インドネシア不思議発見
31話 インドネシア人の仕草

 アメリカ人ほどではありませんが、インドネシア人も日本人よりももっと頻繁に身ぶり手振りを使って話します。今回は身ぶり手ぶりについてお話しましょう。
 鼻を指さすのは日本では自分の意味ですが、これは日本独特のボディ-ランゲ-ジのようです。インドネシアで自分の鼻を指さす時は「自分の鼻」を意味する時だけです。自分自身を表したい時には右手の親指で自分の胸の中央を指します。

 アッカンベ−は日本では「ざまみろ」ですが、ジャワでは恥ずかしい気持ちでいっぱいという意味になります。バリのバロンも舌を出していますが、これはどちらの意味でもなく、相手を威嚇する意味だと言うことです。

 数を数える時にはどういう訳だか小指から折っていきます。よく見ていると、ジャワ人はジャワ語で、スンダ人はスンダ語で数え、華人は中国語でぶつぶつ言いながら数えていることが多いようです。普通の会話は全員インドネシア語なのですが、数える時だけは部族語を使っている人が多いということは、インドネシア語が完全に母国語になっていないと言う事を指し示しているようです。ちなみに、インド人は指の関節を使って片手だけで二十まで数えます。「華人」とは中国系で居住国の国籍を取得した人で、「華僑」とは中国籍のまま人達です。この場合「〜系」とは父系を指します。また、Imigrasiの役所のお客のほとんどは実はこの華僑なのです。実際にこの役所へ行って掲示板を見ると華僑に関する規則がいっぱい書いてあるのに気づくでしょう。

 人の前を通る時には、ズボンやスカ−トの前を手で押さえるようにします。これはサロン(sarung=腰巻)の裾でテ−ブルの上のものを引っかけないようにしたりするためか、あるいは腰巻きに付いた臭いをまき散らさないようにしているようにも見えます。ちょうど時代劇の中の日本人がする仕草のようです。また、少しかがみがちになって人の前を通り抜けます。日本に来たインドネシア人が驚くのは日本人のこの仕草のようです。
 座っている人を無視して堂々とその前を横切ることは非常に嫌われます。どこの国でも無神経な人は嫌われものになるということです。

 良かったという時には、右手の握り拳から親指を上に向けて相手にみせます。カルカッタでこのサインを出すと嫌がられます。このサインを「バナナ野郎=グニャチン野郎」と解釈しますから。

 人を案内する時には、ジャワ人もスンダ人も右手で握り拳をつくって親指で方向を示します。人差し指で指すのは失礼です。特に人を指さすのはとても嫌われます。

 挨拶する時の仕草は、インドネシアの諸部族と宗教によって異なります。
 タイ人のように両手の平を胸の前で合わせて親指の先を自分の鼻先にくっつけて中指で相手の中指と触れ合うのはスンダ人です。これは相手との上下関係を問わず行います。
 ジャワ人は目上の人に敬意を表する時だけ両手の平を合わせ指を反らして隙間をあけますが、自分の鼻にはくっつけません。目下の人とは右手を出し握手をするなり、相手の両手の平の隙間に右手先を突っ込むだけです。

 また、インドネシアの一般的な挨拶はは握手であり、shake hand(握った手を振る)ことはしません。ただじっと握りしめるので、日常の挨拶が長いとこちらの手の平までじっとりと湿ってきて気持ち悪いものです。特に中年男性の場合。この風習を使って、若い女性の手をじっと握りしめるオジサンがいますが、彼女達には「きもちわるぅ〜」といわれて嫌われています。こういう男はネチネチしたネクラに多いのが特徴といえます。

 インドネシア語の会話集には「おはよう、こんにちわ、こんばんわ」をSelamat Pagi, Selamat Siang, Selamat Sore, Selamat Malamとあります。でも、どうやってSelamat Soreを日本語に訳すのでしょう。悩んでいます。この挨拶の境は余りはっきりしていないようです。PagiとSiangの境目は、午前中に小腹がすいてきた時のようで、目途は大体十時頃です。SiangとSoreの境目は午後三時過ぎのAsharのお祈りのようです。また同様にSoreとMalam、MalamとPagiとの境目はそれぞれ日没後のMagribと日の出前のSubuhのお祈りのようです。太陽が南中した時のお祈りはDhuhurですがDuburは肛門ですから間違えないように。
 ちなみに、AsharとMagribの間は昼寝をしている人が多いので、訪問は避けるべきです。二十年ほど前にはジャカルタでも昼の一時からMagribまでは閉めている商店が多かったのを記憶しています。今はぶっとうしで夜まで店を開けているところを見ると、せちがらくなったのでしょう。
 挨拶にも、宗教色が表れていて特に気になるのがイスらム教徒達のものです。
 人を家や会社を訪ねる時には「ごめんください」の代わりに「アッサら−ムアらイコム」(あなたに平安を)といいます。この返答は「アらイコムサら−ム」です。日本人のように「どちら様ですか」などと不躾に直接尋ねません。日本人と同様に初対面の相手に直接名前を尋ねるのはとても失礼なので、ほかの人に名前を小声で尋ねたりします。時々、尋ね損なって会議の議事録を作るときに困る事があります。
 約40年前にはこの挨拶を聞く事が少なかったのですが、十年ほど前からまただんだん使われてきているようです。十代の人たちは日本人の十代の人たちと同じように簡単な挨拶で済ましているようです。
 スラバヤからマランにかけての地域はジャワの中でも特に言葉が荒っぽいので知られています。親しい間柄では「よう久しぶり」という時に「Jancuk=こん畜生お前」と大人でも言っています。また、このマラン市周辺では大の大人でもつづりを逆さまに読んで人を驚かしたりして遊びます。たとえば、「何を飲みたい」と聞かれて「Ayas uam ipok」とか、Ayas uam nakam isanとか言います。インドネシアの他の地域ではまず言いませんから、先回りしてUam apa?と尋ねてやると、インドネシア人たちのうちこの地域の人がキャ−キャ−大笑いしますが、わからない人はきょとんとしていることが多いのです。おもしろいから会社でも家でもやってみてください。この地域出身の人たちには大受けします。またマラン市は有名な学園都市でここの大学で学んだ人達も沢山いますから、その人達にも受けます。特に初対面の日本人がやると、かならず「マランにいたことがありますか?」と尋ねられます。答はKadit(No=tidakの裏返し)に限ります。また脱線してしまいました。
 左手は不浄の手ですから、トイレでお尻を洗う時に使います。ですから、挨拶の時には絶対に右手を使います。もし事故などで右手を失ってしまった人はどうしているんでしょぅねぇ。物を手渡すのにも右手に持ち替えます。もし右手がふさがっていたら、「左手で失礼」と一言いうのが礼儀です。タイでも同じように左手は不浄といいます。タイでは子供の頭を撫でることは絶対禁止との事ですが、インドネシアではそれほど問題にはならないようです。
 手の平をひらひらさせる動作は遠くにいる相手に分からせるために子供のように大人でもすることがあります。日本の大人にはついぞみかけない仕草です。これは手の平と手の甲の皮膚の色が大きく違うのでひらひらさせるとチラチラするので遠くから見つけやすいという理由ではないかと考えています。

 拍手をインドネシアでは聞くことが滅多にありません。これはイスらムの風習で、イスらムの講演や演説が終わると「みなさんに平安を」とのべ、聴衆は「あなたにも平安を」口を揃えて答えるだけです。その後はそそくさと帰ります。講演の感動も何もあったもんじゃありません。しょうがないからおつきあいで出席しているようで、講演の内容にも興味が湧かず、演説にも新鮮味がないので「早く終わらないかなぁ」ばかり考えているので「感動」まで至らないのでしょう。それとも集中力がないのでしょうか。

 ちなみに300年前のイギリスでは机を両手でたたいて拍手の代わりにしたと聞きました。どこの人達が最初に拍手を始めたのでしょうねぇ。誰か教えてください
 おでこを指で叩くのはスンダ人の特有な表現で、「いっけねぇ、忘れちゃった」と日本人が頭を掻く時にやります。この仕草をしている時には自分の失敗を本当に反省しているのですが、何度でも同じ失敗をしてそれを毎回許してやるところにインドネシア人の人の良さが現れています。他人の過ちを快く許してやることはイスらムで「徳」になっているからです。

 この「人の良さ」が近代工業の発達を妨げる原因の一つとなっていて、日本人が何十年もインドネシアでご飯を食べていける主な理由としてあげられます。この調子ですと、筆者の中学生の息子も大人になってからもインドネシア相手で「飯の種」を探す事ができそうです。ありがとう、インドネシア。

 と、ここまでは1996年の原稿でした。

 記事をインターネットに掲載し始めて「ああ、あれから20年」が経とうとしています。

 「いつになったらインドネシアが発達して日本のようになるのだろうか」と懸念していましたが、その思いがうれしくも裏切られ、日本の「暗黒の二十年」の間にまるでインドネシア人が別人のように変わったと感じています。

 上記の記事にある「中学生の息子」も、もうとっくに社会人です。彼はインドネシアで「飯の種」を探さなくてよい企業で働いています。もちろん筆者によく似たイケメンですが、すでに結婚していますので縁談は無用に願います。(2015-03-04) 

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1999-12-26スンガイダレーにて修正 下尾稔氏のご協力を仰ぎました。
2001-11-18スンガイダレーにて読みやすく改訂しました。
2015-03-04 追加修正
 

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