嗚呼、インドネシア
第13話 ジャワとイスラム 

まえがき
 2005年6月から半年あまりにわたりバリ人のエンジニアと一緒に仕事をした。彼、Ketut Suryata氏、は筆者より五歳年上で公共事業省水資源総局の技術局の大型構造物課長を最後に定年した人であり、他のインドネシア人技術者を技術的にははるかに凌駕していることはここ十年来の付き合いでわかっていた。同氏はバリ生まれの生粋のバリ人でありバリヒンドゥーの熱心な信者である。
 筆者はバリ人と長く付き合ったことがなかったため、バリについてはほとんど知識と理解がなかったが、同氏とのさりげない日常会話の中から、いろいろと学ぶことがあった。以下は会話から得たヒントのひとつの結晶である。

 この文ではインドネシア国の人口の大多数を占め、文化的にも洗練されているジャワ人の伝統文化とイスラムとの関係について述べる。

1. バリとジャワ

 現在のバリ人はもともとジャワに住んでいたが、500年前の政権交代でジャワの王朝がイスラム化したため、ジャワからバリにその本拠地を移し、旧来のヒンドゥー教を現在まで伝えて「神々の島」を構築している。バリには種々の神々を祭るこまごまとしたたくさんの祭礼があり、人々は今でもその伝統に従って生活している。宗教的にも一般的日本人にはわかりやすい。
 バリにおいてこのような祭礼が頻繁に行われる理由として最初に挙げられることはその自然条件である。
 バリ島を含むインドネシアの列島は赤道の南北10度に位置し、バリ島から西の地域は熱帯雨林気候である。地殻的に見れば、ジャワ島からフローレス諸島までは北太平洋プレートと南太平洋プレートの接触線上にあり、活火山が多数見られる。
  神々を祭るということはその対象になる神々が多数存在し、かつまたその存在が人間の生活に大きな影響を及ぼしていることの証拠になろう。バリで呼ばれている神々は一神教の神ではなく日本で言う八百万の神である。したがって荒神様から道祖神、お地蔵さんの類まで含まれている。台所にもトイレにもそれを司る神様がいるのはもちろんのこと自動車にまで神様が付いているという程である。
 この八百万の神を今まで熱心に信仰していることの裏には、ただの「伝統」というだけではない実生活に密着した理由があるに違いないと筆者は読んでいる。

 筆者はエンジニアの傍ら魑魅魍魎(未確認エネルギー体)などについても興味を持ち、ここ十数年にわたり世界各地でその存在について調べている。調査した地域は世界各地に飛び、イラン国テヘラン周辺地域、ペルー国リマ市とアンデス山中、リビア国のベンガジ市とサハラ砂漠、ネパール国カトマンドゥー市、ドイツ・ウルツブルグ市内、インドネシアでは西スマトラ州、ランプン州、バンテン州、西ジャワ州、中部ジャワ州、東ジャワ州、バリ州などである。

 その結果から言えることは二つある。
最初は、魑魅魍魎は巨木に好んで棲み付くということであり、第二には歴史上人口が多かったほど魑魅魍魎の数が多く、第三には地殻の不安定な地域に魑魅魍魎が多いということである。最後の説は百瀬直也氏が約10年前から提唱されているものであり、賛同できる。
 巨木には未確認ではあるが一種のエネルギーが存在し、それが形成する環境が魑魅魍魎にとって「住みやすい」ようになっているのではないかと考えている。その地域に住んでいた人が多いということは、それだけ怨念などがその地に残っていることを示している。さらに、魑魅魍魎は広範囲に安定した空間では活動しにくいため、空間の裂け目や空間が不連続になっている地域、すなわち地磁気が不安定になっている地域を好むのではないかと考えている。

 この三つを満足させる地域はジャワ島とバリ島である。ジャワ島の大都市とその周辺には巨木が少ないが、これら以外の地域には自然林ではなくとも巨木が多く、魑魅魍魎の格好の住処となっている。バリ島には大都市が存在せず、観光地以外は純農業地帯であることは意外に知られていない。またジャワ島に比べて山岳が占める割合が高く、天然林や巨木も多数残されている。
 ジャワ島では独立後の人口爆発のためそれまで存在した自然の平野を大規模に開発し農地としたため、平野部での自然林の面積がほとんどなくなってしまった。さらには日本列島とは逆に、ジャワ島はそのほぼ70%が平坦地であり、いまでも日本に残っているような広大な天然林は存在しないと聞いている。その一方、地方都市や農村地域には今でも巨木が多数存在し地域住民の畏敬の的になっている。

2. ジャワへのイスラムの浸透

 Wali Songo (ワリソゴ=9人の伝道者)と呼ばれるイスラムの伝道者たちがイスラムの布教を始めたのは約500年前のことであり、約100年前にジャワでは大部分の地域でイスラムへの改宗が終わっている。
 このワリソゴには種々の説があるが、最も信憑性の高いのは、インド洋とスマトラ島経由ではなく、「ナマコ・ルート(後述)」経由で中国から伝わったという説である。実際にワリソゴの肖像画を見ると九人のうち中東系の顔をしているのは四人だけで残りの五人はモンゴロイド顔をしている。事実、中国が送った「鄭和」の艦隊の隊長であった鄭和自身は漢人ではなく、ムスリムであったということである。ジャワ島スマランに立ち寄ったとき旗艦の舵手が病死したためその遺体を丘の下の上陸地に葬り廟を建てた。その廟はいまでもサンポーコンとして華人たちの参詣の地になっている。いままで数百年にわたりムスリムの墓所を守ってきたのは、ノンムスリムである華人たちであったと、インドネシアの新聞記事で皮肉っていた。

 鄭和の艦隊の旗艦は船長300mにも及ぶ巨大な木造船であったと聞く。現在の浅薄にすると100万トンタンカーに匹敵する。果たしてこのような大型船舶が当時の船殻材料であった木材で構造的に波浪に耐えられるかどうかも疑問であり、その巨大な重量で進水させることも技術的に困難であり、操船も難しかったであったろうと技術者として思ってしまうのである。
 また、帆船であるため、転倒防止のため喫水をある程度深くとらなくてはならないため、庵浪雄氏が指摘するように、サンゴ礁やあるいは遠浅の海岸に喫水の深い船舶を接岸させることは困難であったと思われる。

 鄭和の艦隊のひとつの目標は前出の「ナマコ・ルート」の確保であった。ナマコを好んで食するのは華人たちであり、1000年以上前から太平洋の各地から中国に向けての交易ルートが開発整備されてきた。日本もその例外ではなく、明治時代には輸出用の乾燥ナマコの含水率まで法律で決まっていたというほどの重要な輸出品のひとつであった。日本のみならず、南太平洋の各地にナマコ・ルートがくまなくはり巡らされていて、昭和初期にはアラフラ海にまで達するほど日本人潜水夫が南太平洋各地で活躍していた。ナマコを採りつくした後は、白鳥貝を採集しワイシャツのボタンに利用していたが、プラスチックの進歩と普及により、潜水漁業の終止符が打たれた。
鶴見良行著『ナマコの眼』より。

 ワリソゴの時代には、ヨーロッパはまだルネッサンス前後であったため、中東欧州地域での技術的覇者はアラブ人たちであった。かれらの先進的な科学技術と政治的手腕に驚いたジャワ人たちは、率先してアラブ文化に触れるとともにその基礎となっていると考えられたイスラムに改宗したものだと想像する。ちょうど大化の改新の時に中国の進歩した技術とともに仏教が日本に到来したのとおなじことである。
 アラブの進歩した文化や科学技術に触れることができたのは、海岸地域や内陸の大都市周辺だけであり、当時の主要産業である農業が盛んでなかった未開地には伝わらなかった。それゆえ、庵浪雄氏が指摘するようにインドネシアでは農業生産性が低い土地=未開地にキリスト教が存在すると考えられる。

3. イスラムと自然環境との間の齟齬

 養老孟司氏によると、宗教は自然崇拝から始まり進化していくにつれ都市型の宗教にかわっていった。これは人間の脳の持つ特性に従って形成されていくものであり、脳の進化の過程として避けられないものであるとのことである。
 イスラムはこの都市型の宗教の典型であり、アッラーと人間を峻別し両者間での「約束」がその信仰の基礎になっている。これはあくまでも人間の脳の中だけの話であり、自然は信仰の対象から外れている。
 緑が少ない中東では、前出のように、魑魅魍魎が人間生活に影響を与えることが少ない、すなわち、魑魅魍魎が発生する雑音が入らないので純粋にアッラーと対話する可能性が高かったと思われるが、ジャワでは魑魅魍魎の影響が大きいため、アッラーとの対話はかなり困難であろうとおもわれる。さらにはこの魑魅魍魎を操る黒魔術がジャワ島では今でも盛んなのは、魑魅魍魎を祀ることがイスラムの浸透とともに廃れてきているからではないかと思われる。新聞の三行広告にまで呪術師が毎日幅を利かせているのである。歴代大統領もお抱えの呪術師がいたとのことである。

 人間の脳が発達するにつれ都市化すなわち脳化が進行する。脳化が進行するにつれ、ものの見方や考え方が自然を詳しく観察するよりも、観念の世界に閉じこもるようになる。観念をぐるぐる巡らしていくと、雑然と並んでいた自然・社会現象がある程度の秩序を持ってくることがわかった。それで出来上がったのが「理論」である。理論を進めるにあたり適用できない不純物は排除するしかない。それが科学として確立され、「線形計画法」に代表される秩序を持った理論体系に出来上がった。これは一神教信者たちの脳にはとても心地よい、「絶対了解=どんなに反論してもだめだからね。これが真実」が認められた。
 理論体系を構築するためには言語を利用するしか手段がないため、誤解を防ぐために限られた意味を持つ「専門用語」が多数作られた。これをデジタル信号ということにすると、自然界から受ける情報はデジタル信号ではカバーできない多種多様なアナログ信号ということになる。
 日本を始め先進諸国では、このデジタル信号によって構築されてきた技術が人間にとっての環境を破壊しているという、本来の逆の方向に進んでいることがわかってきたため、「技術不信」に始まる科学信仰がだんだんと衰えてきている。それにまして、1986年に米国サンタフェ研究所で提案された「複雑系思考」が先進国に徐々に伝わってきている。

4. イスラム諸国は後進国

 中東の産油国という例外を除きイスラム諸国は一概に後進国であることが言える。
後進国であるゆえんは、その地域の一人当たりGDP低いからである。なぜ低いかというと、「産業革命に乗り遅れた」という言葉に尽くされる。
 なぜ、その地域が産業革命に乗り遅れたかという理由には種々の説があろうが、筆者はその地域の人たちの「脳の特性」に注目している。
 イスラム圏ではないインドや中国が一旦は大帝国を誇ったにもかかわらず現在では全世界に影響するほどの力は持ち合わせていない。というのはどちらも古代から続く農業で隆盛を誇り、その成功体験を引きずっていたため、工業化に乗り遅れたためである。
 これらの大帝国がそうであったから、そのほかの地域は押して知るべしである。

 インドネシアが貧乏なのはオランダ支配の影響であるという言葉をしばしば聞くが、これは誤りである。工業化が進んでいないから貧乏なのであるということが事実である。
 工業化を進めるにあたってもっとも必要なことは行動の徹底したマニュアル化であり、人間個人の個性を束縛するとともに長時間にわたって意識を集中することである。
これがほとんどのインドネシア人はできない。社会的に教育された脳の機能が先進国の人たちとは異なるからである。

 それゆえ、マニュアルどおり行動することにあこがれるのである。
 仕事以外に徹底的にマニュアル化されているものといえばイスラムである。よいことをすれば天国に悪いことをすれば地獄に、といった単純明快で、行動にまでマニュアル化されている。
 マニュアル化の良い点は、行動に制限を設けて「底上げ」ができることである。一方悪い点は、マニュアルが作られた本来の目的を理解せずにその文面だけを追う傾向になりやすいということである。
インドネシアでは、マニュアルの基本理念どおりに行動することを避け、その表面だけをその場の感情でなぞっているだけというように見える。

 そもそも仏教の教えでは色即是空に代表されるように「良い悪い」などという判断基準はないのである。視点を変えることにより善悪の評価基準は豹変するからである。

5. 結論

 全般的に見てインドネシア人たちの脳の機能は、デジタル思考=科学的思考以前の状態にあると言ってよい。
 それゆえ、マニュアル化された単純なイスラムに惹かれるのである。しかし、そのマニュアルを基本理念どおり守っている人はごく少数である。すなわち、残りの大多数にはイスラムは適合していないという結論に至るのである。
 さらに、上述のように自然環境がイスラムが育ってきた地域と大きく異なるため、自然環境から見て不適合である。
 
 インドネシア人たちにもっとも適する宗教は、やはり自然宗教であるヒンドゥーか仏教、しいて言えば、欧州の自然宗教とキリスト教が混じって出来上がったカトリックである。

2005-10-03 ランプン・メトロにて

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2006-03-13作成
2015-03-xx 修正
 

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