嗚呼、インドネシア
78話 バカ女王宮殿 (Kraton Ratu Baka)

 ジョグジャカルタに出張した際の2014年8月27日に念願のCandi Ratu Baka (バカ女王宮殿)を訪問する機会を得た。歴史書には時々出てくるこの女王については良くわかっていないようだ。現地では「ボコ」と呼ばれている。

 位置は7°46′16″S 110°29′28″Eであり、以下の衛星写真に黄色でアクセスロードを示す。丘の上にあるバカ女王宮殿の入口まで自動車で登れる。表示した緯度経度はYogyakartaとSurakartaを結ぶ国道15号線からの分岐地点。

以下はバカ女王宮殿に関するインドネシア語版のwikipediaの記述を和訳したものである。

バカ女王遺跡
位置 7°46′16″S 110°29′28″E
遺跡の年代 シャイレンドラ王族時代かあるいは古マタラム王国時代の八世紀頃
遺跡の種類 宮殿
 
バカ女王宮殿遺跡はプランバナン寺院群の南にある丘の上に存在している。
 バカ女王宮殿遺跡(ジャワ語ではCandhi Ratu Baka)はプランバナン寺院群から約3km南、ジョグジャカルタ市の東方18kmあるいは中部ジャワ州スラカルタ市の南西50km、に位置する残存した構造物の一部で構成されている遺跡である。この遺跡は海抜196mの丘の上に位置しており、遺跡の全面積は25haである。
 この遺跡はいまだその機能がはっきりとは分かってはいないが、何かの行事を行う場所あるいは住居ととしての性質を提示している。バカ女王宮殿遺跡は古マタラム王国時代のシャイレンドラ(パナンカラン王子)のいた八世紀には既に使われていたと考えられている。構造物の廃墟の位置から見ると、この遺跡は王宮であったことが強く疑われる。この理解は、この構造物群は祠堂や宗教的な性格を有する構造物ではなく、防御構造物としての砦の塀と空堀の跡が存在するということを証拠として、砦形式の王宮であったということがその基本になっている。この遺跡付近では住民の生活遺物が発見されている。
 「バカ女王」の名は現地に伝わる伝説が元になっている。ジャワ語ではコウノトリの王を意味するバカ女王は、プランバナン寺院群の主祠堂の名にもなっているLoro Jonggrangの父親である。この構造物軍はKoro Jonggrang地域住民に伝わる伝説に結び付けられている。
 行政区画としては、この遺跡は、ジョグジャカルタ特別州、Slemen県、Prambanan郡のBokoharjoとPrambanan村のDukuh DawungとDukuh sambirejaのDukuhの二つの地域に跨っている。
 この遺跡は1995年以来世界遺産の候補として挙げられている

1. 歴史
 バカ女王遺跡は、バカ女王の丘の上の遺跡の残骸として述べられた1790年のVan Boeckholztによって初めて報告された。この丘自身はジョグジャカルタからトゥルンアグンまで広がっているSewy山系の枝の部分をなしている。その百年後に、「Keraton van Ratoe Boko」の中で報告したFDK Boschの指揮下で初めて詳細調査が実施された。これから、この残骸物は王宮の残骸であることが結論付けられた。
 西暦792年の年号があるAbhayagiri 仏教寺院碑文は、ボコ女王遺跡で発見された文字による証拠となっている。この碑文の中で、偉人Tejahpurnapane Panamkarana或いはPanangkaran殿下(746-784AD)が述べられており、Abhyagiri寺院(危険がない丘の寺院の意味)と名付けられた丘の上にある寺院地域であるとも述べられている。Panangkaran殿下は魂を静め宗教の問題に思考を集中するために退位した。その一つは西暦792年にAbhayagiri寺院という名の寺院を建設したことである。Panangkaran殿下は仏教を信仰しAbhayagiri寺院と名付けた寺院を建立したことは、Dyani Buddha(金剛界如来)像の存在がその証拠である仏教の背景があったということである。一方、バカ女王遺跡ではヒンドゥー教の要素であるドゥルガーやガネッシャ(歓喜天)、ヨニも発見されている。
 この構造物群は後日、王の臣下であるWalaing Pu Kumbayoni殿下という名の人によって砦として整備された王宮に改造された。Siwagrha碑文によるとこの場所はBalaputraよって数百の石をつみあげたことによって出来上がった防御壁として呼ばれている。この丘の上にある構造物は後日、支配権奪取の攻撃に対する防御壁となったのである。
 この構造物群には門や謁見場、ため池、四阿(あずまや)、沐浴場、ハーレム、瞑想のための二つの洞穴の残骸がある。

Siwagrha石碑
ジャカルタ国立博物館収納
D.28
別名Balaputra-Jatiningrat碑文
 Siwagrha石碑は中部ジャワのメダン王国の石碑であり、サカ歴778年(西暦856年)の年号がある。この石碑はLokapala殿下(Kayuwangi王子)の命でPikatan王子の治世が終わってすぐ建てられたものである。この石碑はShivagrha(サンスクリット語で「シヴァの家」の意)と呼ばれたシヴァ神に捧げられた寺院群の由来を述べており、この寺院はプランバナン寺院群とその特徴が酷似している。 <from wikipedia>

< 碑文内容>
第1-9段
 ヒンドゥー教を信仰していたジャティニングラットという名の王は異教のお妃と結婚した。(ここではWalaputraと呼ぶ) バラプトラはジャティニングラットとの戦いの中で隠れるためと防御のための砦を作るために数百個の石を積み上げた。その王はブラフマナ・ジャティニングラットと称し、マムラティ地方のメダンに王宮を建設した。その後同王は退位しロカパラ王子に王権を委譲した。国民は四か所の宿舎に分けられ、それぞれのグループはブラフマナがその長となった。

第10-13段
 同王は葬儀を執り行う準備を行った。マムラティ殿下はワンティル地域を引き渡した。彼は、以前イウン集落が戦場となったことを恥じていた。彼がその地域の支配と繁栄に成功した後、葬送の祠堂を建設し徳と不徳に関する知識を集めた。彼に逆らおうとするものは一人としていなかった。同王はリンガを建てた。その美しいリンガの建設のために全ての人々が寄付を行った。

第14-17段
 この部分は建設されたリンガについて説明している。建造物の安全を守るために極めて勇敢な守護神像が門にある。入口には互いに形の異なる二つの建造物が建てられた。リンガの建っている広場にはBunga Tanjung (ミサキノハナ)が植えられ、そこには瞑想をする人たちのためにいくつかの小屋が建てられた。この建造物は壮麗である。

第18-23段
 建物の中の最も美しい部屋は神々のために用意された。訪問者と礼拝者たちは尊敬と静寂さを共に列をになって立っている。全ての人が礼拝のために訪れることを望まれている。

第24-29段
 その竣工式はサカ歴778年の大月の11日ワゲの火曜日であった。この建物がすべて完成した後、川を付け替え、その土地は祠堂のものとなった。これがパムガット・ワンティル免税地である。(役人の名前と地位が続いている)この免税地は祠堂の所有地となった。祠堂の守護のための義務を与えられた人たちは、まじめにかつ勇敢に祈祷を行い、永遠に繰り返す生歳の輪廻から解脱することを望んだのであった。

2. バカ女王遺跡の特徴
 一般的に宗教のための構造物から構成されている古代ジャワ次代の考古学遺跡とは異なり、バカ女王遺跡は入場門や四阿、居住区、水浴場、周囲の塀で構築されているprofan(聖俗二元論)の形を成している。
 一般的に傾斜地に建てられているジャワの他の王宮とは異なり、バカ女王遺跡はかなり高い丘の上に位置している。これは労働力と建築材料の面から見るとかなり困難にさせた。この丘から採取した主要構造部材である石を除いてはのはなしである。これは構造材として利用できる石を丘から切り出すために石工達を訓練することが条件であったことは明白である。
 この丘に居住することは泉の存在と毎日の生活に必要な水の供給を満たす水道システムもその条件となった。現存する水浴場はこの水道システムの遺構である。他の部分は遺跡再構築のための考古学的兆戦項目となっている。
 丘の上という位置は住民たちに涼風と美しい自然眺望を与えるだけではなく、外からこの構造物群を攻めにくくしている。
 この遺跡の他の特徴は、門を入って左側に位置する、現在「火葬場」と普段よばれている場所の存在である。その位置と寸法を見ると、その儀式が行われたと見せるための場所であることは間違いない。「火葬場」と名付けたことはさらなる詳細調査が必要であるこの場所において継続的に火葬が行われたに違いないということを証明しなくてはならない。参詣する場所としてこの場所を詳細調査のために比較するのは重要なことであることは言うまでもない。

3. バカ女王観光公園
 インドネシア政府は、プランバナンとバカ女王宮殿遺跡がユネスコの世界遺産候補に上げられたのち、両遺跡の維持管理を公共事業体の特別公団に現在入れている。この経緯で、バカ宮殿遺跡は、教育と文化事業の場所にするためのいくつかの地点を整備しなおそうとしている。
 正門前にはレストランや、500人を収容でき北側にあるプランバナン地域とメラピ山を望む開放式の建物がある。これ以外に、キャンプ地やトレッキング、観光、考古学教育パッケージなどを用意して経営にあたっている

訪問時の写真集
 この遺跡は丘の上に位置しているため、ジョグジャカルタ市内の方向に沈む夕日がとても綺麗である。特に入場門の内側からシャッターチャンス狙うとよい。訪問時にも多数の人が三脚にカメラを取り付けて日没を待っていた。

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遺跡への入場門

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入場門脇の狛犬

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丘の上の貯水池(泉) 北半分

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丘の上の貯水池(泉) 南半分

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夕日とバカ女王宮殿入場門

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2014-09-09作成
2015-03-10 修正
2018-06-20 修正 

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