嗚呼、インドネシア
第91話インドネシアの懐メロ
アーチスト編
Group R

Group-Rには以下のアーチストが含まれます。
R. Maladi 
Rafika Duri
Rama Aiphama
RAN
Rani
Rano Karno
Reza
Richard Kyoto
Rinto Harahap
Rita Butar-butar
Rita Effendy
RM Sunandar Hadikusumo
Roma Irama
Rudy Wairata
Ruth Sahanaya

Roma Irama
歌手・ミュージシャン・作曲家
Roma Irama、本名Raden Haji Oma Iramaは西ジャワ州Tasikmalayaで1946年12月11日に生まれた。
彼は「ダンドウット王」と冠されるインドネシアのミュージシャンである。
プロフィール
1970年代にRhomaは子供向け映画のスタートして知られ始めた。1958年ごろのDjendral Kantjil。彼の芸能経歴は11歳の時から始まり、Rhomaは1963年のGayhandバンドから始まった音楽バンドの設立のなかでのJatuh Bangunのあとで歌手としてミュージシャンとして有名になった。その後すぐに、彼は1973年10月13日以来続いている自分のバンドSonetaを立ち上げるまでの間Orkes Chandra Kekaに移籍していた。自分がリーダーであるバンドSonetaとともにRhomaはカセットテープで、11枚のゴールデンレコードを獲得した。

カセットテープの販売実績と彼が主演した劇場映画の観客の合計により、Rhomaのファンは1500万人あるいはインドネシアの人口の10%以上に達した。これは1984年中盤の記録であった。「これほど広い範囲を含んでいる最近の芸能はない」と1984年6月30日のTEMPO紙は書いている。一方、Rhoma自身は「僕は出版物を恐れている。事実、遠くへ引きずられている」とも述べている。

Rhoma Iramaは大衆を集めることで大成功を収めた芸能人の一人として数えられている。Rhoma Iramaはインドネシアで公演するばかりではなく、インドネシアと同じくらいの聴衆をがあったKuala Lumpurやシンガポール、ブルネイでも公演している。Rhoma Iramaのコンサートではぎゅうぎゅう詰めのために聴衆にしばしば失神者が出る。Rhomaの音楽はダンドウットという人もいるが、彼の音楽をMelayuメロディーと呼んでくれるとよりうれしいと彼自身は述べている。

1973年10月13日にRhomaは、アレンジメントの即興、歌詞、衣装、舞台衣装を行うとともにのロックミュージックの要素をブレンドしたMelayu音楽の更新者になるというVoice of Moslemのモットーを宣言した。インドネシアのロックシンガーのAchmad Albarによると、「Rhomaはパイオニアだ。ロックとMelayuオーケストラを結婚させた」とのこと。しかしながら、よく観察すると、実際にRhoma Iramaが結合させたのはロックだけではなくポップス、インド、オーケストラである。Rhomaの各々の歌に影響を与えているこれこそが、他とは異なる味を持たせている。

ダンドウット曲の歌い手たちにとって、Rhomaは宗教的雰囲気や大人の愛、両親や民族に対する愛、社会批判などのすべての状況を代表しているのである。「みんながPhomaの歌が好きなので、Rhomaの歌を歌わないダンドゥッステージなんかあり得ない」とはテレビ番組での何人かのダンドウット歌手の理解であった。

Rhomaは映画界でも少なくとも商業的に成功を収めた。PT PerfinのデータはRhomaの映画のほとんどすべてが良く流行った。製作途上の映画とはいえ人々はこれを買い求めた。Satria Bergitarがその一例である。7億5千万ルピアの費用で製作されたこの映画は未完成にもかかわらず4億ルピアの闇値がついた。しかし、「Rhomaは映画のお金から生活費を捻出することはなく、彼はカセットテープの売り上げで生活費を賄っていた」とPT Rhoma FilmのプロデューサーであるPhomaの兄のBenny Myharamは言っている。上記の映画の収入はモスクや孤児院、青少年活動、集落の改善に充てられた。

彼は政界にも手を染めた。Orde Baruの初期に彼はGolkarへの協力を拒否したために常にスハルト政権に敵視されていたPPPの重要なマスコットになった。Rhomaは1993年に芸術家と芸能人を代表するGolonganの代表として国会議員に選出される前はしばらく政治活動を休止したことがあった。2004年の総選挙でRhoma IramaはPKSの選挙キャンペーンのステージにも登場した。

Rhoma Iramaはジャカルタの「8月17日」大学に就学したが、卒業までには至らなかった。「事実、外部で学ぶことは楽しく挑戦的であった」とある時のことばであった。彼自身、たくさんのことが調査研究の対象となりそれは彼が成し遂げた音楽に関する約七本の論文であった。これ以外に、Rhoma Iramaの社会―の影響も含めた人気の強さに関する米国オンタリオ大学の社会学博士のWilliam H. Frederickのような研究対象としての外国人の研究もしばしばその対象となった。

2005年2月に、米国ハワイ大学からダンドウット分野で彼に名誉博士の称号を与えられたが、この大学は米国自体で学生を有さず外国の米国籍以外の人たちに称号を付与することで知られていたため、その称号には多数の質問が浴びせられた。これ以外にこの大学は連邦政府のハワイ支部による認証を受けていないのである。

ミュージシャン、作曲家、映画スターとしてRhoma Iramaはその職業経歴中で、約1000曲を創作し20本以上の映画に出ていると思われているようである。

2007年12月11日、Rhomaは還暦後の一歳目の誕生日となった61歳の誕生日を祝ったと共に個人的ウエブサイトrajadangdut.comの立ち上げを祝った。

楽器
芸能経歴40年間で、彼は使っているしょっちゅうギターをとっかえひっかえしたりそれもまた安物のギターでないことで知られていた。70年代においてその歌や歌手のスタイルのみならず楽器に至るまでダンドウットがまだ田舎者の音楽であると考えられていた時、Rhoma Iramaは実際にダンドウット音楽の革命をもって印づけられた上記の理解に対抗したのだった。ダンドウットのリズムと音楽のスタイルをカバーするだけでなくまずは使用するギターについても同様の革命なのであった。
芸能歴中、RhomaはFenderとRickenbaker, Steinbergerの三種類しか使わなかった。

Fender Telecaster Deluxe
Rhoma Irama はその初期にはFender Telecaster Deluxeを使っていた。

Fender Stratocaster CBS
Sonetaを立ち上げてからRhoma IramaはSONETAのステッカーを貼った木調のFender Stratocaster era CBSにスイッチした。

Rickenbaker481
Rhoma Iramaが映画Raja DangdutのビデオクリップLaa ilahailallahで使っていた珍しいギターである。

Fender Stratocaster Anniversary 25th
Sonetaでヒット曲を最も多く出したギターである。

Fender Stratocaster CBS White
Rhoma IramaはビデオクリップMelodi Cinta dan Ghibahで使った白いギターも所有している。

Fender Stratocaster CBS Red
1980年代のショーの時におそらくRhoma Iramaの主力になっていたギター。このギターは1985年のクアラルンプールのライブにも使われた。このギターはアルバムStopの表紙になった。

Steinberger GM1T
Rhoma Iramaに向けられた種々の問題に挑戦することで入手したギターでRaja Dangdutのトレードマークとなっている。
Fenderと別なブランドのギターの後でRhomaはそれから映画のロケで1980年に行った香港で買ったheadlessのSteinbergerに切り替えた。その時Tom Lee Music Shopという楽器店の店頭にぶら下がっていたこのギターを彼は見た。売主はこれはプロトタイプで売り物ではないとして手放さなかったが彼はそれに興味を惹かれそれを買いたかった。しかし、Rhomaはくじけず三日続けてその店を訪れた。そして三日目に売主がAsiaweek読んでいる時にこの雑誌で、東南アジアのスーパースターとしての地位に上がったRhoma Iramaがいるのにすぐに驚いた。
「『これは君か?』とギターの売主は雑誌の私の写真を指差しながら」と尋ねたRhomaは思い出した。『そうです』と答えた」。
「『ええっ、そうなら今Ned Steinbergerに電話しなくちゃ。もしもしSteinbergerさん。東南アジアのスーパースターが店にやってきてギターのサンプルが欲しいと言っている』はははは、そして私は当時で約二千万ルピアを払った。今でもこのギターを私は使っている。そして今ではSteinbergerを三台持っていて、黒いものが2台で白いのが1台だ。以前にSpiritシリーズの一対を買ったが使い勝手が良くなかった。今使っているのはFenderより長く24フレットあり、ネックはちょうど私の手にぴったりだ。音の面でも好みにぴったり合っている」。
このギターもRhoma Iramaがしばしば改造している。最初はピックアップが一個だったのをSteinberger GM2に似させてピックアップを二個にし、更には改造したSteinbergerのギターは白いピックガードを使ったが今はその色が黒になっている。

Steinberger GP2S "Aswad"
Steinberger GM1Tがまだピックアップが一つで音色が好みに合っていなかったときに使った Rhoma IramaのSteinbergerの二台目であった。このギターは映画Menggapai MatarariでAswadと名付けられた。このギターも、Steinberger GM1Tの改造が終わった後でJudi and Haramのビデオクリップで使われRythmになったことがあった。

Steinberger Custom Rhoma Irama
Rhoma Iramaの三代目のSteinbergerギターになったもの。これはシングルコイルのピックアップ。このギターは映画Tabir Biruで「悪魔は必ず負ける」の時に使われたもので、このギターはDe Yanto製であった。

Soneta Record "SR" Guitar
Rhoma Irmaの財産になった特注ギター。このギターはライブでは使われたことがない。

Steinberger GU-7 Deluxe
このギターは2000年代に使われたギター。このSteinbergerは韓国のMusic Yo製で、このギターはRhoma Iramaの四代目のSteinbergerになった。このギターもすでに使われていない。

Steinberger GM2S
これはステージショーの時に黒のSteinbergerと友達になった。このギターはすべて白色にされた。

Steinberger GM4T Koa Rose Limited Edition.
2019年に新たに入手したSteinbergerのlimited editionギターは1989年製で、これは希少品で、ボディーはアカシア製(一般的にはアルダー)でネックはグラファイト製。このタイプのギターは1989-1990年の一年間のみの製品である。
ピックアップは2単コイルと1ハムバッカーで、オリジナル品は2ノブで(3ノブと1トグルスイッチに直したpak hajiに似ている)

ギターのブリッジもTransTremタイプ。

Maxon MB Seriesエフェクター
芸能活動の初期にRhoma Iramaは日本製のMaxonブランドのブースター形式のエフェクターを使っていた。このエフェクターはギタージャックの出力口に直接取り付けて使う方法を取っていたので「貼り付けブースター」という名で知られている。このエフェクターはStratocasterと組み合わせた時にとても特殊な音を出すことができる。このエフェクターはSteinberger GP25のために使われたことがあった。

論争
2003年に、不快に思われる踊りのスタイルを頼っていたゆえに人気上昇中のダンドウット歌手のInul Daratistaを批判したことでRhoma Iramaは再び脚光を浴びた。インドネシアMelayuミュージシャン協会の名でRhomaは2003年5月末にBlackboardからリリースされたアルバムGoyang Inulの販売に反対した。その時Rhoma IramaはInulのサポーターから偽善者として批判されることになった。
2003年にRhomaは警察の手入れで夜の11時から4時頃までアパートでAngel Lelgaと二人でいるところを現行犯逮捕された。この手入れは芸能情報メディアで何回も伝えられ、このダンドウットの帝王の威信の下落の始まりとなった。この出来事についてRhomaは、冒涜の淵からAngel Lelgaを避けさせようと慰めとアドバイスを与えていただけであったという屁理屈で反論したが、しばらく後で実はAngel Lelgaと結婚していたとRhomaは白状したのであった。
2005年11月にRhoma IramaはGIGIが欲求不満であり創造的でないと言ったというニュースが報道された。このコメントはGIGIがリリースした賛美歌アルバムRaihlah Kemenanganの成功に関連したものであった。Rhomaによると、再アレンジ曲ばかりで占められたアルバムは欲求不満であり創造的でないバンドとしてこのバンドを印象づけたとのことである。Rhomaはこのニュースに対して反論した。(Rhoma IrmamがRCTIの編集デスクとKABAR-KABARI芸能ニュース番組のマネージメントに抗議文を送った後、実際にはこのニュースは間違いであったことが分かった。)このニュースはRhoma Iramaの声明に対するニュースの理解でナレーターの間違いの故に放送されてしまったのだった。そしてRhroma Irama自身、GIGIバンドとはまたく問題がなく落ち着いた関係であった。
2006年1月に、国会とアーティストのサポーターとの間で行われた反ポルノ法案についての公聴会でInulの舞台行為に関して陳述を行った。
2012年7月にジャカルタのモスクでの法話で、当時過熱状態であったジャカルタ州知事選挙に関連してRhoma IramaはSARA(民族suku、宗教agama、人種ras、社会階層antargolongan)の問題を含む法話で批判された。これは後日間違いではなかったことが分かったのだが、選挙委員会はマスコミとインターネットでの批判を刈り取る物議を醸しだした件でRhomaを取り調べた。
2012年末に、2014年の大統領選挙で候補になる準備をしているということで世間を驚かせた。彼はulamaたちの推薦とイスラム信者の人たちに推挙されたとNajwa Shihabのインタビューで話した。いくつかの政党がRhoma Iramaを大統領候補としてちょっとは見たものの、SARAに抵触する政治に対する態度に影響するインターネットメディアで絶え間なく批判が行われた。

生涯の伴侶
Rhomaは1972年に結婚後イスラムに改宗したキリスト教徒のVeronicaと結婚し、Debby Verama Sari (18 Desember 1972), Fikri Rhoma Irama (30 September 1976), dan Romy (26)の三人の子を得た。Rhomaは1985年5月にVeronicaと離婚した。
離婚の約一年前にRhoma は、Melodi Cinta, Badai di Awal Bahagia, Camellia, Cinta Segitiga, Pengabdian, Pengorbanan, Satria Bergitarなどの映画で共演した、結婚後イスラムに改宗したキリスト教徒のRicca Rachimと結婚した。Riccaは今に至るまで妻としてRhomaに寄り添っている。またMarwah Aliとの間にRidhoという実子がいる。

2005年8月2日にRhomaは映画スターのAngek Lelgaと2003年3月6日以来内縁関係にあったと発表した。きしくものその日が離婚の日でもあった。
Veronicaは1991年に再婚して官僚であった夫君がなくなったあと、Veronica自身もいろいろな病気を患って2005年に亡くなった。Veronicaの闘病中の治療費から生産的なアーティストでもなくさらには夫に先立たれて寡婦になってしまったVeronicaを思ってシンガポールへの費用まで負担したのはRhoma Iramaであったと子供たちは記者たちに告白したのだった。家族はRhomaが上述の家族の中でしっかりと役割を担っていたことを記録している。
RhomaがAngel Lelgaと共にアパートで記者の急襲を受けた時、実際にはこの二人は内縁関係にあり、この急襲の黒幕は同じSemanggiアパートに住んでいるYati Octaviaとその夫のPangky Suwitoであり、この急襲事件の際に記者に同行していた。

学歴
SDN Kibono Manggarai, Jakarta
SMP Pondok 1, Jakarta
SMA Saint Joseph, Solo
Universitas 17 Agustus, Jakarta

ディスコグラフィ
Soneta結成以前
ポップスアルバム
共演The Galaxies Band
  • Djangan Kau Marah

共演 Zaenal Combo Band
  • Djangan Dekati Aku
  • Di Rumah Sadja
  • Sip-Sipan Bedue
  • Biarkan Aku Pergi


Melayu音楽アルバム
共演 Orkes Melayu Candraleka (Dbp. Umar Alattas)
  • Pelita Hidup

共演 Orkes Melayu Purnama (Dbp. Awab Abdullah)
  • Ke Binaria
  • Orkes Melayu Purnama
  • Melody Cintaku
  • Usah Diganggu
  • Malam Cemerlang
  • Aku Saudaramu
  • Ke Pasar Minggu
  • Malam Gembira

共演 Orkes Melayu Sagita (Dbp. Benny Muharram)
  • Bertamu
共演 Orkes Melayu Pancaran Muda (Dbp. Zakaria)
  • Di Dalam Bemo
共演 Orkes Melayu El Sitara
  • Indandip
  • Tukang Ramal
  • Anak Pertama
共演 Orkes Melayu Soneta
  • Ratu & Radja
  • Pemburu
  • Risalah Penyanyi
  • Dangdut
  • Surat Terakhir
  • Ke Monas
  • Berbulan Madu
  • Gelandangan
  • Joget
  • Janda Kembang
  • Berpacaran
  • Tiada Lagi

Album Soneta Volume Series
  • Soneta Volume 1 - Begadang (1974)
  • Soneta Volume 2 - Penasaran (1974)
  • Soneta Volume 3 - Rupiah (1975)
  • Soneta Volume 4 - Darah Muda (1976)
  • Soneta Volume 5 - Musik (1976)
  • Soneta Volume 6 - 135.000.000 (1976)
  • Soneta Volume 7 - Santai (1977)
  • Soneta Volume 8 - Hak Azazi (1977)
  • Soneta Volume 9 - Begadang 2 (1978)
  • Soneta Volume 10 - Sahabat (1978)
  • Soneta Volume 11 - Indonesia (1981)
  • Soneta Volume 12 - Renungan Dalam Nada(1982)
  • Soneta Volume 13 - Emansipasi Wanita (1984)
  • Soneta Volume 14 - Judi (1988)
  • Soneta Volume 15 - Gali Lobang Tutup Lobang (1989)
  • Soneta Volume 16 - Bujangan (1990)


Movie Soundtrack Albums
  • Oma Irama Penasaran
  • Gitar Tua
  • Darah Muda
  • Begadang
  • Berkelana I
  • Berkelana II
  • Raja Dangdut
  • Camelia
  • Cinta Segitiga
  • Perjuangan dan Doa
  • Melodi Cinta
  • Badai di Awal Bahagia
  • Sebuah Pengorbanan
  • Cinta Kembar
  • Pengabdian
  • Satria Bergitar
  • Kemilau Cinta di Langit Jingga
  • Menggapai Matahari I
  • Menggapai Matahari II
  • Nada-Nada Rindu
  • Bunga Desa
  • Jaka Swara
  • Nada dan Dakwah
  • Tabir Biru
  • Dawai 2 Asmara
  • Sajadah Ka'bah


ソロアルバム
  • Pemilu (1982)
  • Album Konser Soneta 1 (1983)
  • Takbir Lebaran (1984)
  • Persaingan (album) (1986)
  • Haji (album 1988) (1988)
  • Modern (1989)
  • Haram (1990)
  • Purnama (1991)
  • Kehilangan Tongkat (1993)
  • Rana Duka (1994)
  • Sifana (1994)
  • Stress (album 1994) (1995)
  • Seni (album) (1995)
  • Baca (1995)
  • Gulali (album 1995) (1995)
  • Viva Dangdut (1996)
  • Mirasantika (1997)
  • Puja (album cinta) (1997)
  • Reformasi (1998)
  • Shalawat Nabi (1999)
  • The Rough Guide to the Music of Indonesia (2000)
  • Euphoria (2000)
  • Syahdu (album) (2001)
  • Asmara (album 2003) (2003)
  • Jana Jana (2008)
  • Azza (2010)
  • Ukhuwah (2011)
  • Kurang Garam (2014)
  • Album Partai Idaman (2015)

特集
Boxset 50 Tahun Soneta

表彰
1971年シンガポールで開催されたASEAN歌唱大会優勝
70年代にRhomaはカセットテープの成功でゴールデンレコードを数十回受賞した。
1985年8月にクアラルンプルでのSoneta GroupのショーについてカバーしたあとAsia Week誌第16巻はRhoma Iramaを東南アジアの音楽の帝王の座につけた。

1992年、RhomaはEntertainment誌の同年の2月号にThe Indonesian Rockerとして掲載された時に、米国音楽界の認知を得たのだった。
1994年4月末、Rhomaは東京のLife Record Japanの田中氏との間でメモランダムにサインした。Rhoma作の200曲の歌を国際市場で販売するために英語と日本語で録音することであった。これらの歌はレーザーディスクとコンパクトディスクの形で制作されることになった。
インドネシアダンドゥット、1997年インドネシアダンドウット賞
陶酔感のある最優秀編曲者、2000年のTPI賞
2001年特別功労賞、2001年インドネシア音楽賞
音楽の特別レジェンド、2002年RCTIインドネシア音楽賞
2007年11月16日シンガポールで「東南アジア伝説のスーパースター」として表彰された
Elvie Sukaesihとの共演でダンドウットのの帝王と女帝のカテゴリーでインドネシア国際レコード博物館から表彰された
2007年12月21日、Rhomaはインドネシア音楽表彰会主催のダンドウット賞で特別功労賞を受賞。
Rolling Stones誌の特別号でエバーグリーン150アルバムにアルバムBegadangが入った。
Rolling Stones Indonesiaの他の号ではRhoma Iramaの名前がBing Slamet, Ismail Marzuki, Koes Plus, Bimboなど25人のエバーグリーンの巨人に再度入った。Rhima Iramaはダンドウットのアーティストの一人。
Rhomaはダンドウットを1000曲以上作り、同時にベストセラーダンドウット作曲家の称号を得た
2009年にSusilo Bambang Yudoyono大統領はインドネシア最高のアーティストとしてRhoma Iramaを認証した。
Rhoma Iramaはインドネシアレコード博物館から伝説的歌手としての認証を受けた
米国のNorthern California Global University とAmerican University of Hawaiiから音楽界での名誉教授の称号を得た。
Rhoma Iramaの名前がダンドウット音楽の楽器演奏の6つのカテゴリーでの優勝者として記録された。
Reform Institute 2008が行ったサーベイ結果に基づき、Ungu, Peterpan, Iwan Falsさらには Dewa 19のような当時のグループや歌手の上にRhoma Iramaを置いた。
The South East Asia Superstar Legend di Singapura
特別功労賞 2011, SCTV.[7]
特別功労賞 2014, MNCTV ダンドウット賞 2014.[8]
法務省から知的財産権とHAM, 2014.[9]
特別功労賞 2017, Indonesian Dangdut Awards 2017
Muslim Choice Awards, 2018.
Legenda Dangdut Paling Mantul, Anugerah Dangdut Indonesia 2019.
Penghargaan Khusus atas Dedikasi di Dunia Perfilman, Indonesian Movie Actors Awards 2020.
Lifetime Achievement (共演 Melly Goeslaw), Anugerah Musik Indonesia 2020.
Penata Musik Dangdut Terbaik, Lagu Virus Corona, Anugerah Musik Indonesia 2020.
Kolaborasi / Duet Dangdut Terbaik, Lagu Rabbanaa (共演 Anisa Rahman), Anugerah Musik Indonesia 2020.

Filmografi
Film
  • Krisis X (1975)
  • Oma Irama Penasaran (1976)
  • Gitar Tua Oma Irama (1977)
  • Darah Muda (1977)
  • Rhoma Irama Berkelana I (1978)
  • Rhoma Irama Berkelana II (1978)
  • Begadang (1978)
  • Raja Dangdut (1978)
  • Cinta Segitiga (1979)
  • Camelia (1979)
  • Perjuangan dan Doa (1980)
  • Melodi Cinta Rhoma Irama (1980)
  • Badai di Awal Bahagia (1981)
  • Sebuah Pengorbanan (1982)
  • Terjebak Dalam Dosa (1983)
  • Satria Bergitar (1984)
  • Cinta Kembar (1984)
  • Pengabdian (1985)
  • Kemilau Cinta di Langit Jingga (1985)
  • Menggapai Matahari (1986)
  • Menggapai Matahari II (1986)
  • Nada-Nada Rindu (1987)
  • Bunga Desa (1988)
  • Jaka Swara (1990)
  • Nada dan Dakwah (1991)
  • Tabir Biru (1993)
  • Dawai 2 Asmara (2010)
  • Sajadah Ka'bah (2011)
Sinetron
  • Ibnu Sabil (2002)
  • Kampung Dangdut (2006)
  • Banyak Jalan Menuju Rhoma (2020)
  • Banyak Jalan Menuju Rhoma Tingkat 2 (2020)

FTV
  • Cinta dan Do'a (2018)
  • Sentuhan Ilahi: Virus Corona (2020)
  • Sentuhan Ilahi: Hakikat Qurban (2020)
  • Dosa Yang Menghantui (2020)
[出典]
https://id.wikipedia.org/wiki/Rhoma_Irama

Rudy Wairata
ミュージシャン・作曲家
Rudi Wairata別名Rudy Wairataは1929/1930年生まれで1981に没した。彼はMena Moeria Minstrelsとthe Amboina Serenadersを率いた影響力をもつインドネシアのミュージシャンであった。Wairataの演奏スタイルはSol Ho'opi'iとAndy Ionaに影響を受けている。George de Fretesと共にハワイアン音楽のスティールギターのジャンルで目立つプレーヤーであった。彼の曲Rock'n Roll Breezeは最初のインドネシアンロックであろう。
【生い立ち】
Wairatiはオランダ領東インド北モルッカのTernateで、Andries Egbert WairataとAntoinetta Cornelia Meulenaaの子、Diederich Gijsbrecht Christo Wairati、として1929年12月25日に生まれた。(生年については1930年や1932年という説がある) 彼はSol Ho'opi'iとAndy Ionのレコードを聴いてスティールギター演奏を学んだ。彼が11歳の時に一家はジョグジャカルタに引っ越した。同地でGeorge de Fretes出身者たちのの間で、勉学方々スティールギターのスキルを高めるべく練習した。1949年に彼のボーカルグループ、クワルテットのRaindrops、はJos Cleber Orchestraとともにバタビアラジオで報道された。1950年彼はthe Royal Conservatory of The Hagueへ進むための音楽を奨学金を得て、オランダに渡航した。

1951年、WairataはハーグでMena Moeria Minstrelsグループを結成した。このグループはJoyce AubreyとMing Luhulimaを目立たせた。Mena Moeria Minstrelsが成功をおさめると、彼はAmboina Serenadersを創始した。このグループは以前の彼のグループと同じラインナップであったが、ビブラフォン奏者を追加した。1957年にRCAはRudi Wairata & His Hawaiian Minstrelsと名打ってRock and Roll and BreezesをMahalani Papaoの演奏を背景でリリースした。1958年にWairataはKilima Hawaiiansグループに参加した。彼らは、スティールギターでとりのさえずりを出すWairataを表に立ててWhistling Guitarをレコーディングした。Wairataのアンボンの背景は彼のバンドのサウンドの影響であった。The Kilima HawaiiansはWairataがドイツに残った後、アメリカを拠点としてツアーを行った。彼はCoy Pereiraと交代した。

Wairataはドイツで13~14年間活動し、その間にソロアーティストとしてあるいは妻と一緒に活動した。1961年から1963年にRonnie Wattiとして知られていて1970年代にはPeter Waaldrechtの名前でレコーディングをしていたRon Wattimenaを表に立てたDas Moana Quartettと彼はレコーディングを行った。このグループはそのほぼすべてをAriolaレーベルから1961年に一枚のシングル盤と三枚のEP盤をリリースした。彼らの最期のシングル盤は1963年のA面がKaiwahu-MarschでB面がOn the beach of Waikikiであった。ドイツ滞在中、彼は三枚のアルバムをレコーディングした。

Wairataは1974年にThe New Polynesiansと呼ばれるレコーディンググループを結成してオランダに戻った。

1976年に彼のアルバムThe Suara NusantaraがEMI-Bovemaレーベルからリリースされた。
Rudi Wairataは1981年にロッテルダムで亡くなった。
【ディスコグラフィー】
Rudi Wairata個人
シングル
  • Rudy Wairata - "Tia Tato E Tamoure" / "Schöne Südsee Orchidee" - CNR F 388 - (1965)
アルバム
  • Rudi Wairata - Rudi Wairata presents with love from the Islands "The Suara Nusantara" - EMI-Bovema Holland – 5C 050-25415 - (1976)
  • Rudi Wairata/Roy Moana - Good Old Hawaii - GIP GL 55.068, DURECO GL 55.068 - (1978)

Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels
  • Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels – Beautiful Hawaii - Dureco 51.002 - (1962)
  • (Note: The cover says Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels but label says Muing Luhulima un The Mena Moeria Minstrels)
  • Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels – Waikiki Welcome - Dureco 51.055 - (19??)
  • Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels – With Love From....Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels - Capri – CA 32-G - (1972)
  • Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels – Love And Music From ... Hawaii - Capri CA 161 - (Circa 1974)
  • Rudi Wairata & His Mena Moeria Minstrels – Lovely Hula Girl, Sweet Sweet Steel Guitar Series No. 3 - Maple MA-1003 - (1974)

Rudi Wairata & the Amboina Serenaders
シングル
  • The Amboina Serenaders o.l.v. Rudi Wairata - "Hela Rotan" / "Goro Goro Né" - RCA 45 170 - (1955)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Panggajo E Panggajo" / "Sarinandé" - RCA 48 102 - (1955)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Ajo Mama" / "Kami Berlajar" - RCA 48 106 - (1955)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Bintang Malam" / "Toma Hasa" - RCA 48 112 - (1955)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Heimwee Naar Ambon" / "Meisjelief" - RCA 48 113 - (1955)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Soerabaja" / "Klappermelk Met Suiker" - RCA 48 117 - (1956)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "E-tanasé" (Roeierslied) / "Waktoe Potong Pad" - CID 48 119 - (1956)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Binta Ingin Mau Poelang" / "Ramai Dendang" - RCA 48 123 - (1956)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - "Bali Bali Boogie" / "Als De Tokèh" - RCA 48 130 - (1956)

EP盤(Extended play)
  • Rudi Waitara presents his Amboina Serenaders Vol. 1
  • "Panggajo E Panggajo", "Sarinandé" / "Hoera Hoera Tjintjin", "Ajo Mama" - RCA 75 152, CID 75 152 - (1956)
  • Rudi Waitara presents his Amboina Serenaders Vol. II
  • "Hela Rotan", "Nona Pédédé" / "Goro Goro Né", "Kami Berlajar" - RCA 75 153 - (1956)
  • Rudi Waitara presents his Amboina Serenaders Vol. III
  • "Soerabaja", "Meisjelief" / "Klappermelk Met Suiker", "Heimwee Naar Ambon" - RCA 75 158 - (1956)
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders - Amboina
  • "E Tanasé", "Waktoe Potong Padi" / "Ramai Pendang", "Binta Ingin Mau Poelang" - RCA 75 172, CID 75 172
  • Rudi Wairata & zijn Amboina Serenaders
  • "Autoderma", "Sioh Manis" / "Waltz Ampir Ziang", "Nona Manis" - CID 75 865 - (1956)[20]
アルバム
  • Rudi Wairata and his Amboina Serenaders – Amboina - RCA – 130.153[22]
  • Rudi Wairata and his Hawaiian Minstrels
シングル
  • Rudi Wairata & his Hawaiian Minstrels - "My Hula Love" / "Waltzing At Dawn" - RCA 45 003 - (1958)
  • Rudi Wairata & his Hawaiian Minstrels - "Mahalani Papado" / "Rock And Roll And Breezes" - RCA 45 004 - (1958)
  • Rudi Wairata & his Hawaiian Minstrels - " Kilohara" / "Ua Ua" - RCA 47 9246 - (1958)
  • Rudi Wairata & his Hawaiian Minstrels - "Hawaiian Wedding Song" (Ke Kali Nei An) / "Minehaha" - RCA 47-9247 - (1959)
  • Rudi Wairata & his Hawaiian Minstrels - "Hawaiian Choo Choo" / "South Sea Swing" - RCA 4/60216 - (1960)[20]
  • Rudi Wairata & his Serenaders
  • Rudi Wairata & his Serenaders - "Dajoeng Sampan" / "Ladjoe Ladjoe" - RCA 45 004 - (1985)
  • Rudi Wairata & his Serenaders - "Omdat Ik Van Je Hou" / "My Ambon Manise É" - RCA 45 006 - (1958)[20]

Ke Aloha Hawaiian Strings
シングル盤
  • "Sweet Georgia Brown" / Orange Grove Of California" - CNR F 204 - (1959)
  • "The One Rose" / "Fascinating Rhythm" - CNR F 205 - (1959)[23]

Das Moana Quartett
シングル
  • Das Moana Quartett - "Maui-chimes" / "Holoku-waltz" - "Ariola 45 267 A - (1961)
  • Das Moana Quartett - "Kaiwahu-Marsch" / "On the beach of Waikiki" - Ariola 10 954 AT - (1963)

EP盤
Von Manilla bis Hawaii
  • "Maui Chimes", "Mauna-Kea" / Tomi Tomi", "Holoku Waltz" - Ariola 36 461 C - (1961)
  • Rudy Wairata & Das Moana Quartett - Am Strand von Waikiki
  • "Kaiwahu March", "Blue Hawaii" / "Honolulu March", "On The Beach Of Waikiki" - Ariola 40 090 CT - (1961)

Rudy Wairata & Das Moana Quartett - Waikiki Melodie
  • "Kaiwahu March", "Blue Hawaii", "Honolulu March", "On The Beach Of Waikiki" - Baccarola 41 888 VU - (1961)

Rudy Wairata & his Hawaiian Boys
シングル
  • Rudy Wairata & his Hawaiian Boys - "Aloha Rag" / "Catamaran" - Teener 45-STU 42143 - (1962)
  • Rudy Wairata & his Hawaiian Boys - "Der Blaue Hawaii Express" / "Die Faszinierende Hawaiian Gitarre" - 777 63-03 - (1963)
  • Rudy Wairata & his Hawaiian Boys - "Taruna Serenade" / "Bora Bora Marsch" - 777 63-09 - (1963)
  • Rudy Wairata and his Hawaiian Boys - "Steel Guitar Rag" / "Bora Bora Marsch" - Teener 45-STU 42190 - (1963)
Rudy Wairata and his Kilima Hawaiians
アルバム
  • Rudy Wairata and his Kilima Hawaiians - Rudy Wairata And The Kilima Hawaiians - CNR GA 5015 - (1963)
  • Rudi Wairata en de Kilima Hawaiians – Hawaiian Melodies - CNR HAS 5099
  • Rudi Wairata en de Kilima Hawaiians – Kapulani March - CNR 241.371 - (1972)
  • Rudi Wairata Und Sein Hula Girls
  • Rudi Wairata Und Sein Hula Girls - "Hula Lu" / "Sweety, Sweety Von Tahiti" - Decca D 19 697 - (1965)

Rudy Wairata and the Oriental Four
  • Rudy Wairata and the Oriental Four – The Magic Of The Orient - Music For Pleasure – 1A022-58163 - (1981)

[出典]
https://en.wikipedia.org/wiki/Rudi_Wairata

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2021/03/14 作成
2023/02/23 追加訂正

 

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