嗚呼、インドネシア
69話 1992年のジャカルタの小学校と子供たち

 筆者の子供たちが通っていた小学校が国際理解指定校となり、父兄に国際理解教育の協力を求められた。外国の子供たちはどういった生活をしているのかを知ることがそのひとつの目的であった。
 ちょうどその時1992年に出張していたジャカルタ市内でみかける働く子供たちと小学校の写真を使って、インドネシアの子供たちのことを日本の子供たちに教えようとしたものである。
 撮影地はインドネシア・ジャカルタ南部のパサールミング町のプジャテンにあるSD Negeri 04/05 Pejaten Raya (プジャテンラヤ 04/05小学校)、住所はJl. Jalan Pejaten Raya, Kel.   Pejaten Barat, Kec. Pasar Minggu Kota, Jakarta Selatan。撮影日は1992年2月10日だった。

 何の予約もせずに取材にいったのだが、快く案内していただいた先生たちに感謝する。
 
 小学校

19920210SD-006-3 小学校の建物 すべて平屋だ。

19920210SD-003-2 Ibu Guru(女先生)たち

19920210SD-002-2 ネクタイが制服なのだ

19920210SD-003-1こちらは女子児童の制服

19920210SD-006-1教室の中

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19920210SD-002-1変なガイジンが来たのでびっくり

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19920210SD-006-4

ここの小学校のあたりは中・上流の住宅地域であるため、通ってくる児童たちは割と高額所得者の子弟が多く、中学校への進学率は100%であると聞いた。
下校風景

19920210SD-004-3車の運転が乱暴なのでちゃんと道の横を

19920210SD-005-2 この当時はまだまだ緑が多かった。

19920210SD-004-1男子中学生たち

19920210SD-004-4女子中学生たち 小学校と帽子が異なる

19920210SD-005-1グレーのズボンは高校生
 撮影してから20年以上もたっているのでこの写真に写っている子供たちには自分の子供が小学生という人たちもいるだろうなあ。

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2010-07-20 作成
2015-03-20 修正
 

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