嗚呼、インドネシア |
第22話 チャンディ・スクウ |
ソロからマディウンに出張した帰路の2005年3月29日にちょっと寄り道してラウ山麓にあるチャンディスクウ(Candi
Sukuh)に行ってきました。ここはアジアで唯一のピラミッドがあるということで有名です。 Wikipedia Indonesia の記事の抄訳は以下の通り。 チャンディスクウは、中部ジャワのカランアニャール(日本語の意味は「新地」)県、元スラカルタ地方(Keresidenan)、ヒンドゥー教の寺院群である。リンガとヨニ崇拝を目的としていたのでこの遺跡はヒンドゥー教の寺院と分類されている。さらに、形状が普通ではないうえに性的を象徴する大量のリンガとヨニの彫刻があるゆえ、まだどのグループに入れるかは議論の余地が残されている。 この遺跡は、1815年にジャワが「大ブリタニア」の支配下にあった時に、スラカルタ地方知事ジョンソンによって発見された。ジョンソンは当時トーマス・スタンフォード・ラッブルズ卿に指名されて「ジャワの歴史」の著作のためのデータ収集の指示を受けていた。「大ブリタニア」の支配の終了後、1842年にオランダ人のヴァンデルヴイリス(Van der Vlis)が詳細な現地踏査をおこなった。1928年に修復工事がはじまったものである。 チャンディスクウは、ラウ(Lawu)山麓の海抜約1186mの標高にあり、その位置は南緯07o37'38. 85'' 東経111o07' 52.65"である。この寺院は中部ジャワ州Karanganyer県Ngargoyoso郡Sukuh村 Berjo地区にあり、Karanganyarからは約20km、スラカルタ市から36kmの地点である。ここからラウ山を4km登るとチャンディチェトに至る。 以下は遺跡群の平面図。 |
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スクウ寺院の建物は、訪問者に簡潔な印象を与える。この寺院が与える印象は、ボロブドゥールやプランバナンなどの中部ジャワ州にある他の寺院とはとても異なっている。メキシコのマヤ遺跡あるいはペルーのインカ遺跡と類似している傾向がある一方、この構造物はエジプトのピラミッドのイメージを髣髴とさせる。 この簡潔な印象は、1930年に高名な考古学者であるオランダ人W.F.ストゥッターハイム(W.F. Stutterheim)の興味を引いた。同氏は次の三点に関して議論を巻き起こすことでこの問題を解決しようとした。第一はこの寺院は一人の石工の手によるものではなく、宮廷とは関連のない近郷近在の大工たちが作り上げた可能性。第二はこの寺院が整然となっていないのは急いで作られたこと。第三はデマックイスラム軍に圧迫されたことによるモジャパヒト王朝衰退による当時の政治的問題から大規模で豪奢な寺院が作れなかった可能性である。 訪問者は、第一門から入場し、最大のテラスで、斜めに積み上げられた特徴のある屋根つきの建築物をみることができる。 この寺院の構築材料である赤みを帯びた石は安山岩の一種である。 【wikipediaはここまで】 さらに詳しくは http://id.wikipedia.org/wiki/Candi_Sukuh |
以下に遺跡訪問時の写真を掲載します。もし大きなサイズの写真をご所望でしたらこのページの下にあるMail toにご連絡ください。 | ||
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50329s_08s 偶然居合わせたご夫婦。旦那さんは恥ずかしいから写さないでくれと。この夫婦は結婚して三年間子宝に恵まれないので、妊娠祈願にきていた。 |
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2006-08-23 作成
2015-03-06 修正