インドネシア不思議発見
28話 丁寧なインドネシア語

 インドネシアで暮らしてみて驚いたことは、使う言葉自体がとても丁寧な上、もって回った表現を使うことでした。日本でも田舎の年寄りはこのような言葉使いと表現を使っています。

例えば、「あなた」という意味の言葉だけでも anda, kamu, situ, saudara, engkauさらに英語のyouが性別・年齢無制限なのに対して bapak, ibu, mas, mbak, tuan, nyonya, nona などの性別や社会的な上下関係が現れているものがあります。また日本語と同じように職業の名称で「あなた」の代用をすることも多いのです。自分を指す言葉でも sayaが一般的ですが bapak, ibu やへりくだった言い方のanandaなどの性別や社会的な上下関係が表れているものもあります。これはジャワ人が人口の過半数を占めるため、独立後だんだんとジャワ語の影響が強まり、ジャワ語がインドネシア語に入ってきているからだろうと思います。単語は全く同じでもマレ−シア語とインドネシア語で全く意味が違っているものもあります。例えばpercumaです。マレ−シア語では「無料で」の意味なのですがインドネシア語では「無意味な」となります。ですから、RTM (Malaysia放送)のコマ−シャルで「無料で差し上げます」といったところが、インドネシア語では「おまけは無意味だ」となってしまい笑ったことがあります。

 また、受動態(受け身形)の表現を使うことが多く、能動態には必ず使う「あなた」という単語を避けて表現をマイルドにしているようです。この傾向はジャワ人に顕著であることが特徴です。第二十六話に書いたように、ジャワは豊かな農業地帯で農業を産業の中心として古代から栄えてきました。労働力集約型の水田稲作農業が中心ですから、農民は土地に縛り付けられざるを得ず、水利、田植え、稲刈りなどの時の労働力の問題が日本の農村と全く同じなので、日本でいう「惣」のような閉鎖的な村落共同体が形成されてきたことはいうまでもありません。このような非流動化した社会の中で近隣と摩擦なく生きていくためには、村の決まりを守ることはもちろんのこと、人間関係をうまく処理しなければなりません。従って丁寧でもって回ったような表現で人間関係を円滑にする必要があったのでしょう。もし、あなたが日本の農村出身の方なら、ジャワの田舎の農家でお茶をご馳走になったりした時にその家の人たちの話し方や立ち居振る舞いが日本の田舎の老人達とそっくりなことに気づくでしょう。

 しかし、労働力集約型の稲作地帯といっても中国語では文章のほとんどが能動態で受動態を使うことはまずありません。ここ二十年ばかりいろいろと研究してきましたが、アジアの中で、ちょうど突然変異を起こしたように中国だけが独特の言語と風習をもっているようです。このような能動表現だけですと微妙なニュアンスが伝わらないような気がするのですが、どうなのでしょうか。残念ながら筆者は中国語には堪能でないので分かりません。

 口語の表現のうち、kasi masuk (入れる), kasi bagi(分ける)など、kasiを使うものがあります。これは中国人たちが使っているうちにインドネシア全土に広がったと聞いていますが、おのおのmasukkan, bagikanとしたちゃんとした言葉がありますので、こちらをなるべく使うようにしてください。

 
 50年代にアメリカに渡った日本人たちは、駐留軍として数年間日本にいたから日本語がしゃべれるというアメリカ人に沢山あいました。ところが、かれらの日本語は闇市やパンパンガ−ルと呼ばれる売春婦の日本語で、とてもまともに日本人と話せる日本語ではなかったのです。でも、このアメリカ人たちは彼らの日本語が正しいものだと思っていますから全然恥ずかしくなかったのです。この日本語を聞いて恥ずかしい思いをしたのは逆に日本人だったのです。女中さんやカラオケでインドネシア語を習っているあなたはこのアメリカ人の二の舞を踏みますよ。基本的なインドネシア語がある程度わかった時点でちゃんとした先生について習ってください。男性ならば会社で仕事中にでも同僚からちゃんとしたインドネシア語を少しづつ習っておけば、将来恥ずかしい思いをしなくても済みます。諺に「人のふり見て我がふりなおせ」とあるように。特に、カラオケではbahasa prokemという隠語が多用されていますし、汚い言葉の寿司づめですから注意してください。きちんとした言葉で、自動詞や他動詞を作るkanやiなどの区別を使い分けることができるようになれば、インドネシア語がかなり上達したと言えます。特にイスらムではチェラマと呼ばれる法話があり、すでに亡くなったザイヌディンMZという講釈師のテ−プがカセット屋にたくさんあります。これを聞いて勉強すると生きたインドネシア語が分かるようになるとともに、おもしろい語句やしゃれや話し方の勉強にもなります。大体チェラマ自体が大衆に話しかけているものですから、誰でもよく分かる言葉を使っています。楽しみながら勉強できる怠け者には最高の教材です。

 
昔、卒業記念にとバリ島とジャワ島に遊びに来た東京外語大のインドネシア語学科の学生がいました。かれらが最初に驚いたのはインドネシア人たちが話している言葉がよく分からないだけではなく、学生達のインドネシア語が現地人に伝わらなかったのです。「ああ、この四年間われわれは何を勉強してきたのか」とがっくりしたそうです。あとで分かったのですが、学生達はトッカンベチャやパサ−ルのオバさんたちと話したのだそうです。これらの人たちは学校も満足にでていませんから、インドネシア語も満足に分からないのは当たり前だということが分かって大笑いになりました。これらの人達は現地語のバリ語やジャワ語で話していますからかれらの会話が学生に分からなくても当然だったのです。学校へ行きたくても行けない貧乏な人たちが多い地方では今でも現地語しか分からない人がかなりいます。

 ブタウィ(Betawi)人と呼ばれるマレ−系のジャカルタの原住民がジャカルタを含めたジャワ島の西部に少数住んでいます。このブタウィ語の発音が面白いらしく、-kanの代わりに-inを口語ではよく使います。テレビドラマでインドネシア語みたいなんだがよく分からない言葉が出てきたときにはブタウィ語かと疑ってみましょう。1995年に放送していた「Si Doel」の主人公達はブタウィ語でしゃべっていたので筆者にはよく分かりませんでした。
 ブタウィ語では他動詞を作るkanという接尾辞をinと言います。「ざまみろ」という意味のrasakanの代わりにrasainという具合です。「チクショウ」と言う時にsialan lohとインドネシアの人はよく言います。これをカラオケバ−でうろ覚えした日本人がsiaran rohと言っているのを聞いて苦笑しました。sialan lohは「不幸になれ」ですが、siaran rohは「霊の放送」です。「霊界通信」だなんて、思わず丹波哲郎がでてきそうですね。

 
「Air (Ayir) = 水」と言うことばがインドネシア語にあります。これはシュメ−ル語の水を意味する"a"と泉を意味する"illu"の合成語で"a-illu"がayirに変化したものだという学者もいます。LからRへの変化は第二十四話でお話した通りです。でも信じられないですよね。また太陽のmata hariもシュメ−ル語の輝く日という意味のバル・ウドゥと、繰り返したア・バルに語尾にリ−を加えたバル・ウドゥ・ア・バル・リ−からなまってできたとしています。興味のある方は最後の参考資料に載せてある「日本語の起源」を読んで下さい。

 インドネシア語の語源となっている言葉には元々の言葉と、ペルシャ語源のもの、サンスクリット語源のもの、アラビア語源のもの、オランダ語源のもの、日本語源のもの、英語源のものなどが重層的に重なっています。日本語源のものには、組長 (kepala RT)、体操、労務者(軍夫の意味)などがあります。オランダ語はオランダの植民地でしたから当然として、アラビア語源のものはイスらムとともに約千年前に入ってきました。サンスクリット語はヒンズ−教や仏教とともに入ってきました。Mahasiswaのmaha(摩訶)やsemeru(すめらみこと), paramita(波羅密多)は日本語と同じですが、menteri(大臣)などの言葉もたくさん入ってきました。まだ、たくさんありますからインドネシア語の辞書で探してみるのも雨で中止になったゴルフの日の暇潰しには最適です。ペルシャ語は、古代にインドと中国の間で交易を行っていたペルシャ人が持ち込んだものでしょう。またペルシャ語自体がサンスクリットを語源にしているという説もあります。

 別な話として後で取り上げますが、今のジャワ島の住民達の起源は雲南地方でそれからビルマやタイに広がり、その後、中国やインドの争乱による民族移動に押されて南下して今の位置にいるそうです。PKFで出かけたインドネシアの兵士達がカンボジアでインドネシア語(かインドネシアの一部族語)の片言が通じる地方があったと言って驚いたそうです。もともと先祖がこの地方にいたのなら共通の言葉があっても当然です。言語学者によると、部族の本体から離れた後の四百年程度の時間では、その残された部族の言語に余り大きな変化がみられないとのことですから、今のインドネシア人の先祖はカンボジアをそれ以上も前に離れたのでしょう。特にジャワ人の先祖が海を渡ったときに大変な苦労をしたようで、先祖からの遺伝なのか遺言なのかは知りませんが、海が嫌いで、今でもほとんどのジャワ人は泳げません。

 「歴史性とは、いま私が『ある』ということ自体を支えているものであり、地球上の生命の誕生から気の遠くなるような長い歴史の積み重ねがあって、そのすべての結果として成立している。歴史性という意味では、私は途方もない量の『他者』を抱えこんで成立している」という言葉があります。別な言い方では、遺伝子情報の積み重ねとも言えるでしょう。この歴史性がジャワ人の海嫌いと関係しているのかもしれません。  
 いままでに探した最長のインドネシア語の単語はmempertanggungjawabkan (22文字:責任をとらせる・言い訳をする)でしたが、このギネスに挑戦してみませんか?病名は除きます。「脅迫観念の幻想による心因性慢性胃潰瘍出血による便の腐臭症」などと、いくらでも長くできますから。

[参考資料]
1.「日本語の起源」 川崎真治著 風濤社刊
2.「生命・科学・未来」 養老孟司・盛岡正博対談集 ジャストシステム刊
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2015-03-03 修正
 

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