嗚呼、インドネシア
47話 Sedudo滝、聖地とチャンディ
 2008年1月27日にマディウンの友人に教えてもらったNganjuk町の南西約26kmにあるSedudo(セゥデゥド)というジャワ島では有数の高さを誇る滝とその沿道にある聖地に行ってきた。ここは願掛けなどの人たちが沐浴に訪れる聖地であるが、折から日曜日で瞑想沐浴どころではなく、家族連れで芋を洗うようであった。

 マディウン方面から来るばあいは、Nganjuk(カ゜ンジュック=「カ行に半濁点」はここでは鼻濁音で読んで下さい)の町に入る直前にある台貫所を過ぎたところの三叉路(S7 34.950 E111 52.588) を右折。その次の信号を右折する。そのまま進むと「左折Kediri、直進Sedudo」の方向指示板があるのでそこを直進する。交差点は S7 37.931 E111 52.458である。台貫所から5.5kmの地点。この交差点から指示板どおりに4.7km進んだ山の中にこの大滝はある。
セゥデゥド大滝

ウエブサイトによると落差は105mとのこと。
このように日曜日はすごい人出である。
滝つぼで押し合いへしあい、滝に打たれて楽しそうにわいわいやっているのである。
修験道とは縁が遠いようにみえる。


滝つぼ付近の緯度と経度はS7 46.828 E111 45.481、標高は1190mであった。
下は駐車料金の領収書

滝つぼの直下流

その下流側

 この滝の大混雑と雑踏に幻滅したので、このページにたびたび登場してこの日にも滝つぼに現れたYu Hokさんに誘われるままに、滝への道筋にあるKyai Agung Nglimanの聖地に向かった。この聖地は緯度経度が S7 45.961 E111 45.773標高934mの丘の上にある。この聖地へは道路から参道を徒歩で上る。標高差は約20m水平距離では100mもないから簡単にいける。 しかし、この参道はホラー映画に使えるほどおどろおどろしい。また、この丘自体に「犬走り」(=等高線にそった水平な部分)がありあたかも土のピラミッドのようであった。

下から参道を見る

上から参道を見る

参道脇のおどろおどろしい大木

廟の入り口にて同行者の記念写真

参道途中にて記念写真 左がJu Hokさん右が筆者
上の廟の奥にはKyai Agung Nglimanの墓地がある。
このキアイの霊に話しかけたところ、幼い頃に近隣から彼の育った村が頻繁に襲われたので強くならねばと心に決めて修行をしたとのことであった。
この人は一生結婚しなかったようで子孫は現存しないといっていた。
生きていた時代はマジャパヒトの初期と言っていたから14世紀早々である。

この廟はYu Hokさんが頻繁に訪れているので管理人とは懇意であった。
この管理人の話によると約10年前に一人の日本人Takashi Yoshimoriという人がこのあたりを訪ねてきたとのこと。訪問当時にはこのヨシモリさんは海上保安庁の制服のようなものを着て、日本国の紋章の入った書類をこの管理人たちに見せたそうである。
 管理人たちが大使館の人に見せると、いくつか書いてある文字のうち一つだけが日本語ではない不思議な形をしていたとのことだった。ためしに書いてもらうと右からアラビア文字でH?Rであった。
 この書類のオリジナルはまだ保管されているとのことであるが、見せてはもらえなかったので真偽のほどはなんともいえない。

この廟から350m下った地点の西側にキオスクがある駐車場(緯度と経度はS7 45.822 E111 45.780) がある。その前にある道を東に入り、約500m進んだ地点に同じ名前のKyai Agung Nglimanの墓所がある。緯度と経度はS7 45.861 E111 46.024。 同じ名前だが隣に奥さんの墓と呼ばれるものがあるので上記の聖人とは違う人のようである。この廟の墓所にかかっている蚊帳は上記のヨシモリさんが寄付したものであるとのこと。この廟でもヨシモリさんをしっているか尋ねられたが知っているわけはない。

この墓所にたくさんの墓地が隣接している。しかし、墓地特有の陰気な雰囲気はなく、すがすがしい環境であった。
帰路、出口付近にある大木が呼び止めた気がしたのでわざわざ戻ってこの大木に挨拶した。「私ら四人の安全を守ってください」と願うと「えっ、あなたを含めて三人しか通らなかったじゃないか」と答える。今度はこちらが驚く番だった。大木の持つ記憶力を呼び出してみると、廟の入り口で撮った写真の一番左側に建っているロナルド君が見えない。大木の霊とロナルド君の過去生を洗ってみるとその理由はすぐに判明した。

ロナルド君の前世の人間が大木の霊の前世の人間を殺してしまったようであり、大木の霊はそれがトラウマになっていたのでロナルド君だけを無視してしまったようであった。さっそくロナルド君にその理由を説明して、前世の過ちを許してくれるように大木に話しかけさせた。数分後に大木の霊の記憶を引き出してみると、確かにロナルド君を含んだ四人が廟に向かって歩いている風景が出てきた。大木の霊はロナルド君の前世での過ちを許してくれたのだろう。大木の霊とロナルド君の魂のカルマを一つ解けたような気がしたのである。

 以下は同行したロナルド君が書いてくれたものの日本語訳です

 とある日(2008-01-27)、カ゜ンジュク町の近くにある廟に参詣した。この日は度欲(筆者)と、ユーホク、アリさんと一緒であった。
 いくつか参詣したうちのひとつであるLiman廟敷地の入口には樹齢数百年と思われる巨木があった。
 参詣の帰路、その巨木の脇を通った直後に、度欲さんが突然私を呼び止めて、「この巨木に触ってごらん」と言うのである。巨木に触ってみると、その巨木から敵意のようなものを感じて妙な感じにとらわれたのだった。信じてもらえないかもしれないが、その巨木には霊が棲みついていたのだった。
 「敵意のようなものを感じる」と度欲さんに伝えると、「君が過去生で起こしてしまったこの殺人の件に関して巨木の霊に謝ってごらん」という。
 私の大昔の過去生でこの巨木の霊と遭遇したことがあると度欲さんは知っていたのであったのだった。
 この巨木にいま棲んでいる霊がまだこの地球上で人間に宿っていた時代の過去生で、私がこの霊が宿っていた人を殺してしまったことがあった。この過去生が今生にまで関係していることをこの時まで知らなかったのである。
 言われたとおり、巨木の霊に陳謝するとその霊も私に陳謝しお互いに許しあうことができたようだった。その瞬間、不思議なことに心が涼しく、平安で平静になっている自分の心を見つけ出したのであった。

 この経験の後、我々の大昔からの過去生は今生の人生に密接に影響しあっているということを実感したのであった。

 申し添えるが、この話は作り話ではなく、実際に起きたことである。 ロナルド記


 時間も押してきたので、次のサイトであるCandi Ngetosに移動した。ここから、16.3km下った三叉路を東に入るとすぐダムをわたる。この三叉路の緯度と経度は S7 40.385 E111 50.597である。三叉路から3.1km進んだ地点にチャンディ・ゲトスはあった。典型的なマジャパヒト様式のチャンディである。

説明版

南面全体

南面にのこるカーラ。
左の写真のカーラとトロウランのBajang Ratuのカーラとが似てているが、顔つきの険しさから見てどちらかというとベトナムのチャンパ遺跡に残るカーラに近い感じがしたのである。

この遺跡の緯度と経度はS7 41.623 E111 50.544。

西面

北面

東面
 この遺跡の近くに、いくつかの建物の基礎が見つかっているが、集落がその上に出来上がっているので発掘は困難だろうと思われる。

 このチャンディのすぐ西側にモスクがあり、南側には幼稚園と農村にしては建て込んでいた。

チェチェク・モレク廟 遠景

チェチェク・モレク廟 望遠撮影
 本来ならマディウンからソロまで二時間半あれば十分であるが、この日は150kmも寄り道をしてさらに道草を十分食ったので11時間もかかってしまったのだった。GPSデータが必要な方は下記の白抜きになっているアドレスにメールをどうぞ。Garmin GPS dataのフォーマットで送ります。

 またヨシモリ・タカシさんをご存知の方もご一報ください。廟の管理人がご健在かどうかを知りたがっていました。

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2008-01-28 作成
2008-02-16 ロナルド君記事追加
2015-03-15 修正
 

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