インドネシア不思議発見 |
第20話 生活の中のイスらム(8) |
(イスらムの礼拝ってどうやるの?) | |
神道でも仏教も両手をあわせて拝みますが、イスらムでは立ったり、中腰になったり伏せたりして全く変わった礼拝をしているのをあなたはちらっと覗き見られたことがあると思います。また朝、昼、三時頃、夕方そして夜と。また熱心なムスりムと旅行した方はかれらがすっと会議などを抜け出して礼拝(ショラート)しているのをご存知だと思います。 今回はこの礼拝の秘密についてお話しましょう。 イスらムの礼拝の決まりには集団礼拝の際の伝染病防止を考えたものがたくさんあります。たとえば、衣服を清潔にすること、みそぎ(wuldu)や沐浴(mandi)、敷物(Sajadah=sujadah)や女性の白いムクナの使用などです。 身体や衣服を清潔に保つことは第十三話でお話しましたし、礼拝の前には必ずみそぎや沐浴をしなくてはならないことは第十四話でしつこいほどお話しましたからここでは省略します。 お祈りの前に、女性はムクナを頭からすっぽりかぶります。これは第一話でもお話しました。男性は裾がくるぶしの直上より長いズボンで上着はへそが見えない服装とします。一般にはズボンではなく動き易いSarung(男性用腰巻き)が使われています。Sarungは一枚の布を縫い合わせて筒にしたもので長さの目安として付ける人の乳首から踝までの長さで、筒の円周長さは、sarungを上からかぶって片手で横に引っ張った場合にその端が手首までのものです。Srilankaでは男性用の腰巻きをsarung女性用の腰巻きをlongiと呼んでいました。BangladeshからMyammerではどちらの腰巻きもlongiと呼んでいるようです。 五回の礼拝の中で一番長い正午のドゥフ-ルの4rakaatを例として礼拝の手順を書くとこうなります。 スジャダ(スジャ-タはコ-ヒ-用のミルクですが)をお祈りのためにキブらットに向けて床に敷きます。ふわふわしているベッドなどの上では身体が安定しないので禁止です。 直立して、「アッら−の故、キブらっトに向いてドゥフ-ルの4rakaatを執り行う」と目的を心の中で宣言します。何でもくどいのが中東風と言えるでしょう。 |
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このように、礼拝といっても大したことはないのです。急いでやったら10分もかかりません。たった10分のために神様から与えられた仕事を放り出すというのは、やはり「時間をコントロ−ルする概念がない」ということなのでしょうか。それとも残念ながらやっぱり「怠け者」なのでしょうか。日本人むけにIslamic
Center, Japanから発行されている礼拝に関する小冊子にある呪文とインドネシアで発行されているものとは少し異なりますが、この差は大した問題ではないそうです。 筆者は何事にも理解できる理由がないと納得しないので「カモカのおっちゃん・その一」のザイヌディン師に疑問をぶつけてみました |
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(問) キブらットに向かうのはなぜですか? [答] 君は学校の地学の時間で南北極付近から地磁気が出ているのを習ったでしょう。これは磁石で計れるものなのだけれど、メッカからも今の技術では計れない同じような情報エネルギ−が放出されていて地磁気と同様に地表面に沿って流れているんだ。これをアッら−の波動と呼ぼう。この波動を礼拝の時に受信して心を清め、健康に役立てるためなんだよ。これは最近評判になっている神様が下さった万能の宇宙エナジ−なんだよ。 (問) てのひらを前に向けるのはどういうこと? [答] アッら−の情報エネルギ−をできるだけたくさん受信するためなんだ。身体にけがれがなく心が静まっている時にはメリット・ファイブで受信するんだけれども、そうでない時には、受信強度が落ちてしまい、最悪の場合にはメリット・ゼロになるんだ。そうなると礼拝はまったく役に立たなくなるんだよ。第十四話で話した、アッら−とのホットラインの故障はこの動作の時のてのひらへの受信強度でキャッチできるんだ。でもムジャヒディン君、きみは修行が浅いから、まだアッら−からのメッセ−ジはキャッチできないだろうけどね。フフフ。 《影の声》日本のイスらミックセンタ−発行の「イスら−む入門シリ−ズNo.1『礼拝』」ではこの動作を、アッら−に完全な服従を表明することを意味している、とあります。ザイヌディン師も「しったかぶり」なのかしら。 (問) アッら−フ・アクバルってどういう意味ですか? [答] アッら−はすべてをカバ−しているから計りきれないほど大きい。というのが一般的な解釈なんだ。でも「短小軽薄」のこの世の中では、重厚長大は受け入れられなくなってきているから、君のような口うるさいインテリ向きにはこの解釈も現代風に味付けしないと受け入れてもらえないかもしれないね。では、君には特にこう言い替えよう。アッら−の意志とは量子論でいう「潜在的秩序」といえるかもしれない。またアッら−は計りきれないほど小さいと言ってもまちがいではないんだよ。なぜなら、われわれが計りきれないんだからとてつもなく大きくたって小さくたって大した問題ではないんだ。またアッら−は量子力学で言う26次元を越えたものなのかもしれないよ。だから4次元のわれわれの物差しでは計りきれないんだ。 超能力者のワシに言わせれば「アクバル」という発音に秘密が隠されているようだ。仏教でも「なむあみだぶつ」というだろう。これは「ナム、モ−、ア−、ジ−、ダ−、ブツ」のなまったものなんだ。これらの音は身体のあちこちにあるチャクラという情報エネルギ−のたまり場があってそれを活性化するんだ。ナムは眉間のチャクラ、モ−は頭頂部のチャクラ、ア−は両腎臓の中間にあるチャクラ、ジ−は心あるいは心臓のチャクラ、ダ−は皮膚の毛穴の光を放つ全ての所、ブツはへそへ直接通じて共鳴する音なんだ。これらの音が「アクバル」とその後にすぐ続く「ビスミら−」の音の子音に入っているだろう。これが秘密だと考えているんだ。 なに、「チャクラ」を知らないって?この空間には宇宙エナジ−が満ち満ちているんだ。これを中国人は「気」と呼んでいる。この「気」が身体の内部にたまる場所がチャクラで、頭頂と眉間、喉、心臓、へその下にある。「臍下丹田に力を込めろ」とよく言われる場所が一番下のチャクラなんだ。ここは人間の動物的本能を司っているといわれている。 (問) クルアンの第9章以外は全て、最初がなぜ「アッら−の御名において」で始まっているの? [答] 不まじめに礼拝したらアッら−は「人の名を勝手に語りやがって」と怒るかもしれないけれど、ムハンマドの当時は、何でも偉い人の名を語るのが他人に自分の意志を伝えるのにてっとり早かったのじゃないかな。今でも、インドネシア人たちは自分の意見でもボスがこう言っていると「名を語って」いるじゃないか。直接このボスに尋ねると担当者の意見と違うことが結構あるから君も注意した方がいいよ。 (問) アッら−を讃えた上でお願いばかりしているのだけれども、アッら−もヨイショされてうれしいのかしら? [答] ははは。アッら−をヨイショしないで、けなしてばかりいたら誰がイスらムを信仰するようになるのかね。礼拝中はただ心静かにアッら−との交信を続けていればいいんだよ。ヨイショしてお願いをするのはアラブ風なんだろうと思うよ。おだてられて付けあがるようなアッら−じゃないから心配無用だ。ただ丁重にヨイショしているだけでは仕事が進むことはないことは知っているだろう。だから仕事を一所懸命に努力しながら礼拝も続けていくのがアッら−の御心にかなっているんじゃないか。努力もしないでタナボタを待っている奴らに、アッら−じゃなくてもだれが富や幸せを分けてやろうというのかね。仕事だってアッら−が人間に与えたひとつの試練なんだ。この試練を避けて楽ばかりしようとしている奴らをアッら−は哀れむとでも思うかい。ここにインドネシアでイスらムがだんだんと先細りになってきている理由があるんじゃないだろうか。 (問) 礼拝が物理的にできない時でも、礼拝したい場合にはどうするの? [答] 病気やけがなどで物理的に不可能なときには普通の礼拝の方法にできる限り近い方法でやればいいんだ。寝たきりの場合は手だけ動かしてもいいし、手も動かない場合は目だけでも、目も駄目な場合には心の中だけでもいいんだ。アッら−はこの心の動きに感応するからなんだ。健常人の場合には怠ける奴が多いから、君が最初にずらずら並べたような動作をさせるようにしているんだ。人間たちはア−ダコ−ダと理屈を並べ立ててサボろうとするからイスらムでは生活一般から礼拝まで実にしつこく細かく決めてあるんだ。 (問) 膝に手をおいて前かがみになるのはどういう意味? [答] よく見てごらん。膝に手をおくと膝の後ろの筋がのびるだろう。この筋をのばすことは体中の血行と気の流れを良くすることなんだ。同じことを太極拳でもやっているよ。また、人間は両足で立つことによってほかの動物よりも地上から脳を少し離すことができ、地表面の波動の影響を少なくすることができた。自然の動物とは幾分掛け離れている人間を自覚するためじゃないかな。 (問) 「気をつけ」の姿勢をとるのはどういう意味? (答) 直立することで、体内の気の流れに対する抵抗が少なくなることから、地球からの垂直な波動が脳に届くともに、天の気との流通が促進されたり、体内で地球からと天からの波動がぶつかって良い結果を生み出すようになるんだ。避雷針は一番高いところに取り付けるだろう。人間も天からのエネルギ−を受け取るには一番高くなるような姿勢を取る必要があるんじゃないかネェ。 (問) 「伏せ」の姿勢をとるのはどういう意味? (答) これは一番屈辱的な姿勢だろう?人間の持っているつまらない誇りやエゴなどを捨てさせ、アッら−の前では全員平等であることを認識させるのだろうね。だから、Masjidでの礼拝では社会的身分や貧富に関係なく、最初に入ってきた人が奥の特等席を占めることになっているんだ。この姿勢はインドネシア人向きではなくて、エゴイストの多いアラブ人向けだったのかもしれない。 別な理解では体内にたまった天からのエネルギーを額から地球に放出するためであるとも言われる。 |
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[参考文献]
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【おまけ】 ほぼ対称形のデザインのスジャダはとても良い玄関マットになります。また個人用のこたつマットとしても便利です。ご帰国の際にはいくつか買ってかえって、自分で使うもよし、お土産にあげるのもいいでしょう。スジャダにもいろいろとランクがありますから、なるべく三万ルピア以上の厚手の肌さわりの良いもので、前後左右対称の幾何学模様のものが適当です。スジャダは縦向きで使うものですからMasjidの絵などがあるものは、玄関マットにすると絵が横向きになってしまいうまくありません。 インドネシア男性用の黒いペチやハジの白い帽子は自分の記念用としてはいいのですが、これをかぶって山手線に乗るとまず乗客全員に白い目でジロジロ見られますから、ズ−ズ−シイ人達だけにはお勧めできます。インドネシアでは地味なバティックのシャツでも日本では模様が派手に映り893(やくざ)に見間違われることもありますので、元インドネシア駐勤者の集いにはこれを鞄に詰めて行って、トイレで着替えるようにしています。 女性用のムクナは日本でもムスりムしたい人だけにお勧めします。これを着て首吊り自殺すると巨大なテルテルボ−ズになってしまうからです。[あまり気持ちの良い理由でなくてごめんなさい] 日本でムスりムしたい方は〒156-0041 東京都世田谷区大原1丁目16-11に日本イスらミックセンタ−がありますので、こちらへどうぞ。電話は03-3460-6169です。ウエブサイトにはこちらからジャンプを。 |
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2015-03-xx 修正