自作エッセイ集 第5部 ペルー出張記
コスタヴェルデの壺


第一話 庭園の飾り物

 ペルー南端の町タクナ。2月18日快晴。 

 夏の日差しが眩しいホテルのテラスでの昼食を終え、ぼんやりとホテルの庭を見ていると、同行のアキーレス君がつぶやいた。
「ねえ、エディ。僕らが小さかった頃、海岸の町のあの大きな壷に入って遊んだものだねえ。よく叱られたけど」

 彼の視線の先には、ドラム缶二本分以上の容積のある、高さ約2mの素焼きの壷が庭の飾り物として置かれていた。中はからである。単なる普通の形の壷なのである。 
 この壷は、ペルーの町のそこここに飾り物ととして置かれているもので、そのどれも直径30cmほどの口が斜め上に向いている。この壷は数百年の間このようなスタイルで農家の庭先に置かれ、穀物などを貯蔵するために使われていたのだろう。
 たしかに、口を真上にした位置で壷を設置した方がものが沢山入れられるが、底の方に入っている穀物は取り出しにくい上に、腐敗しやすいから、斜めに置いてあるのだろうとおもう。 
 この壷は街の中の公園にも飾られている。「こんなに大きな壷を置いておくと、雨水が溜まって蚊がわくのではないか」と心配する読者もいるかもしれないが、ペルーの海岸地帯はほとんど無降雨の地域であるので、雨水が溜まって蚊が発生するという心配は全くない。ちなみに、雨がないから道路に側溝も必要ないのである。 

 芝生のグリーンとブーゲンビリアの赤い花で色とりどりのホテルの庭から、遠くに目を細めて移すと、町の東西にそびえる砂丘の腹に描かれた、文字やシンボルが砂の上に黒く影を落としていた。

(東京99/3/07)

第二話 華僑と日系人社会


 今回は、日系移民ペルー移住100周年であったので、100周年記念再実行委員会に勤務先の社長名で寄付をしたとともに、個人的にも心ばかりの寄付をさせていただいた。

 MSNニュースの田中宇氏の記事にあるばかりではなく、日系人移民が渡航した初期には彼らは悲惨な生活を強いられていた。こう言っては悪いかもしれないが、明治政府の「棄民政策」の一つではなかったかとおもう。日本政府に見捨てられても、日系人一世・二世達が自分達で努力を重ねて今のような繁栄を得たのは、彼らが二宮尊徳に代表される「勤勉な日本人」であったからであろう。現在、ペルーの日系人は八万人と言われている。

 一方、目を東南アジアのマレーシアやインドネシアに移してみると、同じような「移民」がいるのが分かる。1998年5月のジャカルタ暴動で犠牲となった華僑たちである。「日系人」に対して「中系人」あるいは「華系人」という呼称を使うのが正しいのではあるが、日本語にこのような言い回しがないこと、さらにペルーでは華人が少ないので、この文では一括して華僑と呼ぶことにする。

 インドネシアとマレーシアの華人・華僑とペルーの日系人のと間には、奇妙な一致点と相違点が見出せた。次の対照表を参照して下さい。

インドネシアとマレーシアの華人・華僑 ペルーの日系人
移民時の状況
移住した年 約100年前からが多い 約100年前
出身地 広東省、福建省が多い 沖縄県が多い
移住の理由 太平天国の乱などの社会不安 明治政府の棄民政策
移住時のエージェント インドネシア:不明
マレーシア:英国東インド会社
日本の商社
移住直後の職業 インドネシア:商業
マレーシア:農業労働者
農業労働者
渡航時の移住先の状況 原住民多数
農地は開発済み
原住民少数、スペイン系多数
農地は未開発
現在の状況
母国語(自分の方言)を ほとんど話せる 半分以上が話せない
母国語の学校 インドネシアでは65年に停止。マレーシアでは現存 1941年に停止。
主な職業 商工業・サービス業 商工業・サービス業、農業
移住民社会 閉鎖的 開放的
政府要人 インドネシアは僅少。マレーシアでは多い。 多い。元大統領も日系人。
移住民に対する迫害 多い 少ない
団結力 強い 強い
居住地を母国と 思っている人は少ない 思っている。
移住時の政府援助 なし なし
母国文化の継承 多い 少ない
母国人が新たに移住 しやすい しやすい


 南太平洋を挟んだ東西のこの三カ国では現地の状況が異なってはいるものの、華僑と日系人との間の共通点は「移住者という立場」であり、相違点は「現地の文化に溶け込みにくいか溶け込みやすいかという民族性」ではなかろうか。

 相違点の原因となっている民族性とは、外国で暮らしていても母国の文化をしっかり守ろうとする意気込みであると考える。つい百年前まで漢民族は他民族に長期間支配されてきたので母国の文化(漢文化)がなければ自分達は存在しえないと華僑達は考えるのかもしれない。それが、強烈な個性と私利私欲に走ると批判される原因ともなっている。

 一方、日本は他民族支配の歴史がなかったために、自分達の文化に固執することなく、無理して個性を発揮する必要もなく、社会の構成員みんなで和を重んじるといった国民性になっているだろう。従って、徐々に現地社会に溶け込んでいき、ついには日本人社会と呼べるものが消滅する。これが、タイやベトナムでの日本人町の消滅の直接になっているのだろう。 

 移住した時の現地国の内情も相違点に影響している。特にインドネシアでは、ジャワ文化とイスラムが長期間にわたり現地を席巻していたのに対して、ペルーではわりと緩いスペイン文化とカトリックであった事が言えるかもしれない。

 また、インドネシアでは開発が進んでいたジャワやその他の島の都市部で、華僑達が流通・商業分野に食い込んでいて、既存の商業権益を乗っ取ったのに対して、ペルーでは不足していた農業労働力の補給となっていたため、現地住民のもつ権益と直接干渉することがなかったと思われる。この歴史的の相違は移住民への現地住民からの迫害の多寡に現れているのだろう。

 これまでの経験から言うと、日本人にとっての南米の日系人社会は、シナ人(中華民国と中華人民共和国に住んでいる人達の総称)にとっての東南アジアの華人・華僑社会とまったく同じなのかもしれない。華人の友人とともに華僑商会の事務所にいった時の雰囲気と、ペルーの日系人協会の事務所にいった時の雰囲気がほとんど同一であったのは、興味ある事実であった。

 日系人協会の事務所を一歩出るとそこは、当然、リマの町である。シナ人たちもジャカルタの華僑商会の事務所を出ると、「ああここはジャカルタなんだ」とたぶん筆者と同じ感傷を抱くであろう。

(東京99/3/07) 


第三話 ペルーの日系人社会

ペルーの日系人人口は約8万人といわれており、ペルー総人口の数パーセントを占めているに過ぎない。隣国のブラジルとは大違いである。 

ペルー社会で100年間生き延びてきた日系人の努力の結果、農業労働者の地位から、商人や政府高官・大統領にまでなっているのは周知の事実である。日系人が社会的に高い地位に上りつつあるのに対して、日本人よりはるか昔からペルーに住んでいたスペイン系の人達の中には、レストランのウエイターなどの比較的社会的下層部分で働くものが増えているのも、この長引く不況の影響なのであろうか。 

彼らの努力が我々日本人をペルー社会に入りやすくしていることは、東南アジアに見る華人・華僑社会と同じである。筆者は昨年まで南米には足を踏み入れたことがなかったので、南米は考慮の対象にもしなかったが、東南アジアよりも仕事さえあれば住みやすい社会的環境にあると言える。 

【参考】Niftyserve Famerica/mes/18 Tomas氏書込み。Tomasさんありがとう。

(東京99/3/07)


第四話 「だっちゅーの文化」◆その一
 折りから、南米は真夏。カーニバルの季節であった。 
 テレビ中継ではリオのカーニパルの生中継をしていた。カーニバルでは全裸同然の小さなバタフライだけで踊りまくっている女性達もいた。この小さなバタフライは、お尻の方からみると細い紐だけであり、現地の人達はこれをデンタルフロスと呼んでいた。なあるほど。言い得て妙である。 

 また、リマの町中では、胸の大きくえぐれたTシャツやタンクトップを着ている若い女性がめだった。身体に密着しているチビTと呼ばれているTシャツが多かったような気がする。スペイン系の人達は小柄なのだが、身体の凹凸がはっきりしているひとがほとんどであり、Tシャツの上部から胸がはみ出している。パイレーツのやるような格好を取らずとも、もともと胸が豊かなので自然に「だっちゅーの」になってしまうのである。 
 日本では「だっちゅーの」だけで売り物になるが、ペルーでは半数以上が「だっちゅーの」であるため、胸の谷間を強調するだけでは商業的に売り物にはならない。また、昔から「だっちゅーの」文化であるために、すでに見慣れているためにセックスアピールにもなりにくい。

 では、なぜ南米は「だっちゅーの」文化なのであろうか。 
 それはもともとあった南欧の文化を継承しているからであろう。ではなぜ南欧の人達が「だっちゅーの」文化を保持していたのだろうか。
 筆者が推測するには、服で体を包み隠す必要が気候的になかった。すなわちギリシア・ローマ時代に見るように、肉体の一部を見せることが普通であった、という文化から来ているのではなかろうか。どこから伝わったかは知らないが、欧州の宮廷で行われる舞踏会で着られるイブニングドレスは胸が大きく開いていることはどなたもご存知のはずである。 

 今まではイスラム圏の滞在がほとんどであった筆者は「だっちゅーの文化圏」に飛び込んで、その価値観の相違に悩まされ続けたのである。

(東京99/3/07)

 さて、デンタルフロスと「だっちゅーの」とは「肉体の露出」ということに関わっている。露出していない部分は隠蔽しているのではあるが、かように小さいものでは、体全体を隠す事ができないのは事実である。デンタルフロスを衣服と言えるかどうかも見る人の判断によって異なるはずである。 
 隠したりすることで肉体を外的環境から守るという機能が衣服にはあると我々は学校で教わってきた。また、肉体を飾るということも教わってきた。第一の理由が主であるということも理解している。

 この第一の理由は、アジアと中東までの地域ではうまく適合することは言うまでもない。しかし、自然条件が厳しい地域ではそのとおりかもしれないが、気候が温暖な地域ではその理由は成り立たない。というのは、人体はここ五万年間での構造的変化がないと言われており、従って、服を着ていなかった期間の方がよほど長いのである。
 第二の理由はあまりにも当然である。人類の歴史からみると第二の理由で衣服を着けていた方が長かった。裸に近い人達は服を買う金がないから服が着られなかったと言えるかもしれない。
 大量の布などを使用して肉体を飾ることは、物財の大量消費につながることであり自分の財力を見せ付けるという意味になる。そうなると、肉体の全てを隠すことになり、セックスアピールをしにくいというハンディキャップにもなる。女性がセックスアピールをするのに簡単なのは胸のふくらみを強調することである。それで、欧州では胸あきドレスがイブニングドレスとして公式に認められたのではないかと思う。このドレスは、自然環境が厳しい地域に住んでいるアラブ人に言わせれば「肌を露出するなんて、はしたない。裸に近い格好で公衆の面前を歩くなんて動物のやること、わー野蛮人」となろう。 

 ちなみに、現在、女性がつけている立体裁断をしたブラジャーは、約100年前まではなかったのである。この胸当てはニューヨークに移住したフランス系の仕立て屋のブラジャーというひとが開発したものである。インドネシアでは、今でもブラジャーのことを一般的にはBH(バストホルダーの略)と呼んでいる。

(東京99/3/07)

 
第五話 「だっちゅーの」と食事の量

 前回の1998年9月にペルーに行った時も感じましたが、スペイン系の男女とも胸とお尻にしっかり肉がついていて、立派な人達が目にとまりました。今回は真夏で薄着でしたのでますますこの感じが強まりました。

 現在の若いヨーロッパ人達はわりとすらっとしている人が多くスペインでも例外ではないと思います。先祖が同じであるにも関わらず、南ヨーロッパ人とくらべると、特に若い女性に「だっちゅーの」体型が目立ったのは、不思議でした。

 レストランでスペイン系の若い女性たちが食事をしているのを見かけました。彼女たちは「大ぐらい」の筆者と同じくらい沢山食べていました。女性は基礎代謝量が少ないので、大量に食物を摂取する必要がないにもかかわらず、摂取量が多かったのです。 

 この理由を通訳さんに尋ねてみると、つい最近まで食料不足が続いていてようやく食料が行き渡るようになったとのことであった。心赴くままに・フトコロの許すままにたべているのであろう。レストランで出される食物の量も日本の二倍以上はあり、筆者でも前菜だけで充分満腹するほどであった。

 貧困状態から脱出した直後には「飽食願望」が強くなるのであろうか?もしそうなら米国ではペルーより量が更に多いことから、米国はペルーよりももっと最近に貧困状態から脱出したことになる。歴史的に見てそんなはずはない。すると食事の量と国民性との関係には他の理由を考えなくてはならない。 

米国民の大多数はアングロサクソンに代表されるゲルマン系のコーカソイド(白人)である。イラン人も、スエーデン人も大食であるところを見るとゲルマン系の方がラテン系より本来は沢山食べなくては満足しない「不経済タイプ」なのかもしれない。 

南北アメリカだけで約十億人の人達が住んでいて彼らが我々の二倍食べていて、我々は必要量の二倍食べていると仮定すると、南北アメリカだけで地球上の人類が必要としている量の三分の二を消費している計算になる。

 以前から地球上の食糧危機が心配されていて、農地面積と農業生産量を増加させるプロジェクトが進行しているが、頭打ちになっているのは皆さんがご存知のことである。ここで主張したいのは、消費量を自制したらどうかということである。「腹八分目」ということであるが、大くらいの筆者ができない「減量」を同じ大くらいの彼らができるかどうかが問題である。これは「こころ」の問題である。

(東京99/4/03) 


第六話 日本人と日系人

 我々の仲間には日本人と日系人がいました。同じように日本語を不自由なく操るのですが、何かが違います。どこが違うのか探してみました。

 まず、歩き方が違います。日本人は背中を丸めて小股でこちょこちょと急ぎ足で歩きますが、日系人は背筋を伸ばして、大股でゆっくりと歩きます。でも、歩くスピードは日本人の方が速いのです。

 次に違うのは、話す時の姿勢です。日本人はきょろきょろと落着かない目つきで聞き手の目を見ないで話すのに対して、日系人は相手の目の奥を覗き込むようにして話します。スペイン語の場合にはこれが顕著なのですが、日本語の場合には幾分この目つきが緩みます。

 話し方も違います。物事をはっきりと言わず、相手に理解を求めるのが日本人であり、相手に理解させようと明快に自分の意見を繰り返し言うのが日系人です。

まだまだ他にもありますが、目立つのはこの程度です。これらの全ては、体型などの先天的な原因によるものではなく、育った環境から受けた教育の結果です。

 ペルーは出生地主義を取っていますので、同じ両親を持つ兄弟でも、日本生まれとペルー生まれの兄弟では国籍が異なることも普通です。家族で海外旅行に行くことになると、日本のパスポートを持っているメンバーが断然有利ですが、選挙権も被選挙権もないのでペルーの国政に参加する権利はありません。痛し痒しだとのことです。

(東京99/3/28) 

第七話 尾根遺産業

リマでの夕食から帰ってくる道々に尾根遺産(夜の女)が数人立っていましたね。運転手の話によると一回遊んで$25だそうです。伝染病などで極めて危険だそうです。リマでは一月$400あれば一家が食べていけます。すると16回分で一家の一月の支出に相当します。ここでふと思い付いた尾根遺産業のフィージビリティ・スタディをやってみました。

【事業収益の検討】

簡単に儲かりそうに見える事業ですが、そうは問屋がおろしません。というのは、

  1. 月により曜日により客の数が大幅に変るからです。効率よく営業できた金土曜でも一日に3人接客することがもう上限です。開店休業の日を週に2日と考え、残りの3日で五人に営業できたとします。すなわち、一週間で11人に営業したことになります。即ち平均して一日あたり平均1.5人の営業実績となります。すると一日の売上高は

   $25 * 1.5 = $37.5となります。

2. また悪いことに、女性であるがゆえにドクダミ期間中は営業ができません。

   即ち、ひとつき2日の病気欠勤を含めると、営業可能日数は一月で20日前後となります。従って、一月間の売上高は

   $37.5 * 20 = $750です。

  1.  当然あるはずの上納金は一晩$10、夜間作業なので夜食などを含めた営業経費を$5とすると、間接費は一日$15、即ち20労働日における営業支出は $300となります。

4. 即ち、荒利は$750 - $300 = $400です。

  1. もし、ペルーでは18%の消費税を払うとしたら、売上高にこの税金が賦課されますが、ここで荒利に消費税がかかるものと考えると$400 * 0.18 = $72になります。

6. 従って、彼女たちの収入は$400 - $72 = $328であり、

7. もし所得税の15%が差し引かれるとなると、手取りは$328 * 0.85 = $278.8です。

8. ここで、必要な生活費一月分$400をこの職種で稼ぎ出すためには

 $400 / $278.8 * 11(人/週) = 16人に営業行為をする必要があります。でも、1.5倍のノルマ達成はこの職種の特殊性を考察に含めると困難でしょう。

とすると、彼女たちは他の仕事で支出の不足分を埋めているという推論になります。 

【事業の特徴と事業化の可能性】

(1) 事業 

  • 事業形態の特異性:この業種では商品にパッケージングを施すのみで、未加工一次産品をそのまま販売する形態をとっていますから、この業種では技術革新によって単価を上昇させることが難しい一面があります。また夜間作業が多いために夜食などの営業支出が増えることが言えます。
  • 低技能労働者で充分担当可能な職種ですから、作業員の熟練による能率向上に伴う収入増は見込めません。 

(2) 労働者の質と労働市場

  • 未加工の一次産品が商品ですから、業務に関する深い知識という付加価値が必要ではない低技能労働者で充分担当が可能です。

★ 職種の特殊性から労働可能期間が長くて10年と短期間でもあります。

  • 経済活動が低迷しているこの時期には潜在的就業可能労働者が増え、供給過多の労働市場を形成しやすいことが言えます。
  • 日本の市場では、近隣諸国からの労働者に言葉の関係があるが、南米の場合にはほとんどスペイン語で通じるので、近隣諸国間の労働者交換が流動的であることを、地勢的な特色として考慮する必要がある。

(3) 労働者をとりまく環境

★労働環境:職業病が多く、労働環境が劣悪であると言えます。 

【結論】

 このような事業はこの国では経済的にフィージブルではないため、実施すべきではないが、他にこれと言って技能を持たず、開拓努力もせず、収入の道が閉ざされた労働者が多い場合にはフィージブルかもしれない。しかし、倫理的には受け入れられないものである。 

【【読者からの意見】】

この論文に関して、事業開設の専門家である友人からコメントがつきましたのでその答えとともに紹介します。コメントはプロンプト">"で示してあります。 

【価格設定の基本】

>さて一体何が、Doyokおぢさんをこの様な調査報告に駆り立てたのでありましょうか、その根本的な原因か理由を個人的に知りたい○○であります。

 今までは「商品の価格=コスト+fee」であると言われて、高価格維持が行われてまいりました。これは生産者・流通業者の立場から見た価格設定の常識でした。しかし、紳士服の「青木」や「マツモトキヨシ」などの「殴り込み」業者によって、この常識は打ち砕かれ、消費者側に有利な価格設定が行なわれる用になってきていることは皆様ご存知のことと思います。

さて、我々が普通目にする商品はほとんどが「物財」という形をとっています。この商品系列と対極にあるのが、この尾根遺産事業であり、この事業内容を分析していくことで、「物財」と無関係の純粋なサービス業の実体が明らかになり、事業家の行動指針設定のための一助になるのではないかと考えた次第です。 あくまでも、形而上の思考をとりたいと思っています。さらに、尾根遺産事業は、本能に直接結びついているため、この種の「臍下産業」は大多数の方たちに例として分かりやすいと考えたからなのです。 

【尾根遺産事業に関する生物学的考察】

>つまり、私は、こういう職業が、軽蔑されるべき職業かどうかというのは、

>軽率に決めつけるべきではないと思うのであります。

 「軽蔑される」職業であるかどうかは分かりませんが、自分の娘には下記の理由により、この業界には就職を薦めたくありません。 

 ヒトを動物として見て(ここで論を分かつ人がいるかもしれませんが)生物学的に考察してみました。

 まず、ヒトは他の動物と異なり、生殖期間が不定です。繁殖期間がないのです。というと、生殖行動の回数が他の動物にくらべて多くなり、それだけ粘膜を通じた接触感染の危険が高くなります。また、長い間、煮炊きして食物を摂取してきた経緯からでしょうが、外的汚染に対する抵抗力がありません。特に最近は環境ホルモンの影響で、抵抗力が落ちていると言われています。

 全ての生物は自己生存本能を持っており、危険をできるだけ避けるような行動をとります。従って、自分を接触感染の恐れが高い環境にさらすことは嫌うはずです。医療関係者も尾根遺産とおなじような汚染環境にありますが、感染症には充分注意を払っていますし、なにせ「医は仁術」と言われるほどですから職業的に軽蔑されることはありません。

 粘膜からの感染症は鼻腔や口腔の粘膜を通じるものと、生殖器部位の粘膜を通じるものがあります。前者の場合には病原菌付着量が少なく洗浄しやすいのに対して、後者の場合にはその反対です。

 さらに、後者で感染する場合には、相手と体を密着する場合がほとんどですから、相手の「氣」の影響をもろに受けることになり、自分の持つ「波動」を狂わせ、抵抗力を下げることにもなりかねません。 

 一方、肉体的(ハードウエアの)健康と精神・神経的(ソフトウエアの)健康を守る上で、生殖行為は避けるに越したことはないのですが、ヒトというハードウエアを再生産するため(子孫を残すため)にはどうしても生殖行為が必要となります。 

 この葛藤を最小限に抑えるために、夫婦という方便を取っているのではないかと考えます。外見からだけでは、夫婦間の行為と尾根遺産の行為とでは全く同じです。しかし、接触感染の危険を下げるためには長期間にわたり行為の相手を一人に絞っておくことが必要になります。これが「婚姻」というものが発生した一つの理由ではないかと考えています。 

>この職業に誇りを持っている人、この職業しか選択の余地のない人も、世界には、たくさん、いらっしゃるかも知れないと私は思います。

 「誇りを持っている人」は知りませんが、「選択の余地のない人」は沢山います。人間には勤勉から怠惰なタイプまでたくさんの種類があります。勤勉で能力の高い、即ち良質の労働者から順に雇用されていくのが通常です。しかし、余剰労働力が沢山ある地域では、低質な労働者は職を得ることは困難であり、かれらの持つ怠惰な性格から、「らくして、楽しんで金儲け」に走りがちです。尾根遺産産業の従事者のほとんどはこの性格の持ち主ではないかと、インドネシアでの本件基本調査時に結論が出ております。

【参考】WakyoML ○○さんと△△さんご指摘ありがとうございました。

(東京99/3/28)


第八話 鬼遺産業

 尾根遺産業の話を筆者が参加しているML(メーリングリスト)に上梓したところ、バンクーバーの友人であるSさんと東京の△△さんからさっそくコメントがつきました。 

【尾根遺産と鬼遺産の営業拠点】

 日系人の運転手の話では、リマ市では尾根遺産と鬼遺産は営業拠点が重複しないように棲み分けが進んでいるということですが、それも隣り合った通りであったりします。片側4車線もあり交通量が多い通り沿いでもかまわず営業しています。でもやはり明るい場所は避けて、ちょっとした薄暗がりにいます。 現地に長い日本人の友人の話によると、最近とみに尾根遺産業が盛んになってきているとのことで、これは数年来の世界経済不況とブラジルの通貨不安に影響されているようです。 

【鬼遺産の営業戦術】

インドネシアでもそうでしたが、鬼遺産業の場合には女性以上に肉体をセクシーに見せようとしているのだそうです。そういうタイプと、体が筋肉質でがっちりしているタイプ、はたまた化粧が以上にキツイタイプ、女性ではできないほどやたら露出した服装をしているタイプも鬼遺産である可能性が高いと言っていました。また、ペルーには北米のようなマッチョ鬼遺産はいないようです。また、この国で男性同士の性行為はそれほどまれなこととは認識されておらずホモには比較的寛容であるとのことであった。【参考】Niftyserve/Famerica/mes/18の書込みから。ありがとうございます。

(東京99/4/03)

第九話 ペルーのお土産紹介

 個人的には余り紹介したくないのですが、ペルーのことを考えて日本人向けのペルー土産を紹介します。  

 アンデス高地の産品としてまずアルパカのセーターなどが繊維製品があげられます。アルパカ毛の性質上、薄くて軽くてとても着やすいのですが袖口や衿口が伸びやすい事が言えます。丸首のセーターで3,000円くらいからあります。ただし、日本ではやっている模様や色彩のものは少ないことを覚えておいて下さい。服飾の専門家でしたら売れ筋になりそうな商品を探すことはできるでしょうが、筆者のような「くされオジン」がいいかげんに選んだものは、まず日本ではいわゆる「ホームウエア」になってしまうでしょう。

 その他の毛製品にもなかなかよい物がありますが、模様と色使いに問題があります。ひざ掛けなどは良いものがあります。

 カーペットやタペストリーにも味わいのある製品があります。しかし、カーペットはペルシャ絨毯の方が長持ちしそうな感じです。また、大きくて重いものは、手荷物の超過料金がかかりますから、価格の点で選ぶのなら超過料金をきちんとはじいておく必要があります。リマ−東京間の距離は約二万キロで、東南アジアの三倍の距離がありますから、アジアのつもりでいると空港で大慌てすることがありますからご注意を。 

 筆者が気に入っているものに、2.5-5cmの小さい土人形があります。フォルクローレバンドのものや働く女性の人形です。若い女性に見せると「わー、きゃっわいいー」と思わずニコニコしてしまうほどのものです。一つ二つでは迫力がありませんが、十体以上まとめて飾り棚に乗せると、なかなかの迫力が出てきます。

 また、陶器の動物の小さい人形もあります。これもかわいいですよ。 

 これらのお土産はメルカード・インディオと呼ばれる市場や日本人が経営している「ポコアポコ」という商店に、他の、金銀製品、木製品、皮製品などとごっちゃになってたくさんありますから、ご自分で選んでみて下さい。品質的にみると「ポコアポコ」の方がよいのですが、その分値段が高いことは言うまでもありません。「ポコアポコ」の商品は一見の価値があります。 

 アンデス産品以外には、エンペロールと呼ばれるコーヒーがあります。香りが高く、エスプレッソ向きのバイセンのキツイコーヒーです。日本で飲んでもなかなかよい味がします。「ポコアポコ」からそれほど離れていないので、ついでに買い求めてくるのをお勧めします。

(東京99/4/03) 


第十話 ロサンゼルスで会った日系人

 帰路はロサンゼルスで一泊した。到着日は土曜日であり、町のビジネスセンターはすべてしまっており、閑散としていた。

 ホテルにチェックインした後、日本人ガイド兼運転手付き半日観光にでかけた時に、このガイドに不愉快な経験をしたのみならず、世界中から指摘されているアメリカ人の醜い一面を見たのでここにそれを書き留めておくことにした。但し、アメリカにいる日本人が全員このタイプだけであるということは言えないので、先にことわっておきます。 
 ここで血祭りにあげる日本人ガイドは60歳代の日本人であった。英語は流暢に聞こえるが、文法的にも言葉遣いにもそのいいかげんな性格が表れていた。それに気づかず、我々には「俺は英語がこんなにできるんだぜ」と威張っている用であった。学校は日本で済ませたということから、米国籍をもった日系人ではあるまい。とにかく「アメリカが一番、なんでもすごいだろう」という人間であった。 

【クルマの運転】
 発信停止時のショックが大きいのである。発信する時にガクンと首が後ろに倒れ、停止する時には前にのめるのである。オートマチック車ではどうしても発信時のショックが大きくなるのだが、アクセルをぐっと踏み込んで運転するために首が揺れて不快であった。丁寧に運転すればできるはずなのに、大排気量を自慢しているように感じて、更に不愉快になったのである。性格がおおざっぱな奴であった。 

【コーヒー】
 迎えに来た時にこのガイドがテイクアウトのコーヒーを持っていた。そしてそれを自慢した。「アメリカンコーヒーというと日本人はまずいものと思っているが、これは違う。うまい。今チェーン店がどんどん増えていて、日本にも上陸しているんだ。飲んでみたいか」
 ためしに飲んでみようかというと、コーヒー店まで連れていってくれた。たしかに、他の店よりも美味しいのだが、日本のサブウェイのコーヒーの方がまだ良かった。「やっぱり味音痴のアメリカ人を顧客対象としているから、日本とちがうんだよオッサン」とガイドに言いたかったが、呆れて黙っていたのだった。さらにカチンときたのは、「ここで時間を五分つぶせば、同行する日本人観光客を拾うのにちょうど良い時間になる」とのうのうと言ってのけたことであった。
 ちなみに、感心した味ではなかったのでこのコーヒー店チェーンの名前は忘れた。「バカ言え。オマエらアメリカ人よりもわしらの方がもっとうまいものを飲み食いしているんだけというのが実感であった。 
 今(2015年)になって思うと連れて行ってもらったのはたぶんスターバックスだったような気がする。

【スーパーマーケット】
 同行する客を拾うために待ちあわせたスーパーマーケットの駐車場に着いたが、その客はまだ来ていなかったので、ガイドが「アメリカのスーパーでも見てきたら。日本じゃ見られないようなきれいで大きなスーパーだよ」という。試しに入ってみると、リマの新しいスーパーの方がよりきれいで大きく、値段も安かった。シンガポールやジャカルタのスーパーでもこの程度のものはたくさんある。
 「てめー、なめんじゃねぇよ。このLAの田舎のプレスリー野郎!」と心で叫んだのだった。 

【旅行者の荷物】
 同行の客が車に乗り込んでしばらく走った後、トランクをこのクルマにつんでいないことに気づいたその客がガイドに所在を確かめると、乗り換える前のクルマを会社に電話して確認した後、「荷物は45分後ろを走っている車に乗っている。大丈夫」と言うだけであった。まるで「自分は悪くない。アンタ自分の荷物くらいちゃんと管理してなさいよ」と言っているようであった。

「荷物はちゃんとホテルまで届けますから」と前のクルマでは言われたのだろうけど、荷物が着かなかった時には「アメリカでは財産に関しては自己管理が常識だ」とでも言い抜けるつもりだったのだろう。日本人の常識が使えるから、料金が少し高いのを知っていても日系の観光会社を観光客はつかっているのである。これじゃ詐欺師もどきである。

 これは開発途上国の観光会社や航空会社が頻繁に使う手口である。海外旅行初心者は注意されたし。 

【ハリウッドにて】
 ハリウッドがロサンゼルス郊外にあるとは記憶になかった。映画にも余り興味がなかったが、一応観光客気取りをしてみた。映画やテレビドラマに出てくるようなきれいな町並みであった。しかし、ヨーロッパの高級住宅地で見掛けたような、その地域独特の建築様式で統一されているわけではなく、伝統文化の欠如というものを感じないわけには行かなかった。オーナーと建築家の趣味で家には種々の形が取り込まれている。インドネシアで言えば「多様性の統一」である。ヨーロッパに負けまいと肩肘を張っている、これが米国の本質なのかもしれない。 
「もう一度アメリカに行きたいか?」と尋ねられたら、答えは、
「NO」である。こんな尊大な人間のいるところはまっぴらゴメンである。 

【リトルトーキョー】
 LAで宿泊したのはホテル・ニューオータニであったので夕食は徒歩でリトル・トーキョーに向かった。
 日本人移民が沢山住んでいて商売をしていた地域であったが、今ではこの周辺にスラム化がはじまり、夜は物騒な事件が起きる通りもあるとのことであった。
 昔ここに住んでいた日系人たちは郊外に引越したとともに、商店も建て替えたりして移転してしまった。二世・三世ともなると日本人社会に頼って生きるよりも、現地に溶け込んだ生活をするようである。ここが中国人とは異なっている。

(東京99/4/03)


第十一話 サンタフェ

 米墨戦争まではサンフランシスコ州もニューメキシコ州もメキシコの領土であった。すなわちスペイン領であった。
 このガイドの説明によると、スペイン人がこの無人の土地に来て街を作る時に名前をつけなくてはならず、牧師さんが聖書に出ている名前を取って町を命名したということであった。
 この説明は間違いであろう。「何年LAにいるんだい。ちゃんと勉強しろよ」といいたくなる。

サン・フランシスコ:ええっ!聖フランシスコって名前は聖書に出てきたっけ?日本にキリスト教を伝えたフランシスコザビエルのことじゃないの?だいいち、ユダヤ人にフランシスコって名前があったっけ?
サンホセ:聖ジョセフ。うんうん。多分いるような気がするけど。
サンタフェ:聖フェなんていうのは見たことも聞いたこともないけどひょっとすると「聖F」の意味じゃなかったのかなあ?

(東京99/4/03)


第十二話 ワッツ

 ホテルにあるブティックの日本人の中年女性と暇に任せておしゃべりをしているうちに、ワッツの話になった。

 彼女によると、ワッツはロサンゼルス空港の近くにあり航空機騒音が大きく低所得者ばかりが住んでいる地域であるのみならずこの地域の言葉は極めて特殊であり普通の英語が通じないということであった。学歴がないワッツ出身者が外で肉体労働をしようとしても、言葉が通じないために仕事にもありつけないとのことである。ヒスパニック系にも同じ悩みがあるが、彼らの中には商店主もいるし会社のオーナーもいるから、ワッツの人ほど仕事を探すのが大変ではないだろう。ジャカルタの貧民窟でもちゃんとインドネシア語が通じるのに、ワッツはどうしたことだろう。 

 同じロサンゼルスという街の中にかたやハリウッドのような超高級住宅地があり、町のその反対側にはワッツという超低級住宅地がある、ということは、米国の町は高所得者と低所得者の住宅が斑になっているということである。

 米国政府は自国を先進国と定義している。すなわち一人当たり地域総生産の米ドル換算値の数値で、先進国、中進国、開発途上国、低開発国と分類している。この定義を使うと、ロサンゼルス北部は先進国だが、ワッツを含む南部は低開発国ということになる。自国の欠点を隠蔽するために「全国的に」ならして先進国と呼んでいるのであろう。

 国民の間に存在する貧富の差と国民の幸せ度、不満を持つ国民の多さからみたら、ヒマラヤ山中にあるブータンは桃源郷であるのに対して、アメリカはその反対の極にあるような気がしてならない。「米国は自由の国」とは言われているが、「貧乏でいる自由」という理屈だってこじつけられるのである。

(東京99/4/03)


2009-10-15 作成
2015-03-24 追加修正

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