自作エッセイ集 第1部 珍訳・旧約聖書


はじめに  
  旧約聖書の内容は難解であるのみならず、筆者がキリスト教徒ではなくあまり聖書にはなじみにくい立場にあるにもかかわらず、どうしてか旧約聖書の創世記には惹かれるものがある。聖書に登場する地域に一年弱滞在したこともあるからなんとなく懐かしく思えるのかもしれない。

 そもそも自分なりに旧約聖書を解釈する等ということは無謀であるかもしれない。旧約聖書を開けるたびに、書いてあることはどうやらホンモノではないかという、キリスト教徒には叱られ、仏教徒には呆れられる疑問が脳裏に湧いてくるのである。

 非キリスト教徒という立場から荒唐無稽ではあるが、「旧約聖書に書かれていることは正しいのである」とこの文で述べてみたい。読者が青筋をたてて筆者に迫ることは差し控えられたい。ただこの文で述べることは仮定の上の仮定であるからである。

 旧約・新約聖書や仏典は約1500年前に編纂されたという。特に旧約聖書では物語調で話が進んでゆく。これは口述筆記したこともあるし、その当時の編纂した人たちも読む人たちも、抽象的な表現ができなかったかららしい。現在の学校の教科書の客観的な記述と聖書のそれを比べてみたらその違いがよくわかる。

目次
第一話 天地創造 (その1)
第二話 天地創造 (その2)
第三話 最初の人間
第四話 仮想動物「ヒトもどき
第五話 人類の個体数の増加
第六話 体毛とサルとの関係
第七話 大脱出 (Exodus)
第八話 年齢に隠された秘密
第九話 生殖年齢からの考察
第十話 公転周期の大変化の際の地表面での気候変化
第十一話 アダムとイブは我々の祖先なのであ

初校:1999年5月5日 リマにて。
校正 : 2006年5月27日 ジャカルタにて
                     


第一話 天地創造(その一)

 すべては漆黒の闇に包まれていた。静寂が全てをおおい、動くものはなかった。

突然、大音響とともに稲妻が闇に光り目にみえないものが動きはじめた。稲妻は水平に何条も漆黒の空に輝いたのだった。
しばらくして稲妻が消えるとともに青い模様のついた巨大な白い光の窓が表れその左下では小さな白い光が点滅していた。

この窓がいったん闇の中に吸い込まれると、なにかがせわしなく動きはじめ、やがて雲が浮いている青空が現われた。この青空にも黒い桟のついた窓と模様が現われたのだった。
大音響が二回響いた後、また漆黒の闇が訪れた。

闇が去るとそこには上が空の色をした白い小さな四角い窓が現われ、その中で黒いものが点滅していた。思わずその黒い点滅に触ってしまうと、教会の大きな鐘が鳴るような大音響が響きわたりまた静寂に戻った。
天と地が分かれたが、まだこの世界には動くものはなくただ光が満ちていただけであった。

そうか、「ウインドウズ95」が起動しただけだったんだ。

初校:1999年5月5日 リマにて。
校正: 2016年11月18日
 


第二話 天地創造(その二)
 
 その動物の体内ではウィルスが活発に染色体に働きかけていた。

 その動物は他の動物とは大きく異なっており、自分を守る鋭い牙や爪がないだけではなく、一度に生まれる子供も一体しかないという特殊な性質を持っていた。また生まれてくる乳児の体重に比べて妊娠期間が極めて長いとともに、その赤ん坊も生まれたばかりの時は自分では動けないといった、生き残りには極めて不利な条件を持っていたのだった。発情期が一定しておらず、一年中いつでも生殖が可能であるということが特別であると言えば言えるのかもしれない。
 子供の時から大人になっても頭部が異常に大きいのでバランスが悪く、走る速度も遅く、逃げ足の速い動物を捕食するのはなかなかむずかしかったが、雑食性であるために、彼らの周りのもののうち動きが遅い動物や植物のほとんど全てが餌となったのであった。基本的には彼らは陸上の動物であったが、水中に潜って貝などをとることもできたのである。

 特に脳細胞に集中してウィルスが働きかけた染色体は活発に細胞の改造に精を出し、新陳代謝のたびに、新しい染色体に支配された細胞が増えていった。やがてその変化が積み重なっていき、目にみえないほどの変化が脳の中で起こりはじめた。それもゆっくりとゆっくりと。
 とある時点で、エンジンのターボチャージャーをスイッチオンしたように、突然脳の能力が飛躍的に高まったとともに、その動物の脳が高い能力をもつようになったのである。

 その動物の学名はホモサピエンスと呼ばれている。

初校:1999年5月5日 リマにて。 


第三話 最初の人間
 
 第一話と第二話ではちょっとショートショート風に遊んでみたが、これからが本番である。

 ユダヤ教とキリスト教、イスラム教で信じられている旧約聖書の内容は我々が学校で習った現代の科学で説明しきれない点をたくさん含んでいる。今回は、これらの点を牽強付会・我田引水・言語道断とそしられようがどうされようが、どうやったらつじつまをつけられるか考えてみた。

 旧約聖書の創世記に、アダムが人類の祖先である、と書いてあるのは誰でも知っているとおりである。
 また、クロマニヨン人と名づけられた約四万年前の人類の化石が発掘されたことは学校で習ったから、これを知らないという人はいないとおもう。

 旧約聖書の創世記には、アダムから始まり、連綿と子孫の名前が書き連ねてある。数十代に渡る系譜である。そのうち死亡年齢などが記されているのは18代である。現代から18代前というと日本では室町時代の末になる。平均25歳で子どもができるとすれば、25x18=450年になることは小学生でも分かる算数である。

 約2400年前に存在していたモーゼを基点にして、子どもをつくった年齢を平均25歳、その系譜を50代としてアダムが生きていた年代をさかのぼって計算すると、25x50=1,250年前になり、今から2,400+1,250=3,650年前にしかならない。これではエジプトの古代王朝よりもずっと後のことになる。これでは聖書に書いてあることがまるで嘘になるから、うんと採点を甘くして、系譜の中で後世まで語り継がれた有名な人の名前だけを聖書に書いてあると仮定しよう。また、有名な人は正規分布の有意であるとされない5%であるとして、さっき計算した系譜の長さの1,250年を1/0.05すなわち20倍してみても25,000年にしかならず、クロマニヨン人が生存していた四万年前と推定される年代と比べるとアダムの誕生はかなり後になる。こんなに条件を甘くしても聖書の記述は間違いだという計算結果になる。
 だから、「旧約聖書は信じるに足りない神話である」という結論を現代人は出してしまうことになる。学校で教わった理科の知識をもとにして考えたらこの結論は正しいといわざるをえない。

 さて、ここで発想を転換してみよう。

 創世記にはアダムとイブは三人の男の子をつくったとある。その子供たちにも子孫ができているのである。そうでなければモーゼまでの系譜ができないはずだからだ。この子孫たちは全員男の子であったから、その子達の子供は誰が産んだのであろうか。
 これには「その当時には男だけの単性生殖も可能であった」と強弁することができるが、常識的に考えて@出産には健康な子宮を持ちかつ哺乳できるヒト科の雌が必要であることが言えるし、Aアダムとイブの孫にあたるこの男の子三人の子供たちとは別に、聖書に書かれていない女の子がいたとしても、兄妹で子どもをつくれば、今の常識から言って虚弱児などが生まれて家系が死に絶えてしまうはずである。実際に人口が3000人を下回ったり、単種で頭数が3000頭を下回ったりするとその種は絶滅してしまうことが過去の経験からわかっている。ここでも「神様の御加護があったのだ」と言いはる方もいらっしゃろうが、それはあまりに非科学的であるので、ここでは無視することにする。それでは、なぜ今60億人に達しようとする数にまで人類は子孫を増やすことができたのだろうか。

 彼らの長男カインが弟のアベルを殺害して、両親のもとを追放されるときに、カインの言葉として「何者かに殺されるかもしれない」というくだりが創世記の第四章14-17にある。この「何者」とはいったいだれであろうか。人間はアダムとイブ、そして自分と弟しかないはずなのに。
 初校:1999年5月5日 リマにて。 

 
第四話 仮想動物「ヒトもどき
 約二百年前に、スエーデンにスエーデンボルグという有名な学者がいた。スエーデンに王立科学学会を創立した人である。この人の著作から抜粋した「霊界からの手記」という本の中では、アダムはプレアダマイト(アダムの前時代の人たちと訳せばよいのだろうが、ここでは分かりやすく「ヒトもどき」と呼ぶことにする)から進化した「人類」の始祖であると言っている。もしアダムとイブとその子供たち以外には人類が存在しないのなら「者」という表現は使わなかったはずだとスエーデンボルグは述べている。「者」というのは、それがアダムと同じ形をした動物であるからこそ聖書では「者」と呼んで、獣とは呼ばなかったのであろう。

 聖書の記述が全て正しいと仮定するならば、聖書に書いてある「人類」と、クロマニヨン人と呼ばれる「ヒトもどき」との間になんらかの違いがなければならない。しかし、解剖学的に言うと現人類とクロマニヨン人との間には脳の容積の違いがほとんどないということである。
 たとえが悪いが、「ヒトもどき」の脳は店から買ってきたばかりのパソコンで「ハードウエアのみ」の状態で、神様が息を吹き込んだ、すなわち「アプリケーションソフトをロードした」段階ではじめて人類の脳、すなわち「まともに使えるパソコン」になったというようなことであろう。
 この「ヒトもどき」はアダムの時代には多数存在していたが、頭の良い「人類」が増加するにつれ世界から駆逐されたり、「人類」に吸収されていったのではなかろうか。クロマニヨン人は確かにハードウエア的には「人類」ではあるが、アプリケーションソフトの面から見るとまだまだ発達していなかったヒトなのかもしれない。
 学者が見つけたのはクロマニヨン人の「化石」であって「生きている」クロマニヨン人ではない。生物の宿命として、死んでしまえは゛脳の中にしまってあった記憶というソフトウエアは全て物質的にはなくなってしまう。パソコンで言えば、学者が見つけたのはハードウエアの化石であり、それが生きていた時のソフトウエアの能力は化石からは測定できないのである。火事で完全に焼け落ちてしまったパソコンのハードウエアに、以前どのようなデータやソフトが入っていたかは分からなくなってしまうのと同じである。

 「ヒトもどき」から人類に突然変異した理由を、第二話でお話したウィルス進化説としても良いのである。

 上に、アダムとイブは三人の男の子をつくったと聖書にあると書いた。
 アダムとイブの子孫たちに連綿とした系譜があるのは、「ヒトもどき」の雌に自分の子どもを産ませ続けたのではないだろうか。しかしいくらなんでも、この家系の十数代にわたって男の子ばかりが生まれたとは考えられない。女の子も生まれていてしかるべきである。妙な話である。
 これは「人類」を元に考えているから変な結果になるのである。
 アダムから数えて十数代の間は、「ヒトもどき」の方の人口が絶対的に多かったはずである。この時代の状況を想像してみるために、地球の主人公を人類ではなくて「ヒトもどき」としてみよう。
 考古学的な時代に女性の乳房と腹部を強調した原始的な土偶や彫刻が出土している。しかし、男性のシンボルを強調したものは相当あとの時代になってこないと出てこないのはなぜであろうか。それは、女性の方がその時代には重要視されていたので、女の子が生まれると「ヒトもどき」である嫁さんの両親が取り上げてしまったとも考えられる。残ったのは、「ヒトもどき」よりも運動能力が低い、すなわち動物としてのサバイバル能力が低い、「人類」の男の子ばかりであったのではないか。我々の「ET」に対する感情と同じように、「ヒトもどき」達はアダムの子孫たちを見ていたのかもしれない。今でも、乳児期は女の子の方が育てやすいといわれているし、さらに人口増加に貢献する度合いは一人の男性を1とすると一人の女性は1.2であるといわれているから、「ヒトもどき」達が自分たちの「種の保存」のために女の子を強奪していくのは理にかなうように思う。

【参考文献】
「スエ−デンボルグの霊界からの手記(下)」今村光一抄訳・編
「唯脳論」養老孟司著
「ウイルス進化論」今西錦司著
  
初校:1999年5月5日 リマにて。 


第五話 人類の個体数の増加
 
 その時代、「ヒトもどき」のメスあるいは人類の遺伝子をもつ女性が一生の間に産み、かつ生殖能力を持つまで育った子どもの数を10人(匹?)と仮定し、一人の男性が一生のうちに100回妊娠させたとすると、一代目で一人の男性から100人に「人類」の遺伝子が伝わる。子どもは男女半々に産み分けたとして、二代目の男性側からは50x100=5,000人、女性側では50x10=500人で合計5,500人の子どもがこの遺伝子を持つことになる。三代目は男性側2,750x100=27万人、女性側では2,750x10=3万人、合計30万人に達する。四代目には同じく、15万x100=1,500万人と、15万x10=150万人、合計1,650万人になる。もちろん、「人類」がこの計算通りに遺伝子を急激に拡散していったわけではないだろうが、長い目で見れば徐々に「人類」の遺伝子が「ヒトもどき」の中に浸透して行ったことであろう。

 そして時は流れて、十数代経った後に「娘の美しさに目が眩んだ」という記述が聖書に出てくるのは、その時にようやく「人類」集団の物理的な力が「ヒトもどき」の力に打ち勝ったために、ようやく自分で女の子を育てられるような環境になった。すなわち「ヒトもどき」の雌ではなく人類の「女性」として教育できるようになり、女性も人類の一員であると認められるようになったのではなかろうか。女性蔑視の思想は、あんがいこんなところが出自なのかもしれない。

初校1997年3月12日 テヘランにて。
校正1999年5月5日 リマにて。

 
第六話 体毛と猿との関係
 クロマニヨン人の頭骨の復元図を見ると、ヨーロッパ人などのコーカソイド(白人)には顔つきが似ているが、我々モンゴロイド(黄色人種)やアフリカやポリネシアのネグリート(褐色の人種)の祖先とは似ても似つかない、と思ったのは筆者一人だけではあるまい。教科書で見たクロマニヨン人の復元図は確かひげが生えていたから男、いやこの文では「ヒトもどき」の雄(おす)と言わなければならない、であったはずである。雌の化石はないのだろうか。

 ヨーロッパ人は、聖書の記述のみならずクロマニヨン人が自分たちの直系であると自負して、彼らとは顔つきが異なる有色人種たちをここ数百年さんざん虐げてきたのではなかろうか。

 世界のあちらこちらに出張して町角でぼんやり現地の人たちを見ていると、コーカソイド以外はすべてその人種には彼らが住んでいる地域に生息しているサルの面影が多少なりとも感じられる。ケニアの事務所にいたボーイさんはゴリラに似ていたし、ジャワの山の中で暮らしている人はオランウータンにも似ていた。江戸時代の写真を見ると田舎の日本人もニホンザルに似ていた。都市に何代も住み続けている人たちではなく、今でも地方の人たちの顔にそれがしばしば見られる。
 今西進化論でいえば、農山村部にはサルが多く生息し、サルとヒトとに共通して伝染するウイルスが、同じ遺伝子をサルとヒトとに移すことによって、同じ地域に住むサルとヒトとの顔が似ているようになったのではないかとも言える。ちなみにコーカソイドの住んでいる地域には野生のサルがほとんど棲息しておらず、かれらはサルからウイルスを移されなかったのではないか。それでクロマニヨンの原形を残しているのではないだろうか。人間にくらべてサルは仲間内ではあまり喧嘩をしないといわれている。世界史上、事を荒立てるのはコーカソイドが多いこととこのウイルス感染とはどこかで共通点があるのかもしれない。

 こんな荒唐無稽なことを、毛むくじゃらで鼻の高いコーカソイドの原形に近い人達ばかりのテヘランで感じて、ここの人達の先祖と思われるクロマニオンは「ヒトもどき」だったのではなかろうかと感じたのである。

初校1997年3月12日 テヘランにて。
校正1999年5月5日 リマにて。
校正2023年8月18日
【参考文献】
「ウイルス進化論」今西錦司著


第七話 大脱出(エクソダス)
 
 「モーゼの十戒」に出てくるモーゼという人物は神話の中の人物ではなく実在の人物であるということも分かっている。お釈迦様とほぼ同年代の2400年ほど前の人物だといわれている。
 エクソダスと呼ばれているエジプトからの大脱出の際に海が二つに割れたことも、モーゼがユダヤ人たちを引き連れてスエズの地峡を渡ったあとに、また海の水が元に戻ってエジプトの兵士たちが溺れ死んだとも旧約聖書に書いてあることは、ご存知のとおりである。

 これは余談になるが、この海が二つに割れたという奇蹟は、地中海北部の火山島がちょうど大爆発を起こして島のほとんどが地中数百メートルの深さまで吹っ飛んだ時に発生した巨大津波ではないかと想定している学者がいる。聖書の記述が正しいとして海峡の横断所要時間を計算してみよう。
 モーゼらが渡った地峡の幅を10kmと仮定し、聖書の記述では10万人を率いていたとあるから、横に20人の列で並び、列の前後の間隔を1mとすると、避難民の列の長さは5kmになる。海水が引いた後の海底は道路と違いでこぼこで大きな石などがあって平坦ではないし、さらには湿っているので歩くのにきわめて不都合であることから、彼らが急いでいたとしても荷物を担いでいたり子どもがいるので時速五キロというのは早すぎる。でも、甘く見て時速5kmとしてみよう。すると、最初の列が渡り終えるのに二時間、最後の列が渡り終えるのがそれから一時間後になる。所要合計時間は三時間である。

海水が引いてから津波が来る時間間隔は通常20分程度だから、避難民の集団の後半の部分は津波に呑まれてしまったはずであるが聖書にはその記載はない。興味のある方は、世界地図を引っ張り出して、地峡の幅と、津波の時間間隔を想定して津波に呑まれず無事対岸にたどり着いたユダヤ避難民の数を計算してみてください。
 モーゼはこの時刻に津波が発生するのをどうやって予知したか。偶然といえば偶然であるし、神のお導きといえばそれまでなのである。

 もしお導きがなかったら………。
 心配する必要はない!
 全員死に絶えていて大脱出は失敗して、この話は歴史から消えてしまったのである。
 だから「信じる」しかないのである。

 さてスエズ地峡を無事渡り終えたモーゼ率いる避難民たちは、これから数年間にわたり、シナイ半島で臥薪嘗胆の毎日に入る。ところで、こんな大量の避難民たちに飲食物を供給するだけで、交通機関の発達した現在でもこんなに大規模なプロジェクトになってしまう。さて、ここであなたが国連の高等弁務官になったとして避難民の生存計画を立ててみよう。

 かれらの主食はパンであったが、計算しやすくするため米飯を主食としたと仮定してみよう。インドネシア人たちは一月一人当たり15kgの白米を消費するが、避難民だから、この半分として一月一人当たり7.5kgの白米を消費することになる。避難民の総数は10万人だから、白米の消費量は一月あたり、750トンになる。すなわち大型10トントラックで75台分に相当する。すなわち毎日1.2台の輸送力が必要である。これをらくだで輸送とすると、一頭あたりの輸送量を500kgとしても一月あたり1500頭のらくだが必要になることになる。こんなにたくさんのらくだを飼っていた部族がシナイにいたのであろうか。まず、ここが疑問になる。

 もっと深刻なのは飲料水である。人間が生きていくには最低でも一人一日20リットルの飲料水が必要になる。すなわち難民全員に供給する量はその10万倍、一日あたり2000立方メートルとなる。毎秒23リットルである。普通日本で見かける小川の流量はこの数値より格段に多いから特には問題がなはずである。しかし、現在では砂漠になっている乾燥地域であるし当時も雨量が少なかったはずだから、飲料水の確保には大変苦労したと思われる。
 余談だが、この標準供給量には水浴用の分は含まれていない。ということはモーゼたちは何年も風呂に入らなかったのだろう。さぞかし臭かったことだろう。

 テント一張あたり10人収容するとして、十万人の避難民を収容するのには一万張のテントが必要になる。このテントを建てるに必要な敷地は、一張りあたり7m x 7 m=50平方メートルとすると、50万平方メートル、すなわち50ヘクタールに達するのである。

 こんなに困難なプロジェクトを運営していくことは現在の技術でもきわめて困難である。ましてや2500年前に食糧供給はどうやっ行ったのか。疑問だらけである。

 また、社会科学的にいうと、異民族がその社会に大きく影響を及ぼすためには総人口の10%以上になる必要があるとのことである。ユダヤ人の反乱を心配していたエジプトに住んでいたユダヤ人全員がこの大脱出に加わったとすると、その当時のエジプトの総人口は十万人の十倍の百万人でなくてはならない。エジプト一国の総人口ならともしらず、ナイルデルタにこれだけの人口がその当時集中していたとは考えにくい。

 すなわち、避難民の総数は10万人ではなくせいぜい数千人だったろうと想定できるのである。

初校1997年3月12日 テヘランにて。
校正1999年5月5日 リマにて。
校正2006年5月27日 ジャカルタにて
校正2023年2月26日 所沢にて
校正2023年8月18日 所沢にて

 
第八話 年齢に隠された秘密
 読者諸兄諸姉は旧約聖書の創世記に登場してくる人達の年齢が天文学的に高齢であり、「まーさか」とまずはその胡散臭さに思わず納得してしまうであろう。聖書の記述をそのままグラフにすると次のようになる。な、なんとアダムは三世代ならず九世代も同時に生きていたことになるのである。

赤い棒が生存期間。横軸はアダム起源の聖書中の年を表す。

 その胡散臭さというのは、今の常識で計るから出てくるものなのである。一年は365日で、一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒であることは小学生でも知っている。この時間感覚で推し量るから、聖書の内容が誤解されるのである。
 しかし、登場人物達が存在していた当時の年の数えかたが我々の常識と違っていたと考えるならば、合点がいきそうである。
 ちなみに、登場人物達の年齢を現在における生存可能最高年齢と言われている120年にしてみて、聖書に書かれた年齢との比を求めてみると下のグラフとなる。

創世記に記載されている人物の寿命の変化

 折れ線は聖書にある達の死亡年齢をただ120で割った値で、近似曲線はエクセルで作成したもの。
 このグラフから読み取れることは、ノア以前の登場人物達に対する係数がほぼ一定であるということである。ただ、エノクは神隠しに遭ったらしく若年でこの世から消えているということが聖書から読み取れるので、ここでは「えいやっ」曲線を引く時に対象外としてある。
 このように登場人物達の死亡年齢と120年の比を出してみると、ノアの子供のセムの時代に何かが起きて、それ以降この係数が徐々に低下しているのが分かる。

 高々数千年の間に人類の生存可能年齢が飛躍的に伸びたり縮んだりすることは、進化論的に言っても不可能であるから、一応「現在の時間」として計算したものである。左端の「係数」がその比である。この比はノアを境にして急激に値が小さくなっていることが分かる。
 あくまでも、一年とは地球から見て太陽が同じ位置に来ること、例えば「春分から春分までの時間」とする。これは現在でも天文学で使われている「一年」の定義である。

 ノアといえば、「ノアの洪水」で有名である。ノアの洪水を境にして何かが変ったのだろうか。
 ノアの洪水の時は、聖書によれば、大雨が降り続き地球上は全て水で満たされ陸地が見えくなったとある。全ての山が見えなくなったというから水深は3000mに達したことだろう。とすると、地球の半径は6400kmであるから、その水量は1500兆立方メーターに達する。
 このように大量の水が地球表面に数年間という天文学的に見て瞬間といえる時間に現われることはどういうことだろうか。「まさか天から降って湧いた訳じゃ………」。
そう、そのとおり。この天文学的な量の水が天から降ってきたのである。それは地球軌道と接近した大きな彗星からだったと思われるのである。この彗星の軌道計算をして、この彗星は外形が地球規模の大きさであり、核がその約1/4のものであることを突き止めたことを二十数年前に高橋実氏がその著書「灼熱の氷惑星M」で述べている。著者は水が移動してきたことだけを述べていたと記憶するが、この大型彗星の地球接近はその回転運動になんらかの影響があって当然だろうと筆者は考える。

 旧約聖書の中に書かれている預言者達の年齢の変化は、やはりこの彗星の接近によるノアの洪水を境にして地球の公転周期が大きく変ったことを示しているのではないかと思えてならない

 このように、死亡年齢を元に地球の公転時間変化の可能性を導き出すことができたが、更にアダムの子孫の出生と死亡年齢を「アダム元年」から計算していくうちに問題点が発生した。
 それは、次世代誕生の歳を15歳と仮定すると預言者達の死亡年齢が高くなりすぎること。また死亡年齢を120歳とすると、次世代誕生の時の預言者の年齢が若すぎるということである。まあ、「昔の人はオマセだったのだ」といえばそう言えるかもしれないが、そうではない「へ理屈をこじつける」のがこの論文の主旨であるから、どうにかして理由を付けなければならないことに筆者は悩まされたのである。

 筆者得意のこじつけのために再度、アダムの子孫の死亡推定年齢と次世代誕生時推定年齢を以下の表に示す。
 名 次世代誕生年齢 死亡年齢 次世代誕生を18歳と仮定 死亡年齢を120歳と仮定 次世代誕生と死亡年齢係数
係数 死亡推定年齢 係数 次世代誕生推定年齢
(a) (b) (d)=(a)/18 (e)=(b)/(d) (f)=(b)/120 (g)=(a)/(f) (h)=(b)/(a)
アダム 130 930 7.22 128.77 7.75 16.80 7.15
セツ 105 912 5.83 156.34 7.60 13.80 8.69
エノシュ 90 905 5.00 181.00 7.54 11.90 10.06
ケナン 70 910 3.89 234.00 7.58 9.20 13.00
マハラルエル 65 859 3.61 237.88 7.16 9.10 13.22
エレデ 162 962 9.00 106.89 8.02 20.20 5.94
エノク 65 365 3.61 101.08 8.05 8.10 5.62
メトシェラ 187 969 10.39 93.27 8.08 23.20 5.18
レメク 182 777 10.11 76.85 6.48 28.10 4.27
ノア 500 950 27.78 34.20 7.92 63.20 1.90
セム 100 600 5.56 108.00 5.00 20.00 6.00
アルパクシャデ 35 438 1.94 225.26 3.65 9.60 12.51
シェラフ 30 433 1.67 259.80 3.61 8.30 14.43
エベル 34 464 1.89 245.65 3.87 8.80 13.65
ペレグ 30 239 1.67 143.40 1.99 15.10 7.97
レウ 32 239 1.78 134.44 1.99 16.10 7.47
セルグ 30 230 1.67 138.00 1.92 15.70 7.67
ナホル 29 148 1.61 91.86 1.23 23.50 5.10
テラ 70 205 3.89 52.71 1.71 41.00 2.93

 ノアの生まれる遥か前に生存していた、セツ、エノシュ、ケナン、マハラルエル達を考えてみると、彼らは非常に若くして子供を設けている。ということは彼らの幼少時代の四百年間は地球の公転周期が現在よりもずっと遅くなっていたのかもしれないとも考えられる。マハラエルが子供を儲けた後に急に地球の公転周期が早くなって、このような矛盾が生じたとも考えられる。
 また、ノアの子供のセムの子孫にも同じことが言える。ノアの洪水が彗星の影響によるものだとしたら、その前のセツの時代にも同じような彗星が地球に接近して公転周期が狂ったのではないだろうか。

 昔の人はよく天を仰ぎ、星を組み合わせて星座というものを勝手に作り上げ、占星術まで作り上げてしまい、現在まで連綿とその技術はすたれずに継承されてきている。
 これは、後世の人がこじつけたものであり、実は古代の人達は恒星や惑星の位置がどうなったら自分に不幸が訪れるなどと心配していたのではなく、いつ来るか分からない恐怖の彗星を心配して空を毎晩見上げていたのではなかろうかと、インドネシア・スマトラの山の中で満点の星を見上げてこう思ったのである。

初校1999年7月13日 インドネシア・スマトラ島、バトゥテギダムサイトにて。
校正1999年7月26日 インドネシア・スマトラ島、バトゥテギダムサイトにて。
校正2023年2月26日 所沢の自宅にて
校正2023年8月18日 所沢の自宅にて


第九話 
生殖年齢からの考察 
 第八話では、推定生存年数を120年として計算したところ、アダムとノアの間の三代とノアの孫から三代が異常に若く生殖している(子孫を作った)ということになった。最も早いシャラフで8.3歳、最も遅いセツで13.8歳である。当時は地球を取り囲んでいる水蒸気が異常に多かったため、紫外線による加齢が非常に遅かったという説もあるから、一応それにしたがって異常な長命の点はここでは議論しないことにするが、生殖可能年齢は現代の人間とはあまり変らないと思われるので、生殖活動が最も活発な18歳で次世代を作ったとしておこう。
ノアは非常な高齢で子供を作ったと聖書にあるので以下の検討では生殖年齢を70歳と仮定し、その他の人達は全て18歳を生殖年齢と仮定して、次世代誕生までの期間ごとに区切って聖書に記載されている生殖年齢とを比較すると現在の一年と聖書中の一年とが下のグラフに示す倍率となる。



 この中で、エノクの寿命が異常に短いが、これは創世記中に「神に召された」とあり、いわゆる神隠しにあったためである。

 下表は上記のグラフを作成するのに使ったデータである。
グラフには表中の(d)の係数を用いた。
 名 次世代誕生年齢 死亡年齢 次世代誕生を18歳と仮定 死亡年齢を120歳と仮定 次世代誕生と死亡年齢係数
係数 死亡推定年齢 係数 次世代誕生推定年齢
(a) (b) (d)=(a)/18 (e)=(b)/(d) (f)=(b)/120 (g)=(a)/(f) (h)=(b)/(a)
アダム Adam 130 930 7.22 128.77 7.75 16.80 7.15
セツ Set 105 912 5.83 156.34 7.60 13.80 8.69
エノシュ Enosh 90 905 5.00 181.00 7.54 11.90 10.06
ケナン Kenan 70 910 3.89 234.00 7.58 9.20 13.00
マハラルエル Mahalalel 65 859 3.61 237.88 7.16 9.10 13.22
エレデ Jared 162 962 9.00 106.89 8.02 20.20 5.94
エノク Enoch 65 365 3.61 101.08 8.05 8.10 5.62
メトシェラ Methuselah 187 969 10.39 93.27 8.08 23.20 5.18
レメク Lamech 182 777 10.11 76.85 6.48 28.10 4.27
ノア Noah 500 950 27.78 34.20 7.92 63.20 1.90
セム Shem 100 600 5.56 108.00 5.00 20.00 6.00
アルパクシャデ Arpachshad 35 438 1.94 225.26 3.65 9.60 12.51
シェラフ Shelah 30 433 1.67 259.80 3.61 8.30 14.43
エベル Eber 34 464 1.89 245.65 3.87 8.80 13.65
ペレグ Peleg 30 239 1.67 143.40 1.99 15.10 7.97
レウ Reu 32 239 1.78 134.44 1.99 16.10 7.47
セルグ Serug 30 230 1.67 138.00 1.92 15.70 7.67
ナホル Nahor 29 148 1.61 91.86 1.23 23.50 5.10
テラ Terah 70 205 3.89 52.71 1.71 41.00 2.93

 上記のグラフから見てとれるようにエレデがエノクをつくるまでの間に大きな公転周期の増加が、エノクがメトシェラをつくるまでの間には公転周期が祖父のエレデの時代おける周期まで揺り戻し、更にメトシェラがレメクをつくるまでの間に再度急増している。レメクがノアをつくるまでは公転周期が早く、ノアがセムをつくり、セムがアルパクシャデをつくる間は公転周期が急減している。
 グラフの二点鎖線は、異常な期間を除いた場合の公転周期の減少を示している。この図からはエレデの独身時代と、メトシェラ、レメク、ノア、セムの四代の時代に異常な公転周期があったことを示している。
 ノアの洪水が公転周期の急減期に起きるとするとエノクの父のエレデの独身時代にも起こっていなくてはならないはずである。しかし聖書にはその記載が見当たらない。
 ここで、エノクが早世してしまったのはその早熟性にあるとすると、生殖年齢は6.5歳である。現在のデータでは9歳で妊娠させた記録があるが、これにくらべてもあまりにエノクは早熟すぎる。ということは、エノクの独身時代にはやはり公転周期の急激な増減が見られたのだろう。
 公転周期の急激な変化は彗星などが地球の近隣を通過したり衝突したため、その力が地球の公転周期を狂わせたのだと第八話では結論づけた。

 エレデの時代には地球規模の災害があったとは創世記に記述されていない。これは中東から遠く離れた場所で大規模災害があったのだろうと推定される。
 レメクとノアの時代には中東を含む地域に地球規模の災害があり、それが「ノアの洪水」として創世記に記されているのであろう。これらの地球規模の災害を引き起こす原因は、第八話に述べたように天体によるものとしか考えられない、と1999年の時点では思っていた。が、古代地質学から、一万年前の縄文海進の際に百年間に海面が100m上昇したことがわかっている。しかし、一万年前と聖書の時代では大きな時間的隔たりがある。多分中東の北部にあたるトルコとイラン国境付近の山岳地帯に残っていた氷河が連鎖的に崩壊して氷河に閉じ込められていた水が一挙に奔流となって平地を襲ったものであろう。
 地球物理学によるとこんな説明ができる。
 大量の氷河はその質量で地球の中心に向かって引っ張られる。地球の内部は流体であるから、氷河の重みで地球表面は中心に向かって引っ張られている。ところが、氷河などの質量がなくなると重力が働かなくなり、球体に戻って安定しようとする地球の性質から、いままで氷河のあった部分の地殻は外側に向かって突き出すことになる。地球の体積は一定だから、突き出した分をいままで出っ張っていた部分がへこむことになる。さらに表面を覆う海水の量も一定だから、へこんだ部分の海面からの高さが低くなることになる。すなわち地表面に住んでいる人たちから見たら「洪水」に見えるのである。これがノアの洪水の正体かもしれない。

 上記の表をご覧になればわかるように、アダムが生まれてからセルグが生まれるまでは現在年にして約500年間であり、セムがその直後に生まれた「ノアの洪水」はその半分のセルグの生まれるたった250年前のことになる。だから、人類の一大事であったこの洪水については後世に言い継がれていて当然なのであろう。

 このように、誕生年と死亡年齢の記載が克明に記されていることは、この時期に公転周期の大きな変化があったことを聖書の著者は後世に伝えようとしているのではないだろうか。 また、創世記にはこの後の子孫達の誕生年と死亡年齢の記載がない。ということは、それ以降はそれほど公転周期の大きな変化がなく特記する必要がなかったのであろう。

 南スマトラの星降る夜空を見上げてこんなことを思ったのである。

初校1999年8月04日 インドネシア・スマトラ島、バトゥテギダムサイトにて。
校正2006年5月27日 ジャカルタにて
校正2016年11月18日 所沢の自宅にて
校正2023年2月26日 所沢の自宅にて

 
第十話 公転周期の大変化の際の地表面での気候変化
 第九話で公転周期が大きく変化したことを述べた。地球が太陽系の中に存在し続けていて、公転周期が変わるということはすなわち地球の周回軌道半経が変化することに他ならない。
 軌道半径が小さくなるにつれ地球が受け取る太陽エネルギーは極端に大きくなるはずだ。そんな環境下で地球上で生物が棲息が可能かどうか検証してみた。

1. 公転周期と公転半径との関係
1.1 地球の公転による遠心力f
   f = m * r * w^2  
   ここで、
m: 地球の質量
r: 回転半径
w: 角速度
 

1.2
太陽と地球間の引力F
  F = G   M * m
   r^2
ここで
G: 万有引力係数 6.67486*10^(-11) m3/kg/s^2
M: 太陽の質量
m: 地球の質量
r: 回転半径

2. 太陽と地球間で力が釣り合っているから遠心力と引力が等しいとすると
   m * r * w^2 = G *   M * m
   r^2
     
   r^3 = G * M / * w^2
     
 であるから、周回半径と角速度の関係は以下の式で表される。
 r = (G * M / w^2)^(1/3)
 すなわち、現在の公転周期が増加すると周回半径は下表のように減少することになる。
角速度 w 周回半径 r
1 1.0000
2 0.6300
3 0.4807
4 0.3969
5 0.3420
6 0.3029
7 0.2733
8 0.2500
9 0.2311
10 0.2154
11 0.2022
 すなわち、角速度が8倍になると公転半径は1/4になる事が上表からわかる。

3 地球に届く太陽エネルギーの量 E
 地球に届く太陽エネルギーの量は地球と太陽間の距離の二乗に反比例するから
 E = 1 / r^2
 という式が成立する。すなわち、
角速度 w 周回半径 r 太陽エネルギーの量 E
1 1.00 1.00
2 0.63 2.52
3 0.48 4.33
4 0.40 6.35
5 0.34 8.55
6 0.30 10.90
7 0.27 13.39
8 0.25 16.00
9 0.23 18.72
10 0.22 21.54
11 0.20 24.46
 となり、すなわち、角速度が現在の8倍になるということは太陽から地球に届くエネルギー量が16倍になることを意味する。
 これでは灼熱状態になり地球上に生物は住めなくなる。ところが、この激変に対する緩衝作用が地球にはあった。それが大量の水だった。

4. 天候による太陽エネルギーの遮断
 太陽光発電に関する資料によると晴天の日に比べると発電量はこう変わる。
 曇天では1/3〜1/10
 雨天では1/5〜1/20
 太陽エネルギーによる温暖化は地球表面の水分を蒸発させることで大量の雲を発生させ雨を降らすことになる。この雲と雨の太陽エネルギーの吸収によって地表面に届くエネルギーEfは次のようになる。
角速度 w 太陽エネルギーの量 E 地表面に届くエネルギー Ef
Max Min
1 1.00 0.33 0.05
2 2.52 0.84 0.13
3 4.33 1.44 0.22
4 6.35 2.12 0.32
5 8.55 2.85 0.43
6 10.90 3.63 0.55
7 13.39 4.46 0.67
8 16.00 5.33 0.80
9 18.72 6.24 0.94
10 21.54 7.18 1.08
11 24.46 8.15 1.22
 すなわち、角速度が現在の8倍になったとしても、地表面に到達する太陽エネルギーは5.5〜0.8倍、平均して3倍であり、生存許容範囲であることが分かる。

 第九話の公転速度の変化のグラフに注目すると、ノアの世代には公転速度がピークから下がり始めていることが分かる。
 このことを言い換えると、ノアの数代前から地球の温暖がかなり進んでいたため、高山に蓄積されていた氷河の内部が水となっていてノアの世代になって突然その氷河のダムが決壊した。この決壊は大規模な振動と地殻変動を伴うゆえに近隣の氷河が次々と決壊したために大量の水が一時的に放出されてノアの洪水になったともいえるのではないだろうか。

初稿 2023年2月25日所沢の自宅にて


第十一話 アダムとイブは我々の祖先なのである


 エデンの園には禁断の実の成る木があり、それを食べたアダムとイブは自分が全裸でいるのを恥ずかしがって、イチジクの葉でその部分を隠さざるを得なくなり、ついにはエデンの楽園を追放され、額に汗して働かざるを得なくなった。
というのが通説である。
 しかし、この解釈にはこじつけが多く、自然科学を習ったものとして受け入れることはできない。

 第一に、神が自分の愛する人間たちのために作ったエデンの園にわざわざ「禁断の木の実」を植えるわけがない。愛する子供のために手の届くところに意図的に毒物を置く親がいないのとおなじである。これは昔から言われてきた批判である。
 禁断の木の実を食べる前、神は「おい人間たちよ」と呼びかけていた。 まるで動物に対する我々の態度と同じである。 しかし、食べた後は突然に「おいアダム」と総合名詞でなく固有名詞で呼びかけている。神のヒトに対する態度が変わった原因はこの禁断の木の実による影響である。
 禁断の木の実の影響とは何であろう。それはウイルスによる影響ではなかったのか。ウイルスが体内で繁殖し、その影響が脳のスイッチを入れてしまったから、ヒトは人間に変わったのではないか。この話は第四話にもう少し詳しく述べてある。

 第二に、イチジクの葉で恥部を隠したとあるが、イチジクの葉をどうやって体に固定したのか。
 昔の画家はこの点困ったと見えて、手にイチジクの葉を持たせている。果物を取るにも何をするにも片手で抑えていては作業がしにくい。となると、イチジクの葉を体に固定したくなるが、ガムテープも紐もない時代にイチジクの葉を体に止めるにはお互いにつづり合わせるしかない。
 どうやってあの薄い葉をつづり合わせることができたのだろうか。手ほどきしていただきたいものである。
 さて、イチジクの葉は葉脈が荒々しく浮き出ている上に細かい剛毛が薄い葉の表面にたくさんある。これを仮に素肌につけてみたと想像してごらんなさい。立っているときはともかく横になって寝たとたん、葉脈がごそごそしている上にちくちくして寝てられないほどだし、敏感な場所はミミズばれになってしまうだろう。イチジクの葉の衣装をつけて寝たアダムとイブの起きぬけの姿を想像するだけで滑稽である。一晩の乾燥でイチジクの葉は細く丸まってしまい、何かを隠すことはできないだろう。さらに、寝返りを打つたびにイチジクの葉の部分が脱落してしまい、朝になって残るのは葉脈だけということになる。
 上に書いたように、覆い隠すにはイチジク葉は不都合である。日本なら身にまとうには大きくてつるつるしているヤツデの葉の方が効果的であることは言うまでもない。でも、中東地域にはヤツデは生えていないので聖書の説明には使えない。中東地域では大型の葉を持つ植物が少なく、それで手近にあるイチジクの葉を使わざるを得なかったのだろう。聖書を読んでみればわかるように、記載されている物品はすべて「現地産」のものばかりである。そうでなければ聖書の聴衆は理解できなかったからである。このことは古典を読むうえでよく心がけておかなくてはならない。
 
 第三に、登場人物の死亡年齢が極めて高いことである。五万年前からヒトの構造は変わっていないということが考古学からわかっているので、寿命は現在のヒトたちとあまり変わらないはずである。この当時の人たちの寿命が極端に長かったのではなく、一年間という時間が現代に比べて極端に短かったのである。この常識が、前の第八話と第九話のベースになっている。

 人類の始祖はアダムとイブだと中東発祥の宗教では教えている。しかし、鼻が高くひげモジャの人たちの子孫が、体毛が薄く鼻が低い我々モンゴロイドであるとは遺伝的に考えにくい。この問題点を補填するために、アダムとイブは世界のあちこちにいた、という説も出てきている。

 ここではあくまでもアダムとイブが人類の始祖であるという説にこだわることにしたい。また、古代の人たちはただ肉眼で見えるものや触れるもの、聞こえるもの、匂うものしかわからなかったはずである。電子顕微鏡も持っていなかったし、ウイルスに対する知識もなかったからである。ここに注目してみる。
 ウイルスを主体にして考えると人体はウイルスの乗り物であるにすぎない。ウイルスは体内で活動するから、古代人は人体に隠されたウイルスの影響は人類そのものであると考えたとしても不思議ではない。

 このウイルスはどこから来たか。
 あくまでも想定であるが、宇宙から降ってきたのである。あるときは隕石のなかに含まれたり、ガス体となって地球に降り注いだのである。この想定は、世界的に病気が流行する時と、太陽系が宇宙のチリの中を通過する時期に深い関係があることから作り上げたものである。
 このウイルスは排泄物や食物を通じて近隣に伝播していったとともに渡り鳥によって遠隔地まで運ばれたり、同時期に世界の各地で宇宙から降ってきたウイルスに感染して「アダムとイブのようになった」人間を増やしていったに違いない。

 すなわち、ウイルスから見たら、「アダムとイブ」に感染したウイルスが始祖であり、他の地域のアダムとイブ「もどき」はその子孫に過ぎないわけである。すなわちウイルスの知識がない古代人風に言えば「アダムとイブが人類の始祖」になってしまうのである。

 現代風に言えば、人間になってしまう=不幸を知ってしまう病気になるウイルスが、アダムとイブが禁断の実に入っていたウイルスを世界中にばら撒いてしまった、ということになる。

 ああ、不幸を作った張本人がナビとか呼ばれて尊敬されているとは! 犯罪者を容認する社会なのかしら?????

初稿: 2006-5-16 Jakarta Bintaroにて

校正: 2016年11月18日

2015-03-28 再編集
2016-11-18 再編集
2023-02-25 再編集
2023-08-17 再編集

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