インドネシア不思議発見
はじめに
 インドネシアでは何事にも「はじめに歌ありき」です。

   ♪♪ インドネシアわがふるさと とわなるこの国よ
        インドネシア生まれし日より わが誇りはらから
       我を生みし土地よ われを育てし地よ
        わが老いの身をまもり わが眠るこの地よ ♪♪

「Indonesia Pusaka (インドネシアの遺産) Ismail Marzuki 作詞作曲、丸山克彦訳」
 
 という歌をご存知の方もいらっしゃるだろうと思います。

 インドネシアに永く駐在になり、インドネシア人としげくつき合い、インドネシアの文化を理解・そして納得して、帰国された方々が皆様方の先輩達に数多くいらっしゃいます。帰国された人たちのOB会にはちょくちょく出席させていただいておりますが、皆さん「あの頃は良かった」とジャカルタ時代の思い出に毎回花を咲かせております。また帰国後にまた外国に転勤になった方も多く、この方々もその他の外国と比べてインドネシアの良い点をたくさん指摘されています。筆者もこのような昔のジャカルタ駐在者の一人で、東証一部上場企業に勤務する技術士で現在西ジャワ州でダムの建設に従事しております。インドネシアにはしょっちゅう転勤やら出張を繰り返しているので、巻頭のインドネシアプサカがテ−マソングになっているLagu-lagu会の皆さん方には「No.24の化石会員でバツ3の出戻り男」とも呼ばれています。最初は1976年にジャカルタ駐在になり約2年、その後マレ−シア、中東のヨルダン、ネパ−ルなどにも駐在・出張しました。インドネシアではジャカルタのみならず、東部・中部・西部ジャワ三州とスマトラ、スラウェシなどを転勤・出張で移りかわり、インドネシア以外の外国では味わえない「インドネシアの良さ」にどっぷりと浸っている現在です。大学生を頭に三人の子持ちで、単身赴任を余儀なくされています。と、自己紹介はさておき、…………。

  街角でふと目が合った時、微笑みを返されることが多いインドネシア。澄んだ目、白く並びの良い歯をちらっと見せて口元で微笑みかける。これはどこの国に行ってもなかなか味わえないインドネシアだけの良い点です。

 でも、我々が事務所から家に帰る道すがら通り抜ける一般の人達の住宅地では裸足の子供があふれ、なんとなくみすぼらしく、整頓されておらず、汚らしく感じることが多いと思います。一歩、郊外に出てみると、そこは自然にあふれているとは言えますが、衛生設備が不十分で道ばたのWarung(屋台)で買い喰いをするのもはばかられます。こんな前近代的で貧しいインドネシアなのに、なんでこんなに人がよく、愛想がよく、優しく、ジョ−クが大好きで明るい純粋な人達が多いのだろうと、ついついこの反対の性格の日本人と比較してしまいます。日本人と比べると、くちごたえが多く、注意力散漫で、怠け者で、「なまいきで、本当にやる気があるのかしら」と思うような点もあるでしょう。しかし、頑張り屋の日本人には到底およびはつきませんが、彼らも彼らなりに努力をしています。こんなに性格の良い人が多く地味豊かなインドネシアで、巻頭のインドネシアプサカの歌詞のように、老いの日を送りそして骨を埋めたいと筆者は希っています。

 「何につけても読んだり聞いたりして考えずにすぐに怒るのは大人げない」とは、明治生まれの祖母がよく言っていた言葉でした。インドネシア人は怒りのエネルギ−をジョ−クに変えて楽しく笑い飛ばしてしまう「大人げのある」人達です。怒りを一ひねりしてジョ−クに変えてしまる人達はインドネシア人達に喜こばれます。二ひねりしてブラックジョ−クに変えてしまえる人達は尊敬されます。インドネシア人達は祖母のこの言葉を忠実に実践している心に余裕のある人達です。筆者は心に余裕のあるインドネシア人達を尊敬するとともに、このような国民性を育て受け入れているインドネシアの地に感謝の念を送りたいと思っています。日本でも明治維新前まではこのような楽しい人が多く、ブラックユ−モアも残っています。歴史の教科書にあった「太平の眠りを覚ますじょうきせん たった四杯で夜も寝られず」というのがペリ−が浦賀に来航した時のブラックジョ−クで、「上喜撰」という名のお茶と「蒸気船」を掛けたものです。こんな風雅な時代に青春を送った両親に育てられた祖母でしたから「大人げない」という言葉が出てきたのではなかったかと思っています。昔から日本人の心の拠り所となっている「般若心経」では「色即是空・空即是色」と言っており、怒ったり恨んだり悲しんだりせずに平静心で毎日を過ごすべきだ、そうすれば真理が見えてくると言っています。今の日本人達にもっとも欠けているのが「平静心でいる」という点なのではないでしょうか。平静心でいれば自ずから微笑みも湧いてこようというものです。

 この連載の中では「インドネシア人をズバッと切る」とともに、その返す刀で日本人も一刀両断にして、お互いの価値観や生活行動様式などの違いを見ていきたいと思っていますので、この記事に腹を立てる方も数多くいらっしゃるだろうと思います。しかし、「ちょっと待てよ」と数回読み直して、筆者が何を言おうとしてるのかを「平静心で」見極めていただきたいのです。日本人は「建て前と本音」とよく言いますが、これに対して外人は意見とバ−ジョン(異見)と言います。建て前や意見はまじめな研究者達が机の上やフィ−ルドで研究した本屋で買える他の本や文献に任せておくとして、この連載は本音と異見を主体としています。「♪人生いろいろ♪」「ものは考えよう」と、おうようなインドネシア人の気持ちになって笑いつつ読み進めていただければ幸いです。

 視点というものは人によってさまざまですし、また同じ人間の中でも複数の視点に立って考えることもできると思います。日本人に不足しているのが意見と複数の異見を合わせ持つ、「複眼思考法」ではないかと思います。この「複眼思考法」を使って私たちが気づいたインドネシア人達の行動について考えながら、今の日本が経済的繁栄の故に失ってしまったものを見つけだし、ひいては日本とインドネシアが将来進むべき方向もこの連載の中で草の根単位で読者のみなさんと一緒に考えていきたいというのが筆者の「『本音』の『意見』」なのです。連載の記事が日本とインドネシアの相互理解と将来に役に立つことを願っています。

   みなさんの身の回りにいるインドネシア人たちはほとんどイスラム教徒であり、みなさんのように日本で生まれ日本文化の中で育ち、日本式の教育を受けて、日本の社会で成功を納めてきた方達(この連載では「日本教徒」と呼ぶことにします)には、彼らのなることなすことがすべてトンチンカンに見え、色々と毎日の仕事や生活で問題が生じてきていると思います。この国では、商売上では会社の名前よりも個人の人間関係が重要です。また会社ではインドネシア人の上司や部下、家庭内でも女中さんや運転者さんとの人間関係が、みなさんの毎日の生活に少なからず影響していると思います。

 これらの出来事について筆者の経験を材料とし、偏見・中傷とペ−ソスで味をつけ、さらにひとひねり加えて、泣き笑い風にお話ししたいと思います。不勉強や認識不足による誤解、さらに日本人の感性からかなり逸脱していると自認している筆者の人間性の点で文章に至らない所もあろうかと思いますが、その点はどうか「大人げ」をもっていただいて、ご容赦下さい。    (続く)

   この文はジャカルタに住んでいる日本人が組織している、ジャカルタ日本人会の月報「Berita」に1996年1月から連載されていたものです。そのため、文中の「こちら」はインドネシアという意味にとって下さい。この文を読んでいてあたかもあなたがインドネシアに住んでいてインドネシア人たちと毎日いっしょに生活していると感じることができれば筆者としては幸甚です。
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2015-03-xx 修正
 

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