嗚呼、インドネシア
63話 ジャカルタ市内にあるブタウィ人の集落 

 クバヨランバルーや、ポンドックインダ、チキニなどの高級住宅地域にお住まいの方たちには全く縁のない、ジャカルタの原住民であるブタウィ人たちの集落と生活を垣間見たことがありました。2001年8月26日の日曜日に訪問した時の記録です。いまではクイタン(Kwitang)と呼ばれたこの集落は取り払いになってしまったとのことで、この景色はもう見ることができません。

以前、インドネシアのテレビの連続ドラマでSi Doelというのがありました。コメディタッチでブタウィ人の生活を演じていました。覚えていらっしゃる方もおいでと思います。このドラマでは主人公の住まいがチネレ・ガンドゥルということになっていて、チネレの住宅街でドラマを撮影しているのを見かけたことがあります。

 ジャカルタ郊外にもともと住んでいて土地を持っている人たちは、ブタウィ族という人たちで、ジャワ島に住んでいるジャワ人やスンダ人とは異なった生活風習を持っています。ブタウィの人たちは、額に汗して働かないで、もっぱら他人から金を絞り上げることをモットーにしていて、怠け者で仕事はしないが、イスらムの読経は上手というのが定評になっています。これは新来のジャワ人などが言っていることですから、話半分として聞いておいてください。もともと働くのが嫌いな人たちですから、子供たちの教育費や結婚資金の捻出のため先祖伝来の土地を少しづつ手放してきました。また、才覚のある人たちは土地を売った代金で、残りの土地に借家を建ててその家賃で生活をしています。大都市がスプロールしてきたために郊外でも借家の需要がかなりあります。2007年当時にはワンルームマンション程度の広さの小さいものでも、家賃は毎月10〜15万ルピアもしましたから、10戸分建てれば毎月相当な収入になります。小学生が2人いる標準家庭の最低生活費は300万ルピアでしたから、かなり楽な生活ができたようです。  先祖伝来の土地を手放してしまったブタウィの人たちは、土地値の安い郊外へとどんどん移動していっています。 

 
 ポンコツパソコンが壊れたので、ジャカルタ中部にすんでいる友人に直してもらおうと今朝ほど持っていきました。この地域は古くからジャカルタの原住民であるブタウィ族が集まっているところです。
 日曜日の朝でちょうどパサールが開かれていました。ジャカルタのほかの地域とは異なりプタウィ人の好みのものがたくさん売られていました。
 ジャカルタに数年間住んでいても、このような集落へ足を踏み入れることは少ないと思います。こんな風景なんです。

揚げたお菓子

飲み物の屋台
なんでも地面において商売しちゃうんです。

イスラムの数珠

皮膚病の薬
ブタウィ族が好むイスラム風な帽子
このように色彩感覚も服装の感覚もジャワ人やスンダ人とは異なります。
このようにジルバブをつけた人たちはこの当時ジャワではあまり見かけませんでした。

ぶら下がっているのは女性用の肩掛けです

香水売りのおっさん

古本屋も!
副大統領まで売られていました。写真でしたが。

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2007-10-19 作成
2015-03-20 修正
 

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