嗚呼、インドネシア
16話 インドネシアのジョーク集

 お気づきのように、インドネシア人たちはよく笑います。これはストレス解消のためだと言いわけしていますが、これは「ウソ」です。というのは、ストレスがたまりそうな仕事をしている人にはこういうジョ−クを多発しゲラゲラ笑いころげるタイプは少なく、どう見てもストレスの少ない仕事をしている人や、ストレスが近寄りたくなくなるタイプの人によく笑う人が多いからです。

 足掛け約40年間のインドネシアでの仕事・生活の中で拾ったり作ったりした小噺の内、いくつか選んでお届けしようと思います。この中のいくつかを会社で披露されれば、あなたも、もう立派な国際人でユ−モアがあるとみんなから尊敬されることは確実です。


ただ、インドネシア人の性格を知っていないとそれほど面白くないかもしれませんが。

目次

-幸福の古新聞
十月十日(とつきとおか)
- ジャンボジェットのインドネシア人
- 脳味噌の値段

- 怒ったら負けよ
- 中国、日本、インドネシアの侍たち
- 世界最高級なインドネシア産品
- インドネシア人同士の軋轢
- 日本人の宗教は仕事だ
- マンゴーのお礼
- 霊界電話
- 神様だって泣いてしまう
- スハルトだって死ぬんだ
- スリとは言えどもがっかりさせることは悪いことなのだ
- 日本人とインドネシア人の子供のしつけ方
- コンバントリンのはなし
-終の棲家

 幸福の古新聞
 
バタック人とミナン人とジャワ人の若者がほぼ無一文で田舎を飛び出してジャカルタに出てきました。彼らは橋の下で夜露をしのいでいるうちに知り合いになったのでした。
とある日の夕方、一陣の風が飛ばした古新聞が顔に当ったバタック人の若者は、腹が立って古新聞をくちゃくちゃに丸めて捨てようとしたのですが、どうしたわけかその新聞を畳んで、どこかに消えていきました。
夜中になって件の若者がニコニコ顔で戻って来たので、仲間たちはその理由を尋ねたところ、この古新聞の上で賭け事をして儲けたとのことでした。バタック人の若者は「この古新聞は幸福を呼ぶものかもしれないから、お前たちにやるよ」と言ってそのまま出て行ってしまいました。
翌日、未明にミナン人の若者はその古新聞をもってどこかに消えていきました。この若者もバタック人と同じようにニコニコして夕方に戻ってきました。その理由をジャワ人の若者が尋ねると、市場のごみ捨て場に行って古くなった果物を拾い集めてここの古新聞の上に載せたところ、全品完売だった、と。この若者はバタック人と同じように「この古新聞を大事にしろよ。幸福を呼ぶから」と言って、出て行ってしまいました。
この古新聞を手にしたジャワ人の若者は「幸福を呼ぶ古新聞かぁ」と感心して、それを毛布代わりにして寝てしまったということです。「いい夢、みようね!」

 十月十日(とつきとうか)
 これは2000年頃にランポン州のローカル新聞に掲載されていた話です。真偽のほどは不明です。
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二人の青年がいました。彼らは歳が少し離れていたのですが実の兄と弟のように仲が良く、この日も兄貴分のオートバイに二人乗りして家からだいぶ離れた田舎に仕事に行ったのでした。
仕事が終わって黄昏がやってきて、オートバイで帰宅する途中、一転にわかにかき曇り、暗雲が立ち込めて前もよく見えないほどの土砂降りになってしまいました。
彼らは村はずれの一軒で、雨宿りをさせてほしいとそこの家の奥さんに頼んだのでした。
件の奥さんは「私は女やもめですし一人暮らしなので、男の人を家に入れると村人がうるさいので、玄関のベランダでならどうぞ」とのことでした。
お茶とお菓子を接待されて雨が止むのを待ちましたが、夜半になっても雨は激しく降り続いたので二人は帰宅するのを諦めて、ベランダに横になって休んだのでした。
翌朝、礼を言って二人は帰宅しました。

それから約10カ月後に兄貴分は弟分を呼び出して「雨宿りをさせてもらった奥さんの代理の弁護士が訪ねてきた」と。
弟分は真っ蒼になり「そ、そうですか」としか答えられませんでした。
「お前、あの晩、なんかしたのかい?」と。弟分は冷や汗をたらたらたらしながら「じ、実は…………」と。
「あの時俺の名前を使っただろう」と弟分を責め立てます。
「も、申し訳ない」と弟分は土下座して額を床に擦りつけました。
「そんなに謝ることはない!」。 
「えっ!」と弟分。
「実はな、あの女やもめは遺産の一部の相続人として俺を指定していたんだよ。ありがとうな。実に素晴らしい弟分だよな、お前は」

ジャンボジェットのインドネシア人
 太平洋上を飛んでいたジャンボジェットが火災を起こしました。この飛行機には日本人と、アメリカ人、そしてインドネシア人がほぼ三分の1づつ、満席で詰め込まれ、東京からロサンゼルスに向かう途中だったのです。4台のエンジンのうち三台まで火災が広がり、残りの一台のエンジンでかろうじて飛んでいたのです。この飛行機は計器の故障から通常の航行コ−スを外れており、近くには一隻の船も見あたらなかっただけではなく、下界の太平洋は強力な低気圧で数メ−トルの高い波が立っていました。

 窓の外を見ていた日本人がこの火災に気付き、回りの日本人乗客も騒ぎ始めました。このままでは全員墜落死だと「パラシュ−トを出せ。われわれは飛び降りる」と口々にスチュワ−デスに要求したのです。もちろん、ジェット旅客機にはパラシュ−トなど積んでいるはずがありません。第一、パラシュ−トがあったとしても高速で飛んでいるジェット機から飛び降りるなんてとうてい不可能です。日本人乗客の声はだんだん怒号に近くなってきましたが、積んでいないパラシュ−トを乗客に渡せるはずはありません。どうしてくれるんだと乗客達はパ−サ−に詰め寄っていました。

 日本人たちの声がだんだん大きくなっていく中で、アメリカ人乗客も騒ぎだし、事情説明のため客室にきていた機長に「非常着水せよ」と要求しましたが、「おりからの低気圧で下界は嵐の中。着水すれば機体はバラバラになってしまうし、計器の故障で船舶の大圏コ−スから外れているので救助の見込みがまったくない」との説明がありました。でも、諦めきれないアメリカ人の一部はまだ非常着水にこだわっています。さきほどの日本人がこれに加わり、機内は騒然としてきましたが、火災を起こしたまま飛行機は飛び続けています。
日本人もアメリカ人も怒号の応酬をしている丁度さなか、やおらインドネシア人の偉そうな人が立ち上がって、乗客みんなに向かって大声で叫びました。「ムシャワラで決めよう」と。

脳味噌の値段
 外人がインドネシア人の友人をつかまえて尋ねました。「どこの国民の脳味噌が世界中で値段が一番高いか知っている?」

 余りに突拍子もない質問にインドネシア人はしばらく考えた末、にこにこしながら「ウ−ム、降参。分からない。それはいったいどこの国民だい?」と尋ね返しました。その外人は「明日まで考えておいで」と真顔で言って、二人は分かれたのです。

 さて、翌日、くだんのインドネシア人は外人に「一晩寝ずに考えたけど、分からなかった。脳味噌の値段の一番高い国民はどこの人達だい?」と尋ねました。この外人は悲しそうな顔をして「それはインドネシア人だよ」と答えたのです。怠け者だとか気が利かないとか外人がいつも馬鹿にしているインドネシア人の脳味噌の値段が世界中で一番高いのかと不思議に思ったインドネシア人は外人にその理由を聞きました。外人は「明日まで考えておいで」と今度はニヤニヤしながら言ったのです。

 その翌日、「なぜインドネシア人の脳味噌の値段が世界中で一番高いの?」と外人に尋ねたインドネシア人はその答を聞いて唖然としました。

 それは、「まだ使ったことがないから」というものだったからです。

怒ったら、負けよ
 ベルギ−人が自分の会社のインドネシアの工場に新しく導入した紡織機の据え付け調整と技術指導に来ていました。新しい機械は最新鋭で、今までのものに比べると格段に速く、さらに材料の糸が切れたりもつれたりした場合には自動的に停止する安全装置がついていました。

 インドネシア人の操作員に彼は一通りの説明を行いました。「僕の説明が分かりましたか?」と尋ねられた操作員は大きく首を縦に振り、十分理解したと身ぶりで答えました。

 「じゃあ、僕の前でやってごらん」といわれた操作員は機械を始動しました。その新鋭機は最初は順調に動いていたのですが、ボビンの中の材料の糸が切れているところで自動的に停止しました。「ほら、止まった。こうして機械が止まったら、続きの糸をこことここに掛けてスタ−トボタンを押せば、すぐ動くでしょ」と言いつつ自分で糸を掛けて機械を動かしました。「分かった?」と言われた操作員は同じように大きく首を縦に振りました。この指導員はほかにも仕事がたくさんあったので、これだけでその場を離れていきました。

 翌日、工場に出向いたこの指導員は、新鋭機がまた止まっているのを見て、同じように糸を機械に掛けてスイッチを押し、「分かった」と尋ねました。操作員は同じように首をコクンと振りました。その翌日もまた、この機械が止まっていて、「分かった」、コクンの繰り返しでした。 

 これが一週間も続くと、さすがに気が長くて親切なベルギ−人も頭にきて、ホテルでの夕食中に仲間に当たり散らしました。「インドネシア人は猿と同じだ。考える頭が全然ない馬鹿ばかりだ」と。
 すかさず、仲間の一人が「インドネシア人の面前で、馬鹿だとかなんだとか絶対にののしってはいけないよ」と忠告しました。これを聞いたこの指導員は頭からポッポと湯気を出して「なんだお前、長いことインドネシアにいるくせに、この俺の怒りが分からないのか。それともお前もインドネシア化しちゃったのか」とかみつきました。これを無視して、忠告は次のように続きました。 

「もしわれわれがののしったりして、インドネシア人が本当に何でもわれわれみたいにできるようになったら困るのは君自身なんだ。君と僕らの子供達が将来もインドネシアで稼げるためにも、われわれはインドネシア人達をののしらないように十分注意しなくちゃいけないんだ」と。


中国、日本、インドネシアの侍たちは
 その昔、中国人と日本人とインドネシア人の侍がテ−ブルを囲んで食事をしていました。うるさくまとわりつく蝿が8匹、ぶんぶんと飛び回り落ちついて食事もできません。

 そこで、「飛んでいる蝿を落とすことのできる剣の達人はこの三人のうち誰だろう」との話が持ち上がりました。三人とも母国では武術の道で音に聞こえた達人です。

 まず、中国人が立ち上がり、やおら「ハッチョ−」というかけ声とともに青龍刀を振り回し、四匹を切り捨てました。「どうだ、わしの技量が分かったか」と髭面の武士は二人を睨みつけながらドンと椅子に腰掛けたのです。「なにをこしゃくな」とばかり、負けず嫌いの日本の侍は椅子から立ち上がりもせず、居合い抜きを披露して、目にも止まらぬ速さで三匹を落としたのです。中国と日本の侍は「フン、どうだ」とばかりインドネシアの侍を見下しました。この冷笑に微笑みを返したインドネシアの侍は、クリスを抜き出すと空中で一振りし、そのまま椅子に腰掛けたのです。

 蝿は前にも増してぶんぶんとうるさく飛び回っています。中国と日本の侍は顔を合わせて、インドネシアの侍に「だめだなぁ。インドネシア人は。蝿一匹落とせないんだから」と声をそろえて言ったのです。すると、インドネシアの侍は飛んでいる蝿を指さしてにこにこしながら「あいつにちょっと割礼をしてやっただけなんだよ」と答えたのでした。

世界最高級なインドネシア産品
 日曜日に買い物に日本人が出たときに、同行したインドネシア人の同僚がショ−ウィンドウの中をのぞき込んで、「日本製は何でも良いものばかりだけど、インドネシア製は何でも品質が良くない。わが国の製品はどうしてこんなに質が悪いのだろう」とため息混じりにつぶやきました。

 この日本人は心優しい人だったので親友のこのインドネシア人を慰めました。「インドネシアの純国産品で世界一流の質の良いものがあるんだ。元気を出せよ」と。

 その親友は「えっ、」と驚き「それは一体なんだい?」と尋ねた………、その答は「インドネシア人」だったのです。

インドネシア人同士の軋轢
 バタック人とジャワ人が、お互いの部族の悪口をたたき始めました。まず、ジャワ人が口火を切り、「バタック人は怠け者ばかりで国家の建設には全く役に立たない。バタック人が一人でいる時はギタ−を抱えて歌ってばかり、二人いればすぐにチェスだ。沢山いたら仲間うちで喧嘩ばかりしている。どうしようもない部族だバタック人は」と言ったのです。

 これを受けたバタック人が切り返しました。「ジャワ人が一人だと、ミンタ・ミンタばかりだ。二人いたらおしゃべりばかりで手が進まない。そっちこそ国家の建設に役に立っていないじゃないか」と、ここでバタック人は話を止めました。

先を聞きたいジャワ人は「じゃあ、ジャワ人が沢山いたらどうなるんだい」と聞きました。 

 その答は一言「トランス・イミグラシ」。


日本人の宗教は仕事だ
 とあるインドネシア人が日本人の友人に言いました。「インドネシア人は人生のほとんどを仕事ではなく宗教に捧げて、われわれの行動は宗教にきつく縛られている。われわれを回教徒と呼ぶのなら、日本人は『仕事教徒』だね。会社の仕事に縛られどおしで、自分の生活がないじゃないか。(Orang Japang Agamanya Kerja)」と。

 いつもからかっているインドネシア人からこう言われて、二の句がつげなくなりました。そういえば、ロッキ−ド事件の時に「会社は永遠です」と言って自殺した商社員もいましたよね。

このわらい話を事務所の喫煙室でしていたところ、インドネシア人の人の同僚がニヤニヤしながら「お前、仕事教徒の日本人なのにここでたばこを吸って遊んでいるとは何事だ」とからかってきました。
この同僚は常々「人生で最も大切なのは感情のコントロールである」と言っていたのを思い出して、こう反論したのです。
「ここでたばこを吸っているのは我々日本人が持っている働きたいという感情をコントロールする訓練なのだ。ここに来ない日本人は、俺とは異なり感情をコントロールする段階まで達していないのである」と。

これを横で聞いていた別な同僚たちは全員大爆笑でした。

マンゴーのお礼
 ひと昔前の話。

 カンポン(集落)を通りがかった町の人が、マンゴ−が枝もたわわにおいしそうに熟しているのを見つけました。マンゴ−の木の下でちょうど遊んでいた男の子に頼んでマンゴーの実を取ってもらいました。
 この男の子はパンツをはいていなかったので、枝から枝へわたる時に、下から丸見えでした。
 ふびんに思った町の人は「これでパンツを買ってもらいなさい」とRp50を男の子に渡しました。

 この子はとても良い子だったので、お金をもらった一部始終をその晩に母親に話したのです。

 そこで一計を案じたこの母親は、翌日の朝からマンゴ−の木の下で町の人が通りかかるのを待っていました。すると思い通りに町の人が通りかかって、マンゴ−を取ってくれないかと頼むではありませんか。
待ってましたとばかり、母親は木に登りいくつかの実をその人に渡しました。
またしても、昨日と同じように「おかみさん。下から見えちゃいますから、ちゃんとしておかなくちゃだめですよ」と今度はRp100をその母親に渡しました。

 母親はこのRp100を持って村の雑貨屋に行き、町の人に言われたように「ちゃんとする」ために買ったものは、「カミソリ」だったのでした。

霊界電話
アメリカはエレクトロニクスでは世界一進んでいる国なのはご承知のことと思います。

 スハルト大統領が在任中にアメリカに行ってクリントン大統領と話していた時に、クリントンが

 「奥様が亡くなられてさぞかし寂しいことでしょうね。たまには亡くなられた奥様とお話が出来たら良いんではないかと思って、ここに我が国の最新技術を結集した電話を用意しました。この電話はこの世界だけではなくあの世とも通信できるんです」と、電話機を手渡したのです。

 スハルト大統領が見ると、「天国」と「地獄」というボタンが付いていましたので、「天国」の方のボタンを押しました。つー、つーという呼び出し音がした後、電話担当の天使が出てきました。この天使に「ワシはインドネシアのスハルト大統領だが、つい最近亡くなった妻を呼び出してくれないか」と頼んだのです。「少々お待ちください、今コンピューターで奥様の内線番号を調べますから」と数秒待たされた後「申し訳ございません。奥様はこちらには登録されていらっしゃらないようです」との答えがありました。

 「ううっ、ティンは地獄なのか」とスハルト大統領が「地獄」の方のボタンを押すと、電話担当の悪魔が出てきました。そして、すぐにティン夫人に繋いでくれたのです。久しぶりのティン夫人との会話で話が弾み、制限時間の10分はすぐに終わってしまいました。

 名残惜しそうにしていると、クリントン大統領が「よろしかったらお持ち帰りになれば?」と勧めてくれたので、その電話機を貰って帰国しました。

 さすがアメリカ、電話の直後に電話代の請求がありました。代金は$5,000だったのです。スハルト大統領はお金持ちなので、その場で現金で払ってしまいました。

 インドネシアに戻った大統領は早速子供たちを大統領官邸に集めて、この電話を使ってティン夫人と子供たちに制限時間の10分ぎりぎりまで話をさせたのです。子供たちはアメリカのこの技術力にびっくりしながらも亡き母との会話を楽しんだのです。この日は夜遅かったので、翌朝さっそく電話代の請求書が届きました。その請求はルピアでしたが、換算してみるとたったの$1,000だったんです。

 びっくりしたスハルト大統領は、ホットラインでクリントン大統領に尋ねました。「アメリカで霊界電話をかけた時は$5,000だったけど、インドネシアで同じ時間かけてもたったの$1,000でしたよ。我が国の公共料金は安く押さえているのだけど、一体どうしてこんなに差が出たのでしょうねぇ」

 クリントン大統領は悲しそうに答えました。「アメリカはおかけになった地獄から遠いから電話代もかさむのですよ。でもインドネシアは..........」とホットラインが切れてしまいました。

神様だって泣いてしまう
 フィリピンの大統領、フィデルラモスが神様に面会してこう尋ねた。「神様、わたしはもう五年間フィリピンを統治してきたのですが、今後どのくらいたったら国民たちは幸せになれるのでしょうか?」
 「三十年後だね」と神様はおっしゃった。
 ラモスはそれを聞いて号泣した。

 次に、ラナリットをクーデターでひっくり返したカンボジアのフンセン首相が神様に面会して、お願いした。
 「神様、わたしはまだ一年しかカンボジアを統治していませんが、今後どのくらいたったら国民たちは幸せになれるのでしょうか?」
 「五十年後だね」と神様はおっしゃった。
 フンセンはそれを聞いて号泣した。

 そのあと、スハルトが神様に面会してこう尋ねた。「神様、わたしはもう三十年間インドネシアを統治してきました。今後どのくらいたったら我が国民たち一人一人が本当に幸せになることができ、パンチャシラに基づいて公平で繁栄した国民生活を送れるようになれるのでしょうか?」
神様は何もおっしゃることができず、ただ泣き崩れただけであった。

スハルトだって死ぬんだ
 スハルトだって生身の人間だからいずれ死ぬことになる。

 彼の霊は煉獄にとんでいくことになる。煉獄では、スハルトの霊が飛んできたのを見た大天使ガブリエルはその霊を迎えいれ、スハルトと腕を組んでそのまま地獄へ連れて行った。
 これに気づいたスハルトは激しく抗議した。なんで、大天使がワシの霊を直ちに地獄に連れて行くことができるのか。生前は善行を沢山したではないか。特筆すべきはインドネシア国家と民族に対してだ、と。
 「大天使、あなたは間違えている。天国に連れて行くのが本当だ」とスハルト。
 大天使はこう答えた。「それはできません。あなたが生きていた間、私があなたを見守ってきたのです。また、あなたご自身が国民にたいそう悪口を叩かれていたような悪業を私はすべて見ていたのです。あなたが善行と呼んでいるものはただのカムフラージュだけでした。モスク建設のための寄付などは、汚職で得た汚れたお金から出されたものでした。ハッジに行った資金でさえ、あなたが操作して儲けたたものだったのですから」

 スハルトの霊と大天使は自分の意見を曲げず、口角泡を飛ばして口論をしているうちに、彼らは地獄の扉の前まで来てしまった。地獄の門番のイブリース(悪魔)が彼らを止めて、「こいつは誰だ」と大天使に尋ねた。
 「ハッジ・モハマッド・スハルトだ」と大天使は答えた。
 「ちょっと待て!」と、イブリースは大きな分厚い一冊の地獄の住民台帳をチェックしながら言った。 悪魔が顔を上げるまではそれほど長いことはなかった。そして「ハッジ・モハマッド・スハルトという名前は地獄の住民台帳には見当たらない」と言ったのだった。
 「イェーイ」 スハルトは喜んで大天使をからかうように舌を出したあと、こう叫んだ。「これを聞いたか。すぐに天国にワシを連れて行け」

 「ちょっと待て!」 と、イブリースは手を上げて、「あなたの名前がこの記録にないのは、これは大衆用の地獄の住民台帳だったからだ。うーーーん、あったぞ、あったぞ。あんたの名前がここに」と、イブリースはとても豪華にみえる台帳の一ページをスハルトと大天使に指し示しながら言った。
 スハルトが覗いてみると、その本にはハッジ・モハマッド・スハルトという名前があり、それには「第一番」という印がついていた。

 その台帳の上の方には大きな文字で「地獄住民の王者の名前一覧表」と書いてあった。

スリとはいえども他人をがっかりさせることは悪いことなのだ
 地方に出張するたびに一緒に働いていた友人が久しぶりにジャカルタに出てきました。この人はいつもお金がなくてピーピーしていたのです。
 たまにジャカルタに来たのだからたまにはグロドックに行ってみようと案内しました。

 ジャカルタのグロドックといえば電化製品や小型機械の店がひしめき合っている場所です。もちろんこの場所はスリや置き引きで全国的に有名な場所なんです。

 グロドックに着いたのはお昼前で、小腹がすいたので近くの屋台街へとしけこんで、地方の友人はサテ、僕はソトアヤムを注文しました。僕が先に食べ終えたので、友人の分まで一緒に払って外でタバコをすっているとその友人が口をもぐもぐさせながら出てきました。
 「おい、オレの分はいくらだった。払うよ」と。
 「ちょっと待てよ。こんなところで財布を開けるんじゃないよ。スリががっかりするじゃないか」

 一瞬考えた友人は烈火のごとく怒りました。


日本人とインドネシア人の子供のしつけ方
 とある日、バンダルランプン市の事務所で仕事をしていると事務所のインドネシア人マネージャーが憤然としてやってきて、
 「聞いてくださいよ、なんてうちのインドネシア人スタッフは間抜けでバカなんだろうか。ちょっとくらい気をきかせりゃこんなことにならなかったのに。でもあなた方日本人は頭が良いからこういったバカげた失敗をしないんだ。なんでこんなに差がついてしまったのだろうか、教えてくださいよ」と。

 彼は相当に頭に来ていたようだったので、この優しい日本人は慰めてあげました。
 「それはね、幼児期の躾のやり方の違いによるものなんだよ。日本人は悪いことをするとビンタを食らわすのを知っているだろうね」
 「あ、ところで、コーヒー粉を瓶に詰める時に瓶の底をトントンと叩くと粉が締まってたくさん入るようになるだろ。だからビンタをくらわすことで刺激が脳に伝わってギュッとしまってpintarになるんだ」
 
 ここまで聞いたこのマネージャーは、さっきまでの激怒はどこへやら。この話がジョークであることを悟ってニヤニヤしながら「じゃあ、インドネシア人はどうなの?」と
 この賢い日本人は真顔で
 「インドネシア人は躾けるためにお尻を叩くから、その刺激が下腹部に伝わってpandaiになるんだ」と。

 どうしてもチャチャを入れたいマネージャーは「その証拠はどこにあるの?」と。
 洞察力の深いこの日本人は一言。
 "Anak Banyak"

コンバントリン
 ファイザー社製のコンバントリンという名の駆虫剤は世界的に有名でインドネシアではどこの薬局でも買うことができます。日本での健康診断で寄生虫がいると言われて東京のあちこちの薬局でこのコンバントリンを探したのですがみつかりません。
 薬局の薬剤師さんの話では「昔学校で習ったことがあるけど実物は見たことがない」とのことでした。
 いまでもコンバントリンがどこでも買えるインドネシアでの話です。

 2005年のとある日、インドネシア・ランプン州の田舎にあった事務所の昼休み。女子社員たちが雑談をしていたときにコンバントリンの話を持ち出してみました。
 十数人いたうちの半分は「それ何?知らないわ」と。残りの半分は「ああ、三カ月に一回は飲んでましたわ」と。
 飲んだグループが飲んでないグループに「きったないわねえ、寄生虫は定期的に駆除しなくちゃならないのよ」と。
 これに対してすかさず、飲んでいないグループは相手を見下して「あんたら、寄生虫がいる環境で育ったの。きったないわねえ」と。
 どちらが「きったない」のか私には判定が付けられませんでした。
で、そのままスーッとこの議論から逃げてトイレに行ってしまいました。

終の棲家
 一人のキアイが亡くなって、無事天国の入り口までやってくることができました。
天国の入り口の門番の天使に住所と氏名を告げると、キアイがこれから住む家を指し示しました。それは何の特徴もないごくごく普通の住宅でした。中に入ってみると家具調度も粗末なものばかり。神様は自分が宗教指導者としてやってきたこの人生を評価してくれなかったのだろうかと一抹の不安に暮れていました。

数日後、ちょっとがさつでしたがとても元気のよい声の大きな中年の男性が天国の入り口にやってきました。門番の天使はこの人に素晴らしい家を与えました。
これを見ていたキアイは門番のところに行ってこの男性の生前の仕事はなんであったかと尋ねると、ミトロミニの運転手であったとのことだったのです。
生前の業績によって死後に住む家の等級が決まるとは聞いていましたが、この天使の評価にキアイはどうしても納得できませんでした。そこで、
「あの男は単にメトロミニの運転手だったが私は宗教指導者として大衆の指導を行ってきた。どう考えてもあの男より安っぽい家を割り当てたあなたがた天使の判断には納得できない」と。
天使はそっけない素振りでその理由を説明してくれたのです。
「あなたは確かに大衆の指導をしていた。特に金曜礼拝のフトバォでは多数の信者たちを眠りに誘い、アッラーのことを意識から外した」確かにそういう事実はありましたがキアイは納得しません。
「じゃあ、メトロミニの運転手はどうなんだ」と反論しました。
天使いわく、
「あの男性は生前、運転がとても乱暴だったので乗客は口々に『アッラー、アッラー』と唱えていたんです。すなわち、乗客たちがアッラーを認識するように彼は常に努力していたから評価が高くなったのです」と。

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2006-04-01 作成
2015-03-06 更新
2015-05-10 更新
2021-07-13 追加

2021-08-27 追加
2021-09-08 訂正
2022-10-08 追加

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