インドネシア不思議発見
7話 豚肉を食べないの?
 お宅でもモスリムの女中さんたちが豚肉を扱うのを嫌がっていると思います。実はこんな訳があるのです。

 イスラムとキリスト教はまったく違う宗教ではなく、いわばヒンズ−教と仏教のような兄弟なのです。従ってイスラムでも旧約聖書を使っていて、旧約聖書のレビ記の11章に食物禁忌(食べても良いものと悪いものの掟)があります。神がモ−セに与えたおつげを簡単に書くとこんな風になります。
(1) 地上のすべての動物のうちで、食物として良い生き物は、ひずめが分かれ、完全に割れているもの、または反芻(はんすう)するものはすべてよい。但し、以下の動物は付記の理由で食物から除外する。
(a) 「らくだ」「いわだぬき」「野うさぎ」 反芻はするがひずめが分かれていないので汚れ(ケガ)ている。
(b) 「豚」 ひずめが分かれていて完全に割れているが反芻しないので汚れている。
(2) 「水中生物でひれや鱗がないもの」
(3) 「鳥類」 はげわし、はげたか、黒はげたか、とび、隼の類、からすの類すべて、だちょう、よたか、かもめ、鷹の類、ふくろう、みみずく、白ふくろう、ペリカン、野がん、こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもりなど。
(4) 「羽があって群生し四つ足で歩き回るもの、ただしその足の他に跳ね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは食べても良い。この中で食べても良いものは、いなごの類、毛のないいなごの類、こおろぎの類、ばったの類。」
(5) 「ひずめが分かれているが完全に割れていないもの、あるいは反芻しないもの」は汚れている。
(6) 地に群生するもののうち、「もぐら、とびねずみ、大とかげの類、やもり、とかげ、すなとかげ、カメレオン。
(7) 地に群生するもののうち「腹ではうもの、また四つ足で歩くもの、あるいは多くの足があるもの」は食べてはならない。
 汚れたもの(haram)と清い(halal)もの、食べて良い生き物と食べてはならない生き物とが区別される。

 これらの内、日本人の普通の食材は、豚肉と貝だけで、たまに食べる物にはナマコ、ホヤなどがあります。豚肉は後で議論することにして、中東では河川が少ないため河口付近で繁殖する貝類がほとんどないこと、見るからに気持ち悪いナマコもホヤもほとんどいないようですので、ここには書かれていないのだと筆者は勝手に解釈しています。

 さて、ここで豚肉についてちょっと考えてみます。

 食べてはいけない物の種類を列挙して考えてみると、これらには「半生では食べられない物」という共通点が浮かび上がってきます。われわれは両親から「豚肉にはサナダ虫がいるから、完全に火を通さなくちゃいけないよ」と言われてきました。ですから豚肉も食べてはいけないもの入っているのではないかと思います。
 豚肉の持つ寄生虫や病原菌を完全に殺して安全な食物とするには、完全に調理する必要があり、そのために大量の燃料が必要になります。いまでこそこの地域は産油国として有名ですが、当時、人がほとんど住んでいなかった中東の東半分にほとんどの石油資源は偏在しています。もちろんこの当時は石油の精製技術と大量の陸上輸送手段がなかったので、地上にしみ出してくる原油を燃料にして使用することはできなかったのです。

 仮に原油を燃料に転化できたと仮定して、その消費量を計算してみます。中東地域の当時の人口を200万人とし、一家庭あたり8人とします。さらに、灯油の消費量を一家庭あたり一日1リットルと仮定します。
 すると灯油の消費量は 2,000,000 / 8 x 1 = 250,000 リットル/日となります。重量にして200tonです。

 当時は、船とらくだしか運搬手段がありませんでしたから、灯油の生産地をジェッダとして消費の中心地としてイエルサレムを仮定すると、石油基地からジェッダ港まではらくだで、ジェッダから紅海北端のアカバ港までは船、それからイエルサレムまではらくだに頼ることになります。らくだ一頭で100kg運べるとしますと、船積みに一日あたり2,000頭のらくだが必要になります。アカバからイエルサレルムまでは約400kmあるため、キャラバンの日速を30kmとすると14日かかり、石油基地からジェッダまでの三日間を加えると合計17日になります。従って、石油輸送に必要ならくだの数は17 x 2,000 = 34,000頭になり、帰路にも同じ時間がかかるとすると、その倍の約7万頭のらくだが石油輸送のためにだけ必要になることになります。したがって、石油の値段がきわめて高くなってしまい、日常の燃料としては経済的に成り立たたないのとともに、これだけの頭数のらくだの飼料を育てる農業適地が不足します。

 この計算だけでも当時は家庭用燃料を石油資源に頼ることはできなかったことが分かります。従って、当時の燃料は樹木に頼るしかなかったのです。2,000年以上前のこの地域は現在よりももっと雨量が多かったことは認めますが、それにしてもこれだけのエネルギ−を発生させるだけの薪の供給は困難であったでしょう。中東地域でも、シリアとレバノンとの国境付近のレバノン山地は雨量が多く、良材の産地でした。この地域はそのため樹木が多く、日本赤軍が立てこもったことでレバノン山地の名が知られています。現在でも冬には積雪で峠の付近で凍死する事故があると聞きます。聖書にたびたび出てくるヘルモン山はこの山脈の南端に位置している独立峰で、トルコ石の青い色の抜けるような青空を背景とした頂上付近に雪をかぶった神々しいヘルモン山はパレスチナの谷の北部を含めたその地域一帯から良く見えます。しかし、その当時はどこへでも薪を運んでいける運搬手段はなかったのです。

 このように炊事用燃料が恒常的に不足していましたから、人口のほとんどすべてであった貧乏人たちの調理方法は「生煮え」だったろうと思います。たびたび調理不足の肉により「口蹄疫」という病気が何度も流行し、たくさんの犠牲者が出たとのことです。
 また羊や牛とは異なり、豚には草だけではなく穀物や芋類を給餌する必要があります。飢饉の際に、お金持ちが自分の財産の豚を守るために、人間の食料でもあるこれらを自分の豚だけに与えて、飢餓に喘いでいる人たちをほっておいたのではないかと思います。どうみてもこれは「人非人」の行動と言わざるをえません。聖書には豚飼いの話があり、豚飼いはもっとも蔑まれた職業としてあります。養豚業が卑しい職業である理由をこじつけてみると、ブ−ちゃんには悪いのですが、こんな風になりました。

【他人の意見には必ずケチをつけるあまのじゃくなあなたに】

 中国ではなぜ豚肉が主になっているかというと、第一の理由として、燃料としての薪が古代には多量にあったことと、人口が急増した16世紀になってからは石炭・コ−クスの使用が一般的になり、十分な調理ができるようになったことがあげられます。第二には豚は飼料から肉へのエネルギ−変換効率が高く、温帯モンス−ン地帯で農業が盛んで人口が多い地域で飼育するのに適していたからだろうということが理由になります。第三には穀物や芋類がたくさん取れる農業が盛んな地域ですから、作物の茎や葉、根などの農業廃棄物や、貯蔵中に変質したり腐敗したりしたものがたくさん発生すると共に、台所の生ごみが豚の飼料となったことも考えられます。人間の大便も豚の餌になります。

 キリスト教徒がほとんどのヨ−ロッパでも、聖書の教えに忠実にしたがえば豚肉を食べてはいけないことになりますが、南部の乾燥地帯を除いて燃料が森林からたくさん取れたことから、十分な調理が可能なので伝統的に豚肉を食べているのではないかと思います。

 ちなみに、インドネシアで一般的な食べ物であるBakpaoやBakmie、Baksoの「Bak」とは福建語で「肉=豚肉」の意味です。「焼売=シュ-マイ」はインドネシアでもSiomaiですが、屋台で売っているのは一般的はシュ-マイではなく肉マンです。友人の台湾人によるとシュウマイの本来の意味は「調理済み食品をすぐ食べられるように熱くしたまま売る」という意味なのだそうです。ちょっと脱線しました。失礼。

 豚肉を食べ物から外した、もっと深刻で決定的な理由があると想像しているのですが、これは次回までのお楽しみにとっておきます。

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2015-03-02 修正
 

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