嗚呼、インドネシア
18話 海を怖がるジャワ人

 以前からジャワ人たちが海を異常に怖がるとともにほとんどの人たちが泳げないのを不思議に思っていた。

 河口付近で水浴するにしても澄んだ海水より汚い川の水のほうを好む。海に入るにしても膝丈までで、全身を海水に浸すことなどめったにない。一方、川では用便している直下流で平気で洗面したりするのが一般的である。特に海岸地域で井戸水の塩分濃度が高い地域では、取水堰から延々数十キロも引いてきて、途中で生活排水の栄養が含まれ、現代の基準で言えば「充分に汚染された」用水を使って水浴をしている。
 一年中暑いのでいつでも海水浴が可能であるし、海に囲まれた島に住んでいるにもかかわらず泳げない人が多いのは環境の仕業ではないようだ。
 昔から、ニャイロロキドゥル(南海冥府の女王)に示されるような恐怖感を海はジャワ人たちに与えている。一方ジャワ人以外のインドネシア人はそれほど海に対する恐怖心がないように見える。

 インドネシアにおけるジャワ人のように、周辺諸民族と大きく異なる文化を持っているのは東アジアでは中国人(漢民族)である。東アジアの言語が日本語と同じSOV形式であるのに対して、中国語(漢語)およびインドシナ諸言語はSVO形式であり、東アジアに突然降って湧いたような言語である。この言語形式が東南アジアでは一般的ではあるが、北ボルネオの少数民族の言語には日本語と同じSOV形式の言語がある。


 海に対する恐怖の違いは何に由来するものか疑問に思っていたが、2005年6月からバリ人の専門家と一年間にわたり仕事をし、2006年にはバリやカリマンタンに出張する機会があり、その謎を解く鍵を得たような気がした。

 その鍵とは「縄文海進」だった。
 「縄文海進」とは約一万年前に地球規模で生じた変化であり、海面の急上昇がその特徴だ。
 地球は直径が約12000kmあるのに対して表面の硬い部分である地殻は約30kmしかない。地殻の下は流動的で弾性のあるマグマだ。地球をリンゴにたとえると、ちょうどリンゴの大きさとその皮の厚さになる。地球とは巨大なゴム製で流体が入ったヨーヨーのようなものと考えればよい。
 地球それ自体が弾性体であるので、衝撃を受けたらその部分のみならず全体に変化が達する。すなわちヨーヨーの一部を指で押したら他の部分が膨れるし、指を離したら元体積のままの球体に戻ろうとすることは自明の理屈である。

 氷河期から山岳部に残っていた氷河が地球温暖化にともない徐々に溶けだすと氷河の内部に水がたまり始める。その貯留水の圧力で氷河の末端にあった氷のダムが破壊されると、数十から数百億トンの水が一挙に流れ出すことになる。
 巨大な氷河に溜まっていた水が短時間に流出したということは、いままで地殻に乗っていた氷河の重量がなくなるということだ。氷河による圧力がなくなるので地球は球体に戻ろうとする。すなわち氷河が乗っていた地殻が浮き上がることになる。その一方、その分高かった部分は地殻が沈み込むことになる。
 地球が生まれてから今までの時間スケールで見たら一個の氷河の消失は瞬間的な出来事だ。先ほど「ゴムヨーヨー」と表現したが、地殻自体は塑性体なので今までつながっていた硬い地殻に亀裂が生じて動くことになる。地殻が動くということは地震が起きたということと同意義だ。大地震が起きたら、震源地付近の氷河のダムはその振動で次々と決壊して氷河にたまっていた水が次々に流出する。

 氷河から流出した膨大な量の水はそれより低い土地に流れて行きついには海に達する。
 今までは浅い海だったり、海岸沿いの低地だった土地に水が被さればその部分の地殻に重量がかかったことになり、その部分は地殻が沈むことになる。
 地球規模で見ればその平均直径は変わっていないのだが、このように氷河からの水の流出により沈んでしまった陸地に住む人間たちからみれば「海面が上昇」したように見える。これを地質学では「縄文海進」あるいは「フランドル海進」と呼んでいる。これは約一万年前から数千年間に亘り発生した。この海面上昇は低地帯に住んでいた人たちを周辺の高地に押し上げる結果となった。
地中海の東西で人種が酷似していたりするのは、今の地中海の海底に住んでいたこれらの人たちの先祖が海面上昇で東西に逃げ出したことを示しているようだ。
 また、インドのラマヤナ物語によると、インドとセイロン島の間を陸路で行き来していたとのことですから、数千年前には海面が現在より数十メートル低かったのだろう。

 一方、縄文海進の前はアジア大陸とスマトラ島、マレー半島、ジャワ、バリ、ボルネオ島、フィリピン諸島、台湾、日本列島、朝鮮半島が地続きで、「スンダランド」と呼ばれていた。
 このスンダランドにはいろいろな人種が住んでいたし、何万年の間に混血や征服などもあったことだろう。歴史的に見ると、広大な低地帯に住んでいる人たちの方が農耕などで文化が比較的進みやすいことがいえる。

 東南アジアの地図を広げてみるとわかるように、巨大河川はミャンマーを流下するイラワジ川とタイからベトナムを貫通するメコン川である。
 イラワジ川は一時期インド洋に注いでいたのかもしれないが、マレー半島とスマトラの山岳部にはさまれたマラッカ海峡を南下して、今のジャワ海の中にあった陸地を貫通してウォーレス線東側の当時小さかった太平洋に注いでいた可能性もある。
 一方メコン川は、南シナ海で北上したらスールー海を経るか、南下したらイラワジ川とジャワ海の土地で合流して太平洋に注いでいたことだろう。

 ちょっとマラッカ海峡の東西を覗いてみよう。
 この海峡のどちら側にも同人種が住んでいて、この海峡横断は彼らにとってなんともないと思われているようだ。というのは、もともと海峡の部分にあった陸地に住んでいた人たちが、海面上昇によって東西に隔てられてしまったからで、海峡がまだ狭かった数千年前から小船で往復していたから、縄文海進で徐々に海峡が広がってもそれほど心理的負担はないと考えると納得できる。

 インドネシアにおける現在の人種構成をみると、スマトラの山岳部とカリマンタンの山岳部には色白の旧モンゴロイド人種が、スマトラ島東岸の低地帯とカリマンタン(ボルネオ)島南部にはマレー系が、ジャワ島はインドシナ系の人種が住んでいる。
 バリ島以東の諸島では、東に行けば行くほど肌の色が濃くなるとともに直毛の比率が下がる一方、胴体に対して脚が長い人種が増えていく。これはジャワのインドシナ系とポリネシア系が交じり合っていったものと考えられる。

 さて、ジャワ海にあった陸地で生活していた人たちは、海面上昇にともなって発生した大洪水で大量の死者を発生させ、怒涛のように押し寄せる海水の恐怖を十分に味わったことだろう。マレー系の人種がボルネオ島の現在の海岸部分にあたる部分を占拠していて文化的に進んでいたとともに軍事的に強くて進出できなかったか、ジャワ人は旧大河の南岸に住んでいたから北進できなかったのかもしれない。
 また、洪水が来襲してきた旧大河の上流方面に位置するスマトラ島の方角には心理的恐怖心があったとともに、下流側にあたる東方の低地帯に移住することは危険なのでしなかったのではないだろうか。それで南下することを選んだと思うのである。
 ジャワ海を南下したジャワ人は現在のジャワ島にたどり着きそこに住みついた。
 といってもそこまでの道のりは安易なものではなかったろう。地殻の大変動に伴う地震については述べたが、地殻変動に伴って火山の大噴火も生じたことだろう。火山が噴火すれば、山麓に棲息していた動物は遠くに逃げ出すことになる。すなわち北上することになる。草食動物が北上すればそれを捕食している肉食動物もともに北上する。と、南下してきたジャワ人たちと遭遇せざるを得ない。当時ジャワ島からスマトラの山脈に棲息していた危険な肉食動物はトラと狼であったろう。どちらも熱帯矮小化がすすんでいて他の地域の同種の動物に比べると小型ではあるが、現在もトラや狼は少数ながらジャワ島の過疎地域に生息している。
 南下したジャワ人たちが大被害にあったのはトラではなく狼であったのだろう。食害ならトラも狼も同列であるが、狼による被害が大きかったのは狂犬病による犠牲者が多かったのではないだろうか。
 ちなみに、ジャワ人以外のインドネシア人は犬を家畜として飼育しているのが普通であるし、犬に対するトラウマはない。
 しかし上記のような理由から、ジャワ人たちはいまでも狼の同種である犬に恐怖を抱いている。数千年前のトラウマを引きずっているという結論に至るのである。
 ジャワ島にもジャワ人より文化的に低い先住民がいたと思われるが、少数の先住民たちをジャワ島南部の山岳部に追いやり、自分たちは持ち込んだ文化と技術を用いて北部の低地帯の平地で農耕を行った。今でもジャワ島南岸地方には本来のジャワ文化とは異なる祭典などがある。これは先住民の文化が色濃く残っているからかもしれない。
 ジャワ島の南部はジョクジャカルタ付近を除いて山岳部が続き、インド洋に面する南岸は急激に深くなっていてその先にはオーストラリアまで陸地がない。これを発見したジャワ人の先祖たちは、「この先は茫漠とした大洋で、もう逃げてゆく土地がない。」と絶望し恐怖におののいたことだろう。この恐怖が先出のニャイロロキドゥルの原型ではないだろうか。

 また、ジャワ島において長期間農耕を行った結果、人口が急増するとともに文化が熟成されたので、対面を重んじるとともに他人と争いごとを起こすことを好まない民族性がうまれたものだろう。

 スンダランド南端の山岳部に先住民の一つとしてバリ人がいた。バリ人はジャワ島に開花したジャワ文化と相互に影響を与えるとともに、同盟を結んだのかジャワ人に支配されたのか分からないが強大な王朝をうち立てた。その時期にインドからヒンドゥー教が入ってきて、さらに固有文化を発展させた。
 その後、王朝が分裂の危機に際した際、技術的に進んだ中東からイスラムが入ってきた。避難民の子孫であるジャワ人たちはその歴史的経緯から進取の気性を持っていたのですぐにイスラムにとびついたが、先住民であったバリ人たちは保守的であったため、もともとのヒンドゥーを保持するため現在のバリ島とロンボク島に集結して現在に至っているようだ。インドネシアにおけるイスラムは僻地以外をすべて制覇したように見えるが、文化程度の高かったバリは例外となっている。これはバリ人の考え方がジャワ人などとは基本的にことなることを示している。

 インドネシア在住中にインドネシア各地から出身した十数人の前世を紀元前2000年まで調べてみたが、今では海になっている土地に住んでいたという印象がなかったので、縄文海進による地球的規模の民族大移動はそのまえに起きたものだと思われる。
 題名に沿った形で結論を述べると、こうなる。

 ジャワ人たちの祖先は現在のジャワ海にあった低地に住んでいたが、縄文海進による大洪水で大量の死者を発生させつつ、ジャワ海南部に位置する高地であるジャワ島に移動した。この洪水、急激な海面上昇、で大量の死者を発生させた恐怖と狼に襲われた恐怖が、ジャワ人のトラウマとなっていて、今でも海と犬を怖がっている。

 ということがスマトラ島の片隅で脳裏にうかんだのだった。

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2006-07-02 作成 中部ランポン県メトロ町にて 
2015-03-06 修正
 

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