インドネシア不思議発見
9話 身体障害者が多い理由
  ジャワ島の人口は日本の全人口とほぼ同じ一億二千万人です。ジャカルタとその近郊を合わせても、東京首都圏の人口には到底及びません。
 この人口にしては、町で身体障害者が物乞いをしているのによく出くわします。またインドネシア人たちがこれらの身体障害者たちや乞食たちに車の窓越しに小銭をよく与えているのも見かけます。一方日本では、昭和30年代までは傷夷軍人たちが街頭で物乞いをしていましたが、今は身体障害者が物乞いしているのを見かけなくなりました。(傷夷軍人だって。筆者の年齢が分かるでしょ!)

 人口がほぼ同じで医療制度がほぼ同程度だったら、身体障害者の総数にはそれほど違いがでてきません。インドネシアの方が医療制度が整っていないので、障害者の数が多いとは想像できるのですが、街頭で見かける日本とインドネシアでの障害者の数の比はこの比率をまったく越えています。この違いの原因はどこにあるのだろうかとずっと不思議に思っていました。

 ようやく回答らしきものが見つかりました。こんな訳だったのです。

 昭和三十年代に日本は飛躍的な経済成長を遂げました。この裏には学校教育もあったでしょうが、オト−チャンたちのモ−レツな活躍が経済成長に貢献したのです。経済成長に必要なある程度の資質を持った労働力の確保のため、学校教育が「知育偏重」になってきたことは否定できません。労働力として知力・体力にある程度の能力がなければならないという考えは、体の一部が不自由な障害者に、運動能力の欠如による就労不適格者の烙印を押して就職の機会から外してしまったのです。ひどいエゴイストや、「ネクラ」で酒を飲んだら必ずからんだりする精神的不適格者は「科学的」証拠がないとして、就労適格者としたのです。その結果どうしても学業成績のよいこれらの精神的不適格者がかなり社会の上層部にはびこるようになり、「つきあっていてちっともおもしろくない」日本人ばかりが社会の表層部に現れているのではないかと思います。これは、第三話に書いたように「日本人は仕事が宗教」とインドネシア人に言われていることでよくお分かりになると思います。

 ところで、世の中のすべての物には「善・悪」と「必要性・不必要性」があります。日本人は必要な物は善、不必要な物は悪と決めつけてしまったことがこの原因ではないかと考えます。「必要な悪」と「不必要な善」というものはなかなか全員の意見の一致を見ることができないので、「そのうち考えよう」と、日本人は放り出してきてしまったようにも見えます。売春ツア−が一時期はやり、日本人男性はセックスアニマルだとか叩かれました。この裏には悪は悪であるが売春が生存に必要な地域や国があることと、「必要は善」と考える日本人の考え方があったのではないかと、ひろさちや氏は彼の対談集「ひろさちやが聞く『コ−ラン』」の中で指摘しています。日本では善悪と必要性をごっちゃにして考えている、ということです。

 身体障害者は生産に役に立たないから、社会に不必要な物である。すなわち「悪」であるから家族の恥である。このような悪は他人に見せない方がよい。だから家に縛り付けておかねばならない。と、日本人は考えがちです。ですから日本では街頭で障害者を見かけることが少ないのではないかと思います。

 インドネシアでは医療施設が整っていないことと、障害者の家族も食うに困っている人たちが多いので、できる限り家計を助ける意味で、街頭で物乞いをしたりしているのではないかと思います。

 一方、施しを与える方の理由もあります。障害者が存在する理由として、「自分は彼らよりも幸せなんだ」という優越感を感じて神に感謝することができるため。さらに障害者たちを見て哀れみの心を持てるようになるため、のふたつがあげられます。日本人は一般的に最初の理由だけを考えて、二番目の理由を考えようとはしません。いわゆる「科学的に」計測できない「哀れみの心」というものを日本人たちは工業化社会の発展の中でどこかに置き忘れてきてしまったようです。

 日本の社会では、仕事ができる間は会社がその社員をちやほやしますが卒中などの病に倒れてしまうと会社はけんもほろろになってしまいます。しかし、そんな災いは絶対にこないと信じて日本教徒は毎日汗水垂らして働いています。不幸にして災いがきてしまった人には健康保険からの給付金や厚生年金、生命保険、退職金などで死ぬまでの長い間、「社会に不必要な存在=悪」として、辛い人生を歩まねばならないのです。

 「他人の不幸は自分の幸せ」とは皮肉っぽくよく言われる言葉ですが、「自分の不幸は他人の幸せ」と心底から言えるでしょうか。暴走特急に乗っている日本教徒は、一旦列車のスピ−ドをゆるめて、この点を考え直してみる必要があるのではないでしょうか。ここから日本社会の新たな飛躍ができるかも知れません。

 インドネシア社会では、この「哀れみの心」がまだしっかり息づいています。インドネシアでは明治維新がなかったので、昔からの宗教的な規範がまだ生活の隅々にまで生きているのではないかと想像します。特に官庁などの事務にもこれが働いています。こちらが仕事での上で困っているので、あちらが「哀れみの心」を出す。あちらは生活費に困っているのでこちらの「哀れみの心」を求める。こんな「哀れみの心」のやり取りが、現象的にみると「万事が金次第」になってしまい、結局、公務員の給料が安くて済んでいるのではないかとの皮肉な見方もしてみたりして、ウサを晴らしています。 

[参考文献]
1. 「ひろさちやが聞くコ−ラン」ひろさちや+黒田壽郎対談集 すずき出版刊
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1999-12-26修正 スンガイダレーにて  下尾稔氏のご協力を仰ぎました。 
2015-03-xx 修正
 

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