本軍将兵のために苦労した元慰安婦の韓国人女性に対し、現代の日本人の一人として述べる言葉があるとすれば、それは『感謝と慰労』だと思っている。日本人が慰安婦問題を『感謝と慰労』で考えることに韓国人は抵抗を感じ、拒否する。その抵抗史観からして『協力』という過去を前提とした『感謝と慰労』は受け入れられないからだ。その心情はよく理解できる。しかし日本人としては『感謝と慰労』が歴史の真実により近いと考える」
抗議者たちは、慰安婦は協力ではなく無理やりの強制によるものだから「謝罪と反省」でなければいけない、強制による結果に感謝されるいわれはないというのだった。
テレビドラマがもたらした絶大な影響
<50> 1991年から92年にかけてMBCテレビが放送した大河ドラマ「黎明の瞳」が、慰安婦問題の拡大に大きな役割を果たした。
<52> ドラマ『黎明の瞳』はそれまで公然と語られることはなく、隠された存在だった旧日本軍の「従軍慰安婦」を公然化、大衆化させるとともに、彼女らを「復権」されたのである。(度欲註:韓国では売春婦は社会の最下層に位置し、けがらわしい存在として無視され続けてきた。それが一躍一般人なみに扱われたので「復権」なのだ)
<53> 慰安婦とは日本統治時代における対日協力ではなく、それに抵抗したあくまで強制による奴隷化だったと主張したい為なのだ。
日本統治時代を侵略・収奪とそれに対する民族的抵抗で描く公式史観がある。言い換えれば「強制と抵抗」史観である。
<54> 「独立記念館」はソウル近郊にある大規模な施設である。韓国の公式史観ともいうべき抵抗・独立運動中心の歴史観である、いわば「よくやった史観」「がんばった史観」がその展示思想になっている。
たとえ強制があったとしても結果的には協力である。しかしそれは認めたくない、いや認められない。それはあくまで強制の被害者であり抵抗者でなければならない。それが韓国人特有の歴史認識である「歴史立て直し」である。
事実より"あるべき歴史"で考える
<54> 韓国人の歴史観というのは歴史を「あった歴史」より「あるべき歴史」で考えるということだ。
<55> 慰安婦問題にはいくつかの転機があったが、そこには多くの虚偽が含まれていた。その虚偽もまた「あるべき歴史」観の産物である。
日本が負うべき責任とは
<57> 東和日報は社説でこう書いた(1992年1月15日付)
「まさに天、人共に憤怒すべき日帝の蛮行だった。人面獣心というが、こんなにまで非人道的な残酷行為ができるのだろうか。12歳の小学生まで動員し戦場で性的オモチャとして踏みにじったという報道に再び湧き上がる憤怒を抑えがたい……」
彼女は貧困や複雑な家庭環境から、14歳の時に日本でいう芸者の置屋である「キーセンの検番」に身売りされ、そこで育った。17歳になった1941年「検番」の養父に連れられ中国に渡った。日本軍相手の慰安婦を約三か月やらされたが、慰安所にやってきた韓国人と脱出。その後にその韓国人男性との間に二人の子供をもうけ、戦後四人で韓国に帰国している。
不孝な人生と九郎については同情に値するが、すでに70年前になる当時の彼女の人生について、現在の日本は国家的にどこまで責任があるのか。どこまで責任を負わなければならないというのだろうか。
<59> 東和日報は2010年7月30日付けで「光復後の韓日関係-海外に残された殖民の傷跡」で元慰安婦のインタビューを掲載した。
中国武漢に住む82歳の老女で、彼女は戦後、中国人と結婚しそのまま中国に住んでいた。2003年に帰国したが環境が合わず、二年半後に再び中国に戻ったという。武漢でおこなわれたインタビューで慰安婦経験を次のように語っている。
「1944年、17歳の時近所のお姉さんから"中国に行けば工場に就職しなくても金を稼げる"と聞き中国に行った。漢口の積慶里に到着してやっとそこがどういう所か分かった。右も左もわからず言葉も通じないので逃げられなかった。狭い道の両側に12件ほどの慰安所があり、日本軍が使っていた建物が守っていた。謂うことを聞かないと平壌出身の主人夫婦にこん棒で殴られるお姉さんたちもいた」
このケースも日本が今、どこまで責任を負うべきなのかよくわからない。
歴史戦争に腹をくくれ
<60> 日本は国際化した慰安婦問題神話を甘受し、今後も日本非難に耐えていくのか。それとも原点に戻って神話を打破し内外での厳しい"歴史戦争"を果敢に戦うのか。腹をくくらなければならない。

第三章 竹島は取り戻せるか?

"虎の尾"を踏んだ李明博
<61> 2012年8月10日、李明博(イミョンバク)大統領による、韓国いうところの独島、つまり竹島への電撃的上陸は日本を大いに驚かせ、怒らせた。
これまでの日韓関係の悪化は、ほとんどが韓国の世論悪化を背景にしていた。ところが今回は逆となった。
<62> ある国が自らの領土問題に関する公式的立場や主張を自国の教科書に記載することは当然であり、韓国を含め世界共通の常識である。ところが韓国だけは日本に対しそれをケシカラン、止めろという。こうした非常識に日本の世論は首を傾げ「日本をバカにした非難」として不満を募らせている。
そもそも日本海の無人島だった願生のような竹島は、日本が日露戦争当時の1905年(明治38年)、領有権がはっきりしない「無主の島」として日韓併合(1910年)に先だち日本領土に正式編入した。
<63> 1965年の日韓国交正常化の際、問題は未解決・棚上げとなったが、韓国側は一方的に"実力支配"を続けてきた。
<64> 彼(李明博)がそこまでして愛国者パフォーマンスにこだわった心理の背景には、愛国者とは逆に、在任中に反対勢力による「親日派」疑惑というべき非難、中傷にしばしばさらされてきたこともある。
親日派疑惑のトラウマに悩む
<66> 「日本何するものぞ!」--この気負いと達成感、高揚感が(教科書検定問題の)直後の「天皇謝罪要求」にもつながった。
<67> 韓国国民のあの島(竹島)への感情は、一方的情報と他に聞く耳をもたない強烈な思い込みからして、今や信仰に似たところがある。
年間20万人が独島観光
<71> (「静かな外交」は)領土紛争では正論であり常識である。支配している方はコトを起こさず黙って静かにしていた方が有利だが、奪われたと思っている方は機会あるごとに騒ぎ「オレの物だぞ!」といって相手の不当を訴えようとする。
しかし、韓国は逆なのだ。これまで奪われた日本より奪った韓国の方が騒いできた。日本側に韓国の"実効支配"を揺るがすような動きはないにもかかわらず、これ見よがしに「オレの物だぞ!」と叫びまわってきた。日本では(残念ながら)竹島問題への関心はきわめて低かったわけだから。騒ぐのは余計まずいはずなのに。
<72> 韓国にとって独島問題はいまや領土問題ではないのだ。(中略)「領土問題から歴史問題」への転換は盧武鉉(ノムヒョン)政権(2003-2008)時代に明確になった。(中略)「独島熱」は2000年代以降、より高まったのだ。
「独島ファシズム」とマインド・コントロール
<73> 韓国の国民はこれまで竹島・独島について、1965年の日韓国交正常化の際、解決がつかないため棚上げになったこと、日本が敗戦後の独立喪失から復活した1951年の対日講和条約に際し、国際社会(連合国)は竹島に対する韓国の領有権を認めなかったこと、紛争状況の中で日本は国際司法裁判所(ICJ)での仲裁を提案してきたことなど、ほとんど知らされてこなかった。
<74> 情報を与えないことによる愛国熱狂の中での国民マインド・コントロール(中略)の結果として「誰が何と言おうと独島は我々のもの」という宗教にも似た確固不動の国民心理が形成された。知らないことは強い(?)
<76> (日本政府の)事なかれ主義の対韓いじけ外交が、前述のような韓国内での竹島問題に係る一方的な情報流通と国民マインドコントロールを助長してきたのである。
終わりなき対日独立戦争
<76> 韓国の日本に対する鬱憤は過去の歴史にあることは間違いない。しかしその鬱憤は日本に支配(侵略)されたことより、その支配を自力で打ち破ることができなかったことにある。
<77> 韓国は竹島を舞台に日本と"疑似戦争"を展開しているのだ。この「戦いの気分」こそ竹島問題の核心である。
竹島に対しあれだけ長期安定的(?)に実効支配(実力支配)を続けているにもかかわらず、常時「日本が奪いに来る!」「独島を守れ!」と叫んでいるのはそのせいだ。また奪った側であるにもかかわらず、国際的には"損"であるにもかかわらず、独り相撲のように大声で騒ぐのはそのせいである。戦争は相手が攻めてきてこそ戦争になる。韓国は頻りに日本を挑発しているのだ。
竹島が奪われた原因は?
<80> 日本の立場から言って、竹島はなぜ奪われたのか?それは戦後の日本が過去(軍国主義)への反省・反動から国家や領土への関心や愛着が後退したからである。
日本が主張している国際司法裁判所による判断はどうか。韓国が裁判を拒否している限りこれも不可能だが、仮に韓国が裁判にOKした場合、韓国が勝訴すれば日本は昔から裁判に従うことを内外に鮮明にしているため、そこで一挙に解決する。
ところが、日本が勝訴した場合は、解決は不透明なのだ。韓国政府は裁判にOKした手前、判決に従うというがマインドコントロール下の世論は承知しない。「誰が何と言おうと独島はわれわれのもの」だから。
<82> 竹島に対する韓国の支配は、日本が1945年の敗戦で一時、国家主権を喪失したことがコトの始まりだった。これは北方領土もそうだが、戦争に負ければ領土も失うという歴史の痛切さを物語っている。その背景には日本人の"領土"への無関心もあった。韓国は、戦後の日本社会が過去(軍国主義?)への反省として否定した領土ナショナリズムや愛国心において、日本を圧倒したのである。竹島-領土問題への情熱で日本は韓国に負けたのである。

第四章 反日の効用

乱舞する捏造写真
<83> 2013年2月3日、韓国KBSテレビは日曜夜九時のゴールデンタイムのニュースで「関東大震災の際の朝鮮人虐殺の写真を入手」とやっていた。
<84> 実はこの写真は当時、東京の風俗営業地域だった遊郭・吉原での犠牲者の写真で遺体は遊郭の女性たちだという(月刊雑誌『will』2013年5月号の河東康男論文)。撮影者も確認されている。結局、韓国の報道はとんでもないデッチ上げりねつ造写真だったわけだが、(中略)また在米韓国人が米国での反日活動に利用しようとしているようだ。(度欲註:黒田氏が述べているのはこの写真だろう)

<http://www.geocities.jp/windows_user2009/great_kanto_earthquake00.htm>から引用。
<度欲註>この贋作者が浅はかなのは、当時は横書きは右書きだったということを知らなかった点だ。さすがにボールペンでは書いていない。この点を考慮したことは評価できるとしてもだが。

韓国のメディアにはもちろん訂正報道はなかった。これはいつものことで、日本たたきなら何でもありなのだ。
それでもお手本としての日本
<86> 韓国では反日の一方で実は「日本に学べ」という日本お手本論も結構多いのだ・やはり韓国にとって日本は、近代化をもたらした日本統治時代から今に至るまで依然、先進国だからだ。
マスコミの異様な反日情熱
<89> 日本との間でいかに「過去」のことがあったとしても、あの関心と批判、非難は多すぎる。異様である。
<92> 大統領選をはじめ政治の舞台で、親日派疑惑という反日カードが今なお後を絶たないのは、それが政治的な効果を持っているからだ。あるいは政治的効果があると信じられているからだ。当事者はそりがあれば懸命に隠そうとし、反対派はそれを懸命に探し入手すると大喜びする。
反日はカタルシス
<93> 韓国人は自ら「ハンの多い民族だ」という。(中略)韓国人は「恨みの多い人たち」であり、その文化は「恨みの文化」ということになる。
韓国人のハンの真理にはもう少しプラスアルファがあるように思う。つまり韓国人のハンには「夢や希望、期待…など、本来そうありたい、そうあるべき、そういうはずだったと思ってきた自分の思いが、いろいろな事情でかなわなかったことから生じる、やるせない気持ち」といったような心情が込められているのだ。
"ハン"の韓国スポーツ・ナショナリズム
<95> スポーツは戦いであるだけに、「ハンの文化」の韓国にとっては過去、日本支配に対してやれなかった「見果てぬ夢」である対日独立戦争を今、スポーツを舞台にやっていることになる。だから何が何でも勝ちたい。
<96> 元慰安婦の老女たちを押し立てた日本大使館へのデモをはじめ、あの執拗な反日運動は、過去やれなかった「見果てぬ夢」である対日独立戦争を今、仮の姿でやっているということなのだ。そこで元慰安婦の老女たちは対日協力者ではなく、抗日独立運動の闘士としてよみがえる。
ワールドカップ四強から経済四強へ
<100> 韓国スポーツ・ナショナリズムはすごい。ナショナリズムとは民族主義的感情だからスポーツの成果を越えるのは当然としても、国民統合の役割まで負わされているのだ。驚いたのはW杯で四位になったことから「W杯の四強を経済の四強へ」というキャンペーンが官民挙げて展開されたことだ。
2002年のW杯三位になったからと言って「経済三強へ」とか「再び中東の覇者へ」などといったキャンペーンが(トルコで)展開されたのだろうか。国を挙げての歓喜は当然あっただろうが「あくまでサッカーはサッカー」で終わったに違いない。
2002年の韓国スポーツ・ナショナリズムの高揚はそれほどすごかった。
<101> 余談だが「経済四強」で驚いてはいけない。ソウル大学の歴史学者は「世界四強の文明国へ」とまで言っている。(2002年8月15日付、東亜日報での韓永愚(ハンヨンウ教授)。「(W杯勝利で)日本に対する劣等感から抜け出しただけではない。西洋コンプレックスからも脱出する契機になったのだ。W杯は西洋からの光復をもたらしたのではないだろうか。事実、日本からの光復は西欧からの光復によって完結するといえる。日本梨過酷な植民地支配自体が日本文明と西洋文明の合作品だったからだ。数千年の歴史において蓄積されてきた応戦の知恵を国政に反映し、世界四強の文明国として立ち上がり、三百年周期の中興の歴史を新たに開拓しようではないか」
<102> 先に紹介したように、W杯勝利は民族的念願だった国民の一体感を生み、さらには対日コンプレックスからの脱出も実現したという。
<103> 韓国は昔から(李朝時代から?)政争が激しい。政治隙の国民そしてメディアはいつも韓国社会の現状として政治対立、国論分裂を印象付けられている。「すぐ一体化するがすぐ分裂し対立する」というのが韓国人の自画像なのだ。
日本離れはいつ?
<104> ところが現実はすでに「独島反日」や「慰安婦反日」で詳しく紹介したとおりだ。反日はさっぱり後退していない。いやむしろ反日は目立つくらいだ。「反日の効用」はまだ残っているということか。
韓国では反米に対しては親米があって親米デモをやるし、反北には親北が公然と存在する。しかし反日だけには対抗して親日派を公言する者はいないし、親日デモもない。スポーツ・ナショナリズムで「国民が一つになる」ように反日だけはいつも国民を一つにさせる。従って国論統一のためという「反日の効用」は依然、あるということだ。
しかしそれよりも、反日がいまだ効用を保っている背景としては、やはり「日本支配を自力で打ち破れなかった」という歴史的トラウマが大きい。


第五章 反日はなぜ生まれたのか?

「世界一反日で世界一親日」の不思議
<108> (1971年に筆者(黒田)が初めて韓国を訪れた当時は) 今考えると韓国自身が日本との国交正常化(1965年)に踏み出した朴正煕政権下にあって、そうした日本との直接的な「過去」の史実や史跡へのこだわりより「まずは良い暮らしを」という未来志向の経済建設に、国を挙げて踏み出していたという時代背景もあった。メディアを含め韓国自身、対日PRなど対日姿勢は「過去」より現在、未来に向けた努力をアピールしていた。韓国世論の大勢もそうだった。
「明るい北朝鮮・暗い韓国」の時代
<109> 1970年代までの(中略)韓国は経済建設のためひたすら未来志向だったのだ。
筆者(黒田)をはじめ日本における韓国関心派(特にジャーナリズムや知識人)は贖罪史観から逆に過去にこだわっていた。(だから黒田も)日本にとっては「すみません」という贖罪意識の対象だった「堤岩里」から(黒田の初韓国旅行は)スタートしたのだった。
<110> また戦後の日本では南朝鮮つまり「韓国」の影は薄く、その存在感は北朝鮮に比べはるかに小さく弱かった。(中略)戦後日本はジャーナリズムや知識人世界を中心に長く「社会主義幻想」に侵されていた。思想状況は左翼全盛時代だった。過去(戦前)比定の反作用として「新時代の理想イコール社会主義」が無邪気に信じられていた。
中ソをバックにした社会主義の北朝鮮は善であり、帝国主義・米国に支配された韓国は悪であり否定的存在だった。北朝鮮は社会主義革命建設にまい進する明るい国で、韓国は経済的に疲弊した貧しく暗い独裁国だった。
日本での「明るい北・暗い南」というイメージ形成には、北朝鮮による対日工作と同時に韓国の内政も強く影響していた。李承晩(イスンマン)政権や朴正煕政権下の反体制・野党陣営は日本を舞台に本国非難を繰り返した。亡命者をはじめかれら反政府派が伝える韓国事情は当然、暗い。戦後日本社会では北朝鮮の政治工作と韓国の反政府勢力によって、韓国については否定的情報ばかりが流通していたのだ。
<111> 当時の筆者(黒田)の心境というのは三点あったように思う。社会主義幻想下での「革命的ロマンティシズム」と、朝鮮半島と日本の歴史に関わる「歴史的贖罪意識」そして自虐的な日本批判だ。
日本文化禁止の真相
<113> 韓国では解放後、長く日本の大衆文化は禁止されていた。
<114> 日本の大衆文化の輸入、公演禁止は1965年の日韓国交正常化以降も続いた。解禁されたのが金大中(キムデジョン)政権(1998-2003年)の時である。しかし解禁は段階的に進められ、2013年の現段階でもテレビ(地上波)での日本歌謡や日本の映画、ドラマはまだ解禁されていない。日本では韓流ドラマやKポップ歌手たちがガンガン登場しているというのに。これは階段のたぐいか悪い冗談だろう。
韓国における日本大衆文化輸入禁止の理由は「国民情緒が許さない」だった。韓国政府はいつもそう説明し、世論(メディア)も納得し支持してきた。反日感情がいるからダメだというのだ。しかし「真相」はこれではない。(中略)そんなに反日感情があるなら、政府が禁止するまでもなく国民が拒否するはずではないか。(中略)嫌いならわざわざ禁止などしなくてもいいのだ。
端的にいえば、韓国では禁止しないと国民が日本のモノをつい好んでしまうから禁止したといった方がいい。つまり韓国人には、本音ベースで日本の大衆文化を拒否するような、そんな反日感情はなかったということだ。
日本支配からの解放、そして反日へ
<116> 解放は突然やってきたため、日本人化していた韓国人にとってまず重要だったのは、新生・韓国にふさわしい「本当の韓国人」になることだった。そこで行われたのが反日教育だった。
日本統治時代が悪逆非道で食うや食わずの不幸なだけの暗黒一辺倒の時代だったなら、あえて反日教育をするまでもない。体験だけで十分である。黙っていても反日だっただろう。しかしそうではなかったため「日本はいかに悪いヤツだったか」「日本による統治はいかにひどかったか」を改めて教育しなければならなかったのだ。
<117> 韓国の反日は、解放後、国家、民族としての必要性ゆえに教育によって過剰に作られ、広がったのである。
経済で反日もしばし休止
<117> 日韓国交正常化の動機は経済建設だった。朴正煕は反日(民族的自尊心)を棚上げにし経済発展という実利を選択した。
朴正煕死後、1980年代後半以降の民主化によって、過去批判、より正確にいえば過去の政権批判が広かった。その結果、それまで相対的に抑制されていた日本との核の歴史が表面化したのである。
韓国の事情で揺れ動く反日
<119> 韓国における反日の再浮上は韓国での事情の変化によることが分かる。そして民主化以降、現在に至るまで鮮明になっている国内政治の激しい左右対立にもまた、大きく影響されてきたことが分かる。
<122> 民主化以降、最近にいたる反日再浮上あるいは竹島問題、慰安婦問題などあらたな反日の高揚には、政治的状況論のほか韓国人の変化や社会的雰囲気の変化がある。
<123> 国力培養論が効かなくなったのは、すでに国力培養は実現し「日本に勝つ」こともそれほど切実なことではなくなったからだ。国力培養には対北朝鮮観も含まれている。「飢餓と飽食むの南北対比とあっては、朴正煕時代のようなあるいは80年代までのような北の脅威を背景にした発想はもう効果をもたない。
近年、独島問題や慰安婦問題さらには「日本海」名称に対する非難など、反日を国際社会に持ち出してアピールしようとするのも過剰ともみえる自信を背景にしている。
いまだ満たされない歴史のハン
<124> (反日の正体とは)「民族的自尊心」の問題である。(中略)韓国における近年の反日は「いまだ満たされない民族的自尊心」のためである。
<125> 南北分断責任論では「日本の負け方に問題がある」という日本責任論もある。
日本の降伏は早すぎたという。「もう少し遅ければ我が光復軍が朝鮮半島に進軍していたから」という。そうすれば日本との間で独立戦争、解放戦争となり、日本を打ち負かし自力で開放を勝ち取っていたはずだというのだ。「光復軍」とは当時、中国で日本軍と戦っていた蒋介石の中国軍(重慶)の下にして、訓練を受けていた小規模の韓国人部隊のことだが、実際は彼らは日本降伏後も韓国に"凱旋"するようなことはなかった。
この最後の話が韓国にとっては果たせなかった夢であり「歴史のハン」になって残ったのである。(中略)これが満たされないまま今にいたるということが、現在の韓国の反日の正体である。
<126> "日帝体験"がなくて、その代り抗日独立運動中心の「よくやった史観」「がんばった史観」で過剰な反日教育を受けた解放後世代ほど諦めがつかないのだ。とくに近年、豊かな時代に育ち、あふれるほどの自信を持たされた人たちには、韓国が昔、日本にしてやられたことは想像できない、そして我慢ならないのだ。


第六章  韓国人の歴史観は面白い

「あった歴史」より「あるべき歴史」
<127> 反日の背景には、歴史について韓国人特有の考え方つまり歴史観がある韓国では「歴史を正しく立て直す」(ヨクサ、パロ、セウギ)などということが平気でよく言われる。われわれは「歴史とは過ぎ去った昔の出来事」くらいに思っているので、それを「正しく立て直す」などといわれてもピンとこない。しかし韓国人はそれで納得なのだ。
<128> (日帝謀略説とは)「日本帝国主義は韓国支配のため韓国(人)の民族魂を抹殺しようと、民族の精気が流れる各地の名山の頂上に鉄の杭を打ち込んだ」という。この節の背景には(中略)「風水説」がある。
<129> 「民族の精気」とは(中略)「民族の魂」という感じか、あるいは英語で言う「アイデンティティ(存在証明)」に近いかもしれない。
<130> そうした山の岩場の鉄杭は三角点や測量、登山など何らかの施設のためのもので、それが「民族精気の抹殺のため」に日本人によって意図的に打ち込まれたなどという証拠は全くない。
<131> 全羅南道・海南(チョンラナムド・ヘナム)の山でも「鉄杭引き抜き式」が行われている。
この鉄棒も長さ50cmほどだった。(中略)「こんな小さな鉄杭を打ち込まれて断たれてしまう民族精気とはいったいどんなものなのだろう?」
反日に検証はいらない
<132> (風水謀略ニュースに対して)あれだけ批判的報道が好きな韓国メディアが疑問や批判を全く語らないのだ。
その心理はおそらくこうだろう。つまり風水謀略説が事実かどうかは問題ではないのだ。(引き抜き式)を大まじめにやっている気持は反日愛国主義だから、バカにしたり否定してはいけないのだ。あくまでも動機が重要なのである。
韓国における靖国問題の虚実
<133> 韓国が中国と一緒になって靖国参拝に反対するのは、日本の敗戦後、いわゆるA級戦犯と称され連合国による裁判で死刑判決を受け処刑された人たち(7人)が、他の戦死者とともに靖国神社に祀られている(合祀)という理由からだ。
戦争の勝者が敗者を断罪した通称「東京裁判」とか「極東裁判」と言われる裁判は、(中略)所謂植民地支配を断罪するものではなかった。もしそれをやるとなれば英、仏、オランダなど連合国自体が罪を問われることになる。しかも韓国は日本と戦った戦勝国ではなく、連合国の一人でもなかった。つまり韓国はこの裁判に直接関係はなく、処刑されたいわゆるA級戦犯も韓国とは関係ないのである。
<134> 韓国は結局、世何千の日本による支配・統治の被害者ということで、民族感情として裁判の結果に身を寄せたに過ぎないのだ。そして実態とは別に、心情として自らを対日戦勝国である連合国と同列に置いたということに過ぎないのだ。
これも(中略)切ない心情「あるべき歴史」としての見果てぬ夢なのだ。
<135> (大東亜戦争に)韓国人はだまされ、あるいはむりやり戦争に狩り出されたとなる。それを日本の戦死者の戦友として、日本の協力者として祀られるのは困る。かれらはあくまで日本支配の犠牲者であって戦友などではない。その冷酷だけでも忌まわしい日本(國)から連れ戻さなくてはならない、となる。テレビ討論でも韓国人遺族はそのようなことを主張していた。
「戦友」というのは「あった歴史」であり、「犠牲者」というのは「あるべき歴史」ということになろうか。そして前者を否定し消し去るのが「歴史の立て直し」なのだ。
韓国人特攻隊員の慰霊碑は許されない
<137> 女優の黒田福美さん(中略)はある思い入れから韓国人特攻隊の慰霊碑建立を思い立った。その魂を故郷に連れて帰って慰めたいと、韓国南部の出身地に建立を計画した。この特攻隊員は「光山文博少尉」で韓国名は卓庚鉉。彼は出撃前夜、特攻隊員の母として慕われた食堂の女主人、鳥濱トメさんの前で民謡『アリラン』を歌ったことで知られる。少なくとも14人の名前が分かっている韓国人特攻隊員の象徴的存在になっている。
遺族は彼女の志に賛成し感謝していた。(中略)ところが除幕式の当日、これに反対する地元重任が阻止に押しかけ警官隊も動員されるなど大騒ぎとなり、除幕式は流れてしまったのだ。
戦死した韓国人特攻隊員は日本人の手で(特攻隊員)として帰ってきたから許されなかったのだ。彼女の慰霊碑計画はその魂を故郷に返すという発想だったが、太平洋戦争(大東亜戦争)の時に沖縄の海に散った(特攻隊員)として慰霊碑に刻まれていたのでは、韓国人の歴史観からすると認められないのだ。特攻隊員であったことを消し去り「日帝の犠牲者」としてこそ堂々と故郷に帰れるというものだ。遺族は認めても韓国の反日思想、そしてその歴史観からは認められなかったのである。
<139> 1936年ベルリン五輪のマラソンで優勝した韓国人孫基禎(ソンキジョン)の"記念碑"のことである。オリンピック記念スタジアムの壁には「Kitei Son Japan」と刻まれている。これが韓国人には以前から鬱憤のタネだった。孫基禎は当時、韓国が日本に併合されていたため日本国籍で日本選手団の一員として五輪に出場した。
<140> (1970年に)韓国の国会議員が暮夜、スタジアムに忍び込み、ノミと金槌で文字を削り取るという事件まで起こしている。(中略)ちなみにくだんの国会議員はドイツ当局から逮捕状が出たが、すでに出国した後だった。ドイツ当局は碑文は直ちに元通りに修復したと、当時のニュースは伝えている。
IOCをはじめ国際的には当然、1936年ベルリン五輪の記録として当時のままを歴史として残しているが、韓国人はそれを認めたがらないのだ。つまり彼らの「あるべき歴史」感からすると孫基禎は「ソンキジョン コリア」でなければならない。そのためには「あった歴史」である「キテイ ソン ジャパン」は消してもいいのだ。いや、むしろ消して書き換えなければならないのだ。
<142> インドネシアの国立墓地に日本人として葬られていた梁川七星(韓国名梁七星)は、近年になって韓国でマスコミ報道や「梁七星の国籍と名前を取り戻す市民運動」など愛国キャンペーンが行われた。その結果、インドネシア政府も了承し、新しく墓碑が作られ韓国人として「yang chilsung Korea」になったというのである。
これでインドネシア国立墓地から「元日本兵・梁川七星」は永遠に消えたのである。これも「あった歴史」から「あるべき歴史」への韓国流「歴史の正しい立て直し」である。韓国人の歴史観では何ら問題ないだろうが、一般的にはこういうのを歴史歪曲というのではないだろうか。
(度欲註:金品を役人につかませたのだろう。よくある話だ。)
今更なぜ日韓併合無効宣言か
<143> 2010年が日韓併合から百年ということでこの年、双方で日韓関係の過去回顧と未来展望などについて多くの議論や行事などがあり、その一つとして日本では国家次元で「菅直人首相談話」が発表された。(8月10日)
この百年論議で韓国側が目論んだのは、百年前の日韓併合条約についての"無効宣言 "だった。
この百年問題について筆者(黒田)は「韓国は日韓併合を脱してからすでに65年経っている。併合時代の35年間よりはるかに長い時間が過ぎている。併合が今なお続いているのならともかく、今さら併合問題でもないだろう。これは韓国にも失礼ではないかのか。
<144> とくにひどかったのは菅首相談話だった。 日本としての日韓関係百年に対する歴史認識が全く欠けていたのである。韓国側の要求や心情に合せるのに汲々として、日本としての歴史に対する真剣な洞察が全くといって見当たらなかった。
<146> 今なお韓国が併合条約の有効・無効、合法・不法にこだわっているのはなぜか。
日本政府は以前から、条約は双方の代表が調印したもので有効・合法の立場に立ってきた。しかし1965年の国交正常化の際お互い「もはや無効」で合意したように、韓国の独立で効力はなくなったというのだ。しかし韓国側は「もはや」は1910年に遡って無効という意味に解釈し、改めて無効を確認しろというのだ。国際的には締結当時から合法刺され国際社会も認めてきた。今も国際的にはそれが大勢である。しかし韓国側は納得しない。
<147> 韓国が対日戦勝国になれず、連合国に加えられず、対日講和条約に参加できなかったという例の「歴史のハン」には併合条約問題が引っかかっているというのだ。韓国の公開文書を通じ、当時の韓国側の調査委員会報告書を分析した研究結果は次のようだった。(2009年3月刊 『東洋史訪』15号収録の藤井賢二論文から)
「(韓国が対日講和条約に参加できなかったのは)対日戦争に参加しなかったという事実に起因すると言えるが、韓日合併条約無効論の立論が不十分であったためでもあると記されている。韓国にとって、日韓併合条約などの旧条約は無効であるという主張は、日本に対して自らを連合国として位置付けることと不可分であり、妥協は許されなかったのであるけ
日韓併合条約無効論も韓国人の「見果てぬ夢」の「ハンブリ」であり、「あるべき歴史」のための「歴史の正しい立て直し」なのだ。(中略)こうした韓国人の特異な歴史観には、日本としては付き合いきれないだろう。


第七章  日本隠しとウリジナル主義

ソウル地下鉄は日本の支援で完成
<149> (朴朴正煕大統領夫人の陸夫人)がテロに斃れた1974年8月15日は、ソウル地下鉄の開通式の日だった。
ソウル地下鉄一号線は実は日本の資金援助と技術支援で完成した
<150> 1973年に東京で起きた韓国の情報機関(中央情報部)による金大中拉致事件の後、にほんではマスコミを中心に「韓国はいかにひどい国か」と激しい"韓国叩き"が行われた。
日本のマスコミには韓国に関するあらゆる悪情報があふれた。日本政府は安保的観点などから金大中事件で韓国(朴政権)が政治的に弱体化することを懸念し、韓国政府に対する厳しい追及を控え、事件処理を韓国側に任せることで政治決着させた。これがまた日本国内では"日韓癒着"として政府非難になってはねかえってきた。(中略)そこで取り上げられたのが「ソウル地下鉄問題」だった。1976-1978年にかけ韓国批判の代表例で日本のマスコミや国会をにぎわした。
<151> (技術サイドの支援・協力に当たった日本の鉄道建設公団「鉄建公団」の人達は)8月15日の開通式には当然、招かれ共に完成を祝えると思っていた。ところがキレらには招待がなく、開通式には参加できなかったというのだ。いかに残念だったかその時の心情を語ってくれた。
<152> これは韓国におけるいわゆる「日本隠し」の一例である。(中略)日本にお世話に勝ったことを隠そうとする。反日の手前それは民族的自尊心にかかわる。「あるべき歴史」観からは宿敵・日本からの支援、協力の受け入れなどあってはならないのだ。
協力と反日のパラドックス
<152> 日本と韓国の関係において、韓国にとってあれだけ批判、非難し続けている日本に、手助けされたりお世話になったということは実に我慢ならないことだ。(中略)そこで日本に対する、あるいは自らに対する我慢ならない感情をなだめるために二つの心理操作が行われてきた。
一つは日本の協力や支援を「当然」「当たり前のこと」として心理的負担にならないようにすること。もう一つは支援、協力の事実をできるだけ隠し広く知られないようにすることだ。(中略)この二つが絶妙にあいまって、韓国人は対日心理のバランスを保ってきたのである。
<154> 日韓国交正常化の韓国にとっての意味は、(中略)韓国の対外信用度が一気に高まった。いわば日本の"お墨付き"によって韓国の対外関係は広がり、安定、拡大に向かったのだ。
国交正常化交渉では(中略)日本側には個人補償的な資金提供案もあったが、韓国側は国が代表し一括して受け取ることを主張しそうなった。
韓国政府は資金のほとんどを経済的、社会的基盤作りのために使い、それがその後の経済貼っての基礎となり現在の繁栄につながった。
ところがその後、特に近年、戦時中の韓国人慰安婦や徴用労働者など「個人被害」についての補償問題が、日本への新たな要求として盛んに語られている。
過去にかかわる「補償」は韓国政府が代表し日本から一括して受け取ったわけだから、個人には韓国政府が対応すれば済む話である。(中略)にもかかわらず日本への要求が執拗に続いているのは、日本対する非難、糾弾を目的とした、日本を国家として屈服させようという反日運動というしかない。だから日本としてはまともに付き合いきれないのだ。
<157> 韓国側の韓日協力委員会の現在の会長は南(直+心)祐(ナムドクウ)元首相であり、(中略)彼が経済企画院長官(閣僚)をしていた1970年代後半に経済企画院が発行した『請求権資金白書』(1976年12月刊)というのがあり、(この中で)請求権資金5億ドルがどのように使われたかを詳細に木樹下韓国政府の公式報告書である。
<158> これを見ると請求権資金つまり日本からの支援協力が韓国のあらゆる分野の建設、発展に投入されたことが分かる。覚国を南北に貫く陸の大動脈になった京釜高速道路建設、韓国が世界に誇る製鉄所・浦項綜合製鉄(現POSCO)建設、主都ソウルを洪水から守る韓国最大の昭陽江(ソヤンガン)ダム建設をはじめ、その資金は韓国のインフラ(社会産業基盤)のほとんどすべてに使われている。
<159> 対日請求権資金つまり日本による「過去補償」にはこんな事実があり、記録まであるのに、韓国社会ではほとんど知られていない。いや知らされていないのだ。メディアや知識人は意図的に隠してきたのだ。政府もまた日本への各種の要求を続けるために、口を閉ざしてきた。
<160> しかし必要なのは今さらの正常化批判ではなく、にもかかわらずこの50年間に亦違いなく行われた日本の韓国に対する支援、協力その成果の確認である。韓国社会には今なお「日本は韓国のためにいいことは何もしていない」「何も償ってはいない」という虚偽が流布され、政治家やメディアや知識人はそう言い続けている。国交正常化50周年で「新たな協力時代」をいうのなら、まずこの姿勢が改められなければならない。
金大中は日本を評価した
<161> 1998年10月、東京での日韓首脳会談の際、発表された金大中大統領と小渕恵三首相による「日韓共同宣言」で、(中略)金大中大統領は「世界経済及び開発途上国に対する経済支援等、国際社会の平和と繁栄に日本が果たしてきた役割を高く評価する」としている。
しかし、あくまでも「相互の発展に寄与」であり、「国際社会での役割」としてである。「我が国に対する」ではないのだ。正直ではない。これでは印象に残らない。
やはり民族的自尊心のせいである。「日本は我が国の発展に寄与した」とはいえないのだ。
奇妙に広がるウリジナル幻想
<161> 韓国の過度の民族的自尊心は近年(中略)「ウリジナル主義」の方向に向けて広がっている。ウリジナルとは、何でも韓国が起源だとする韓国の風潮を皮肉った言葉だ。
<162> 日本文化についてのウリジナル主義は対日コンプレックスの裏返しである。(中略)もともと韓国は中国文明圏の先輩、優等生として日本より文化が進んでいたという民族的自負心、自尊心を背景にした「あるべき歴史」なのだ。
<163> とくに代表的な日本文化に対するウリジナル主義は日本への対抗心を物語っている。
近隣地域だけに似たようなものはありうる。しかしそれに独自の創造性を加味しいかに"文化"に仕立て上げるかが重要であって、そうしてこそ人々に評価され持続的に存続できる。だから韓国が問題にしなければならないのは、今、韓国に日本のような大衆的でかつ洗練された茶道、生け花、相撲、剣道、柔道、歌舞伎………がなぜないのかであって、ルーツを自慢することではないだろう。
<164> 相撲もそうだが、ウリジナルつまり起源を主張するわりには伝統がないがしろにされている。
中国とも繰り広げるルーツ合戦
<165> 韓中ウリジナル戦争のきわめつけは高句麗問題だ。古代・東アジアで朝鮮半島北部から旧満州にかけて存在した古代国家・高句麗の歴史をめぐって、中韓双方で取り合っているのだ。こちらは近年、膨張主義、覇権主義が目立つ中国が仕掛けたもので「高句麗は中国の一地方政権でその歴史は中国史の一部に過ぎない」と主張し、高句麗を中国に囲い込んでしまった。これに対し韓国は、高句麗は百済、新羅とともに韓民族の古代三国のひとつであると猛反発し、中国を「歴史歪曲」どころか「歴史侵略」「歴史略奪」であるとして紛争になっている。民族主義で威勢のいい両国が歴史戦争でガチンコになっているのだ。
<166> 中朝国境地帯には朝鮮族自治州が存在し全体で約二百万人の道俗が居住している。この地域は19世紀末の日清戦争の後、日本が清(中国)に売り渡したもので無効だと、昔から韓国は主張している。
これには「高句麗の地は我々の地」という歴史回復欲つまり「あるべき歴史」観が作用している。かつてわが民族が駆けまわった北方の地への再進出は、彼らの「見果てぬ夢」である。そこに「あるべき歴史」を求めてもおかしくない。
<167> 日中間の尖閣諸島問題も実は歴史戦争である。東アジアはただ今、歴史戦争真っ盛りなのだ。日本はこの歴史戦争でしっかり応戦できているのだろうか。


第八章  日本人が次々と"極右"に

アメリカ人記者も反日の韓国を批判
<168> 「歴史についていえば、外国人は『正しい歴史』とか『本当の歴史』を学ぶべきだという韓国人達の説教に私は辟易している。実際のところそれは『歴史についての韓国人の解釈』という意味だ。なぜなら歴史は自然科学ではないし、いくつかの基礎的事実を除けば歴史的出来事や流れについては解釈は自由だからだ。私はこれまで異なった見解を認める韓国のメディアの記事を見たことがない。そのいつものやり方は『異論は無視しろ』『韓国の主張を繰り返せ』である……」
これは韓国駐在の米国人記者(アンドルー・サーモン)が韓国の英字紙「コリアン・タイムズ」(2012年4月30日付)に寄稿したものである。
韓国版ニューズウィークから消された記事
<170> 米週刊誌『ニューズウィーク』(日本版2012年9月5日号)が、竹島・独島の特集記事を掲載した。この記事は(中略)英語のアジア版(9月10日号)および日本語の日本版にはそのまま掲載されたが、韓国で発行される韓国語の韓国版には載らなかった。
韓国版ではアジア版の記事を外して韓国の読者には読ませなくしたのである。
記事は(中略)この間の経緯と双方の立場が詳しく紹介されている。(中略)韓国の興奮ぶりに対し若干の戸惑いや違和感は示しているが、韓国の主張、立場は十分紹介されている。
<171> ただ韓国にとって不満があるとすれば、記事が結論部分で、韓国が拒否している日本による国際司法裁判所提訴問題を肯定的に紹介していることや、国交正常化の際に問題が"棚上げ"になり未解決だったことを紹介していることだろうか。
つまり日本の立場や主張-韓国にとっての異論が詳しく紹介されていることが気に食わないというわけだ。韓国の読者には日本の主張など、異論は読ませたくないということなのだろう。
韓国版(9月19日号)に韓国編集長の「"独島記事"を載せない理由」題する記事の冒頭にはこう書かれている。
「ニューズウィーク・アジア版の表紙記事(カバーストーリー)は日本の資格だけを反映して編集されている。要約すれば日本は独島と韓日の過去史問題を合理的に解決しようとしているのに比べ、韓国人は理性的でなく独島に"執着"していると主張している。ニューズウィークの日本版編集長であるニューズウィーク東京特派員が作製した記事にいかなる問題があるのか検討してみる……」
中身は全てアジア版記事に対する韓国の立場からする反駁と批判で、かつ日本批判である。
<172> この問題に関する韓国及び韓国社会を外部世界はどう見ているかということ自体を、韓国の読者(韓国国民)には知らせたくないのだ。そしてひたすら「韓国の主張の繰り返し」である。
親日タブーに挑んだ韓国人の末路
<172> 日本で若い韓国人の手になる『親日派のための弁明』(2002年、金完燮著)という本がベストセラーになったことがある。
<173> 韓国は1980年代末、所謂軍事政権が終わり民主化時代になった。
民主化で多くのタブーが解けるなか、依然残ったのが日本タブーというか親日タブーである。
<174> この親日タブーに挑戦したのが『親日派のための弁明』であった。
彼の歴史子認識で興味深いのはこんな風に言っていることだ。
「我々は国を奪われたのではなく、日本というよりましな統治者を受け入れたのである。これは明らかに進歩であり民衆の自然な選択であった……」
当時の朝鮮半島においては「日本は唯一の革命勢力だった」ということで日本を評価し、その二本と手を結んだ「親日派」を擁護するのだ。
<175> ところが、金氏は(国会に)招かれた立場であるにもかかわらず、国会内のセミナーでは興奮した参加者から殴られ、法廷では傍聴者から暴行を受けているのだ。 (このような行為は)民主主義手はとうてい認められないものだ。
民主化を謳歌する民主化時代の韓国で、暴行が平然と行われ、しかもそれを誰も批判しない。現場には韓国メディアはいたのだが。ニュースにもなっていない。民主化を誇る韓国だが親日タブーだけは今なお確固として顕在なのだ。
日本メディア追放論の亡霊
<177> 左派系メディアの「ハンギョレ新聞」が産経新聞ソウル支局の閉鎖を主張したのだ。
過去の軍事政権の言論弾圧をあれだけ非難、罵倒してきたいわゆる"民主化勢力"が、今度は平気で外国メディアの閉鎖、追放を言い出したのだ。
もうひとつすごかったのは。ついに国会でも産経新聞支局閉鎖を主張する声が上がったことだ。
<178> 韓国の民主化勢力というのは面白い。それまで相手を独裁とか非民主的とか言論弾圧とか非難してきたのが、立場が変わると、とくに政権の座に着いたりすると同じ手法を使いたがる。彼らにとって民主化や民主主義とは、あくまでも相手にやらせるものであって、自分がやるものではないということのようだ。
別件逮捕もあります
<181> 韓国のマスコミが筆者(黒田)や産経新聞を「極右」と言い出したのはいつごろだろうか。
韓国版『ニューズウィーク』(2001年5月9日号)の「日本、右向け右」という特集で「右翼のラッパ手・産経新聞」と題する記事の一環(のインタビューで筆者・黒田はこう答えた)
Q なぜ今(産経新聞が)極右と言われると思うか?
A 韓半島で冷戦構造が緩和され、韓国メディアの北朝鮮を見る視覚が大きく変わり、安保問題の重要性が相対的に落ちた結果と思う。参詣は変化していないのに韓国が左傾化したため、産経が相対的に右傾化したように見えるようだ。韓国が変わったのだ。
韓国との歴史対立はなぜ顕在化したのか
<183> 冷戦構造下の日本の政治やメディアは安保重視の観点から韓国の存在と役割を重視し、韓国を刺激したり韓国と対立することを避ける傾向にあった。(中略)それが冷戦構造の変化、ソ連圏(共産主義)という大きな敵がいなくなったため、韓国にそれほど気を使わなくてもよくなったのだ。東西両陣営内で、それまで米ソ超大国の抑えによって隠されていた問題が表に出始めたのだ。旧ソ連圏で起きた民族紛争はその象徴だし、北朝鮮の核開発など自己主張もそうだ。
これが米国圏でも発生したのが、日韓の歴史対立である。
<185> 自分たちの立場や見方を支持するかどうかが良心的か否かの分かれ目なのだ。つまり良心的ということの基準は自分たちにあるという、典型的な自己中心主義である。
野田首相も"極右"にされた
<186> 韓国メディアは近年、日本での気に入らない現象には手当たりしだい「極右」であり、「妄言」といって表現のバーゲンセールをしている。
"白髪三千丈"的な過剰表現の伝統を背景にした、安易な記号化である。
韓国のメディアは何事についても「こうあるべき」が優先するいわば"べき論"の世界なのだ。したがってニュースでは必ずといっていいほど「問題になっています」がつく、これは問題が存在するというより、記者が主観的に問題にしている、あるいは問題にしようとしているという意味なのだ。
<188> 鄭大均・首都大学東京教授(文化人類学専攻)は、(『韓国が「反日」をやる日は来るのか』2012年、新人物往来社刊でこう言っている)
「韓国社会の同質性という条件はナショナリズムを燃え上がらせるには格好の環境にある。(略)韓国は文字通りの民族国家(エスニック・ステート)に近い国であり、一体感の誇示にほぼ理想的な条件を備えている。『韓民族の優秀性』の神話であれ、『日帝強占期』の神話であれ、なぜかくも急速に韓国人の心や身体に刷り込まれたかの根本理由はここにある。韓国社会の同質性は、それ自体が純粋性や固有性の表象として利用されるとともに、批判勢力や牽制・抑圧集団の不在を意味する」
韓国の愛国・反日情緒は同質性・均質性社会では容易に揺るがない。そして同質的で均質的であることに対する表立った自己批判はまだ見当たらない


第九章 たかがビビンバ、されどビビンバ

ビビンバはつらい?
<190> 筆者(黒田)が産経新聞に長期連載している週末コラム「ソウルからヨボセヨ」の2009年12月26日付けの記事が騒ぎの発端となった。以下全文引用。
韓国料理のビビンバは日本人にも人気がある。韓国では今、「韓国料理の世界化」といって、このビビンバを世界に売り出そうというキャンペーンが国を挙げて展開されている。その一環として最近、米国の新聞にビビンバの広告が掲載されたと話題になっている。
その美しいカラー写真があらためて韓国の新聞に紹介され、在韓日本人とのさる忘年会の席でも話題になっていた。しかし「ビビンバ見た目はいいが食べてビックリなんだよねえ」と"世界化"の展望には?語を傾げる声が多かった。
ビビンバは日本のチラシ寿司風に野菜や卵などいろんな具がご飯の上に美しく乗って出てくる。。ところが、それを食べるときはスプーンを手に握りしめ、具や御飯、味噌などを猛烈にかき混ぜる。韓国人だとこねあげるという感じだ。そして当初の美しい彩りが消え、具とご飯がぐちゃぐちゃになった正体不明のものを、スプーンですくって食べる。
ビビンバは正確には「ビビム・バプ」で「混ぜたご飯」をいう。問題は「ビビム」で、これは単に混ぜるというより「かき混ぜる」感じでかなり強い。韓国人の食習慣の一つに之があって、なんでもビビって(?)食べる癖がある。
その為カレーライスやジャージャー麺、かき氷、日本の牛丼、チラシ寿司もみんなたちまちかき混ぜ、こね上げて食べる。広告写真を見てビビンバを食べに行った米国人が、その"羊頭狗肉"に驚かねばいいがと気になっている。
<191> これが韓国で大問題になったのだ。端的にいえば「韓国の食文化をバカにしている」「日本の極右言論人クロダがまた妄言」というのだ。
<192> 中央日報2010年1月8日付けのコラム「韓国料理世界化の熱風その後」から。
「ビビンバはおいしい。それに家で盆暮れなどのご馳走を食べた後、残り物を追い島処理できるという美徳にもなる食べ物だ。ところである日本の言論人はビビンバが口に合わなかったようだ。この人は昨年末に自らのコラムで『ビビンバは表と裏が違う羊頭狗肉だ』と非難した。そのためほとんどすべての大韓民国国民が怒った。ネット世界や文化人たちまでが立ち上がり、彼の無知を叱咤した」
<194> ビビンバを米国市場で売り出そうとした場合、米国人は食べる前の彩りはさておき、その食べ方に戸惑うのではないだろうかという話である。
韓国料理の世界化キャンペーン
<195> 韓国が「韓国料理の世界化」を言い出す際に際してはきっかけがあった。それがまた「日本」だった。
そのきっかけは、フランスのグルメ・ガイド『ミシュランガイド』のトップクラスに日本の店がたくさん登場したというニュースだった。これは韓国では嫉妬込みでかなり詳しく伝えられた。
韓国人は自分たちが世界で何番目かというランキングが大好きだ。
世界やアジアでの順位を見て競争心をかきたてられ、順位が上がるようがんばろうというわけだ。(中略)とくに日本より上か下かの比較は韓国人とっては尽きない「元気の素」になっている。だから『ミシュランガイド』での日本の約真は韓国を大いに刺激し「われもわれも」となったのだ。
そこで登場したのが「韓国料理の世界化」キャンペーンだった。(中略)そして世界化候補のトップバッターにビビンバが指名されたのだ。
世界四大料理にいれられた日本料理
<196> そもそも世界の食文化マーケットにそんなランクがあるのかどうか知らないが、(官民挙げての韓国料理の世界化)キャンペーンで紹介された世界ベスト4は、フランス料理、中華料理、イタリア料理、日本料理となっていた。日本料理を「世界の四強」と評価しているのだ。世界で日本料理店が最も多いのは韓国だからかもしれない。韓国人は世界で最も日本料理が好きである。反日だけど日本料理は大好き!韓国では「日本」はそれほど親しく日常生活に入り込んでいるのだ。
<198> 先に紹介した中央日報コラムの女性記者の論評にもあるように、ビビンバとはもともと「残り物をおいしく処理した食べ物」だろう。家庭で残り物のおかずをご飯に混ぜて簡単に食べるというもので、手の込んだものではない。(中略)もともと余り物をかき集めたようなものだから、料理というほどのものではなかった。
<199> (ビビンバ擁護論は)結局は批判を拒否したいつもの「ウリナラ・チェゴ!(我が国最高!)という文化ナショナリズムになってしまった。その代表例をいくつか紹介しておく、
李御嚀・梨花女子大名誉教授は、(中略)筆者(黒田)のビビンバ批判(?)に対する反論として「ビビンバ交響曲」論を展開している。
<200> BCラジオの人気番組「視線集中」で語り合っている
要約すれば、西洋料理は途中でパンやシャーベットなどで舌をすすぎながら一品、逸品を味わう独奏スタイルだが、ビビンバは多様な色と味の多様な材料を混合することで戸別の味を越えて生み出される調和された味であり、音楽で言えば交響曲だという。
そこにはお互い色合いが異なっても一つにまとまろう、自らと異なる異質なものを調和させようという、昔からの民への教えとしての「混合の思想」といった哲学がある。またビビンバにはその材料の多様さから文明の全過程が込められているため"統合料理"であるというのだ。
彼は懐石料理など日本料理も一品、逸品味わうので西洋料理と似ているといい、しかくくだんの記者(筆者のこと)は日本人だから見た目のいい日本料理の観点からビビンバを批判しているとしたうえで「食べるのか惜しいほど美しい日本料理だが、食べてみるとまずい。これこそ羊頭狗肉じゃないのかね」とやはり羊頭狗肉にこだわっていた。しかし最後は「だからといって(クロダ汽車のビビンバ批判を)そんなに非難することはないのであって、そんな見方もあるのかというくらいでいいのではないか、それが韓国人の雅量というものであり、ビビンバ文化の情緒というものだよ」と見事な(?)オチを付けていた。
<201> 李御嚀教授のこういう話術は実に面白い。しかし普通、韓国人の雅量は「日本」が相手となるととたんに視野狭窄になって画一性に落ち込んでしまう。彼はそのあたりを承知であえて韓国の聴取者に「ビビンバ文化の情緒」を強調したのかもしれない。
したがって、ほとんどの議論が世界化の方法論にはいかず、ビビンバ礼賛という自画自賛の自己確認ばかりだった。
<202> 最大手紙、朝鮮日報は週末版の特集で筆者(黒田)へのインタビューと共に料理専門家二人を登場させ「"クロダ・ビビンバ"に応える」としてビビンバ擁護を展開していた。(2010年1月16-17日付け)
そこで筆者は「ビビンバが韓国人にとってそんなに大きな意味があるとは知らなかった」と皮肉をしゃべったのだが、ビビンバが「韓国文化の心髄」なら日頃もっと大事にされてもいいはずだ。しかしビビンバ専門のシェフ(職人)などいない。いたとしても誰も評価などしてくれないだろう。ビビンバ専門店も数えるほどしか存在しない。このことは問題の世界化とも関係するが、世界化の前に韓国の食文化として国内での正当な社会的評価が崎ではないか、というのが筆者の問題提起であった。
日本の寿司と韓国のビビンバの違い
<203> 日本には寿司職人というのが存在する。専門の料理学校もある。職人や店は親子代々を含め、何年いや何十年とその道一筋で寿司を握り、売っている。志願者も多い。客はそれを高く評価し、日常的に寿司を好み、なじみの店に通う。日本文化として日本社会で格たる地位を築いているのだ。
寿司は日本国内での食文化ビジネスとしての圧倒的存在感や人気、評価があったうえで世界に広がった。
寿司文化のようなビビンバ文化が存在するのか。親子代々、ビビンバ一筋何十年がありうるのか。回転寿司のように"回転ビビンバ"のような発想は可能か。いずれもノーだ。
ビビンバと慰安婦の取り合わせ
<207> ビビンバ騒ぎは近年、韓国で目立つ愛国主義、ナショナリズムの産物である。それも問題提起が日本人でなかったらそんなに話題にはならなかっただろう。(中略)韓国では日本は依然として「元気の素」である。その意味では韓国は依然、「日本離れ」していないのである。


第十章 東日本大震災の親日・反日

地震を知らない韓国人の恐怖心
<211> 地震を知らない韓国の人達は、したがって地震が頻発する日本に同情する一方、どこか優越感を感じている。
自然環境を背景にした対日優越には地震の有無のほか、もうひとつ島国への妙な蔑視意識がある。韓国人は日本をコケにする時羅はよく「島国・日本」という。
南北を超えて朝鮮半島文化にその心理があるということだが、これは中華文明圏で自らを「小華の国」として一段と高く位置づける伝統的な"華夷秩序"意識からきている。
こうした優越感は、日本に支配されたという過去の歴史から来るコンプレックスに対する補償心理にもなっている。
「日本沈没」報道に非難殺到
<212> 日本は地震が多く島国だからいつかは沈没する---この「日本沈没」論は韓国人にとってはどこか快感である。従って2012年3月11日、日本で起きた東日本大震災を伝える韓国マスコミがまず「日本沈没」と報道したのはむべなるかなだった。
<213> しかし韓国人のそれまでの「日本沈没」への開館は観念だったといっていい。ところが東日本大震災の現実の姿は圧倒的なリアリズムだった。誰もがあの映像には度肝を抜かれ、息をのんだ。その結果、不思議なことが起こった。「日本沈没」というメディアの報道に対し「不謹慎だ」{品がない}として批判、非難が殺到したのである。
<214> 圧倒的な現実を前に観念としての日頃の快感は吹っ飛んだのである。韓国人はそれまで「日本沈没」論を楽しんできたのであって、現実の日本沈没を楽しんだわけではない。そんなものは実際は存在しなかったからだ。それが現実のものとして眼前に現れたのだ。(中略)恐怖と戦慄のみである。
「日本人よ、いっそ叫びなさい」
<216> 未曽有の大地震発生で韓国からも多くの取材陣が現地に繰り込んだ。その報道のほとんどが秩序ある被災者たちの姿を称賛していた。その現地レポートの中で「いっそのこと叫びなさい」と題する一文が興味深かった。
悲劇や苦痛にも感情を抑える日本人に韓国人はイラだっているのだ。記事はもちろん日本人批判ではなく、"がんばれ論"のひとつだったが。
<217> 韓国の反日はむしろマスコミ主導といっていい。それは昔からの傾向だが近年はそれが目立つ。
そのマスコミが突然のように"親日キャンペーン"を一斉に始めたのだから驚いた。
韓国人はこの支援活動に呼応したのは、韓国人は日本人よりはるかに感情的で感傷的だからだ。
対日自信の余裕で盛り上がった救援キャンペーン
<220> 異例の対日支援キャンペーンの裏には、明らかに経済発展、国力増大を背景にした自信感や余裕、優越感があると感じられる。口をそろえて「人類愛」を強調しているのは、普遍的高みに立っての余裕の誇示である。
日本への支援(に・中略)韓国は自分なりの意味づけをしているのである。(中略)その意味では、決して"無償"ではなかったといこともできるが、日本のことわざにも「情けは人のためならず」がある。国際関係とくに「愛憎が交錯」する日韓の間ではそういうものだろう。
支援ムードが一転、反日に
<221> 局面が友好・支援からいつもの反日に一転した。しかもそれが「独島問題」がらみだったから、なおさら興味をそそられる。
<223> 韓国の支援活動は日本の教科書問題に連動して急速にしぼんでしまう。韓国世論は「日本の裏切り」「日本は恩知らず」などといって反日に急速に回帰することになる。
やはり革命的変化はなかった
<223> こうした教科書介入自体が国際的常識では考えられない韓国の特異な反日情緒だが、前述のように「独島教」ともいうべき宗教的思い込みから教科書記述にも異様に関心が高い。
<225> (この頃行われたセミナーで筆者はこう反論した)「震災日本を助けているのだから教科書・領土問題では韓国に譲れ、という対日支援を他の懸案につなげる考えは韓国にとってもまずいのではないか。そんなことをいえば逆に韓国国民の人道的支援という純粋な善意が阿多が割れるかもしれない。検定教科書は領土問題について日本が内外に明らかにしている公式立場を記述しているだけで、それによって韓国の独島支配の現状が変わるものではない。したがって今回は静かに対応してはどうか。そうすれば日本での韓国への親近感はさらに高まり、韓国の国家的品格も高まるはずだ」
<226> 東亜日報 (2011年3月31日号)は次のように主張している。
「韓国では大震災の日本を助けようと大々的な募金活動が展開されている。(中略)今回の境界処検定発表にもかかわらず大震災被災者支援と独島問題は別だという韓国人の認識に変わりはない。日本政府も大震災を通じ隣国との善隣関係が重要だといことが分かったはずだから、不幸な過去史清算に逆行するような行動は遺憾である」
自信と独島(教科書検定)は別だというのなら、教科書での日本非難に際し震災支援のことを持ち出す必要はないだろう。(中略)この論理は「過去史清算に逆行するような行動」である竹島領有権の主張はするなというものだ。
善意を無に帰すメディアの反日
<227> 教科書・独島問題の再燃でメディアは早速、「日本教科書歪曲で支援募金団体に失望感」と伝えた(3月30日聯合ニュース)。この後、支援活動は急速に後退するマスコミの支援キャンペーンも終わる。


第十一章 韓国の反日と中国の反日

軽量化する韓国の反日
<231> 中国は国家体制の違いから国民に政治的自由がないため、その反日は背後で政府の意志が働いている場合が多い。韓国では逆に政府の意志は関係なく、その意味では統制はきかない。(中略)中国の反日は政府に利用されるが、韓国では政府が反日に影響され政策が左右されるという図式である。
韓国人には日本に対する(中略)親近感を含めた"接近感"があるのに対し、中国人にはそれがない。
政府は反日をコントロールできない
<238> 1988年の盧泰愚政権以降、特に1990年代以降は民主化によって(中略)政府がメディアやNGOの主導する反日に引きずられるようになった。
<239> 韓国の反日は今や統制不可能になっているのだ。繰り返すが「反日無罪」の国家的、社会的雰囲気はそれを物語っている。しかし、にもかかわらず最近の韓国の反日は中国の激烈さに比べると、統制富農なのにあの程度かという思いが一方ではする。
中国のような極端な反日は見当たらない
<242> 韓国では昔から日本製品不買運動にはどこかリアリティが感じられない。前述のように中国人とは違って韓国人には「日本」は生活化しているからだ。
日本製品不買運動はいつも不発弾
<244> 中国で反日暴動が荒れ狂っている時、その風景はテレビを通じ韓国でも連日のように報道された
(韓国人の)多くは「あれはひどい……」と批判的だった。そして「われわれはあれとは違う」「我々だったらあんなことはしない」というのだ。つまり中国の棒とかした激しい反日風景を批判し、中国を「遅れた国」として一段下に見るという優越感を語るのだった。
これはメディアや一部知識人そして政治・外構の局面でしばしばみられる。
毒を食らわば……の李明博
<245> 「東(北)アジア情勢の不安要因」については韓国でのセミナーでよく論争になる。韓国識者たちはいつも「それは日本の右傾化」といい、これに対し筆者は「中国の軍事的膨張と覇権主義が問題」と反論する。反日が大好きな韓国マスコミは当然、いつも前者を主張しているが、大統領以下、韓国の国際情勢感が反日で目が曇ってしまい、いかに自己中心的でズレているものかを物語るものだ。
日本外しで米中G2論
<247> 中国に対し彼ら(韓国人)は決して親近感は持っていないように見える。端的に言って好きではない、場合によっては嫌いなようにも見える。
韓国から近年、中国観光にはたくさん出かけているが、人々に中国文化へのあこがれは感じられない。それに漢字を捨ててしまっている。
<248> 近年の韓国では政治・外交・メディア、識者の反日と、必ずしもそうではない一般大衆の対日観(感)の間に乖離現象が目立つ。ところが中国については、一般大衆はきわめて冷めているが政治・外交・メディア、識者たちは中国傾斜になっている。
その意味では韓国人の対日本観も対中国観も一般大衆次元では極めてマトモである。ところがそれに対し教育、啓蒙、善導、扇動……のメディアが余計かつ過剰意識で不必要な(?)知恵をつけ、それに政治・外交が便乗するという図式になっているのだ。この図式は将来、変わることがあるのだろうか。正直に言ってまだ見通せない。


第十二章 韓国の中の日本-統一教会と創価学会

日本人妻が韓国人の夫を殺害
<249> 事件があったのは2012年8月下旬。現場は(中略)ソウルの北東、江原道春川市で、市内に住む52歳の日本人女性が51歳になる夫を殺害し警察に届けた。
<250> 地元での報道などによると、夫は酒癖が悪く、病弱にもかかわらずよく酒を飲み、酔うと家財道具を投げたり妻に当たり散らすなど乱暴が絶えなかった。
夫婦には定期的な収入はなく、行政当局からの生活保護資金がすべてだったが、家賃や電気、水道、ガス代などを払えばほとんど残らなかった。日本人妻は夫の看病のかたわら、お手伝いさんなどで生活費を稼いでいた。
実は彼女は統一教会(世界基督教統一神霊協会)のメンバーで統一教会を通じた韓国人男性との結婚だった。このため統一教会の他の日本人妻たちが同情し生活支援をしていた。
そんな結婚生活が17年間続いたのだが、8月21日未明、寝ていた夫の顔にタオルを押し付けて死亡させた。
京郷新聞ネットが「日本人女性、韓国人の夫を殺害し臆面もなく届け出」という見出しで事件を伝えたため、ネット世界で抗議が殺到したのだ。「臆面もなく」という表現に人々が怒ったのだ。
反日報道を痛烈批判
<251> 事件を伝えたネットニュースが加害者の日本人女性を「よくもぬけぬけと……」と非難調で伝えたため、抗議の書き込みが殺到したのだ。日本人女性に同情し、報道があまりに非情だというのだ。
<252> この事件に対するネティズンたちのコメントは、日本人女性への同情と、悪意の見出しに対する汽車への非難が圧倒的だった。
興味深かったのは、事件を伝える記事の(見出し)が日韓関係に結び付けて日本非難つまり反日報道ほしているとして、批判意見が噴出していたことだ。
<254> (ネティズンたちは)実にまともで冷静である。韓国メディアの反日報道の正体を見ぬいているのだ。メディアの「反日商売」というか、メディアが耳目を引くためよく反日感情を利用した報道をしていることを韓国人もよく知っているのだ。
国民は韓国マスコミで日常的に見られるその種の扇動的な反日報道に、一方では食傷している感じがうかがわれたからだ。
統一教会の日本人女性はどこに
<256> 統一教会の場合、極めて多くの(7000人と言われている)日本人女性が結婚というかたちで韓国社会に入り込み定着している。その宗教に対する評価は別にして、その存在は下図が多いだけに日韓関係では無視できないように思う。そして"日本文化"としての彼女らが韓国社会にもたらす影響は気になる。
日本宗教の韓国進出
<259> 日本ルーツである仏教系の創価学会が近年、韓国で信者を増やしている。(中略)信徒数は公称で150万人という。(中略)韓国のキリスト教会で最大の教団といわれる「純福音協会」の信徒数を上回っている。
韓国における日本系宗教の歴史で言えば天理教が古い。日本統治時代から布教活動をしており一定の基盤を築いている。
天理教で興味深いのは、日本における韓国語(朝鮮語)教育の草分けであることだ。朝鮮半島での布教活動のために必要だったからだ。
創価学会はなぜ成功したか
<260> 筆者のソウル留学時代の記憶では、街では創価学会というより「ナンミョホレンゲキョ」といわれ蔑視的だった。
<261> それが1990年代以降、大きく変化した。普通の宗教として韓国社会に定着し始めたのだ。
創価学会が韓国で成功(?)した一つの要因として"歴史問題"があるといわれる。創価学会には日本での歴史において、戦前、軍部によって幹部が捕まるなど活動を弾圧されたという過去がある。このため韓国では「みなさんと同じく日本軍国主義の被害者」として共感を得たというのだ。こりは歴史好きで反日志向の韓国マスコミを説得するには効果があった。
<262> こうした「韓国の中の日本」は意外に知られていないし、ましてやその意味など考えられたことはない。いささか大げさになるが、日韓関係にもそれなりに重層的なところがあって、そこに反日一辺倒ではない韓国社会の意外な断面が窺われるという一例である。
韓国は記者冥利に尽きる
<266> 韓国のネット王国ぶりを考えれば日本より媒体は多様化しているかもしれない。
客観的な日本情報つまり反論を、マインド・コントロールされている韓国社会、韓国国民にいかに効果的に伝達するか。すこぶる多様化した媒体を考えれば日本にとって空負の余地は十分ある。
この程度の反日はあたりまえ?
<267> アルジェリアでの日本人の多数の犠牲で改めて考えたのだが、韓国では過去、日韓の政治的対立や民族感情の噴出、つまり反日による日本人の被害や犠牲は意外に少ないのだ。
<268> 国民感情あるいは民族感情は政治的出来事にだけ現れるものではない。日常的な事件、事故にも表れるものだが、韓国では日本人がらみのものは殆ど目につかない。
あの反日は日本にとっては当然、あってしかるべきものなのかもしれない。というのは、日本という国の韓国をはじめ国際社会における過去および現在、未来の存在感の大きさを考えれば、それはあってもおかしくないのだ。それは堂々と(!)受け止めなければならない。


あとがき

<269> 韓国を訪れる日本人の間では昔から韓国について「昼は反日、夜は親日」と言われてきた。
<270> 韓国で新しくスタートした朴槿惠(パククネ)政権は対外関係の重点を「米日中」から「米中日」に変えた。極めてドライだが韓国-朝鮮半島の民族は古来、そういた目ざとさで生き残ってきた。
ドライな相手に「謝罪と反省」一辺倒の「とにかくすみません」という自虐史観「贖罪史観」では到底太刀打ちできない。中国の軍事的脅威や北朝鮮の核脅迫、そして韓国の台頭を含めこの地域の国際環境はすっかり変わってしまったのだ。もう日本が警戒される時代ではない。「東アジア歴史戦争」の中で日本だけが1945年の「謝罪と反省の時代」にとどまっている理由はない。
2013年5月ソウルにて
(書き抜き終了 2013/10/10コロンボにて)

2013-10-03 作成
2013-10-04 追加

2013-10-05 追加
2013-10-06 追加
2013-10-07 追加
2013-10-08 追加
2013-10-09 追加
2013-10-10 追加

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