嗚呼、インドネシア
54話 スリウィジャヤ Sriwijaya
前書き
 スリウィジャヤ王国の都がパレンバンにあったというのが考古学上での通説である。マジャパヒト王国にはその都であった大規模なトロウラン遺跡がある一方、この説に呼応する大規模な都市遺跡がパレンバン地域で見つからないことから、筆者はなんとなくこの説は疑わしいと感じていた。
 インドネシアの歴史の教科書でもスリウィジャヤ=パレンバン説を採用しているがゆえに、スリウィジャヤがマレーシアやタイにあっては困ることになるのである。韓国とは異なり、インドネシア政府は「歴史認識の見直し」で近隣諸国との摩擦を起こすような愚挙を取らないであろうが、人心に相当に影響が出ることは確かである。
 大歴史家のジョルジュ・セデス博士の唱えたスリウィジャヤ=パレンバン説に鈴木峻氏は真っ向から反対し、マレー半島説を唱えている。素人目にみると、鈴木氏の論の方が真実に近いと思われるのである。

 池袋のジュンク堂で偶然見つけたのが鈴木峻著「海のシルクロードの要 シュリヴィジャヤの謎」 朝日クリエ刊であった。

鈴木氏は2010年五月にこの「シュリヴィジャヤの謎」よりもさらに詳しく自論をまとめた「シュリヴィジャヤの歴史」という本を「めこん」から出版している。
更に鈴木氏は上記の著書の英文もメコン社から出版されている。The History of Srivijaya by Takashi Suzuki

 著者である鈴木峻氏とも何回かメールのやり取りを行い、理解を深めようとした結果がこれ以降のページに記載するものである。

 この話題は以下のサブページに分かれている。

 なお、文中の青字は下の本からの書き抜きである。
1 なぜ、スリヴィジャヤがパレンバンにあった、ことになっているのか
2 古代の東西交易ルートはどうなっていたのか
3 古代の東西貿易の歴史
4 室利仏逝について
5 朝貢国の変化とその回数の変遷から
6 室利仏逝
7 スマトラの三大遺跡
8 参考資料「大唐西域求法高僧伝」足立喜六訳注 岩波書店刊行
9 参考資料「スリウィジャヤ」スラメット・ムルヤナ著 田口重久訳
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2008-12-29 作成
2009-01-03 追加
2009-02-01 追加
2009-09-26 追加
2010-06-05 本の写真追加
2011-11-09 追加
2013-02-18 英文書籍と大唐西域求法高僧伝追加
2015-03-xx 修正
 

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