嗚呼、インドネシア
20話 ランプン州のプグンラハルジョ古代公園

 2005年11月20日に訪問したインドネシア・ランポン州にあるプグンラハルジョ(Pugungraharjo)遺跡の紹介です。 

 位置は5°18'0.48"S,105°34'5.35"Eです。Google Earthでながらくさがしていましたが見つからず、先日ようやく見つけました。写真の名前にはPungung Raharjoとはありませんが同一地点です。

 まず、ランポン州教育局が作成した同遺跡の観光パンフレットの内容を紹介します。文中「我々」とあるのは「インドネシア人」と読み替えてください。
古代公園 プグンラハルジョ


文化財観光地

州教育局
【遺跡公園設置の背景】
 プグンラハルジョ古代公園は先祖が現代まで伝えてきた遺跡で構成されている。この遺跡は伝統的な巨石と古代文化のものである。巨石文化は、我々の先祖たちがまだ文字を知らなかった前史時代の文化である。巨石文化の特徴は、メンヒルやドルメ石墓、石棺などの大きな石造構造物に代表される。これらの構造物は礼拝所や墓所、あるいは地域の集会場として機能していた。この古代の伝統はヒンドゥー教・仏教文化の影響を我々の先祖が受けたあとに続いたものである。建設された時期は6世紀から15世紀であると考えられている。
 この遺跡群は、現在の原住民の草分け的存在であったかどうかなどのまだ大量の不可解な点がある。それゆえ、この文化遺産をランプン州における学術的知識の向上、レクリエーションのために保存し有効活用することが必要である。

左の写真は受付と資料館。
【プグンラハルジョ遺跡は聖地であった】
 当初、このプグンラハルジョ古代公園地帯は住民から聖地と理解されていた。数百年後には、この地域には人が住まなくなり、最終的には過去の時代の生活の秘密を含んだ放置林となってしまった。この地域に改めて人の手が入ったのは1954年で、移住者が森林の開墾をしているときに発見されたものである。密林を開墾しているときに大きな石垣や計画性を持って四角に積み上げられた土塁や、移住者たちがPutri Badariah()と呼ぶ石像が発見された。
 その石像の発見は文化財部へ報告された。報告を受けて1968年になって予備調査が行われた。予備調査に続いて、歴史学や遺跡などの専門家による本格的な調査が実施された。
この本格的調査結果、プグンラハルジョ遺跡群には前史時代からの文化、歴史、芸術と知識が詰まっているということが結論付けられた。

【遺跡群の位置】
 このプグンラハルジョ古代公園はランプン州中部ランプン県ジャブン郡プグンラハルジョ村(Desa Pugunraharjo, Kecamatan Jabung, Kabupaten, Lampung Tengga,Propinsi Lampung)にある。バンダルランプンから熱帯プランテーションを通る舗装道路で東に42kmの位置となる。 同地域は地味が豊かであり、車窓からは丁子や胡椒、コーヒー、ココナツなどの植物が見られる。約30ヘクタールにわたる同遺跡群は同地域にある湧水に発する小川に囲まれている。それゆえ、同遺跡群はきわめて涼しく、静かで美しい公園となっている。

左の写真は同遺跡から発掘された釈尊の石像である。



【遺跡群調査の歴史】
 同遺跡群の調査は中央政府また州政府の協力により実施された。1968年来の種々の事前調査の後、初めて1977年に第一期の本格的調査が行われ、1984年に修復が終了したものである。同修復は遺跡を往時の姿に復元する結果となった。

【遺跡群内にある遺跡の種類】
 同遺跡群内にある遺跡の種類は次のとおりである。

●土塁と砦
同遺跡に存在する土塁は2〜3.5mの高さがある槌を積み上げて構築された土塁である。砦の外側には3〜5mは十分にある掘割が形成されている。二つの砦をあわせると東西、南北におのおの1200mと30mに達する。同砦は野獣や他の部族の攻撃から住民たちを守るための機能を呈している。

●方墳 左写真参照
同遺跡群内に存在する大小の方墳は13地点に及び、土を二層あるいは三層に階段状に積み上げて構築されたものである。この方墳は先祖の魂を祭る場所さらには墓所として使われた。

●巨石の囲い(死者の石)
巨石の囲いは、祭祀と先祖崇拝のために構築されたものである。この石はPhallusの形状をなし、205mと40mの楕円形の形状をなしている。

●穴あき石
穴あき石は灰色から黒色の安山岩であり、同所から19個発見されている。この石は薬草を体に塗りつけるためあるいは葬儀に関する儀式に用いられた。

●臼石 
同遺跡からは二個の臼石が発見された。これは、薬草などを搗いたり、季節を定めるための儀式用の道具である。

●線刻石
同遺跡から、四個の線刻された石が発見された。これはある種の道具例えばナイフなどに魑魅魍魎の力を付与させるための砥石である。

【沐浴場】
この遺跡にはいまだ枯れたことのない泉がある。現時点においても浴場として利用されている。
この泉は住民からは種々の病気を治す聖なる泉とされているそうだ。
その他にも受付・資料館には同遺跡から発掘された各種の遺物が展示されている。
プグンラハルジョ古代公園は文化遺産であるとともに観光地となっている。

観光案内書はここまで。以下は同遺跡観光の際に撮影した写真と筆者の感想である。

資料館内部 発掘調査作業内容の展示物

発掘状況展示写真 左半分

発掘状況展示写真 右半分

遺跡群全体図 (高解像度写真ご所望の方は下記にメールください)

資料館内部 パンフレットにもあった釈尊石像

資料館内部 ポリネシア風な石像
悪霊が棲んでいるようで気味が悪い。


メンヒルか。中央にはリンガに見立てた巨石がある。
中心にある石は地上1.5mほどであり、白い布が四本の竹の柱に縛りつけられていた。
またお供物も中心石近傍にあったのを目撃した。
同行のバリ人によると、この白布は移住民であるバリ人が何かの呪術のために奉納したとおもわれるとのことであった。
中央の石自体には特に霊感に感じるものはなかったが、その近傍にはかなり感応する地点があった。
クラカトア大地震など度重なる激甚災害で石が当初の位置からずれてしまったのかもしれない。
リュックサックを背負っているのは国立ランプン大学文学部歴史学科の学生。学生たちは指導教官なしの約10人の団体でランプンからオートバイに相乗りしてきていた。ほとんど全員がランプンの現住部族出身でありムスリムでもあるためか、この遺跡にはあまり興味を惹かれてはいなかったようだ。
彼らの話にからは、現代ムスリムである彼らは先祖が敬っていた旧時代の宗教には「我関せず」ということが感じられた。
といっても彼らの大部分は呪術を今なお信じているのである。このような矛盾をそのまま放置しておくところにムスリムたちの旧弊さが感じられた。

社会見学のかわいい小学生たち

方墳の頂上の中心点に赤唐辛子がいけてあった。これは何かの呪術のためとのこと。

方墳の上から下を見る。写真の二人は親友。
ンドネシアの呪術について
詳しくは、こちらに書いたが、その後経験した事象からインドネシアの呪術には次のような特徴があることが分かった。
  • スマトラ島・ミナン族:一見して黒魔術がかかっているとは分かりにくい陰惨な方法である。この地方ではウエットスーツを着ているように体表面全域にわたり呪いがかかっている。
  • ジャワ島:肩甲骨の突起部の間の脊柱あたりに呪いを注入した突起が残っている。これはもちろん目視ではわからないが、オーラから判定できる。
  • バリ島:耳朶や眉毛、顎の先など体表面の突起物に呪いの特徴が現れる。これもオーラから判定できる。また、喉仏やうなじなどにも呪いをかけることがある。

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2006-08-19 作成
2009-02-01 緯度経度追加
2015-03-06 修正
 

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