嗚呼、インドネシア
28話 チャンディ・チェト

 2006年12月10日。ジャワ島出張中にスラカルタからマランに自動車で移動した。その途中Candi Cetha(チャンディ・チェト)に見学に立ちよった。Candiの場所は霊場ラウ山の山頂近くの標高2200m付近にあり、急傾斜だが緩やかな尾根筋に位置している。下の案内番では標高1400mとあるが植生や霧の巻き方から考えるともっと高いと思われる。
 寺院付近の集落はジャワ人のヒンドゥー教徒であり、バリのような門が各戸の入口にあるが、バリのような小さなお社は見当たらなかった。
 寺院入り口の参観料支払い場所にいた人によれば、この集落は昔からあったわけではなくここ数十年のうちに山麓が下から農地化したため少しずつできてきたとのことであった。農地への転用が行われる前はうっそうたる森林であったとのことである。

 まずは、写真を見ていただく前に、県の文化部が作成した説明書を記載することにする。
 チャンディ・チェトはラウ山の西側山麓の海抜1400m付近に所在する。行政的にはこの寺院は中部ジャワ州カランアニャールKaranganyar県ジュナウィJenawi郡グムンGumeng村字Cetahに含まれ、東経111度9分14秒、南緯7度35分48秒に位置する。
 この遺跡は1842年にVan der Vlisがその存在を報告したのが最初であった。その後、この寺院の考古学的特徴はW.F. StutterheimやK.C. Crucq, N.J. Krom, A.J. Bernet Kempers, Riboet Darmosoetopodllらの考古学専門家たちの注目を集めていた。1928年には遺跡保存局が遺跡をより再現するための構築部品探索のために発掘調査を行った。
 Van Der VilisとA.J. Bernet Kempersの調査結果から、このチャンディ・チェトは14のテラスを持つことが分かった。現在の寺院は西から東に向かって下向きにつながる13のテラスから構成されていて、奥に進めば進むほど高くなり、高いテラスはより聖なる場所であると解釈されている。おのおののテラスは人一人しか通れない幅の門でつながっており、その中央を通って上段に向かう通路であたかもひとつのテラスが二つに分割されているようである。
チャンディ・チェトの建築様式は数段のテラスからなっているチャンディ・スクウと同じであり、先史時代における我々の祖先の社会階層を思い出させる。建築物の構成は特異でありチャンディ・スクウ以外には中部ジャワ州では見られないものである。
 チャンディ・チェト寺院群内部では、腕を腹や胸の前で組み合わせたような原始的な様式の特徴を持つ神像に多数出会うことができる。このような神像の姿勢は中部スラウェシのBada地域の原始的な彫像を思い起こさせると専門家はのべている。これ以外にも、チャンディ・スクウと同様に数々のCuddhmala物語の場面の浮き彫りやオオトカゲや象、カメ、ウナギ、カニなどの動物の浮き彫りもある。
 チャンディ・チェト寺院の建設時期については、出土した西暦1451年(1373 Saka)の日付のある石碑がそれを解説している。この石碑には動物の絵や浮き彫り、現存する神像、寺院群が描かれていることから、この寺院群は西暦15世紀すなわちマジャパヒト王朝末期の建設であろうと思われる。
 チャンディ・チェトの主神殿は最も奥まりかつまたもっとも高い部分のテラスにある。建造物の形状はチャンディスクゥを模倣したようであり、これは木造の建築物と共に1970年代末に遺跡修復が行われたものである。残念なことに、この寺院の「修復」を担当した人が考古学的な知識がなく、その結果、修復もやっつけ仕事でなされたことだ。
 この寺院へはタワマングンからCandi Sukuh入り口を左折して延々と急坂を登って20分ほどで着く。本来の参詣路は尾根線上を走る現在の自動車道路より北側を走る尾根線上にあったようで、自動車道路からも昔の参詣路途中にある休憩所と思われる建物や小型チャンディらしきものを見ることができる。双眼鏡で見る限りでは、これらは廃墟にはなっておらず、現在でも徒歩による参詣者があるようである。我々が参詣したときもバリ人の団体客が参詣に訪れていた。

061210-01s
チャンディへの参詣路。十数パーセントはあると思われる急坂。
「くだる時につんのめるのでハイヒールは止めましょう」
真ん中の「元すらっとしていた」美人は事務長のメディアさん。ソロの王族の末裔とのこと。
その左は運転手のアグス君、その右は案内してくれた同僚のサルワント氏。
道路わきの住宅の門がバリ風な様式であるのに気づかれたかな?

061210-03s
チャンディへの最初の石段

061210-05s
最初の階段を上がったテラスにあるリンガの亀

061210-06s
最初の階段を上ったところから上を見る。
折から霧が巻いていて幻想的であった。

061210-07s
最上段にある石塔
供え物に見られるようにいまでも信者が絶えない。
発掘時にはピラミッド型の屋根がかかっていたにもかかわらずそれを取り付けなかったことなどを入口にあった説明板は言っていたのだ。

061210-07s
最上段にある石塔
供え物に見られるようにいまでも信者が絶えない。
発掘時にはピラミッド型の屋根がかかっていたにもかかわらずそれを取り付けなかったことなどを入口にあった説明板は言っていたのだ。

061210-09s
リンガ!
陰茎の両脇に着いている半球形のものはなんだろう?
木造の小屋の壁に注目して欲しい。高湿度のために水染みとカビが生えているのがわかるだろう。

061210-10s
観世音菩薩(サラスワティ)と思われる石像

061210-11s
最上段への階段

061210-12s
この神像の彫刻は稚屈であり、マジャパヒトより以前からあったものと思われる。第29話「ジャワヒンドゥー寺院・グヌンカウィ」
に書いたようにポリネシアの石像を髣髴とさせ、ヒンドゥーが入る前の原始宗教を思い起こさせ、この整然とした寺院にそぐわない。屋根はバリと同じく棕櫚葺きである。

061210-13s
ジャワのスマールの原型のようだ。
美術的には価値はない。

061210-14s
二段目階段下にあった石像

061210-15s
二段目階段下にあった象の石像

061210-16s

061210-17s

061210-19s チャンディ・チェトの現在

061210-20s 1928年の発掘時における「カメの石積み」

061210-21s 2000年当時の「カメの石積み」

061210-22s 先史時代の神像 (1928年撮影)

061210-23s 発掘時に見つかった建造物の一つ

061210-24s Cuddhmala物語の浮き彫り

061210-25s Cuddhmala物語の浮き彫り 1928年当時撮影

061210-26s 象の神像。かわいそうに鼻が折れている。

061210-27s恒久的な美術建造物 1928年当時撮影
とあるが、草葺の小屋がなぜ恒久的な建物だか不思議だ。オランダ人のいたずらとも思われる。

061210-28s モジョパヒトの太陽の紋章

061210-29s あまりお目にはかかれないレンケン(竜眼)の木

目次に戻る

2006-12-11 作成
2006-12-23 追加修正
2015-03-06 修正
 

inserted by FC2 system