嗚呼、インドネシア
30話 東ジャワ州南海岸探索記

 東ジャワ州の南海岸といえば、日本人のみならずインドネシア人にとってもあまりなじみのない箇所である。しかし、北海岸にはない荒々しい景色がインド洋に面した南海岸にはある。
 東ジャワ州の南海岸のある景勝地や観光地は数あるが、交通の便の悪いバニュワギ付近にある観光地には、サーフィンのメッカであるPlengkung海岸を除き、めったに余所者が訪れないので、正月休みを使って探訪してみることにした。以下は2006年12月29日から2007年01月02日まで使ったその探訪記である。経路は下の地図を参照されたい。使った自動車はトヨタキジャンであった。

 12月29日の午後一時半にマラン市の宿舎を出発し、Dampit経由の南海岸沿いの県道を走り、Lumajang付近の田舎道で迷った末にその日の投宿地のJemberについたのは午後六時半を過ぎていた。

 途中Pronowijo付近の見晴らしの良い地点で撮影したのが次の写真である。この地点はこの街道の峠から少し東側に下ったところにある。この峠とはスメル火山から南に伸びる山脈を県道が越えるところである。他の南海岸と同様この付近には自然保護のための原始林がたくさん残っていて人家はない。道路は狭く屈曲が多いので夜間走行は薦められない。

 この写真の下部にはスメル火山の砂防計画に従って河川沿いに構築されている堤防が見える。右の木の裏側は海岸線である。
スメル火山は定期的に砂礫を含んだ火山灰を大量に排出し、そのつど河道が変わり農業開発に問題を起こしていた。現時点でもJBICローンで砂防計画を実施しているが、「地球のニキビ」の吹き出物を抑える手立ては今のところないのである。
 翌30日は、朝7時半頃出発し、Mayang経由でGentengで州道を離れ海亀の産卵地であるSukomade向かい南下した。さんざん道に迷って現地の人の助けを借りて、Seronganiに着いたのは11時を過ぎていた。この先に入るには監理している営林署の許可が必要であるので、営林署に立ち寄ったところ、雨季が始まったため増水しSukomadeまでの道のうち河川横断区間が普通車では通行できないとのことであった。それでもと近くまで行こうとたどり着いた漁村が以下の写真である。ホテルなんてものがあるはずのない漁村であり、写真を撮るだけで早々に立ち去ったのである。
Rajegwesi村の海岸 目の前はRajegwesi湾
これはインドネシアのどこにでも見られる漁村の風景である。
日本で浜に船を引き上げなくなったのは、漁港整備が進んだことと舟を押し上げる人手がなくなったためであろう。
 この村から12時過ぎに出て本日の目的地Grajagan海岸に向かう。Jajagまで州道に戻り、その先を東に数キロ進んだところで再度南下した。行き先は下の地図を参照してください。
 目的地のGrajaganに到着したのは午後4時頃であった。

道路から宿のある地域に入る入り口。門がバリ風なのがリゾートを意味するものかどうか、インドネシア人のセンスは図りがたい。

管理事務所と夜勤のおじさん。Mr. Supardi。お客の多い日には一家で海岸に屋台を出している。Soto ayamは美味しい。Baksoが美味しいと聞いたが、頼もうとしたときには売り切れだった。

バンガローの風景。六戸あり、ダブルベッド一つの部屋とシングルベッドふたつの部屋がある。どちらも素泊まりで一泊Rp125,000(約\1600)

海岸東端の丘。そのふもとに旧日本軍が構築したトーチカがある。

海岸の西側を見る。中央部の岩礁の向こう側は漁船が浜上げされていた。

海岸の東側から遠くサーフィンで有名なPlengkungの浜が望まれる。

海岸の西側にある漁村の砂浜。漁船はマドゥラ風である。

旧日本軍のトーチカ跡。

トーチカの入口。

海岸東側の丘の中腹から海岸を見る。このあたりは国有の保護林となっている。

丘の反対側には大きな湾が広がり、たくさんの大型漁船が見える。

 あいにくと年末年始は雨が続きスカッとした快晴は望めなかった。南からの風が強く、漁船もあまり遠くまで漁に出ていなかった。この海岸も隠れたサーフィンの地点であるらしく、地元サーファーが何人か遊んでいた。この海岸では乾季の前半の四月から六月まで波が静かで、後半は波が高いということであった。雨季の前半は浪が静かで後半は高いというが、訪れた雨季の前半でも結構波が高かった。 

 今回訪問中は曇りと雨だったので、気温は30度まで上がらなかったが、乾季は相当に暑いとのことであった。 

 この海岸の北東側に無人に近い大きな島があり、その北側にはヒンドゥー寺院が、南側は数キロメーター無人の海岸である。ただ、貝の漁期にはたくさんの貝取り人がキャンプしているので、その時期にぶつかったら「無人島生活」のような雰囲気は楽しめないかもしれない。またこの海岸には海がめが産卵に上がってくるとのことであった。一般的に新月の前後数日間の夜なので亀の産卵を見たい方はジャワあるいはアラブ暦の月末・月初を狙うとよいだろう。
 ここのお土産はフカヒレで、漁期の年末にはたくさんで回るが、年初には売り切ってしまうとのことであった。ちなみに1kgでRp1,400,000(約\20,000)。
 バンガローはエアコンつきだがお湯のシャワーはない。トイレは洋式。テレビは14インチのものがあるが、インドネシアのLativiしか映らなかった。 

 近くに飲み物を売る小さなワロンはあるが町まで数キロでないと商店はない。このワロンが閉まっているときは海岸の西側に行けば漁民のためのワロンが漁船が漁に出ているときは24時間開いているのでコーヒーくらいは飲めそうだ。
 元旦や特別な日を除き年間を通じ宿泊客はほとんどおらず、ぼんやりと「静寂を楽しむ」人にはうってつけである。
 蚊や蝿はすくないが、風に乗って飛んでくる虫などに刺されることもあるから虫除けやバンガロー用に蚊取り線香を持参するのが良い。
 バンガローには炊飯設備がないので外で自炊するか、管理人に前もって予約しておくことが必要。 自家用車がないと買い物は我慢するしかない。 たまには不便も良いじゃないか。
 また、寝具はインドネシアの地方都市にある一泊Rp100,000程度のLosmenと同程度であるので、あまり気持ちよくなかった。次回は自分のシーツと枕カバーを持ち込むつもりだ。また、ルームサービスがほとんどない上に歩いていける近隣には食事を取れるところがないので、湯沸かし器を持っていったらよかった。漁村の集落に出ても食堂は見当たらなかった。

 自炊覚悟が一番だろう。煮炊きできる空き地はいくらでもあるから心配は無用だが、周囲は天然林なので自然保護のためにガスコンロを持ち込んだほうが良い。電気は時々停電するし、容量も少ないだろうから大電流を使う家電製品は使えないと思う。 

 連絡先は夜番で泊り込みをしているMr. Supardi 電話0333-591275。固定電話はなく、ケータイの電波塔が丘を隔てた反対側にあるので海岸付近からはケータイは通じにくい。

 この一帯は村人ばかりで余所者が近寄らないところなので安全である。でも山の中でのんびりしていると村人が蛮刀をもって薪を探しに来たりするので驚かされることがあった。

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2007-01-11 作成
2015-03-06 修正
 

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