嗚呼、インドネシア
56話 ジャカルタの一人の日本人 

 これからお話しするのは、約50歳の日本人男性のことです。この方は日本の会社からインドネシアの現地法人に派遣されてきて、この会社の経営を約30年間もやってこられました。

 運動不足を解消するために始めた散歩に理由をつけるためにカメラを持ち歩いて町の写真を撮っているうちに、撮影も上手になり、アマチュアカメラマンとしてジャカルタでは知らない人はいない、というほどの方です。
 この方とは先日講演会も行われたサムスルさんです。ブログサイトはこちらです。

 ジェイピープルの表紙からリンクしているので、筆者、度欲はサムスルさんのブログ写真をほぼ毎日見ていました。毎回その写真に移っている人物の生き生きした表情が感動的でした。2006年にサムスルさんからこのページをリンクしたいというメールをいただき、それからメールでのお付き合いが始まりました。
 2009年7月にインドネシアに行く用事がありましたので、その際にお会いすることができました。とくに7月25日にはサムスルさんのバンテンラマへの撮影旅行に同行することがかない、サムスルさんの人となりを観察するとともに、なぜ同氏の写真に写っている子供たちは生き生きした顔をしているのかという秘密を探ることもできました。


 朝七時にジャカルタを出発してセランの街の中にあるワルンでお昼ご飯を調達し、カランアントゥ(Karangantu)の漁村に行きました。度欲は1996年までこの街で数年間働いていた時の秘書嬢の兄嫁たちが始めたGeduk Jogjaという店です。早朝に開店しプアサの時期も開いています。場所はCiceriの交差点から東に20mの南側です。ここいらへんでは安くておいしいと評判です。バンテンは一般的に食べ物が高い割にはおいしくないので、おいしい店でナシ・ブンクス(弁当)を調達していくのが賢明です。
 カランアントゥでは前回に撮影した写真を配る都合なのか、サムスルさんは最初に漁村の先端まで進み、写真を配ったり撮影したりして少しずつ駅のほうに戻ってきます。自動車はポンタンに向かう交通量の少ない広い道路にとめておけば、交通の邪魔になることはありません。ここにコンビニの「インドマレッ」がありますので、飲料水などの追加ができます。
 サムスルさんが漁村の集落に入ると子供たちが「ミスタル・フォト」と口々に叫んで飛び出してきます。よくよく話を聞いてみるとサムスルさんはここ五年間ほぼ毎月この漁村を訪ねて写真をとっているとのことでした。子供たちやおかみさんたちが警戒せずに自然な顔つきをしているのは五年間にわたる信用によるものであることは確かです。
 下の写真のように度欲の写真と画質が全く違うのは、カメラの違いによるものもあるのだ、と負け惜しみを言っておこう。
左は右の写真を撮影しているところ。右の写真はサムスルさんの作品。
 この漁村は何の変哲もないごくごく普通の漁村だ。三部族がここに住んでいる。海岸からブギス族、インドラマユのジャワ人、昔からいるバンテンのジャワ人の集落で構成されている。インドラマユのジャワ人たちはクラカタウ大噴火の後に移住してきたものであろう。ブギス人はここ数十年間に移住してきたものと話を聞いた。部族により家の建て方や顔つきまで異なるのである。

ご飯食べているところは普通は嫌がるんだけどなあ

この写真はサムスルさんの作品。

子供たちよりばあちゃんたちが大喜びです

あたしのかわいい孫娘と一緒にとってね

サムスルさんから写真をもらった一番前の子供がうれしそう。

こっちはお母さんがうれしそう。

度欲もちょっと真似して撮影してみました。

何気ない雰囲気って難しいんですね。

屈託のない小学生たち。

君たちいいよねえ。塾も受験もないんだろ? 

サムスルさんの友達の家で

 サムスルさんと歩いていて交わす会話の中で記憶に鮮明なのは「貧乏だから不幸だなんていうことはない。ここの人たちは貧しくてもこんなに明るく楽しく生きている」ということだった。度欲も常日頃こういう風に思っているので、深く納得できた。
 西のはずれにあるVihara AVALOKITESVARAで遅い昼食を取ることにした。本堂の北側にはタイから寄付された仏像があり、サムスルさんに無理を聞いてもらい、十数年ぶりで礼拝することができた。
 帰路に少し時間があったので、セランの町はずれに住んでいる旧知のパラノルマル(超能力者)Salamさんを訪ねた。サムスルさんはとてもまともな方なので、このような怪しい人たちとは付き合いが全くないようだった。超能力者の玄関の扉をたたくとすぐにこの方が扉を開けてくれ、客間に入った。この超能力者の話だと、サムスルさんも度欲も将来は全く問題ないとのことであった。ただ訪問するだけで将来を見てもらおうとは思っていなかったので意外であった。
サラムおじいさんと度欲おぢさん
 ジャカルタについてから、サムスルさんが習っているギター教室に同行。先生も生徒も全員日本人。20代から30代の若い男女ばかりで、サムスルさんだけが平均年齢を引き上げていたようであった。度欲がジャカルタに駐在していた約30年前にはこんなグループはなく、周りは「おじさん」ばかりであったのでうらやましい限りである。参加していた日本人女性はキャリアウーマンたちであり、それぞれの仕事のプロであったのが新しい刺激になった。

 たった一日同行しただけなのに、十年以上の知己であるように感じられたのはサムスルさんの心の広さからではないだろうかと感じたのである。度欲風に言わせてもらえば、前世の因縁が深いからなのである。

 ジャカルタに戻ってから別な友人に話を聞いてみると、サムスルさんの勤務先の本社からはあまり快く思われていないようだが、現地法人の従業員たちからとても慕われているとのことである。サムスルさんはさすが日本人の心もインドネシア人の心も理解するディアスポラである。また、インドネシアと日本に関係する団体のお世話もしてされているようで、相当に忙しい毎日のようである。

 サムスルさんいわく、「ここ数カ月中に帰国命令が出そうだが、日本に戻って使い物になるかどうかは自信がない」とのことだった。

 サムスルさんはここ十年間で出会った日本人のうちでは、年齢・性別・社会的な地位にみあったきれいなインドネシア語を話せるまれな人である。
また度欲とは異なり大笑いはしないが、いつでもほほえみを絶やさず、それでいて撮影の時などは真剣な顔つきになるのがさすがに日本人である。
またインドネシア人にありがちな「上から目線」はまったく感じられなかった。これが従業員から好かれる点なのであろう。

 サムスルさんと一日同行して、インドネシア語が上手だという前に、その人となりが言葉の端々に出ているのを感じたのである。
 だから、
 いくら外国語の勉強をしても上達しないという方は、日本語で話し方の練習をするとよい。上達しない理由は外国語の能力によるものではなく論旨の建て方、話し方の能力不足によるものだからである。


メモ:背景はバンテンラマで撮影した薪の山。

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2009-08-07 作成
2009-08-08 追加修正
2009-08-09 追加修正
2015-03-06 修正
 

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