嗚呼、インドネシア
第93話 武漢肺炎(COVID)下でのインドネシア出張記

 2019年から世界中に感染爆発を起こした武漢肺炎COVIDは二年経ってもその影響を世界中に与えている。
 新たなオミクロン変異株が蔓延し始めたこの時期にインドネシアに出張したので、出入国の際の出来事や気が付いた点を読者の参考になろうかと思いここにのべて置く。
 
インドネシアに入国 2021/11/25〜11/28

 2021/11/25 成田空港からジャカルタCGK空港まで飛んだ。
 インドネシア入国に際して、ビザと就労許可のみならず出発時72時間以内のPCR陰性証明書が必要であり、指定のクリニックでの証明書取得には23,000円を要した。検査結果はe-mailで送付されてきた。
 またインドネシア国内では必須となっている行動監視ソフトのPeduliLindungiを日本でインストールしたがダウンロードにも登録にもきわめて長時間を要した。
 出発当日は旅行者がすくなく高速空港バスはほぼ全便運行停止していたため、自宅から池袋・日暮里経由で成田空港まで行かざるを得なった。荷物をたくさん持った年寄にとってこれはかなりの難行であった。空港への高速バスのうち羽田空港行きは減便していても運行していたが成田行きはなぜ運休しているかが成田空港について初めて理解できた。乗客が通常時の十分の一程度しかいないのだ。空港売店の四分の三は閉店していた。
 航空券はガルーダインドネシア航空GA9153便のものではあったが、チェックインは日本航空カウンターで行われ使用機材もJL725のものJA872jであった。乗客数が少ないので共同運航便として運行していた。ちなみにこの日のフライトでは定員の四分の一程度であった。
 CGK(スカルノハッタ国際空港=空港のある地名がCengkareng)に着陸したのはNov-25の16:50+0900。そのままPCR検査待ちに。
 JL725便の前に到着したフライトの乗客がかなり多かったので、PCR検体採取を終了したのが18:10であった。
 イミグレーションで業務用のビザをチェックされ、18:30に税関に向かう。全くno checkのままターミナルビルのコリドーに出る。そこは検査待ちの人たちで騒がしくごった返していた。何もすることがなく自分の名前が大型ディスプレイ上に現れるのを待つだけだった。あまりに暇なものでスマホにいれたインドネシアポップスのカラオケを小声で十数曲歌ったところで自分の名前が表示され陰性が判明したのは20:10だった。小声で歌っていたにもかかわらず隣に座っていた日本人男性の耳に届いたのだろうか。同氏はその旨、ジャカルタの同僚に話したとその当の同僚から教えてもらった。知らない人ばかりだからと言って「旅の恥は?き捨て」と思ってやってはならないのだ。この話を聞いてちょっと赤面した
 ターミナルビルの出口には監視員がいるので、結果を無視してターミナルビルから出ることはできない。案内員に予約したホテルの名前を告げるとそのホテルの係員がやって来てパスポートを私から取り上げてしまった。ちょっと怪しい顔つきのおっさんだったが、多数の旅券を手にしているので信用することにした。
 会社が手配したホテルで二泊三日の防疫隔離だった。この期間が12月に入って六泊七日から九泊十日に延ばされたのでギリギリでラッキーだった。
 会社指定の隔離ホテルはCGK第二ターミナルにあるJakarta Airport Hotelであった。チェックインすると荷物は自動的に部屋に運ばれてしまい、パスポートはホテルカウンターで保管され、ドアキーは渡されない。隔離期間中に逃げ出さないための方策だ。
 しばらくホテルの自室で静かにしていたが、あまりに退屈だったので持参のウクレレの練習を始めた。音漏れを心配して隣室との壁に耳を当てたところ物音がしなかったので、大きな音がするストロークの練習を一時間以上行った。ちょうどランチタイムの弁当を取るために扉を開けたところお隣さんからインドネシア人女性が顔を出した。「うるさくなかったですか?」と尋ねたところ「LUMAYAN=まあまあ」というだけで許してもらった。それ以降は音が小さいアルペジオの練習に変更した。
 隔離最終日の午前四時にドアチャイムが鳴ってPCR検体採取を受けた。結果は午後二時頃に受け取った。検査結果は客先への費用請求に使用するのでチレボンまで持参した。
 ちなみに、二泊三日弁当付き+PCR付きで約9万円とのことだった。会社では経費節約のために三ツ星ホテルを指定してきたが、このクラスのホテルだと、ほぼ独房サイズなので長逗留になるのなら少しは室内で動ける四つ星の方が快適である。

 三泊四日と聞いていたので隔離からの解放は日曜日として予定を組んであったが、隔離最終日は土曜日となった。日曜日はほぼ一日時間があったので、定宿のおかみさんに連れられてスーパーに買い物に行った。入口でPenduliLindungiの提示を求められたが、日本でインストールしたもので、wifiがなければ見せることができない、というと「外国でダウンロードしたものは対応していない、ブツブツ……」とかで、そのまま通してくれた。

 夕方に日本人会の仲間の一周忌の会に顔を出した後、社用車でチレボンに向かった。
 もう10年以上、高速道路を通っていなかったので、沿線の変貌ぶりには驚きを隠せなかった。
 
チレボン滞在 11/28〜12/25
 現場の事務所で搭乗券と隔離期間終了時の検査結果を渡し、通常の業務に入った。他のプロジェクトとは異なり日本人のエキスパートが沢山参加していたのが驚きだった。インドネシア人スタッフを含めると全員で200人は超すだろうという大所帯である。
 お土産は女性スタッフへの和風模様のバンダナと日本のアーモンドチョコレート数袋。安くて少しずつ分けられるから現場への土産として適切なのである。東南アジアでは会議の席上で日本のチョコレート提供するととても喜ばれる。普段は甘いものを食べない左党の日本人でも東南アジアではチョコレートがおいしく感じられるのである。
 チレボン滞在中、念願のSunan Gunung Jati墓地への参詣ができた。長年にわたり不明であった歴史上の人物の漢字名もTalang廟で入手できた。

帰国 2021/12/24〜26
 12/24朝に、ドライブイン検査場でPCR検体採取し、陰性証明書は同日夜にプロジェクトの事務員から入手できた。同日は仕事の片付けと私物の片付けで終わってしまった。この晩は送別会を開いて皆で楽しんでもらえたが、参加しなかった仲間が東京にチクったようで、翌日には早速、集合禁止指令がでた。特にこのプロジェクトではストレスが溜まるので、事務所の限られた仲間たちとホテルの隔離された他の客のいない場所で飲食したり歌を歌ったりしてストレス発散したくなる。一日中、同じ事務所にいる仲間たちの間では会食による新規感染リスクより事務所で感染するリスクの方がずっと高いはずである。
 友人たちとの交友を嫌い、楽しんでいる仲間たちを嫉妬するような陰気な奴はどうしてもこういう行動に出やすい。「友達なくすぜ。定年後も遊んでもらえないぜ」と一言忠告しておこう。

 25日昼前にチレボンのホテルを出て、定宿で一休みしてCGK空港へ。道路はガラガラであった。パスポートと航空券、陰性証明書を提示してチェックインカウンターへ。
 航空券はガルーダ航空のものであったがチェックインはJALのカウンターで行われた。ガルーダのマイレージはSkyteamであり、JALはOne Worldであるので、マイレージの登録はできないと言われたが最終的にはSkyteamに付け替えてもらえた。便名はGA9162 (JL726)で機材はJA871JのB787-9であった。

 陰性証明書のクロスチェックなどでチェックインに通常の数倍の時間がかかった。折から日本から女性のシニアグラウンドスタッフが手伝いに来ていたが、表情から見る限りこの女性も結構緊張していたようだった。インドネシア人スタッフは彼女がそばにいる時には更にピリピリしていた。この様子は1998年のジャカルタ暴動の時のチェックインカウンターの様子にも似ていた。

 チェックインが終わって少しほっとしたところに係員がやって来て、日本国検疫所からの「日本に入国・帰国される皆様へ」という紙をもらった。そこには出発前に必要なソフトをダウンロードしてデータを記入せよ、とあったがネット環境が不安定なCGK空港内ではダウンロードもできなかった。「この爺さんに何やらせるんだよー」と怒り爆発しそうになった。
 結局、成田でPCR待ちの間に自分でQuestionnaire e appをインストールし、隣の若い日本人に手伝ってもらってMySOSもインストールすることができた。

 イミグレも普通に通過して、空港内に入ると店の大部分が閉店していた。空いている店は数にして四分の一もあったろうか。
 機内に入ると、検疫所からの質問票や、誓約書、健康カードなる書類が座席においてあり、それに記入して成田で検疫官に手渡した。これらの書類を一緒にして「健康カード」と機内アナウンスされたが、これらの書類にはそのタイトルが明確に提示されていなかったため、何のことを言っているのか不明だったので少々戸惑った。よくよく見ると書類のヘッダーに小さい字で「健康カード」と記してあったが、内容は「日本入国の際の規則」であった。そうならそうと書けばいいのに、と思ったのは私だけであろうか。
 PCR検査以外にも隔離期間中に健康管理や位置追跡ソフトのインストールが必要になる。どれをどうやってインストールするかわからなくても検疫所のアルバイト係員が懇切丁寧に教えてくれるしインストールしてくれるので問題はなかろう。ご夫婦で帰国された場合には一人ずつの行動管理になるのでソフトのインストールに二倍かかるが、係員は飽きずに親切に対応してくれる。
 ちなみにスマホは日本語対応のものでなくてもOKだとのこと。ソフトがインストールできない場合はスマホの貸し出しも行っている。もちろん有償だが。
 こんな余計な手間をかけなくてはならなくなったのは誰のせいだ!! 新規のアルバイトを創出したという点では評価できるが、この費用すべてが日本国民の税金で賄われていることを忘れてはならないだろう。更には世界的にみて何十兆ドルの経済損失になっていることは否定できない。

 成田空港からは公共交通機関が使えないのでジャカルタ出発前にハイヤーの手配が必要である。詳しいことはジャカルタの旅行会社に尋ねてみてください。
 またCGKでのチェックインの際にワクチン接種証明書を提示しなくてはならないので、事前に接種証明書の入手が必要である。

 帰国時点では、インドネシアからの渡航者は14日間の自宅隔離で済んだのだが、今後オミクロン変異株の蔓延状態によっては、ホテル隔離になることも考えられる。

 成田空港着陸から自宅到着までの過程はこうであった。
降機(06:37)→廊下で並んで立って椅子の空き待ち→座席に着席(06:48) →機内で記入した書類のチェック(07:25) →唾液採取(07:31) →スマホの設定(07:43) →監視ソフトからメールが届いているか確認(07:48) →MySOSインストール(07:50) →QRコードのチェック(07:54) →最終書類チェック(08:01) →検疫終了(08:41) →イミグレ通過(08:43) →通関終了(08:51) →空港発(09:05) →自宅着(10:45)
 降機から成田空港ビルを出るまで約2時間15分であり、ジャカルタでの所要時間の四時間の約半分であった。日本の方が効率的なのかあるいは仕事が手早いのだろうか。
 この時期の国際間の移動は病気の蔓延防止のみならず、疲労がたまるばかりなので、できるだけ避けるのが賢明であろう。到着日とその翌日はねたきり爺さんであった。

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2021/12/28 作成

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