嗚呼、インドネシア
50話 ジャカルタ 1977, 78年
まずはブロックMから
 今から約40年前にあたる1978年のジャカルタ・ブロックMの風景です。 当時は二階建ての建物ばかりでしたが、いまでは様変わりしています。

PLN本社ビルからBlokM方面を望む。1978年6月頃
2006年に取り壊しになったAldilon plaza建設中。

同じ位置からの写真 2010年3月18日
30年以上もたつとこんなに変わっちゃうものなんですね。

 さあてここはどこだろう?そうJl. Melawai Rayaだ。Framboyanが余りにきれいだった。1977年9月頃の日曜日。
 2010年4月2日に同じアングルで撮影しようとしたがこのフランボヤンの木に会えなかった。
その反対側はというと

こんなにガラガラだった。
クバヨランの住宅地にはいまでもこの面影を残すところがある。

トアンガンバルか」の著者はこのような閑静な住宅地の中でスケッチをされていたのだろうか。

タムリン通り

ホテルインドネシア前からタムリン通りを望む 1978年6月ころ
左に見えるAsokaホテルはGrand Hyatt Hotelになっている。

左とほぼ同じ位置から
2010-04-02

今の馬車像があるMerdeka Baratの中央分離帯からタムリン通を見る。1978年5月頃

もう少し前方からタムリン通りを 2010-04-02

ジャカルタコタ駅周辺

この駅前ロータリーの下にバスレーンから乗り換えしやすいようにコンコースを作った。

旧ファクトライト社ビル

Kota Station (December 04, 2010)

Bank Mandiri Museum (December 04, 2010)

コタ駅前にあった地図。 どこかで見たような? Google Earthから盗んできたのかな? (2010-12-04)

言わずとしれたコタ駅周辺 (1978年)

グロドック

わはは、と笑ってしまうほど交通量の少ない日曜日のグロドック前 (1978)

左の写真とほぼ同じ場所から 2011-02-24
 左写真で前を走るバスは当時の公共交通機関であったOpletである。窓ガラスがなく雨が吹き込むし、車体はギシギシ言うひどい乗り物であった。 ちなみにボディーは木造だった。これがジャカルタ中の重要な交通機関であったがしょっちゅう故障していたのである。

住んでいたクマン周辺 (Jl. Bangka Raya)
1978-6月頃 緑色のボンネットバスやべチャが走っているのが見える。 2010-04-03撮影 まるで変ってしまって、片りんも残されていない
Jl. Bangka RayaのJl. Kelurahan Bangkaの曲がり角からKemang方面を望む。
この反対側は

1978年

2010-04-03

と、こんな風景であった。

今では商店やレストランがが立ち並んでいる繁華街になってしまった。

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2008-02-06 作成
2008-02-09 追加
2010-03-20 追加
2010-04-03 追加
2010-12-18 追加
2011-02-24 写真と記事を追加
2015-03-15 修正
 

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