嗚呼、インドネシア
26話 クラカタウ大噴火の記念碑 

 クラカトアの大噴火といえば、知る人は多いと思う。
 この大噴火を起こした島はスマトラ島最南端にあるランプン州の南約50kmに位置していて、本当の名前はクラカタウ(Krakatau)である。

 この大噴火が歴史上で有名になったのは津波による被害が甚大であったことのみならず、当時世界中に敷設された海底電線網で噴火開始と同時に世界中に瞬時に報告されたこともその理由である。ランプンの対岸にあるジャワ島西岸アニェールにあった電報局からロンドンのロイドに電報で送られた。噴火と地震が続く中でつづり間違いをしたのか打電した通信員がモールス信号を押し間違えたのかは分からないが、いまでは「クラカトア島」で有名になっている。
 大噴火は1883年の数ヶ月間にわたり大地震を伴い起こり、ランプン州南岸のみならずジャワ島西岸に甚大な被害を引き起こしたものである。数千人の犠牲者を伴い、全世界に甚大な被害をもたらした。さらには成層圏まで吹き上げられた火山灰は数年間にわたり太陽光線をさまたげたため、異常気象を世界中に引き起こした。

 ランプンでは地震に伴う津波が湾内に停泊中の船舶に甚大な被害を与え、砲艦が現在の河口から数キロはいった地点まで流されて、十数年前までその残骸をさらしていたが、現地人が鉄くずとして売るために少しずつ切り取って、いまではその姿はとどめていない。
 湾内の船舶のみならず、港湾施設にも壊滅的な被害を与えた。

 トルクブトン(Teluk Betung)港から一キロメートルほど山側に進んだ地点に記念公園が作られ、当時のブイが記念灯の上に乗っている。

 スンダ海峡をはさんだこの地域の地図を末尾に掲載する。

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記念碑全景。ブイの裏側に見えるのが現在の町並みで、ブイの高さまでは地表から15mはある。

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この構造から見るとたしかに百年以上前の鋼構造物であることがわかる。

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正面から見た記念碑。記念碑の裏側は約5mはある崖でその上にはランプン州の警察本部がある。

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警察本部の前から見た記念公園

 この大噴火と地震、津波が襲ったジャワ島西端に位置するバンテン州のセランでは大噴火を機としてオランダ人排斥運動が起こり、オランダ軍人が何人か暗殺された。これが歴史上最初のイスラムゲリラ闘争となった。

 以上は下に掲載した参考文献から抜粋したものである。
 「嗚呼、インドネシア第20話」に記したプグンラハルジョ(Pugungraharjo)遺跡はトルクブトンとタンジュンカランが合併したバンダルランプン市の東郊にあり、この都市は6世紀から15世紀にかけて建設され、その後数百年にわたり遺棄されてきたと説明書にある。
 7世紀中旬に成立したと思われるパレンバンにあったシュリウィジャヤ王国は香料や金などの交易で栄えた。パレンバンからジャワ方面に進む地点に位置し当時の海岸近くにあっプグンラハルジョも交易のための中継地ではなかったかと想像する。
 同時期には中部ジャワのメラピ火山の大噴火で中部ジャワは壊滅的な被害を受け、その直前に建設されたボロブドゥールとプランバナン寺院は火山灰の下に埋もれてしまったとのことである。この被害でサンジャヤ王朝が東ジャワに移転し、メダン(Medang)朝が誕生した。
 この王朝のダルマワンサ王がシュリウィジャヤ王国を攻撃したのが992年であり、反撃が1016年にあった。また1025年にジャワのアイルランガが再度シュリウィジャヤ王国を攻撃し同王国の衰亡に拍車をかけたという歴史がある。

 ということは、10世紀と15世紀にもクラカトアが大噴火を起こしたのではなかろうか。
参考文献 「クラカトアの大噴火」サイモン・ウィンチェスター著

<2016年8月22日追加分>
 またまた驚いたことに、クラカタウ火山は西暦535年から536年にかけて大噴火を起こしたのではないかという説がデヴィド・キース著「535年の大噴火」文芸春秋刊に述べられている。この年から数年、場所によっては数十年間太陽光線の不足で食料不足と疫病のために地球の人口が激減したとある。
 もしこの年に大噴火を起こしたのなら、プグンラハルジョの遺跡はこの約100年後以降に建設されたものでなければならなくなる。

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2006-10-20 作成
2015-03-07 修正
2016-08-22 追加修正
 

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