インドネシア不思議発見
22話 生活の中のイスらム(10)

(今どきどうして宗教なの?)
 このページで、みなさんが飽き飽きするほどイスらムについてお話してきました。日本人とはずいぶんと違う宗教観や、宗教に裏打ちされたインドネシア人の生活の秘密を暴いてしまいました。
 筆者がこんなにしつこく書いたのは、「これからは宗教を持つ時代だ」と感じたからなのです。いままでは宗教を持っていると聞くと「線香くさい」だとか「時代遅れ」、「バッカじゃないの」という形容詞がすぐに脳裏に浮かんだと思います。こう感じた人達こそこれからの時代には「時代遅れのカチカチ頭」なのです。
 日本でも先進物理学や数学の大家たちには、研究のあるレベルに達すると宗教に入る人が多いのです。まったく宗教を無視し神の存在を考えない人たちはこれから取り残される人たちです。これらの人たちに共通して言えることは、自分の力を過大評価しているとともに、エゴイストでもあり、「ありがとう」と言う言葉があるのを忘れてしまった人でもあります。何でも科学で解決できるといった物質主義=唯物論は、ソ連の崩壊とともに無効化したと思うのだけれど、まだこの物質主義=科学至上主義にこだわっている日本人がほとんどである。こんな「時代遅れの現代人」に少しは考えてもらいたいと思う。
 今回は筆者のムジャヒディンとカモカのザイヌディン師、それに第二カモカの隠智和尚の三者の、人類と宗教についての対談の同時中継をします。話の内容が固いので三人にできるだけ冗談や皮肉を混ぜてもらえるようにしましたのでお楽しみに。

 【ムジャヒディン】
 「カモカのおっちゃんズのザイヌディン師匠と隠智和尚。この対談にお集まり下さいましてありがとうございました。今日は『人類と宗教』について対談したいと思います。」
 「まず、『今どき宗教がなぜ必要』なのかを考えてみました。船井幸雄氏がその著書の『未来へのヒント』で述べているように、地球はレベルをおって進化していると思います。第一レベルでは岩石だけの無生物時代。第二レベルでは鉱物と微生物それに動植物の時代。第三レベルではこれらに知的生命体が加わったわけです。ただ、この知的生命体はエゴを中心として行動する存在であり、自分自身のエゴのために地球の進化を遅らせているのです。現在の地球はちょうど第三レベルにあります。この知的生命体がエゴを超越して思考し行動できるようになったときに、その星は第四レベルの星になります。いま地球はそのレベルアップの時期にさしかかってきているのではないでしょうか。今のままでは『お先真っ暗』ということは、みなさんご存知のエコノミストの堺屋太一氏がその著書『風と炎と』で指摘している通りです。師匠と和尚は一般のわれわれよりも宗教にも造詣が深く、また超能力者でいらっしゃることから、お二人のご意見をいただきたいと思います。」

【ザイヌディン師】
 「ビスミら−、∞★♂∴○♀±◎≧£≧▲#∇◆§¢〒□※∋⊇∀∬▼♭∂☆Å■†‡・(ナンジャラモンジャラとクルアンの聖句が続きます)。」
 「ムジャヒディン君がいうように、ワシも地球のみならず全宇宙がアッら−のご意志で進化していると考えている。イスらムという宗教はその目的のために アッら−が人間に賜ったものなのだ。第三レベルから第四レベルに上がるときには必ず神の選択が下され人間がふたつにふり分けられよう。これをKiyamat(世界の終わり)と呼んでもいいだろう。このKiyamatに生き延びるために毎日の生活の中でムスりム達は精進しているのだ。クルアンを読んでみると、Kiyamatの後に「最後の審判」がありそこで人間達を合格・不合格に分けることになっている。合格とは第四レベルの星に適する知的生命体ということになろう。ここで、この知的生命体として合格した者達はすでに『人間』という範ちゅうでは語れないかもしれないが、たぶん外観は今の人間とまったく同じだろう。これは、生物学的に言っても大量の放射能などを浴びて突然変異が起きない限り、生物の外観はそれほど変化するわけではないからなんだ。また、旧約聖書の創世期にでてくるノアの洪水(Banjir Nuf)の前後で動植物の形がまったく変わったとは記されていないことから予想がつくのだ。しかし行動の基本になる考え方がまったく異なってくる。これはちょうどコンピュ−タのハ−ドディスク容量を増やして、ソフトを入れ換えるようなものなのだ。このコンピュ−タ−はハ−ドディスクの容量は変わるけれど、外観はまったく同じだ。コンピュ−タ−の知識がある人たちにはこの違いがわかるが、素人は外観に惑わされて違いがわからない。これと同じことが人間に起こるだろう」。

【隠智和尚】
 「仏教では『解脱』ということを強調します。第三レベルでの人間のエゴを完全に払拭し、宇宙の中心仏である大日如来との直接の交信ができるようになるということは、第四レベルへのレベルアップを意味します。ですからここ数千年間に人間が神仏を信心し宗教というものに頼ってきたのはこのレベルアップの準備だったと思います。大昔の人たちに進化のレベルアップなどと言ってもわかりませんから、色々と神仏は工夫して人々を宗教に誘い、 人間達を向上させようとしてきたと考えています。『解脱』という究極の目標は世の中にたった一つではなく、その個人々々によって異なるのではないかと 思います。というのは、レベルアップの方法は人それぞれによって違うからです。仏教ではイスらムやキリスト教のように天国地獄とは言いません。それは輪廻転生が仏教が広まった地域の人たちの考え方の基本になっていたからです。惜しくも凶弾に倒れたジョンレノンはイマジンという歌の中で『天国も地獄もない、あるのはただ空と地だけ』だと言っています。その前に彼がつくった歌のLong and Winding Roadでも、『この道は神仏の導きであることは分かっているんだが、ふとした迷いからまた以前来たことのあるこの道の前に僕は一人で立たされている』と歌っています。ジョンレノンはこの時すでに『神の道』、仏教では菩薩道といいますが、を悟っていたのではないでしょうか」。

【ムジャヒディン】
「じゃあ、具体的にわれわれはどうしたらいいのですか?山伏のように千日回峰のような難行苦行をしてアジャリになる必要があるのでしょうか?世界の全員がこれを始めたらオマンマをどうやって食べたらいいのでしょうか?」

【ザイヌディン師】
 「イスらムでは、聖職者がないのでムスりムの毎日の生活が修行だと言っている。特に聖なるRamadhan月の断食とzakatが特別な修行になっていて、この時に点を稼ぐと天国に行けると教えている。これは1500年も前の野蛮で残忍で本当にどうしようもなかったアラブ人達を飼い慣らすためにとられた方法だったのだよ。だから、イスらムではこの修行を『社会の中で普通の生活を皆と一緒に』することになっている。ただクルアンにある通り淡々とやればいいという、誰にでもできる簡便で効果の高い方法を採用しているんだ」。

【隠智和尚】
 「東南アジアに広まっている小乗仏教(上座仏教)では、出家した者のみが『解脱』できるようになっていました。これは当時において世界中でもっとも豊かだったインドがその発祥の地だったからなのです。釈迦が涅般(ねはん)に入った(死んだ)あと数百年してそれが、信心するなら誰でも仏になれ、この苦しい世界にまた生まれ出ることはなくなる大乗仏教として発生してきました。この仏教がインドより裕福でなかった中国に伝わり、東アジアでは盛んになったのです。今の日本の仏教の歴史はざっとこんなところなんです。さて、今の日本の仏教では『解脱』ということをあまり言わなくなってきています。そのかわり、超能力をエサにしたインチキ宗教がまかり通っています。たとえば1995年に大事件を起こしたオウム真理教のように。これは現代人が幸福を物財を通じて追い求めて来たのですが、この方法が限界に達してしまい、この方法ではもはや幸福というものを捕らえきれなくなったことに気がついたからなのです。この世の中に頼りになるものなどはありえません。本当の頼りとは何ものにも頼らないこと、すなわち『虚』になることだと思います」

【ムジャヒディン】
「何ものにも頼らないということの意味は何でしょうか?」

【隠智和尚】
 「何ものにも頼らないということは、この世にないものを持つ。すなわち信仰とか信心なんです。この世で何も持たないということは幻から自分を解放することになります。ここに本当の自由と安楽、幸福があるんです。神仏にいっさい任せた者は、確かに信じているといった確証や意識を何一つ手につかむ必要がないのです。われわれがいかに自分自身で努力してきたといっても、単に仏様の掌のなかではいずりまわっていただけなんですよ。また本当の『虚』は探そうとしても絶対に見つかりません。それは考えや文字が邪魔するからなのです。『日はまた上る』という谷村新司の歌の中に「生きることは燃えること」とあります。このように、自分の持てるありたけの力を出して生きていくこと。これで生の意義はまっとうされると考えています。別な言い方では、生とは不断に自らを現実へ表現していくとも言えるでしょう。また密教では、大日如来の意志(言葉)が直接わかるようになると言っています。このように神仏を身近に感じるようになったらしめたもので、天の理が理解できて何でもトントン拍子に物事が進むようになります。」

【ザイヌディン師】
 「和尚の話はなんとイスらム的なんだろう!仏教では考えや文字がじゃまをして『虚』を探せないと言っているが、イスらムでは考えや文字を通じないとなかなか話ができない。これは第十五話の神像・仏像の項でお話したように、あくまでもロジックを基調としているからなんだろう。また強制しても心から信じるところまで至らないと神に帰依することができない。すなわち、隠智和尚が言ったような、この世にない頼れるものをつかむことができないんだ。この言葉はぜひともオウム真理教の信者に聞かせてやりたい」。
 「デジタルとアナログという言葉がある。イスらムでは主に言語によるロジックを用いるデジタル通信方式を採用している一方、仏教では仏像や絵画を多用するアナログ通信方式を採用している。デジタル方式では信号がゼロ・一のバイナリ−コ−ドで送られるので送信中の外部雑音による情報の変形はアナログに較べて少ないんじゃ。といっても、通信媒体が言語というファジ−的なものであるから、アナログ方式に近くなってしまう。一方、アナロ グ方式の仏像・絵画では抽象的なイメ−ジを伝えることがきわめてむずかしい点があげられる。たとえば、幸福とか憎悪などという感覚を言葉以外で適切に相手に伝えることができない。よって、仏教でも言語に頼らざるを得ないのだが、文字によるメッセ−ジの伝達方式の容量には限界があり、『不立文字』といって、神仏の意志を伝えるには言語では不十分だと維摩経で言っている。イスらむでも信仰の内容を深く理解した人たちは、この『不立文字』の意味が分かる人が多いのだが、一般信者の前では、信者を惑わすことになるからこれは言わないことになっている。どちらの方式も一長一短があって自分の好きな方式を選べばいいんだ」。

【ムジャヒディン】
「宗教の究極的な目標は人類のレベルアップであるということが分かりましたが、イスらムと仏教の大きな違いとして『輪廻転生(りんねてんしょう)』があります。キリスト教徒の多いアメリカでは70%の人たちがこの輪廻転生を信じていると聞きますが、これについてはいかがでしょうか」。

【ザイヌディン師】
 「イスらムでの転生は最後の審判の時にだけ登場する。これはムハンマドの生きていた当時のキリスト教で輪廻転生という考えを禁じた影響があったのではなかろうか。イ−サ(イエスキリスト)の生涯の内、青年時代の動向が良く解っていない。たぶんイ−サはこの数年間インドに行って修行をしていたために、歴史から脱落しているのではなかろうか。世界で最も豊かだったインドで修行したら、彼のことだ、当然輪廻転生という考え方に影響されたに違いない。でもこの考え方は中東に古くからあった「世界終末」とは合い入れないものなのだった。それで、AD557年のコンスタンチノ-プルでの宗教会議の結果、この輪廻転生という考え方は宗教の発展に弊害があるということで禁止されたのだろうと思う。第一、この中東地域で輪廻転生を言ったら、誰も信仰なんかに入りやしない。『次に生まれてきたときに信仰しますから今生は楽して生きるんだ』と言うに決まっているからだ。結局何代も信仰を持たずに最後は犬死するだけ。インドネシア語ではHidup siasia, Mati konyolになってしまう」。

【隠智和尚】
 「この点では仏教は楽でした。中東に較べてもともと豊かな自然に恵まれたインドでは知識階級の知識がかなり高度でしたから、すんなりと輪廻転生が受け入れられたのだと思います。インドでは太古からの聖人達が多く、イスらムの25人の預言者なんてものではなく、歴史上で数千人から数万人になっていると思います」
 「余談になりますがこの中にアガスティアという聖人が約五千年にインドにいて、この人が神様の計画書(天啓の書=アカシックレコ-ド)を見せてもらい、それを古代タミ−ル語でヤシの葉に書き連ねたものが現存するとのことで、この訪問記が「アガスティアの葉」という本になっています。この葉は束になっているところを見ると束の一つが一つの霊魂の輪廻転生の歴史(神仏の計画)を示しているのではないかと思います。この葉の束には幾人もの人生が書かれていて、この葉を読む専門家たちは尋ねた人の今世のことだけを知らせるのみで、前世後世の話は禁止されています。
 また、正木和三博士は超能力者の集いで、数百年前に日本で、数万年前にアトランティスで夫婦であった女性と抱き合って再会の祝福をしています。ここまでくると、オ−バ−かなとも思えますが、こんな事実から輪廻転生は本当に存在することがわかります」。

【ムジャヒディン】
 「興味あるお話は尽きないのですが、時間と紙面の都合上、今日はここまでにしておきたいと思います。最後に、常に神仏を感じて生きることがこれからの人類に必要だと思いますが、どのような方法で神仏を感じていらっしゃいますか」。

【ザイヌディン師】
 「第二十話に書いてある通り、わしの場合には礼拝中にてのひらでまずアッら−を感じる。次に上から下へとチャクラが活性化されて行くようだ」

【隠智和尚】
 「拙僧の場合には眉間に最初に仏を感じ、師匠と同じように身体全体が仏の慈光に満たされる感じがします。これを法悦というのでしょうか。神仏の光を感じたら必ず『ありがとうございました』と神仏に感謝をしなければならない。人間の世界でも同じように。この感謝の心(波動)が全てにとって良い方向に進む原動力になっていることを、みなさん、心に止めておいてほしいと思います。『ニュ−モラル』という月刊小冊子が宏池学園から発行されています。これを読み始めた最初はくすぐったいと思いますが、心が清められて(澄んで)くるにつれ、感動が深くなります。これであなたはすでに仏心が解り菩薩道を歩き始めているのです」

【ムジャヒディン】
 「ありがとうございました。まだまだお話されたいことは山ほどあるとは思いますが、それは別な機会にゆずることにしていただきたく思います」。

 【筆者からの御礼とお願い】

 浅学非才の筆者がおぼろげながらにつかんだ、宗教についてのつまらない話を長々としてしまいました。最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございました。心底から御礼申し上げます。

 最初に申し上げましたようにこれからは宗教が第二段階に入った時代です。信仰・宗旨を持つと言うことは、無知蒙昧(むちもうまい)の象徴ではなく、進化した人類の象徴です。まだ、自分の能力だけに頼っている普通の人たちこそ無知蒙昧なのです。レベルアップの時期がもうそこまで迫ってきています。超能力を得たいがために信仰に入るのではないのです。信仰に入って、ある程度まで達した時点で神仏があなたの修行のために「超能力と呼ばれる能力を」下さるのです。ひとたび超能力を得たら、あなたにとってそれは当たり前の能力としか感じられなくなりますし、他人のためにこの能力を惜しみなく使いたいと思うようになりましょう。これがあなたにとっての「精進=修行」になります。日本人のお坊さんはジャカルタにいるかどうか知りませんが、イスらムのキアイやキリスト教の牧師(神父)さんはいらっしゃいます。この人達に指導を受けるのがあなたの精進のための、近道でもあります。最小のコストと労力で、短時間で精進が深くなっていきます。

  日本に帰った後でも、精進する機会がありそうですが、会社の仕事やオサンドンに明け暮れなくてはならない毎日でそんなに時間は取れません。ジャカルタで女中さん達にオサンドンを任せて、あなたはご自分の精進に励むことができます。こんな良い機会は一生にまずありません。諺に「幸福の女神の頭の後ろ半分はツルッ禿」と言われています。このチャンスを有効に利用して、あなた自身のためだけでなく地球人類のためにもレベルアップの準備をして下さいますよう期待しております。

[参考文献]
  1. 「未来へのヒント」 船井幸雄著 サンマ−ク出版刊
  2. 「風と炎と」 堺屋太一著 文藝春秋社刊
  3. 「ひろさちやが聞く『コ−ラン』」 ひろさちや+黒田壽郎対談集 すずき出版
  4. 「無」 本荘可宗著
  5. 「ファジ−理論入門」 山川烈著
  6. 「アガスティアの葉」 青山圭秀著 三五館刊
  7. 「ニュ−モラル」 宏池学園出版
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2015-03-03 修正
 

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