嗚呼、インドネシア
第3話 ジャカルタ付近の鉄道と道路交通

男性のほとんどがいくつになっても子供みたいに鉄道などにこだわりたがるものです。筆者の度欲とてその例外ではありません。
ジャカルタ近郊の陸上交通機関には大きい方は鉄道から始まり、小さい方はベチャまであります。このページではその一つ一つを紹介していきましょう。
1. 鉄道 (Kereta-api)
インドネシアの鉄道は以前の日本の国鉄のような公社(Perumka)によって経営されています。写真は特急アルゴグデ号です。この写真は鉄道公社のHPから失敬してきたものです。

ジャワ島内の鉄道の詳細については「嗚呼、インドネシア」第12話をご覧ください。
 ジャワ島内の鉄道幹線路線図は下にあります。


いまではメラクからスラバヤまで高速道路がつながっています。高速道路の詳細はこちら

2. 市内バス

ジャカルタ市営のバス(PPD)普通のバスです。

左側はジャカルタ市営のバスのエアコンつきバス。
都バスの「愛宕循環」深夜バス、Blok M始発のようです。 2012/1/23
 このPPD (Perusahaan Umum Pengangkutan Penumpang Djakarta)は2016年に全廃され、ルートはTransjakartaに移行した。(2023-8-31)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pengangkutan_Penumpang_Djakarta

よく話題にのぼる小型バスのメトロミニ
(Metromini)

メトロミニと同じサイズの小型バス
(Kopaja=KOPerasi Angkutan JAkarta)
いずれもJalarta BlokM バスターミナルで撮影したもの (2002-8-05)
 Metrominiは2019年に全廃となり、Minitransへ移行した。MetrominiとKopajaなどのバスは整備不良車が多いことで大気汚染の元に、運転が乱暴なので交通事故の元凶にもなっていた。(2023-8-31)
https://en.wikipedia.org/wiki/MetroMini

3. アンコット(ANGKOT = ANGkutan KOTa)

これはスマトラのランプン州の州都であるバンダルランプン市、タンジュンカランバスターミナルから出てきたばかりのアンコット
スズキやダイハツなどの軽四輪ワゴンの後部スペ−スを客室にしたAngkotがあります。日本の軽四輪にそっくりですが、車体寸法が少し大きいのとエンジンを660ccではなく1000CCから1300CCにしている点が異なります。これは細い路地でもスム−スに走れるように小型にして最大20人まで乗れるようになっています。
4. バジャイ (Bajaj)

Jalarta BlokM バスターミナル北側のJl Sultan Hasanuddinで撮影したもの (2002-8-05)
 日本では見かけないちょっと変わったオレンジ色の三輪車のタクシ−です。ジャカルタの南部のクバヨラン・バル近辺でよく見かけます。ベスパの駆動部分を使って車体はインド製で出来が悪く、雨は降り込むわ、排気ガスは入ってくるわで快適ではないのですが、小回りがきいて細い路地の奥まで入ってくれます。乗客は三人までで運賃はタクシ−より少し安い程度です。メ−タ−(Argo)がないので、乗るたびに運賃を交渉する手間があります。インドネシアではバジャイと呼んでいますがインド・ネパ−ルではバジャジとつづりどおり呼んでいます。
 大きさは隣のトヨタキジャン(大体カローラのサイズ)と比べてみてください。


New Bajaj at Jl. Gandaria III (2011-12-04)
2011年頃に青色のバジャイが登場しました。従来の橙色のバジャイはガソリンの2サイクルエンジンでしたが、新型のバジャイはCNG (高圧天然ガス)を燃料とした4サイクルエンジンに変わっていて、騒音も少なくなり、白い排気ガスはなくなりました。
原産地のインドでも現在はこのタイプばかりです。下の写真はデリーで2023年8月に撮影したもの。

5. Bemo
ジャカルタコタ駅付近のOlimoで撮影 2011-11-27 なんと排気量は250cc。白煙を上げて走る姿が印象に残っています。
日本人にとって懐かしいミゼット号がまだまだ現役で活躍しています。この姿を見ると、「俺もまだまだ働かなくてはならないのかなあ」としみじみ感じている定年おじさんでした。

これは1957年型のモデルです。

6. オジェック(Ojek)

ランプン州の山の中を走る二輪トラック 
2002-7-31 アイル・ナニガン村にて
この小さいオートバイに200kgもの荷物を積んで未舗装の山道を走り抜けます。

橋を掛けるのに大量の資金が必要なため山間部では自動車用道路ができていない個所が多く、山間部の住民にとってオジェッは大切な交通機関になっています。
政府は資金を拠出して山間部に道路を作ろうとしていますが、その多くはコストの面から吊り橋であり、普通車を通すのが精いっぱいです。

平地でも地方では、街道沿いにオジェッの溜りがあるのをよく見かけるでしょう。
実にインドネシア人は歩くのが嫌いです。

7. 馬車 (Dokar = Delman = Bendi)
Wikipediaを調べていたら、
ジャカルタで使われているDelmanという名称はオランダ人発明者のCharles Theodore Deelemanに由来しているそうです。また車輪の数は2〜4個とのこと。
ジャワで二輪馬車はdokarと呼ばれています。Dokarはdogcartがその由来で元々は狩猟につかうための軽い馬車であったとのこと。
Andongはジャワ古来の四輪馬車。これはジャカルタではEerste Bataviasche Rijtuig Onderneming (第一バタビア車両会社)の省略形のEBROと呼ばれている。
Bendiは西スマトラ州での呼び名。

南ジャカルタ郊外・ポンドック・ラブ付近で(2000-8-04)
 大都会ではもう見かけることがまれになりましたが、地方都市ではまだ一般の交通機関として使われています。インドネシアでは人件費が安いので少々手間を掛けても運行コストが安くなることと同時に、短距離の輸送では乗客の選択基準に速度の点が余り重要ではないといった点があるからでしょう。
1983年生まれの娘はインドネシアの学校に通うのにスクール・バシャを使っていました。

7. ベチャ (Becak)

客待ち中
ランプン州のタンジュンカラン駅前で(2000-7-28)

客待ち中
南ジャカルタ郊外・ポンドック・ラブ付近で
(2000-8-04)

営業中
南ジャカルタ郊外・ポンドック・ラブ付近で(2000-8-04)

休止中
南ジャカルタ郊外・ポンドック・ラブ付近で(2000-8-04)

これはジョグジャカルタのベチャ。(2014-08-29)
他の地域のベチャと泥除けの部分が大きく異なるのが特徴
Wikipediaによると、becakの語源は福建語のbe chia(馬車)だそうな。
インドではリクショーRickshawと呼ばれているが、この語源は日本語の「人力車」だ。
 この人力三輪車のタクシ−で今ではジャカルタ市内では見かけなくなりましたが、地方では一般的な輸送機関として活躍しています。このベチャの有利な点は止まったままで方向転換できることで、混雑した狭い場所でも操作性が良いことと、客席・荷台には200kgまでの重量物が登載できること、長い荷物、高い荷物でも狭い路地の奥まで運べることから地方では重宝しています。市内でも田舎でもカンポンと呼ばれる地域では、家と家との間の通りはベチャが通れる幅を最低限残してあります。

屋根つきのサイドカーに客を乗せるbecak motor
2000-10-30 西スマトラ州ソロク町パサールにて

Helicakと名付けられた、ベチャの自転車の代わりにオートバイなどを取り付けたものが1970年代にジャカルタで多く見かけました。これは形がヘリコプターに似ているところからhilicopter becakと名付けられた乗り物の省略形です。Iwan Falsの歌にも登場します。

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2002-04-28 作成
2015-02-27 追加修正
2023-08-31 追加修正
 

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