インドネシア不思議発見
36話 土地神話と住宅の「遠・高・狭」

 日本ではバブルの崩壊とともに、土地神話が崩れてしまいまいたが、ここジャカルタ近郊では、ジャカルタ圏の人口の急激な増加と、所得の拡大に伴って、大きな土地需要が生まれています。

 ジャカルタ南部の友人宅の近所に1984年に小さな家の売り物が出ていました。その時には約6,000万ルピア(当時の換算率では約600万円)でした。この同じ物件が1997年に再度売り出された時には、なんと6億ルピア(約3,000万円)にまで上昇していました。このような物件はジャカルタだけかと思っていたら、ジャカルタから約100km離れた、重化学工業が発展しつつある西ジャワ州のチレゴン近郊でも同じように地価が急激に上昇していると、この町でデベロッパーをしている友人から聞きました。

 新規分譲地の地価は、インドネシア人の性格をそのまま反映しているように、住宅が建ちはじめると急激に上昇するようです。まだ整地もされていない1995年の新規分譲時には一平方メートルあたり3万ルピアだったものが、盛土と整地をした後には4万ルピア、区画整理をして側溝や電気などの設備が整い住宅が建ちはじめると、少なくとも7万ルピアにまで上昇しそうな傾向です。三年間で2.3倍の上昇率ですから、年利になおすと約33%に相当します。ここ三年間は円・ルピアの換算率余り変化していないので、このまま利率が儲けになるわけです。住宅が建ちはじめたとたんに地価が上昇するのは、建っている住宅の質を見て、それが良ければ買い手がたくさんつくためだときいています。

 賢くて少し資金的に余裕のある人たちは、分割払いにしたりして、土地を買いあさっています。土地を数区画買って値上がりを待ち、そのうちのいくつかを売って住宅の建築費に替えます。この新しい住宅は、賃貸にまわすのです。普通、住宅の賃貸契約は二年間が最短期間です。これは、先の経済状態が読みきれないので、家賃を高く設定すると借り手がつかないし、安くすると家賃収入が減ってしまうので、その時の需給状態を眺めながら家賃を決めるためのようです。

  上物だけの建築費は一平方メートル最低約30万ルピアですから、130平方メールの建坪では4,000万ルピアになります。インドネシアでは日本と同じく新規分譲地については、敷地は建坪の三倍とらないと建築許可が下りない規則になっています。ジャカルタ郊外の比較的やすい場所でも土地値が30万ルピアを下回るところは余りありません。仮にこの単価を使って、建設費を試算してみます。
アイテム 単価(Rp/m2) 数量(m2) 価格(Rp)
土 地 400,000 210 84,000,000
上 物 700,000 70 49,000,000
合 計 133,000,000
  色々な物件を見ていると家賃は土地値を含めた建設費の約十分の一を一年間の家賃としているようです。よって、試算した住宅の家賃は133百万ルピアの1/10で年間1300万ルピア、毎月約$160に相当します。この計算方法を使って逆算すると、普通の日本人が住んでいる毎月の家賃が$1500の借家の建設費は、約18億ルピアになります。でも、もちろん、住宅の需給状態や周囲環境、建物の程度によって建設費と家賃の比率の上下はあります。でも大体の目安としてこの数字は使えるはずです。

 二年間の家賃は、その住宅の総建設費の五分の一に相当しますから、借家が契約できた場合には建設費の約五分の一分が戻ってくることになります。これは上屋の建築費に相当しますので、土地さえ確保してあれば、二年間の賃貸料だけでもう一軒借家が建つ勘定になります。土地さえあればどんどん財産が増えていくような社会システムになっています。  

 ジャカルタとその近郊では、人口の自然増より人口流入による社会増が顕著になっているようです。それは、ジャカルタを取り巻く西ジャワ州とバンテン州の子供たちの進学率をみれば一目瞭然です。同じ西ジャワ州でもJabotabek (Jakarta - Bogor - Tangerang - Bekasiの略=日本でいえば「東京圏」)地域では中学や高校への進学率がその他の地域より桁違いに多いのです。またJabotabek地域でも、Kotamadyaと呼ばれる都市部の進学率がKabupatenと呼ばれるその他の地域よりグンと抜きんでています。ジャカルタで働いていて、借家に住んでいた人たちが、子供たちが大きくなるにつれ広い住宅の作れる地価の安い西ジャワ州やバンテン州のJabotabek地域に移転して来ていることがこれらから言えます。

 ジャカルタ郊外の分譲地以外の土地でも、1997年の通貨危機以来地価が高騰しています。一般庶民にとっては持ち家は「高嶺の花」です。地価が上昇するにしたがって、住宅地がジャカルタからどんどん郊外に向かっています。ですから、インドネシア人スタッフの中には片道二時間かけて通勤してきている人たちも出てきています。日本とは異なり、自家用車を持っていない限りは一般のバスを使うことになるのですが、これは超満員の上に窓は閉まらないといったバスが多いので、事務所についたらクタクタ状態になってしまいます。勤務時間後も、もたもたしていると道路がどんどん混んできますから、帰宅するのも大変です。通勤用の自家用車を持っている人は冷房の効いた車内にいることだけが、バス利用客よりも恵まれていますが、道路の混雑は同じです。ちなみに、ジャカルタ南部の有名な住宅地のチネレ(Cinere)から官庁などの多いクバヨランバル(Kebayran Baru)までの約12kmの所用時間を見てみますと、朝六時台前半だと約40分ですが、後半になると一時間、七時台では一時間半かかってしまいます。いくらインドネシアの人たちが早起きだといっても、毎朝夜明け前に出るのも大変ですし、めちゃくちゃ揺れる立ち詰めのバスで通勤し、同じく立ち詰めで帰宅するのはもっと大変です。
 また鉄道が通っている地域では道路の混雑はそれほど通勤時間に関係しませんが、電車の混みようは尋常ではありません。電車自体は決してぼろではないのですが、汚いこと汚いこと。なにしろ吊革はないし扉も閉まらないのです。車内アナウンスもありませんから、初めて乗る人はよくよく注意していないと乗り越してしまいます。インドネシアの電車にも日本の電車のような広い乗降口がついています。でもその扉は走っている時も開けっ放しで、ラッシュ時には乗客が乗降口からはみ出すように乗っています。もちろん車内には冷房はありませんからひどい暑さです。思わず昭和40年代後半の山の手線の朝晩のラッシュを思い出していまいました。こんなひどい混雑の電車だけでは大変なので、お金持ち用に冷房がついたグリーン車だけの快速列車も走っています。

  第三話に書いたように、ダンナがちょっとでも遅く帰ると、外で浮気でもしているのじゃないかとおかみさんたちは疑いますので、仕事でへトヘトになったダンナは、自分の身体にむちをうって、この大混雑の中を帰宅しなければならないのです。ああ、かわいそう。ここでも日本と同じく「おとーさんの悲話」が生まれています。でも日本と違うのは、仕事上でお酒を飲む機会がほとんどないことと、ほとんどの住宅地域では100m歩けば必ず交通機関がある点です。これ以上の距離はまず徒歩では移動しません。日本人なら「歩いた方が早い」とバスを待つより歩きますが、インドネシア人は歩くのを嫌います。「貧乏人の象徴」のように嫌悪している、と思えてなりません。 

 ジャカルタ郊外にもともと住んでいて土地を持っている人たちは、ブタウィ族という人たちで、ジャワ島に住んでいるジャワ人やスンダ人とは異なった生活風習を持っています。ブタウィの人たちは、額に汗して働かないで、もっぱら他人から金を絞り上げることをモットーにしていて、怠け者で仕事はしないが、イスらムの読経は上手というのが定評になっています。これは新来のジャワ人などが言っていることですから、話半分として聞いておいてください。もともと働くのが嫌いな人たちですから、子供たちの教育費や結婚資金の捻出のため先祖伝来の土地を少しづつ手放してきました。また、才覚のある人たちは土地を売った代金で、残りの土地に借家を建ててその家賃で生活をしています。大都市がスプロールしてきたために郊外でも借家の需要がかなりあります。ワンルームマンション程度の広さの小さいものでも、家賃は毎月10〜15万ルピアもしますから、10戸分建てれば毎月相当な収入になります。小学生が2人いる標準家庭の最低生活費は70万ルピアですから、かなり楽な生活ができるようです。
 先祖伝来の土地を手放してしまったブタウィの人たちは、土地値の安い郊外へとどんどん移動していっているようです。 

 インドネシアでも「建前式」をしますが、インドネシアでは家屋の構造がブロック工法であるのに対して、日本の木造骨組み構造と異なるので、建前をやる時期も違います。ジャワ人たちは、壁や柱が立ち上がる基礎を埋め込む穴を掘った時に建前式をやり、近所の人たちや親戚縁者などを招くそうです。すると、招待された側で基礎穴の大きさについてああでもないこうでもないとコメントを飛ばし合い、穴が余り小さければ切り広げて大きな安定した基礎にするようなシステムができあがっているとのことです。「ところ変われば品変わる」で色々な生活の智恵がありますね。

このページは土地値とルピアの平価切下げで数回修正した。このページの記事は2002年現在のものである。

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2002-07-25修正 バトゥティギにて  
2015-03-xx 修正
 

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