嗚呼、インドネシア
23話 チャンディ・バドゥット 

 久しぶりの日曜日の休みを利用して、任地の宿舎から程近いマラン市の西郊にあるチャンディ・バドゥット(Candi Badut)にサイクリングをしてきました。このチャンディには1984年に訪問して20年ぶりでしたので、整備ができたことと、マラン市の膨張に伴い田畑であった土地がすっかり住宅地に囲まれているのを見て時代の移り変わりを感じました。

 現地にあった説明書にはこうありました。一部に原文の間違いと思われるところがありますが、そのまま翻訳したものです。

 チャンディ・バドゥットは行政的には東ジャワ州マラン県Dau郡Karangbesuki村字Badutにあり、海抜508mのカウィ山麓に位置する。このチャンディは広さが2808m2あり、南にはカウィ山、西にはアルジュノ山、北にはトゥンガル山、東はスメル山に囲まれている。このチャンディは、現在はその基礎しか残っていない外壁にもともとは囲まれていた。
チャンディの構造材は安山岩であり、17.27m x 14.04mの方形であり、高さは8mで、入り口は西に向いている。チャンディの基礎の部分は層を成した低層部と平面状をした上層部とで構成されている。前面部分にはチャンディの中心室に入るための階段が構築されていて、反時計回りに回る回廊が付随している。
 チャンディ本体はがっちりとした構造で、Kalamakaraと呼ばれる中部ジャワ風な装飾が施された門が見られる。南階段からはKanara-kinariが発見されている。三面にはへきがんがありその縁はKalamakara装飾が行われている。北面のへきがんにはDurcaの石造が、南面にはAgastyaの石像が安置されている。東面にはGaneshaの石像が安置されているはずであるが、現在は紛失している。MahakalaとNadiswaraが入る、花の装飾がある入り口の左右ある小さなへきがんがある。チャンディの中心室にはLinga(陽根)とYon(陰根)が安置されている。1925年の修復の際に中心室後部の崩壊した壁の中に、peripihが発見された。
チャンディの屋根部分は現在崩壊している。1929年にOudidkundurge Verstagに含まれた再構築によると、チャンディ中心構造物と同形状の上にいくにつれ細くなる二層からなる屋根部分があり、その頂上部分はMatnaと呼ばれる形状をしている。屋根はantefik形式の装飾がなされていた。主チャンディの前面には三箇所の小さな基礎の跡があり、これらは付属のチャンディとおもわれる。
 Durga, Agastya, Linga & Yoniが安置されていることからこのチャンディはヒンドゥー教寺院の特徴を備えている。
 このチャンディの存在はAD760年11月28日と記載されているDinoyo時代の碑文に述べられていることから、AD760年頃に建立されたものであり、東ジャワ州では最古のチャンディである。
 このチャンディは1921年にEW. Mauren Brechterが水田の中に壊れた状況で植物と土に覆われた状況で発見したものである。このチャンディはその後1925-26年にかけてDe Hoanの指導の下で修復された。その後1990-93年に掛けて東部ジャワ州遺跡保護プロジェクトで修復されたものである。

案内所

回廊から西側正面を

回廊から南西面を

回廊から南東面を

回廊から北東面を

回廊から北西面を

1923年当時の状況

チャンディ・バドゥットの基礎部分掘削時の写真
 インドネシアに滞在していると、事務所と宿舎の間は自動車通勤で事務所でも座りっぱなしなので、どうしても運動不足になりがちです。運動不足解消のためにマウンテンバイクをマランで購入して、早朝は半時間、休日は半日走ることにしています。マラン市西郊はカウィ山麓ゆえ、坂が多く谷が深いため、とてもよい運動にはなりますが、サドルに当たるお尻が赤くなってしまい猿のことをとても笑えません。
 インドネシアは大都市を除きどこでもですが町をちょっと外れると交通量の少ない舗装道路が村落の間を四通八通していますので、交通事故を心配せずにゆっくりサイクリングを楽しめます。田舎の間道には古いものが多く大樹がその上を覆っていますので、思ったより暑くはありません。
 たまたまこのような遺跡にぶつかったりすると「拾い物」だとほくそえんだり、村民たちと屋台(Warung)で情報交換するのも地方滞在の楽しみの一つかもしれません。
 2007年1月21日に再訪問の機会があったので丁度買い揃えたGPS (Etrex Vista Cx)にて下のデータを検証してきました。
 チャンディの位置は、南緯7°57分34秒、東経112°35分59秒であり、標高は531m(基盤底部)でした。このチャンディは西から北へ約20°の方向に向いていた。
 第24話でおはなしするカランカテスにあるパテジョノトの像と、第29話でおはなしするグヌンカウィのチャンディの位置とその向きを図示すると次のようになる。
 この図から見るとチャンデバドゥットはグヌンカウィのクラトンからそっぽを向いているので、無関係ではないかと思われる。

緯度と経度はWGS84基準による。

 上には「無関係」と書いたが左に示すように地図にCandi Badutの位置と向きを記入してみてびっくりした。
 このCandiはGunung Kawiの山頂に正確に向いて建てられていたのだった。

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2006-10-15 作成
2007-01-21 追加
2007-01-29 追加
2007-01-30 訂正
2015-03-06 修正
 

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